Extra
 今日、僕らはようやく「ソルコタ民主主義共和国」として独立する。
 国際連合ソルコタ暫定行政機構、UNTASの活動は、結局は三年四ヶ月もの期間に及んだ。
 波打つ緑と黄色、そしてギザギザの青と橙色が交差する国旗は、カタ族とコダーラ族の伝統模様をあしらったものだった。
 三年四ヶ月の間、僕らは新政府の樹立に向けて、身を粉にして働いた。
 だけれど、僕らの選択が正解だったのかはまだわからない。
 瞳を閉じれば、三年前のあのときの光景がまざまざとよみがえって、いまも眠れなくなってしまう。
 これから。
 そう……僕らが正しい道を選び得たのかどうかは、これから決まるのだ。
『我々の人生はこれまで、困難と共にありました。それはおそらく、これからも続くでしょう』
 テレビ画面の向こうで、シェンコア・ウブク新大統領――一応、正式な宣言までは新大統領予定、になるのだけれど――が演説を始める。
『しかしそれでも、これまでとこれからとでは決定的に違うことがあります。それは……我々がようやく争いをやめたということです』
 力強く断言する新大統領に、画面内で歓声と共に拍手が巻き起こる。
 彼はほがらかな笑みを浮かべ、手をあげて歓声に応えた。
『人という存在は未だ……お互いを理解することが難しい生き物です。我々はこれまでずっと、なにを考えているのかわからない相手に向けて、暴力で解決を図ろうとしてきました。さげすみ、罵り……そして、言葉では飽きたらずに大量の銃弾を使って。
 ……お互いがお互いの言い分を聞こうとせず、おびただしいほどの死の影がこの国を包み込んだのです。
 しかしそれでも、おろかな私たちは争いをやめようとしませんでした。
 なにを考えているのかわからない相手に対する、この上ない恐怖が私たちを支配していたのです。
 恐怖に打ち勝つには、勇気が必要です。
 ですが我々にはその勇気がありませんでした。
 困難な勇気よりも、安易な恐怖を――銃弾を選んでしまったのです。
 恐怖に打ち勝つための勇気が必要だと心のどこかでわかっていながら、そこに目をつぶって知らない振りをしていたのです。
 そんなこと間違っている、と真正面から指摘したのは、皆も知っている一人の少女でした。
 元子ども兵だった少女は訴えました。
「大人たちのやっていることは間違っている」
「争いなんて求めていない。欲しいのは平穏なのだ」と。
 だというのに、我々はそれでも自らの抱く恐怖に打ち勝つことができず、おろかな争いをやめられませんでした。
 ……少女が大人になっても、我々はおろかなままでした。
 我々が自らの恐怖と対峙し、真に平穏を手に入れるために立ち上がったのが……三年前のことです。
 この国が一度崩壊し、そんな中でもこの国のために尽力していた彼女が……凶弾に倒れてからのことでした。
 我々はそこでようやく悟ったのです。
 ……いえ、そこまでのことが起きなければ、我々は悟ることができなかった、という方が正確でしょう』
 ウブク新大統領の静かな罪の告白に、民衆も静まり返る。
『今日私は、宣言を行うためにここに来ました。しかし……他に宣言にふさわしい人がいるのではないかと感じています。
 ……皆さんはどうですか?』
 民衆は一斉に「そうだ!」と声をあげる。
 その光景に、僕は胸を締めつけられるような感覚におちいった。
『そう……あの悲劇がなければ、ここに立っていたのは彼女だったことでしょう。ですがあの三年前に、その機会は永遠に失われてしまいました――』
 ウブク新大統領の言葉に、涙が抑えきれなかった。
 僕はただ瞳を閉じ、フラッシュバックと共に後悔の念に――。



