第十章 悪ノ娘ト召使 パート1

 「グミ殿から報告です。『反乱の準備は全て整った。』とのことです。」
 シューマッハ将軍がカイト王にその報告をもたらしたのは秋も深まる十一月に入ってからのことであった。割合北方に位置する青の国の王宮周辺では北風が吹き荒れ、後は初雪がいつになるか、というタイミングを待つばかりとなっている。
 「きわどいタイミングだったな。」
 謁見室の玉座に着席したままで、カイト王はシューマッハ将軍に向かってそう告げた。あとひと月遅ければ進軍は来年に持ち越しとなっていたはずだ。青の国も黄の国も、十二月も半ばを過ぎるとかなりの降雪が予想されるのである。その中を進軍するのは自殺行為であったし、かといって下手に時間を長引かせると何かのきっかけでグミの策略が黄の国に発覚するとも限らない。準備が出来次第、すぐに進軍を行うことが肝要であった。
 「軍はすぐに動かせるのか?」
 カイト王は続けて、シューマッハ将軍に向かってそう訊ねた。
 「今日にでも進発が可能です。」
 ならば早い方がいいな、とカイト王は考えた。未だに青の国の王宮に居座るルカの存在が邪魔といえば邪魔だが、そもそもルカには一番に黄の国へ青の国の進軍情報を伝える使者となって貰わなければならない。ルカが早く黄の国へと戻れば戻るほど、黄の国の主力が進軍するタイミングを早めることになる。そうなればグミ達の蜂起がよりやりやすくなるな、と計算したカイト王は、シューマッハ将軍に向かって強い調子でこう告げた。
 「我々は本日出立する。第一軍は俺だ。シューマッハ将軍は第二軍を、オズイン将軍は第三軍を率いよ。総勢三万で黄の国を攻める。」
 カイト王はそう告げると玉座から立ち上がった。青の国にとっては十数年ぶりとなる黄の国との全面戦争がこの段階で決定されたのである。

 妙に王宮が騒がしいわね。
 普段と同じように青の国の図書室で研究を行っていたルカは、所々で発生している歓声や慌ただしい足音を耳にして思わずその様に考えた。まるで戦が始まるみたい、と不意に考えたルカは、途端に得も知れぬ恐怖心を覚えてそれまで腰を落としていた木製の椅子から立ち上がった。まさか、いや、でも他に考えられない。僅かに混乱した思考の中でそれだけを考えたルカは半ば飛び出す様に図書室を後にすることにした。青の国一階に用意されている図書室の前の廊下を通過しているのは複数の軍人たち。やはり、戦争かと考えたルカは少し遅れて、早足で前庭へと向かっている兵士に向かってこう声をかけた。
 「あなた、一体何が起こったの?」
 そのルカの問いに、新兵らしいその兵士がこう答える。
 「黄の国への侵攻作戦が決定されたのです。我々は全軍で黄の国を攻め落とします。」
 興奮した様子で告げる兵士の言葉に、ルカは一瞬で表情が青ざめたことを自覚した。いつかは来るかもしれないと覚悟していたが、まさかここまで早い段階で全ての準備を終えるなんて。早くても来年になるだろうと考えていた自身の読みの浅さを後悔したが、今は悔やんでいる時間も惜しい。とにかく、カイト王に一言申し上げなければ、とルカは考え、早足で階段へと向かうと三階に用意されている謁見室に向けて階段を駆け上った。
 三階の謁見室に到達し、衛兵に用件を伝えると予想よりも早くカイト王との会談を実現することが出来た。まだカイト王が王宮にいてよかったわ、とルカは考えながら、殺風景な謁見室の中央に跪き、カイト王の姿を瞳に収める。隣にいるのは護衛のアクだった。そのアクは無視して、ルカは真っ直ぐにカイト王を見つめてから、カイト王に向かって言葉を述べた。
 「あらぬ噂を耳にした為、本日カイト王の元に参りました。」
 ルカがそう告げると、カイト王は能面に張り付けた様な笑顔でこう答えた。
 「噂とは?」
 あくまでしらを切るつもりだろうか、と考えながらルカは更に言葉を紡ぐ。
 「黄の国に侵攻されるという噂です。」
 ルカがそう告げた時、カイト王は苦笑するように息を殺した笑い声を漏らした。一体何がおかしいのか、と考えたルカに対して、カイト王が言葉を放つ。
 「以前も話した通りだ、ルカ殿。ミルドガルド大陸の安定の為に黄の国を滅ぼす必要があると判断した。」
 「何を仰いますか。以前カイト王は平和を望まれていると仰っていたはずです。」
 上げ足を取る様な発言だとはルカ自身も認識していたが、緑の国が滅びた直後にカイト王が述べた言葉を思い起こす様にしてルカはそう告げた。それに対して、カイト王は静かに答える。
 「その通りだ、ルカ殿。その為には黄の国の民を救う必要がある。」
 「その役割を果たすのはリン女王であり、カイト王ではございませんわ。」
 「否。リン女王にはもうその力はない。何しろ、内務大臣であるアキテーヌ伯爵を処刑したのだからな。」
 その言葉が耳に飛び込んできた瞬間、ルカは足元が崩れ落ちる様な感覚を味わった。アキテーヌを処刑?そんな、馬鹿な。そう考えたルカに対して、カイト王が更に言葉を続ける。
 「最近、アキテーヌ伯爵との連絡が途絶えたと感じてはいないのかね?」
 そのセリフに、ルカは言葉を失った。最後に連絡を取ったのはザルツブルグで対面した時になる。その後何度か手紙を送ってはいるが、返信は一通も来ていない。内務で忙しいのだろうと考えていたが、まさか、その時には既にアキテーヌはこの世に存在していなかったのか。一体、いつ処刑されたのか。
 「アキテーヌ伯爵は、緑の国との戦争に反対して処刑されたとのことだよ、ルカ殿。」
 緑の国との戦争。それではザルツブルグで別れた直後の話になる。そんなに早い段階で、アキテーヌが。そう考え、ルカは瞳が熱くなっていることを自覚した。リンとレンの秘密を共有する数少ない人物の一人。そして、今後の黄の国に無くてはならない人物。その人物を、リン女王は自らの手で処刑したというのか。
 「更に、最近は城下町の民に対する略奪も開始したそうだ。我々が攻めずとも内部崩壊は目前の状況だが、無為な内乱を起こして必要以上に国を混乱させるよりは我が国の統治下に置いた方がましだと考えたのだ。それに、内乱がいつ我が国へと飛び火して来るかも分からないからね。」
 カイトは言葉を締めくくる様にそう言った。ルカは更に言葉を告げようとして、止めた。もうカイト王を止める手段はルカには無い。それよりも、一刻も早く黄の国へと帰還しなければならない。一体、リン女王はどうなってしまったのか。もう心も失ってしまったのか。こうなると分かっていれば、黄の国の王宮からは離れなかったのに。後悔ばかりを感じながら、それでもルカは気丈に立ち上がると、カイト王に丁寧な一礼をして謁見室から退出することにしたのである。
 「このまま逃がす?」
 ルカの姿が謁見室から消えると、アクはカイト王に向かってそう訊ねた。本来ならルカをこの場所にとどめて置き、敵軍に情報が漏れることを防ぐのが常套手段ではあったが、今回は逆に早く黄の国へと帰還して貰う必要がある。そう思考して、カイト王は珍しく自然な笑顔を見せるとアクに向かってこう言った。
 「ああ。放っておいて構わない。」

