第四章 ガクポの反乱 パート3

 「ん、気持ちいい!」
 ぐい、と両手を真上に伸ばしながら、リンは心から楽しげにそう言った。その動きに合わせるように、先日のように短く括った後ろ髪がぴん、と小さく跳ねる。初夏の気配を感じる、春真っ盛りと言わんばかりの陽光に温められた体温が清々しく、そして心地よい。のんびりとした歩みを続ける馬から、両足を経由して伝わる温かさも、時折流れる甘い草木の香りに包まれた香りも、今日に限っては奇妙な位に新鮮に感じてしまう。
 「本当に、よくお義父さまが納得されましたね。」
 リンに寄り添うように騎馬を操るセリスが、半ば呆れた様子でそう言った。日付は先日の大宴会から二日後に当たる五月八日。リンは本日から、セリスとリリィの二人だけを連れ、ルワールから東方に位置する旧緑の国、ガクポが住まうパール湖を目指した長旅を開始したのである。
 「まぁ、ね。」
 小さな苦笑を見せながら、リンはそう応じると、そのまま言葉を続けた。
 「でも、この方法が一番合理的でもあるし。」
 と言っても、会議は相当に紛糾したけれど、とリンは昨日の出来事を思い出しながら、一見華奢にも見える肩を、軽く竦めさせた。
 昨日の会議でのメイン議題は二点、即ち、誰がガクポとの調整に向かうか、ということと、もう一つがその間のルワール防衛はどうするのか、という二点であった。その議題が上げられた瞬間、リンは即座にこう宣言したのである。
 「あたしがガクポを迎えに行く。」
 当然ながら、第一番に反対した人物はロックバードであった。リンの安全を第一に考える傾向が強いロックバードにすれば、単独でリンが長旅をすることなど危険極まりない行為に思えたのである。無論、殆ど全てのメンバーがリンの提案には難色を示した。だが、リンは何も思いつきでそう宣言したわけではない。
 「ガクポに対して一番の影響を与えられる人物は、元とは言え主君であるあたし以外にいないと思うわ。それに、ルワール防衛にはロックバードと赤騎士団が必要。国民党を纏めるにはアレクの力が必要よ。あたしの力は無くても影響がないけれど、他の誰が抜けてもあたし達には不利に働くことになる。あたしが行くのが、一番現実的だわ。」
 祝勝会の最中、アルコールに毒されたセリスを介護しながら考察した結果として、リンはそれ以外の結論が無いと判断したのである。結論だけを記載するならば、結局のところロックバードが折れる形となり、こうしてリンはセリスを護衛に、リリィを道案内として本日の早朝に出立したのであった。
 「リン様は、パール湖は初めてでいらっしゃいますか?」
 それから暫くの時間が経過した頃、会話を繋げるように、リリィがリンに向かってそう訊ねた。
 「いいえ。今回で二回目よ。」
 悪気なくそう訊ねてきたリリィに対して、リンは僅かに視線を逸らすように、そう答えた。もう五年も昔になるのか。ミルドガルド三国時代、最後に開催された遊覧会で、あたしはパール湖を訪れた。そして。
 「そうでしたか。私は前回が初めてでしたが、噂に違わぬ美しい湖でしたね。」
 「ええ。本当に、綺麗な湖だったわ。」
 なんとなく上の空で、できれば話題を変えたいとばかりにリンはふわふわと、定点が定められていない様な、不安定な口調でそう答えた。正確に言うと、パール湖がどんな湖であったのか、遊覧会でどのような会談をこなしていったのか、正直なところ良く記憶していない。ただ、月夜に照らされるパール湖の湖畔で、風に乗って届いた、当時のカイト王の言葉以外には。
 「まさか、また行くことになるなんて、思わなかった。」
 ぼんやりとした口調で、リンは誰に伝えるでもなく、ただ小さくそう呟いた。その口調にリリィも、何か触れてはいけない気配を感じたのだろう。小さく、そうでしたか、と同意するでも、同情するでもない、返答に困るような口調でそう言った。その返答に、どうも必要以上に場を盛り下げてしまったらしい、とリンは判断すると、沈殿しかけた雰囲気を取り成すように努めて明るい声で、こう言った。
 「それから、リリィ。旅の間はボクのことをレンと呼んで?」
 その言葉に、リリィは安堵したような笑顔を見せると、こう答えた。
 「これは失礼致しました、レン様。」
 
