「おばあさんの家は、こっち…」
道案内をしながら歩いていくハクは、いつのまにか息切れをしていて、横で歩いているアリスも段々と心配になってくるほどだ。元々体力のあるほうではないのだろう、無駄な贅肉がないぶん、筋肉もないように見える。
「大丈夫?」
「大丈夫です…。あ、こっちです」
随分と歩いてきたが、アリスはあまり疲れを感じない。前にルカが言っていたように、アリスはまさに『じゃじゃ馬娘』で、もといた世界でも同い年の男子よりも持久走は長くバテずに走っていたものだ。
そんなアリスとは正反対に、ハクはもう既にその場に倒れこんでしまいそうだ。そろそろ本当にハクが倒れて気を失ってしまいそうになってきた。顔が真っ青で、まるで酸欠状態になった魚のように口をパクパクさせているのだ。
「ハク、休もうか」
「いいえ、大丈夫ですから」
「大丈夫じゃないよ。もう真っ青だよ、顔」
「え、本当ですか?」
「うん。少しだけ休んでいこう」
そういって、ハクを半ば強引に気の切り株に座らせ、自分は近くの木の幹に寄りかかるようにした。
深く息を吸って、呼吸を整えようとしているハクは、ふと、何かおかしな臭いがしたことに気がついた。
「あの、変なにおいがしませんか…?」
「変なにおい?」
怪訝そうに聞き返してアリスが鼻をヒクつかせながら一気に鼻で息を吸うと、つんとする鉄の錆びたようなにおいがして、そのにおいが次第に強くなっていることも感じた。
この臭いは…血、だろうか?何故、こんな森の奥で血のにおいがするのだろう。その理由は、少なくとも今のアリスには一つしか思い浮かばない。…オオカミがこの近くにいるのだ。
そして、そのオオカミは二人の匂いをかぎつけて二人を食ってしまおうと近づいてきているのだ…。
「…ハク、走れる?」
「すこしです。…もし、私が転んでも、逃げてくださいね?」
二人は頷きあって、手をとると、走り出したのだった…。
「…血の臭い…」
少しとがったような耳をピクッと動かし、デルは閉じていた目を開いて構えると辺りを見回して口笛を吹いた。すると、どこからか一頭の出ると同じような美しい銀の毛を持った、銀狼がデルの傍らへと走ってきて、低く遠吠えをした。その狼の頭をなでると、鼻をひくひくと動かし、臭いのほうへと走り出した。
それにあわせて銀狼も走る。
素早い。赤い瞳に銀の髪が重なり、木々の間を走る風に揺れる髪が銀の糸のように、あるいは風そのもののように美しく煌きながら流れる。
今日、やってきた人間は三人。あのハクとアリスと言う少女二人、それとその前に話しをろくに聞かずに走り去って言った少年、どちらにしても、機能は二兎が来なかったのだから、三人のうち誰かが襲われているに違いない。森の中で食う動物の血のにおいではない、人間の生臭い独特な血の臭いだ。
…まて。たしか、この方向に進んでいくと、古い小屋があったはずではなかったか?一度たずねてみたが、そのときは誰も出なかった。しかし、生活感はあるのだ。誰かがいることに違いはないだろうが、実際誰が住んでいるのかはしらない。あの辺りで怪我をしているところを老婦人に助けられたこともある。多分、その人がそこに住んでいるのだろうが…。もしかしたら…?
嫌な予感が、デルの脳裏をよぎる。
「――あ、あそこです。おばあさんの家、あれです!」
走りながら、ハクが言う。
「ラストスパート!走って、飛び込むの!」
「はい!」
二人は走りつかれていたが、おばあさんの家が見えると一筋の光を見つけたように表情を明るくして、その家の中に飛び込んだ。そしてドアを勢いよく閉めてドアに寄りかかってため息をつき、呼吸を整えてハクが顔を上げ、母に頼まれたものをおばあさんに届けようと――。
「――…おばあさん?」
辺りは真っ赤に染まっていた。
恐る恐る、ハクがベッドのほうによっていく。今にも倒れてしまいそうなハクを支えながら、アリスもベッドのほうに近づいていく。ベッドの中を確かめることもない。ただ、怖いもの見たさと言うものでもある。
その時、ドアが勢いよく開いた。
「――ばあさん、無事か?」
入ってきたのは、デルだった。傍らには足が血で汚れた銀の狼が一頭静かにたたずんでいて、まるでその状況を理解していたかのように嫌な顔一つしない狼はぬいぐるみと言うよりかは置物のように見えた。
「…デル」
「ばあさんは」
そっと、アリスが指をさした。赤いデルの瞳に、赤に染まったその部屋はどのように映ったのだろうか…。
「…あなた…」
「え?」
顔を上げないで、ハクが呟くようにいった。
「あなたがやったの。その狼にやらせたの。おばあさんを食べさせてしまったの。だから狼の足がそんなに汚れているの。…あなたが狼だったの」
問いかけているのではなかった。はじめから全部決め付けて、呪文か経でも読んでいる様に平坦に言うだけだった。
「お、俺は何も…」
その時、ハクが勢いよく顔を上げた。同時に大粒の涙が数滴、宙を舞った。
驚いた様子のデルを押しのけ、ハクは小屋を飛び出し、森の奥へと走り去っていってしまった。唖然としているデルとアリスを残して、白の白い髪は森の奥の闇に消えてしまった。
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