 ルカが満身創痍と言う表現そのままで黄の国の王宮へと帰還したのはそれから一週間程度が経過した頃であった。一刻も早く青の国の進軍情報を伝えなければならないと判断したルカはそれこそ寝る間も惜しんでザルツブルグ街道を駆け続けて来たのである。その途中で馬を何頭か潰したが、それすら気にしている余裕はルカには無かったのだ。そんなルカが黄の国へと帰還するのはもう半年ぶりになるが、外壁の東大門を通過して城下町に侵入した時にルカは思わず言葉を失った。東大門から一直線に黄の国の王宮へと延びる東大通に存在した人々は以前の黄の国の城下町には極少数しか存在しない種別の人間であったのである。即ち、浮浪者、乞食、流民。その様な表現以外に的確に表現することが難しい人種が、まるで祭りの日の様に大通りに溢れかえっていたのだ。彼らはルカの姿を見つけると、物乞いのつもりなのか手をかざして近寄って来た。人が発生させる異臭に顔をしかめたルカは、彼らを無視して馬の腹に蹴りを入れる。まさか、ここまで経済が破綻していたなんて。そう考えて、ルカは胃が落ちてゆく様な苦しい感覚を覚えた。この様子では、カイト王が仰った、略奪を働いているという話もあながち誇張ではないらしい、とルカは考えた。そのまま、内壁にある東門に到達する。固く閉じられている東門の衛兵はルカの姿を良く覚えており、突然の来訪に驚きながらも素直に東門を解錠した。そのまま、王宮正門玄関へと向かう。玄関前で馬を下りたルカは、玄関口にいた衛兵に馬を預けるとそのまま王宮の玄関ロビーから延びる螺旋階段を駆け上がった。直接謁見室へと向かったところでリン女王がすぐに対面してくれるとは限らなかったが、とにかく一番早い方法を選択すべきだ、と考えたのである。
 謁見室に到達し、ルカが待つこと十分程度、予想よりも早くリン女王はルカの目前に現れた。久しぶりのルカの来訪を喜ぶかのように、無邪気な笑顔のままで。そしてリン女王はこう言った。
 「ルカ、来るのなら事前に言って。せっかく来てくれたのに、おもてなし出来ないのは辛いわ。」
 彼女は黄の国の状況に気が付いていない。経済が破綻し、国家の存亡に関わる事態を自らが招いていると気が付いていない。その純粋過ぎる笑顔と言葉からそれだけを推測したルカは、思わず背中が凍るような感覚を覚えた。果たして、純粋過ぎることは罪なのか。それとも、その純粋さを上手く誘導できなかった我々大人の罪なのか。それでも、黄の国は今、間違いなく滅亡へと向けて流されている。それも、酷いスピードで。
 「申し訳ございません、リン女王。実は危急の用があり、青の国から馬を飛ばして参りました。」
 「どうしたの、一体?」
 この娘に事実を伝えることは辛い。もし彼女が女王でなければ。もしレンの右手に痣さえなければ。もっと明るい未来が広がっていたのではないか。リンは純粋で、そして美しい少女として健全に育っていたのではないか。ルカはそう考えながらも、口を開いた。何故か緊張して、言葉が掠れていることには気がついていたけれど。
 「青の国が、黄の国へと攻めて参ります。」
 ルカがその言葉を放った時、リン女王はまるで呆けたようにその大きめの瞳を数回、瞬きした。そして、沈黙。ルカが何を言ったのか、全く理解できない、という様子でリンは一つ息を吸い込むと、くすくすと笑い声を漏らしながらこう言った。
 「ルカにしては面白い冗談を言うのね。」
 「冗談ではございません。事実、カイト王自ら三万の兵を率いて黄の国へと攻めてきております。」
 「嘘。嘘よ。だって、カイト王はあたしの婚約者なのよ。あたしの国に攻めてくるはずはないわ。もう、ミク女王の呪縛からも解放されたはずなのに。」
 リン女王は、呟くようにそう言った。その言葉に、ルカは瞳を床へと落とす。この娘は、まだ、カイト王の事を信じていたのか。もう半年以上も前に、カイト王はリン女王への興味を失っていたというのに。それでも、カイト王は攻めてくる。このまま無策で迎えれば、それだけで黄の国は滅亡する。国を保つには、戦うしかない。たとえリン女王が否定しても。ルカはそう考えて、こう述べた。
 「カイト王はリン女王を裏切ったのです。可憐で、純粋なリン女王を騙したのです。ですから、我々はカイト王に罰を与えなければなりません。戦の許可をお与えください。私とロックバード伯爵が協力すれば、青の国の軍など敵ではありません。」
 ルカがそう告げた時、リン女王は震える声でこう告げた。
 「カイト王が、裏切ったの・・?」
 「そうです。彼は、卑劣な人間です。だから、リン女王を差し置いてミク女王に心を奪われたのです。悪いのはカイト王。リン女王はこの場所で、悪ノ王が打倒される様をご覧ください。必ず、所定の成果を上げて差し上げます。」
 誘導尋問だな、とルカは考えた。それでも、リン女王を納得させるにはこの方法が一番だとルカは考えたのである。そのルカの言葉に暫く戸惑った様な表情であらぬ方向を眺めていたリン女王は、やがて大きく頷いた。その瞬間、リン女王の瞳から涙が溢れたことにルカは気付いたが、敢えてそれには触れずに立ち上がると、そのまま謁見室から退出していった。その直後に、背後からリン女王の嗚咽が響いた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ハルジオン53 【小説版 悪ノ娘・白ノ娘】