 「ロックバード卿、武器の手配が完了いたしましたわ。三週間程度で全軍に行き渡る手筈となっています。」
 ルワール城、作戦本部となった応接間を訪れたグミの報告を受けながら、ロックバードは普段決して見せない、少しばかり集中力の欠ける表情でご苦労、と答えた。
 「やはり、リン様のことを気にされておりますか?」
 ロックバードの様子に気が付いたのか、分厚い報告書を手渡しながら、グミはロックバードに向かってそう訊ねた。
 「そうだな・・。」
 気にならないかと言えば、気になって仕方が無い、としか返事の仕様が無い。そもそも、ロックバードはリンやアレクとは異なり、積極的に革命を推し進めたいという思考を持っているわけではない。ただ、リンの意志を忠実に守ること。そして、黄の国を滅亡させたカイト皇帝への仇を返すこと。この二つの行動原理が今のロックバードを突き動かしている。にも関わらず、リンが道中の危険を顧みずに、セリスとリリィを合わせてたったの三名だけで飛び出して行ったことに対して、どうしても気がかりが残ってしまうのである。
 「少し、気分を変えられては如何ですか?」
 続けて、心配するような表情でグミがそう言った。その表情を見つめながら、不思議なものだな、とロックバードは考える。
 「グミ殿は、我々を恨んではいないのか?」
 元々、グミは旧緑の国に仕える魔術師であった。そしてその緑の国を滅ぼした国家が旧黄の国であり、張本人が当時黄の国王立軍の総司令官を務めていたロックバードである。だが、そのロックバードの問いに対して、グミはほんの少し寂しそうな顔色を見せながら、こう答えた。
 「恨み申し上げたいのに、どうにも恨みきることができません。」
 「どういうことだ?」
 「ロックバード卿が、もう少し権利欲や私欲に満ちた人間であれば、恨み続けることも出来ましたでしょう。」
 そこでグミは一度言葉を区切ると、春風のように暖かく目元を緩めて、言葉を続ける。
 「あえて恨んでいることとすれば、ロックバード卿を始め黄の国の軍人達がそのような人間ではなく、公正明大な賢人でいらっしゃったことです。これでは恨み続けることはできませんわ。」
 「そうか。」
 安堵と言うよりは、洗練された言葉で、しかも自分の娘程度の年齢である女性に尊敬の意を伝えられたことに対する気恥ずかしさを覚えながら、ロックバードはそう答えた。どうも、年を取るといけない。思わずそうも考えてしまう。
 「では、少し休んで来ることにしよう。仕事は、若い者に任せる。」
 「畏まりました、ロックバード卿。」
 グミはそう言って丁寧に一礼をすると、意気揚々とばかりに退出していった。その背中を眺めながら、有能な若者が多いことは喜ばしいことだな、とロックバードは考えた。
 そのまま、応接間を退出したロックバードは、足の向くままに二階の端に位置しているテラスへと向けて歩き出した。少し紅茶でも飲みながら、心の奥に沈殿している懸念を払拭したい、と考える。
 「フレア。」
 案の定、アフタヌーンティーを楽しんでいたフレアの姿を見つけたロックバードは、その姿に帰港場所を見つけた船舶のような安堵を覚えたことに気が付いた。
 「あら、珍しい。」
 ロックバードの姿に、少し驚いた様子でフレアはそう答えた。そのまま、フレアの向かいに腰を落とす。
 「丁度、紅茶を淹れたところですわ。」
 続けて、そう言いながらフレアは白磁のポットから静かにお茶を注ぎ始めた。甘くさわやかな飴色の香りが、ロックバードの鼻腔をくすぐる。
 「あの二人は、大丈夫だろうか。」
 一口、紅茶を含んだ後に、ロックバードはそう言った。その言葉に、フレアは小さく声を出して笑いながら、こう答える。
 「変わらないのね、オルス。」
 久しぶりに呼ばれた自身のファーストネームになぜか新鮮さを覚えながら、ロックバードはこう訊ねた。
 「変わらない?」
 「私の時も、止めようとしたわね?」
 ああ、とロックバードは小さく頷いた。あの時、コンチータ事件の時、確かにロックバードはフレアを止めようとした。だが。
 「儂では役者不足かね?」
 「それはあの娘達が決めること。私達が憂慮することではないわ。」
 強い口調でそう答えたフレアは、そこで言葉を区切ると、視線を上空にやや向けながら、更に言葉を続けた。
 「でも、羨ましいわ。」
 「羨ましい?」
 その言葉に、フレアは小さく頷くと、こう答えた。
 「私があと二十年くらい遅く生まれていたら、きっと私は革命の最前線に飛び込んでいたはずよ。」
 「君らしくないな。」
 「どういうこと?」
 「男女の差など関係ないと言い張った君のこと、今度は年齢など関係ない、と言い張りそうだからね。」
 近い人間だからこそ出来る、抜群のバランスで保たれた意地悪い言葉を告げながら、ロックバードは楽しげな笑みを見せた。その言葉に、ぱちくりとフレアは瞳を瞬きすると、そっか、とまるで年若い少女のような軽い口調でこう言った。
 「そうね、オルス。そうよね・・。」
 「君の力が必要だ。どうも我々は軍事に強いが内政に疎い。儂がルワールに帰還してからたった四年でルワールを復興させるほどの内政手腕を持つ人間は、フレア以外には見当がつかないからね。」
 「ごめん、塵が入ったみたい・・。」
 そう言いながら、フレアはそっと目元を押さえた。ロックバードがフレアと出会った頃、若い頃から変わらぬ、強い意志を持つ彼女の姿が、ロックバードの視界に映っていた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ハーツストーリー 65