 ――拳銃を手にしているのは僕の方なのに、オコエはちっとも意に介していなくて、それがやけに恐怖をあおる。
「へぇ。じゃあ……こうなっても、銃はいらないのか?」
 オコエがそう口にした瞬間だった。
 距離を取っていたのに、一歩踏み出したオコエは手を伸ばして僕の拳銃を払うと、そのまま僕を後ろに向かせる。
 そして背後からガッチリと僕の身体を押さえつけて、僕の握る拳銃の銃口を、慎重に母さんへと向けた。
「やめろ、やめろやめろやめろ」
 もがくが、身体の大きなオコエにしっかりと押さえられて身動きができない。
「……ほら。銃があればよかったって、思うだろ?」
 僕のすぐ後ろで、オコエの冷たい声が響く。
「いや、いやだ……」
「……」
 なんとか銃口を母さんから逸らそうとするけれど、オコエもぎりぎりと力をかけていて、どうにもならない。
「ふぅ……。いいわ、やりなさい」
 出血に顔を青白くしながら、母さんはどこか緊張を解いてそんなことを言う。
 僕には意味がわからない。
「なに?」
「私を、殺したら……カルを、解放、しな……さい」
「……いいだろう」
「――っ!」
 母さんとオコエのやり取りに、僕は息をのむことしかできない。
「ダメだ!」
 母さんを支えるモーガンが叫ぶが、母さんもオコエも気にも留めない。
 母さんはモーガンをちらりと見て、僕に視線を向ける。
「言っておくわ。……彼、への復讐は……許しません」
「嫌だ!」
 涙が流れていくのを止められなかった。
 母さんは……僕の心の支えなんだ。絶対に死んじゃいけない。どうしても止められないなら……そう思ったことすら見透かされていて、母さんの視線は復讐など絶対に許さないという強さがある。
「なんでだよ……なんでだよ母さん! 僕の……僕のせいなのに!」
「復讐は……私までで、終わらせて……」
 呼吸さえ苦しそうに母さんがつぶやく。
 復讐を終わらせるなんて無理だ。
 そんなことできっこない。
 例え僕のせいだったとしても、母さんを殺す奴のことなんか許せるわけがない。
 母さんとなら、平和が実現できるって信じられた。
 母さんなら、この国から銃をなくせるって思えた。
 母さんの隣なら、僕は幸せになれるって思った。
 でも、母さんが死んでしまったら、それも全部なくなってしまうんだ。
 母さんがいなきゃいけないのに――。
 オコエの拘束がきつくなる。特に――引き金の人差し指だ。
「やめろ、くそっ!」
 叫んで必死にもがくけれど、オコエの力が強くてどうしても銃口が逸らせない。
「グミ、気をしっかり持て!」
 母さんの腹部を押さえるモーガンの手が、真っ赤に染まっている。傷口を押さえるために使っている上着なんて、もうとっくに血でべっとりとしていた。
 がたん、と音をたてて扉が開け放たれ、兵士たちが――このホテル・ナヴァルーニエで警備を行っていた軍の兵士たちだ――なだれ込んでくる。
 その突然の出来事に動揺したのが……致命的な結末を引き起こした。
 その一連の流れは、やけにスピードが遅く感じられ、仔細まで確認できるほどだった。
 オコエの指先が、僕の指先越しに引き金を引く。
 撃鉄が起き、撃針が雷管を叩く。
 手首に衝撃。
 銃口からマズルフラッシュと共に弾丸が射出。スライドがブローバックして空薬莢が排出、わずかな煙と共にくるくると回転しながら落下してゆく。
 わかるはずもないスピードで駆け抜けるはずの銃弾が、回転しながら手元の銃口から母さんの胸元へと進んでゆくのを、なすすべなく見ていることしかできなかった。
 そして、銃弾は母さんの胸をえぐり、無惨で、それでいて美しい血の華を咲かせた。
「うわあああああぁぁぁぁっ!」
 嫌だ。
 そんなことが起こってはいけないのに。
「くそ、くそ、くそっ! グミ、しっかりしろ! 死ぬな!」
 なんで、なんでこんなことに。
 母さんはぐったりとしている。
 うつろな瞳をこちらに向けたままで、身体にはもう力が入っていない。
 傷口を押さえるモーガンの涙声にも、ぴくりともしない。
「……グミ」
 モーガンは沈痛な声をあげて、静かに――それでいて優しく、丁寧に――グミのまぶたを閉じさせる。
「……」
 ……なんでだよ。
 その、モーガンの決定的な行為に、僕は怒りが再燃する。
 こいつだ。
 ……こいつの、せいだ。
 こいつさえ、いなければ。
「動くな!」
「両手をあげろ!」
 入ってきた兵士たちの声など耳に入らなかった。
 僕は顔を振り上げて後頭部でオコエの顔面を強打。それに気をとられて力が緩んだところで、背後からの拘束を振り払う。
「ぐえっ」
 身体をねじって右肘でオコエのわき腹を打ち、拳銃をもぎ取って離れる。
 間髪入れず、拳銃をオコエに向けて――。
「カル、やめろ!」
「なんでだよ、モーガン!」
「本当にわからないか……カル」
「だから――」
 振り返ってモーガンをにらみつけようとして――黙りこむ。
 母さんの身体を抱いたモーガンが、涙を流しながらこっちを見ていたからだ。
「……」
「グミの望みが……本当にわからないって言うのか」
「それ、は……」
“彼、への復讐は……許しません”
 忘れるわけがない。
 だけど、だけど……。
「それは、グミの思いを踏みにじる行為なんだぞ」
「あんたは……あんたはそれで良いっていうのか!」
「……」
 モーガンの中でも葛藤があるのだと、その沈黙が告げていた。
「……お前の気持ちがグミの望みに勝るっていうんなら、その引き金を引け。……お前は彼らに射殺されるだろうが、グミの望みを踏みにじってでも復讐を果たすことができる」
「……」
「俺は、グミの望みを優先する。カル、お前は自分の望みとグミの望み、どっちを優先するつもりだ……?」
「……ズルいよ。そんな言い方……」
 拳銃を支えていた腕が下がる。
 母さんを出されてしまったら……撃てるわけがなかった。
「僕は――」
「――それじゃ、困るな」
「え?」
 モーガンからオコエに視線を戻したときには、すでに彼は眼前にいた。
 反応、できなかった。
 オコエは僕の拳銃に手を伸ばし――しかし、僕の抵抗にあらがわなかった。
 軽い発砲音。
 銃弾が、オコエの胸を貫く。
「……え?」
「これで……終われる……」
 がっくりと力を失い、僕に倒れてくるオコエ。彼の耳もとでの独白に、なにも言えなかった。
 彼の……自殺を責めることも、受け入れることさえも。
 抱き留めた身体が、徐々に熱を失っていくのがわかる。これが……死ぬってことか。
 指先に、引き金の感触がまだ残っている。
 拳銃を取り落とし、こと切れたオコエの身体を抱えたまま、僕はただ呆然と立ち尽くすしかなかった。



