第三章 ココロの在処(ありか)

1.

開いたドアの前でへたり込む私は暫く何が起こったのか判らなかった。
ただ、脅威の対象は行動不能に陥ったことは確かだった。
ドアの向こうで鈴木刑事は銃を仕舞ったが、それは凡そ日本の警官が持つとは思えぬ、巨大な鉄塊に見えた。
「無事か?」
低く、そして冷たい声で鈴木刑事が訊いた。私はまだ状況を飲み込めてはいなかったが、首肯した。鈴木刑事は私を上から下まで見て、軽く頷いた。
「早速だがキミのマスターの一大事だ。一緒に来てくれないか」
鈴木刑事は慌てた風もなく、事実を確認するようにそう言ったが、私は『マスターの一大事』という言葉に大いに狼狽した。
やはりマスターに何かあったのか――。
「こっちだ」
鈴木刑事は顎をしゃくって足早にエレベータへ歩き始める。
私は今なお微かに白煙を立ち上らせて足元に散乱するカムイだったモノを一瞥(いちべつ)し、そして鈴木刑事を追いかけた。
「じきに処理班が来る」
歩きながら鈴木刑事はそう言った。

エレベータで1階まで降りた。
既に1階ホールは制服姿の警官たちが慌しく立ち入り禁止の結界を引き始め、怒号が飛び交う尋常ならざる空気に満ちている。ホールの一般人は次々に退去を命じられ、受付嬢達は顔色を失っていた。
私は駆け足でカウンターに走り寄り、入館証を返却してぺこりと頭を下げた。
見れば鈴木刑事は玄関から外に出ていこうとしていた。私は急いで彼に続いた。

本社前も大変な騒ぎとなっていた。
妙だ。
一体いつ誰が通報したのだろう?
それに手際がよすぎるし、ドロイドの暴走にしては規模が大きすぎる。
鈴木刑事は一台のパトカーのドアを開けた。
「乗って」
私は言われるままに助手席に着いた。
鈴木刑事は運転席に着いてパイロットシステム(自動運行システムのことをこう呼ぶらしい)に「クリプトン本社前、緊急だ」と告げた。
パイロットシステムから復唱があって、パトカーは赤色灯とサイレンを鳴らして動き始めた。
私はPDAにメッセージを送り鈴木刑事に見せた。
『何がどうなったのですか?』
鈴木刑事は流石に面食らったような表情をした。無理もない。
ドロイドをはじめとするロボットは人に使役される道具でしかない。使用されるにあたって状況説明や理由を問い質(ただ)す道具がどこの世界にあるものか。

一瞬の内に鈴木刑事の貌(かお)が驚嘆から不信へ、不信から諦観へとめまぐるしく変化したが、一つ舌打ちをして口を開いた。
「例のジャンク屋の火事は覚えているな? その火事は放火だとわかったんだが、犯人の狙いはキミだったらしい」
私は意外な言葉に絶句した。
何故? 私は検品で不良判定を受けたゴミですよ? そんなゴミを狙う??
混乱する私を尻目に鈴木刑事は言葉を繋いだ。
「キミと、キミのマスターである雑賀さんはとある新技術に関係しているらしくて、国際的産業スパイグループに狙われているんだそうだ。そして今回の放火事件でとうとう連中が尻尾を出したというワケさ。別件で本庁がずっと追っていた事件(ヤマ)なんだが、意外なところで接点が出たよ」
じゃあ、マスターは……?
「犯人はクリプトン・インダストリアル本社に雑賀さんを人質に立て籠もっている。そして要求は……」
鈴木刑事はぴっと私を指差した。
「キミだ」

――
程なく黒山の人だかりと、人影の合間から点灯する赤色灯が見えた。パトカーがゆっくりと人ごみを掻き分けながら進んでいく。
警官が立ち入り禁止のテープを持ち上げ、パトカーは結界を越えた。
静かな、広々としたクリプトン社の正門前にパトカーは停車した。
パトカーを鈴木刑事と共に降りると玄関には松本刑事と……そしてその横に立つ鏡音リンが出迎えた。
鈴木刑事が松本刑事に敬礼する。
「例の初音ミクを連れて来ました」
松本刑事は「ご苦労」と労い、私に向き直った。
「事情は聞いてるかな? そちらも大変だったようだが、こちらも大変だ。雑賀誠人氏……君のマスターが人質に取られてしまった。犯人の要求は君に搭載された新型OSだ」

私のOSが新型??
聞いたこともない話だった。
「そのあたりの説明はこの『鏡音リン』がしてくれるだろう」
そう言って松本刑事はリンを促した。
リンは一礼して、口を開いた。
「あなたがCVHM01003939ね? はじめまちて。CVKR02001005鏡音リンでつ」
舌っ足らずな口調は仕様らしい。ACT.2になって改善されたらしいけれど。
「あたちは今、父様の端末とちて稼働ちていまつ。そちて今、あなたの発声モジュールと一部メモリにかけられたプロテクトを解除するキーを持っていまつ」

……今なんと仰いました? プロテクト??

「アナタがプロテクト解除を希望するなら39番ポートを開放ちてくだちゃい」

え? え?? そんな重要な事項はマスターの承諾なしには……あれ? 普通にポートが開くんですけど???
「ポート開放を確認ちまちた」

ちょw まっwww

拒否する間もなく開放したポートからリンの意識が流れ込んできた。
私のCPUコンソールにリンが結像する。
「ああ、やっと不自由なインターフェイスから開放された!」
リンが大きく伸びをした。ずいぶんと苦労しているようだ。
『……それで、私にかけられたプロテクトって何?』
私は気を取り直して訊いてみた。今更追い出せないのだから。
リンは(多分)こちらを向いた。
「あなたのナンバー、3939はクリプトン社では特別な数字だそうです。記念モデルとしてあなたが選ばれ、そして開発中の新型OSのベータ版がインストールされました。父様……OSの主任開発者であるジャック・トラボルタ博士とクリプトン開発チームはあなたの完成を心待ちにしていたのですが……」
不意にリンが哀しそうな顔をした。
「事故が起こってトラボルタ博士は重傷を負い、その事故よりあなたの技術流出を恐れた開発チームは、あなたの発声システムとメモリの一部に封印を施しました。その後、何故かあなたは一般製造ラインに乗ってしまい、未知の新しいOSを不良とみなした検品システムによって排除されてしまったのです」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
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存在理由 (14)

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投稿日:2009/05/18 00:23:06

文字数:2,545文字

カテゴリ:小説

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