分かれる想い
青の国との戦争と貴族の粛清の所業は、国民にレン王子への不満と怒りを芽生えさせた。
その情勢は噂となって緑の国に流れ、王宮では黄の国の話で持ちきりだった。
東側は最近穏やかじゃない。青の国に侵攻したが負け続き。黄の国民はレン王子を『悪ノ王子』と呼んでいる。
噂を耳にする度、ミクは黄の王子への憤りを募らせていた。
王子を失った直後に侵攻するなんて、あまりにもタイミングが良すぎる。始めから青の国へ攻め込むのを目的にして、黄はカイト王子を生贄にしたとしか考えられない。
戦争が勃発したせいで青は調査に手が回らず、犯人は分かっていないが、緑の王室は独自に情報を掴んでいた。
刺客は金髪で小柄の人間である。
性別や名前、その他の特徴は一切不明。だが情報を耳にしたと同時に、ミクの頭はある推理で満たされた。
ただの刺客にカイト王子が殺される訳がない。なら犯人は誰か?
簡単だ。レン王子が直接手を下したに違いない。兄に匹敵する程の剣の腕前だと聞いている。密かに青の国へと渡り、カイト王子を暗殺したのだ。おそらく変装でもして人目を誤魔化していたのだろう。
青が黄を陥れようとしていた。というのが戦争をしかけた理由だが、そんなのは表向きだ。緑の王女を手に入れられない腹いせをカイト王子と彼の国にぶつけているだけ。以前から王族に相応しくないと思っていたが、まさかここまで見下げ果てた人間だとは。
「悪ノ王子……!」
東の国民がレン王子に付けた呼び名は的を射ている。彼は欲望に任せて無意味な争いを仕掛けただけでなく、己の臣下を一斉に処刑して財産を奪った。粛清された者達は反逆を目論んでいたらしいが、それも嘘に決まっている。長年実質的に国を治めていた貴族達を断頭台に送ったのは自分が権力を手にする為か、単に逆らう者が気に入らないからだ。我が儘が過ぎる。
もう見過ごす訳にはいかない。
物思いに耽っていたミクは立ち上がり、決意を胸に私室を後にする。
緑は干渉しないと父は決め、この問題に関わるなと兄から言われているが、放置すれば更に多くの人々が苦しむ事になる。
黄の国では王宮を打ち倒そうとする活動が広まりつつあるが、蜂起するには至っていない。それは兵力も物資も足りず、反乱軍を纏めて率いる事の出来る人間がいないからだ。これらが解消されれば、統治者への不満が高まった黄の国民は革命を起こせる。
「ミク」
見つかりたくない人に呼びかけられ、ミクは無視する訳にもいかずに足を止める。振り向けば予想通りの人物が立っていた。
「兄様」
こちらを見つめる翡翠色の目。何と言う間の悪さだ。メイドや兵士なら誤魔化せたのに。
今回の件に緑の国は介入するべきではない。そう考える兄とはこの所反りが合わず、度々衝突してしまっている。昨日も揉めたばかりで、あまり顔を合わせたくなかった。
少しばかりぎくしゃくしているが、今起こっている出来事を話題に出したりしなければ波風は立たず、温和な兄と平穏無事に過ごせるのだが。
ミクは無言で目を逸らす。妹が何を考えているかに勘付き、クオは一歩前に出て詰問する。
「黄の国へ行くつもりか?」
図星を突かれて心臓を握られたような感覚を味わい、ミクは息が詰まる。既に見抜かれている以上、下手に取り繕えば不審を煽るだけだ。出立の準備をしようとしていたと素直に語ると、クオは深い溜息を吐いた。
「駄目だと何度も言っているだろう。東側の問題は黄の国が解決しなくちゃいけない事で、緑の国が出る幕じゃない」
「そんな事分かってる!」
それでもやらなくちゃいけない事がある。覚悟はしているとミクは言い放ち、クオは首を横に振る。
「分かってない。そもそも、今は国を離れている場合じゃないはずだ」
「けど!」
「父上の体調は芳しくない。むしろ容体は悪化している」
冷静な口調で諭されたミクは口を閉ざす。晩餐会の時はまだ元気ではあったものの、病を抱えていた父は近頃臥せる事が多い。政務に支障が出ていないとはいえ、楽観視が出来る状態でもない。
だけど、とミクは唇を噛みしめる。苦しむ人々を助けたいと願うのは間違っているとでも言うのか。黄の国と青の国の民。何よりあの方の為に行動したいと思うのはおかしい事なのか。
「どうしてよ……。正しい事をしようしているのに、なんで認めてくれないの!」
緑が動けば現状を打開出来る。それを可能にするだけの力を持っているにも関わらず、父も兄も動こうとしない。ならば自分がやるしかないではないか。
感情を高ぶらせるミクとは対照に、クオは落ち着いた態度で切り返す。
「正しいとか間違ってるとかじゃない。僕らが手出しをしちゃいけないんだよ」
「悪ノ王子のせいで罪の無い人達が苦しんでいるのよ! 私は皆のた」
「いい加減にしろ!」
ミクの言葉を遮って怒声が響く。クオは手を上げはしないが、厳しい表情で妹を叱責する。
「自分の立場を考えろミク! 王族が他国の問題に首を突っ込むのは、君が思っている程単純に済むものじゃないんだ!」
これほど激昂した兄は見た事がない。ミクはまるで幼子のように縮こまり、ちらちらとクオの顔を窺う。再三制止されたのは気に入らないが、初めて兄に怒鳴られた驚きと衝撃が口を噤ませた。
「とにかく今回の件に干渉するのは止めるんだ。どんなに正当性があっても、黄の国へ行く事は許さない」
凛とした口調でクオは言い切り、事態が収束するまでは王宮で大人しているのが賢明だと付け加える。
「王族の言動は、善悪の関係なく周りに影響を与えるんだ」
最後にそう伝えた緑の王子は歩き出し、廊下には王女だけが残された。
少し言い過ぎたかな……。
先程の発言を思い返し、私室に戻ったクオは吐息を漏らす。意見がいつまでも平行線だからといって、つい声を荒げてしまった。迂闊な事を大声で口にするなと言ったのに、同じ事をしたら人の事は言えないだろう。
自分の行動を反省し、クオは再び思考に浸る。
青の国への侵攻と貴族達の粛清。一見黄の王子の身勝手で引き起こしたと思えるし、その意見が大勢を占めるのは至極当然だ。言いがかりに近い理由で戦争を仕掛け、臣下を突然処刑したのだから。
しかし奇妙な点もある。政治的な諍いの無い青に攻め込んでも国内外から反感を買うだけ。しかも己の都合で臣下を処刑したと思われれば、国民が反乱の意思を持つのはレンも理解しているはずだ。何故わざわざ自分の首を絞めるような事をしている?