『――私の後ろを見ていただきたい。ここは……これまでの紛争でなくなった方々のための記念碑です。ここには彼女の言葉が刻まれています』
 気づくと、スピーチは終盤に差し掛かっていた。
 カメラがズームして、ウブク新大統領の背後の記念碑に寄る。が、そうしなくてもそこに刻まれた碑文を、僕はそらんじることができる。
“未来の少年少女を救うために”
“森を生かすも殺すも、私たち新芽のこれからにかかっている”
 母の国連演説のときの一節だ。
 ……皮肉だ。
 その本人がもう、死んでしまったのだから。
 母の命を奪った銃撃のときの引き金の感触が、オコエの自殺のときの引き金の感触が、まだこの指先に残っている。
 それが消えない限り、僕の罪も償われたことにはならない。
 僕は……母のようになれるだろうか。
 母のような、慈愛を持つことができるだろうか。
「……」
 オコエはわかっていてやったんだろうか。
 ……いや、そんなことはないだろう。絶望の末、自殺したというだけのことだ。どちらかと言えば、僕のトラウマになりたかった、と考えた方がしっくりくる。
 もしあのとき、オコエが生きていたら、僕は単なる復讐鬼にしかならなかっただろう。
 母の望みなどおもんばかることもできず、おろかな行いをやめられなかったはずだ。
 そういう意味では、オコエの目論みは外れた。
 オコエが死んでしまって、僕の復讐心は中に浮いた。
 やり場のなくなってしまった怒りを静めようと、僕は大人たちに混ざってソルコタ民主主義共和国設立に全精力を注いだ。
 僕にただできることが……母の望みを叶えることじゃないかと思ったから。
 あれから三年、少しだけれど……母の想いを理解できるようになった気がする。
 復讐を望まない、という想いが。
 怒りを感じたとき、僕らはやり返すことしか考えられなくなってしまう。けれどそれは……さらなる悲劇を招くだけだ。
 復讐はさらなる復讐を呼び、報復がさらなる報復を呼ぶ。些細ないさかいは、あっという間にエスカレートしてしまう。
 その負の連鎖がまさに、この国のこれまでの歴史だった。
 そんなこと、もうやめなきゃいけない。
 ……思うことは簡単だけど、実行するのは難しい。
 それでも母は、それを口にし、実行していた。だから周りの人々の考えを変えられた。
 僕もそうならなければならない。
『――ここに、ソルコタ民主主義共和国の設立を宣言します!』
 画面の向こうでは、ウブク新大統領の宣言に、盛大な歓声と拍手が鳴り響いていた。
 僕はただ、その光景を静かに見つめる。
『――これは偉大なる歴史の一ページとなることでしょう。しかし、これで終わりではありません。私たちはようやくスタート地点に立ったのです。これから――』
 ソルコタは改めて独立を果たした。
 僕も、独立を果たさなければならない。
 未熟な自分から。
 おろかな自分から。
 死してなお偉大な母の庇護から。
 母のように……いいや、母よりも偉大な人物になるために。
 そして……僕の、これまでの罪を償うために。
 誰に向けてでもない、自分自身に対する決意として、ここにそのアイマイな独立を宣言しよう。
 自らのために。
 同時に、この世界のために。
 まだどれだけのことができるのかはわからないけれど。
 そのはじめの一歩として。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

