城の入り口付近は、人波でごった返していた。
外から城内へ踏み込んでくる解放軍はまだ引きも切らず、念願の王城陥落に興奮した声を上げている。
王女を捕らえよと城の奥を目指す彼らの合間、城の内にあって監視の目から逃れることが出来ずにいた下働きの人間や、王女の不興を買って城の地下へ投獄されていた人々が保護されて、安堵に泣き崩れる姿もある。
その中に、ひときわ異彩を放つ、紅い鎧も凛々しい女剣士の姿があった。
否、腰に剣を携えてはいるものの、戦いを生業とする者にしては、彼女の纏う空気には荒びたところがない。
血の如く炎の如き深紅を身に纏いながらも、明るい色の瞳は溌剌とした生気を湛えてよく動き、豊かな表情が見るものの視線を鮮やかに惹きつける。
その眼差しは今、憂いを帯びて、早くも勝利の歓喜に沸く一団の間を、次々に担架に乗せられて運ばれていく人々へ向けられていた。
「メイコ」
聞き覚えのある呼び声に振り返ると、人並みをかわしながら、ゆっくりと近づいてくる蒼い髪の青年の姿があった。
「・・・カイト」
ほんの少し答えるのが遅れたのは、未だ呼び慣れぬ偽名のゆえか。
歩み寄った青年は、メイコが視線を向けていた先を見やり、行列をなす担架の連なりを指すと、言葉少なに尋ねた。
「彼らは?」
その言葉に、再びそちらへ瞳を向けたメイコの表情が、痛ましげな色を帯びた。
「城の地下牢から開放された人たちよ。衰弱が酷くて、すぐには動けそうにないの。少しどこかで休ませないと。とても人を人とも思わない酷い扱いだわ・・・」
「占拠した城内を、しばらくは療養所代わりにすれば良い。せっかく広い場所があるんだ。城中のドレスやカーテンやテーブルクロスをかき集めれば、当座は必要なシーツと包帯に足りるだろう」
「ああ・・・そうね。そうする」
青年の現実的な提案に頷き、メイコは改めて彼に向き直った。
その姿を一通りしげしげと眺め、その身に何事も異変のないことを確認すると、毅然とした指導者の顔が一転して、女性らしい柔らかみを帯びたものに変わった。
「どうやら五体満足ね、無事で何より。あなたが内側から王城の跳ね橋を下ろしてくれたおかげで、突入がうまくいったわ。でも、無茶よ。一人で敵地に乗り込むなんて、命知らずもいいところだわ」
仲間の手柄を労いながら、同時に強引に無茶を通した相手に苦言を付け加えることも忘れない。
「手厳しいな・・・メイコ」
青年は苦笑を零したものの、お咎めには甘んじて反論せず、肩を竦めるに留めた。
「王女は見つけられた?あなたは彼女の顔を知ってるはずよね」
「ああ、だけど隙をついて逃げられてしまった。まぁ、大丈夫さ。王城の出入り口は、隠し通路まで全て塞いでいるんだ」
「そう、ね・・・皆も手分けして探してるもの。・・・・・・それより」
メイコの表情が俄かに翳った。
「・・・・・・あの子は、まだ見つからないの。真っ先に探したけど、地下牢にはいなかったわ。もっとも、あんな場所にいなかったのは幸いかもしれないけれど。ごめんなさい・・・、もう少し待ってちょうだい。ここで捕らえた貴族たちから、何か情報が見つかるかもしれない」
済まなそうに謝られて、カイト――そう仮初の名で呼ばれた青年は首を横に振った。
「君が謝ることじゃない。メイコ。これまでに探せる場所はもう、探し尽くしただろう。本当は君も分かっているはずだ、もう、彼女はどこにも居ない」
「でも・・・!まだ、何も証拠が見つかったわけじゃないわ!もしかしたら、まだ、どこかに・・・」
「―― いいや」
一縷の望みを繋ぐ声を、静かな、けれど耳を塞ぐことを許さない重さを持った声が否定した。
「シンセシスの王妃は死んだ。ボカリアへも、公女が帰ることは二度とない」
断固とした口調で、彼は告げた。
「そんな・・・だって」
「証拠がないうちは信じない、かい?」
「・・・そうよ。だって、そうでしょう。一緒にいたシンセシスの王は殺しておいて、あの子だけを連れ去ったなら、それは生かして利用するためでしょう?あの子の命を盾にされたから、だから、ボカリアは動けなかった。だから、あなたは身分を隠して私たちと手を組んだんでしょう。あの子が生きてるって信じてるから、あなただってここまで来たんでしょう。大丈夫よ、きっと王女だって、そんな重要な人質をやすやすと殺すはずは」
「殺すはずは――ない?」