みのり「第五十三弾です!」
満「『悪ノ娘』編最終章だ。」
みのり「とうとうここまで来た、って感じね。」
満「まあ、第十章がいつ終わるか検討が付かないが。」
みのり「確実に前回よりも長くなるよね。しかも『白ノ娘』も残っているし。」
満「そうだな。ま、GWはまだ残っているから、もうしばらく書けるだろうけど。」
みのり「そうだね!それでは続きをお待ちください☆」

閲覧数:349

投稿日:2010/05/03 17:18:58

文字数:5,152文字

カテゴリ:小説

  • コメント1

  • 関連動画0

  • 紗央

    紗央

    ご意見・ご感想

    おーー!!
    運命の時に近づいてる・・!
    リンちゃんも
    王女様だけど1人の女の子だもんね・・
    そりゃ泣くわ。(誰w
    やっぱルカちん頭いい///
    ルカに惚れた←

    変な感想すいませんっm(__)m

    2010/05/03 17:33:09

    • レイジ

      レイジ

      ここから一気に盛り上がって行くので期待していてください!

      今回のテーマは『純粋な少年少女が大人に翻弄されながらもめげずに立ちあがって行く』
      というテーマがある様な気がします。
      そのつもりで書いたわけではなかったけれど、振り返ってみるとそんな事を意識して書いていたな、と。

      ルカも活躍するので応援して下さいね!

      ではでは、続きもお楽しみください!

      2010/05/03 17:46:45

オススメ作品

クリップボードにコピーしました