アイマイ独立宣言 おまけ

前のバージョンが無くなっていたので、再掲。



extra
恒例のおまけ。
今回のおまけは別バージョン・バッドエンド版になります。

“あえて書かない”とした部分はありますが、それ以外で書くべきことは全て書いてしまったので、本編に補足するようなおまけは思いつきませんでした。
なので、最終話を書きだしても捨てきれなかった“これはグミは死ぬべきストーリーになっているんじゃないか”という考えに焦点を当て、ifを書くことにしました。

ピアプロに載せているものには、基本的に全ておまけを書いています。
その中でたまに別エンディングを書いたりするのは……物語を語る媒体として“ゲーム”が好きだからなのかな、と思ったりします。
漫画・小説・ドラマ・アニメ・映画と、他にも“語る”媒体はいくつもあり、それぞれに固有の表現方法があります。が、「受け手がストーリーに関与する余地がある」というのはゲーム固有の点だと思います。

自分の語る物語にも、どこかそんな余地を作れるといいのに、なんて思う気持ちが、別エンディングを書く理由なのかもしれません。


なお、さらに前のバージョンがあります。
こちらは全体の構成や伏線を説明する解説回になっています。
「読み返してだいたい気づいてると思うけど、答え合わせしよ」という人か「読み直すのは面倒だから、答えだけ知りたい」という人向けです。

自分で見つけたい方は、ぜひ再読してからどうぞ(煽っていくスタイル)

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投稿日:2024/05/24 21:18:56

文字数:5,731文字

カテゴリ:小説

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