「ない、はずよ。人質は生きているからこそ利用価値がある。そうでしょ」
皮肉げに、青年の口端が上がった。
「人質に利用価値があるのは、その命の重さが脅迫者にとって意味のある他の何かと引き換えになるからだ。往々にして、脅迫される側にとっては人質の命は代償より重く、脅迫者にとっては人質の命は代償より軽い。だからこそ、互いの間に取引が成り立つんだ。メイコ、脅迫者にとって人質自身の命はさほど重要ではないんだよ。大事なのは、人質が『生きている』という事実だ。今は『生きて』いるが、代償を差し出さなければ『命はない』、と相手を揺さぶるための材料だ。だから、例えばの話、本当は人質がとっくに死んでいたとしても、その事実さえ交渉相手に知られなければ、その人質はその後も『生きた人質』としての価値を持ち続ける」
「そんな・・・、それじゃ、ミクは・・・・・・あの子を、王女は」
「僕は王女に会ったと言っただろう。それを確かめるためだ。王女は初めから殺すつもりでいた。・・・メイコ」
彼の手が白く薄い布に包んだものを差し出す。
包みを解けば、中から覗いたのは、既に乾ききった血が赤黒くこびり付いた短刀だった。
息を呑み、メイコは食い入るようにそれを見つめた。
血。――赤い色。
赤と、黒。黒い煙。
赤と黒の炎。
「あ・・・あ・・・ああ!」
口元を覆い、メイコは蹲った。
きつく瞑った瞼の裏で、紅い、黒い炎が踊る。
それは彼女の運命が変わったあの日から消えない、憎悪という名の火。
「許さない・・・許さない!父さんも、村のみんなも、・・・何の関係もない、あの子まで・・・全部、全部、あの王女が!」
「メイコ・・・それでは駄目だ。君は既に革命軍のリーダーであり、皆の導き手だ。もはや、ひとりの私怨で王女を裁くべきじゃない。彼女を裁くならば、国と国民のためでなければ」
静かに降ってきた信じ難い言葉に、メイコは一瞬、我を忘れた。
「ふざけないで!殺されたのは、ミクなのよ!?あなた、どうして、そんなことが・・・!!」
飛び掛る勢いで、他人事のような偽善を吐く相手へ掴み掛かる。
怒りのままにその顔を睨み付け、メイコは凍りついた。
――波ひとつない、凪いだ瞳。
どこまでも穏やかなそれに、背骨を掴まれるような寒気を覚えて総毛立つ。
怒りは消えていないのに、どこからともなく滲んでくる得体の知れない怖れがそれすらも上回った。
どう言い表せばいいのだろう、この違和感を。
彼の言葉は理知的で、誰が見ても彼の様子をおかしいとは思うまい。
けれど、彼がどれほど少女を想っているか、その一端を垣間見たことがあるメイコにとっては、それこそがあり得ない異常だった。
彼女の生死もわからない状態で、彼がこうも平然としていられること自体、正気とは思えない。
あるいはメイコが気付いていなかっただけで、少女が連れ去られた時から、もう疾うに正気ではなかったのか。――いや、薄々と気付いてはいた。
三度、再会してからの彼は、それまでとはどこかが変わっていた。
穏やかな物腰と柔和な笑みは相変わらずだったが、その中にかつては感じなかった、のっぺりと塗りつぶされた紛い物じみた『何か』がある。
まるで、よく出来た仮面を被ったかのような。
その向こう側に確かにあるはずの、彼の本心を伺わせない、奇妙で不気味な静けさ。
時折、薄ら寒い不安を覚えないでもなかったが、彼女を取り戻しさえすれば、それも以前のように戻ると思っていた。
彼も精神の安定を取り戻し、その視線の先にはきっと花のように笑う少女が居て、もう一度、他愛もない平和で穏やかな時間を共に過ごせると。
そう、信じていたかった。
けれど、もう・・・少女は二度と帰らない。
相手の襟首を掴んでいたメイコの手から力が抜け、それは行き場を無くしてさ迷うかのように虚空へと滑り落ちていった。
「カンタレラ」&「悪ノ娘・悪ノ召使」MIX小説 【第25話】前編
最終話、前編です。
エピローグは、さくっと前後編にしようと思ってたら、6000文字の罠に掛かって、分割を余儀なくされました。変なところでぶった切ってすみません、その2です。
前中後編で収まりきらなかったら、どうしよう・・・・(汗)
恐る恐る中編に続きます。
http://piapro.jp/content/hy8p4xl3a87tbde9
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