「何考えてるんだ? あいつは……」
まるで王子自ら国を崩壊に導いているような振る舞い。レンが意図もなしにそうするとは思えないが、今度は目的や理由が分からない。
父や妹に相談する訳にもいかず、クオは一人で頭を悩ませていた。
ほぼ同じ頃。ミクは王の執務室で父ウィリデと対面していた。兄と別れてしばらく経った後、父の従者がやって来て呼び出しを受けたのだ。
一体何事かとミクは内心で首を傾げる。もし廊下での言い合いを咎められるのなら、兄もいなければ理不尽である。
「お父様、お体の具合はよろしいのですか?」
「支障は無い。お前に知らせる事があるのでな」
ミクの質問に短く答えたウィリデは、時間が惜しいと言わんばかりに本題に入る。
「黄の国のジェネセル大臣が処刑された」
「え!?」
ミクは寝耳に水の話に父を見つめる。確かその人は黄の国でも優秀な政治家であり、レン王子も信頼していた人物だと聞いている。国に尽くす忠臣すら処刑したのか。
やはり悪ノ王子は放置してはおけないと怒りが湧く。彼に国を統べる資格は無い。青の国と黄の国の為にも打ち倒す必要がある。
「レン王子の暴政は目に余る。自国の民を苦しめているというのに、彼はその自覚が全く無いようだ」
その通りだとミクは何度も頷く。国民から悪ノ王子と呼ばれ、不穏分子が発生しているのが何よりの証拠。レン王子は治めるべき対象から見捨てられた。
「このままではいつ緑の国に火の粉が飛んでくるか。混乱を避ける為に静観をしていたが、どうやら我々が動かねばならん」
「お父様が干渉しないと言ったのは、西側を巻き込まない為だったのですね」
流石は一国の王。父はこの事態をあらかじめ予測し、緑が動く機を窺っていた。
「レン王子を討つのは青の国と黄の国の為でもある。それにミク、お前はカイト王子を殺された復讐をしたいだろう?」
ミクの耳にウィリデの言葉が届き、兄に怒鳴られて萎れていた心へ染み渡って行く。
そう。黄の国はカイト王子の仇。だが民は傲慢な悪ノ王子に振り回されているだけ。憐れな国民は救わなくてはならない。悪ノ王子を討ち、安寧を取り戻すのは皆の為。復讐などではない。これは緑の王女としての使命だ。
黒い憎しみを東側の救済と言う気持ちで塗り潰し、ミクは意気揚々に返した。
「ええ。やります、お父様! 私が悪ノ王子を倒して三国を救います! きっとそれなら兄様も許してくれるはずです」
「うむ。私が兵などの手回しをしておこう。クオには悟られぬようにな」
ウィリデは鷹揚に頷き、出立の準備が整うまで待っていろとミクに告げる。
「ありがとうございます。お父様」
ミクは頭の両脇で結んだ髪を揺らして礼を述べる。父は今回の件に立ち入るのを反対する穏健派に秘密裏に協力してくれると言ってくれている。特に兄にばれたら今度は力ずくでも止めかねない。
悪ノ王子を打倒すれば兄は私を認めてくれる。始めの内は友人と思っていた黄の王子を失って悲しむかもしれないが、正しい事をした妹を見直すはずだ。
他の未来を全く思い描かず、ミクは上機嫌で王の執務室を後にした。
綺麗なものしか知らない人間は実に乗せやすい。
ミクを見送ったウィリデは口元を歪める。それは娘を思う笑みではなく、狡猾な笑みだった。
レン王子がジェネセルを処刑。道理で黄の国からの連絡が途絶える訳だ。内通が発覚したか、あるいは他の原因か。
黄の国を併合した暁には東側を治めさせる。大臣の座で満足していれば良かったものを、過ぎた欲を求めた奴は甘言に食い付いて祖国を売った。そんな醜い裏切り者など生かしておく気などなかったが、レン王子のお陰で始末する手間が省けた。
東側を救う使命感に燃えるミクは黄の国を滅ぼしてくれるだろう。その後は統治者不在で混乱する黄の国を補佐する名目で支配、緑の国に併合して大陸を統治する。
不確定要素は息子のクオ。しかし領地が増えるのは緑の国の為。いくら穏健派の考えを持っていようと、王子のクオが西側の利益に反する事をする訳が無い。
近い将来に己の野望が実現するのを確信し、ウィリデは笑みを崩さずにいた。
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