みのり「続けて、ハーツストーリー第六十五団です☆」
満「今回は回想回だな。」
みのり「わからない人は前々作の『ハルジオン』を読んで見てね☆」
満「・・・読むのに相当苦労すると思うんだが。」
みのり「ん・・まぁ・・その・・ごめんなさい。」
満「ちなみに、ハーツストーリー、未だに折り返し地点に到達してないという・・。」
みのり「本当、どこまで書くつもりかしら・・。ということで、まだまだ長くなりますけれど、お付き合いいただければ幸いです!ではでは次回もよろしく☆」

閲覧数:237

投稿日:2011/07/09 21:47:46

文字数:4,068文字

カテゴリ:小説

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  • sunny_m

    sunny_m

    ご意見・ご感想

    こんばんは、sunny_mです

    大きな流れの指針を作って一番前を切り開くのは、カリスマ性とかのある人物が必要だとは思うのですが。そこから先のこまごまとしたところとか、普通の生活視点での必要なものを選ぶ能力って、女子、というか主婦の力が大きいですよね~。と最後のやり取りを読んでいて思いました。
    おかんパワー(フレアさんはお母様だけど)は偉大ですよ!と、脱線した事を思ったりしました^_^;

    今、コンチータ様が並行して連載されているのもあって、ハーツストーリーでのロックバード夫妻の会話が意味深でにやにやしてしまいます(笑)
    どちらも今後が楽しみです~^^

    それでは!

    2011/07/09 22:41:27

    • レイジ

      レイジ

      コメントありがとうございます!

      オリキャラを評価していただけると嬉しいです☆
      いやぁ、ほんとロックバード家は妙に書きやすい・・。
      これからはちょくちょく(それこそおかんパワーでw)フレアにも活躍してもらおうと思います♪

      ロックバード夫妻の会話の意味はコンチータ様の方で書く(予定)なのでお楽しみいただければ幸いです♪

      ではでは、コメントありがとうございました!

      2011/07/10 06:19:53

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