平凡な人生を生きてきた。
映画なら、スタッフロールが流れ始めた瞬間に席を立つような。ミステリー小説なら、中盤で犯人が分かってしまうような。プラスチックのカップ一杯のコーヒーなら、飲み終わった後のカップに氷が半分以上残されているような。
他人にわざわざ語ることもないほど、特別な出来事を人生に刻んできたわけではない。万人に共感されるような前向きな日々を過ごしてきたわけではない。
毎日同じことの繰り返しで、何にも染まらない無色透明な日常。
そんな俺の日常は、ある日突然色付いた。
「先輩! お久しぶりですね!」
高校卒業後、四年間勤めた会社を辞めた。前の職場の人間関係に少し疲れた俺は、似たような職種の同じような仕事を求めて転職した(最も、仕事内容がほとんど同じなので、正しい意味では転職とは言えないだろうけど)。
心機一転、新しい環境で頑張るかと気合いを入れた矢先、見覚えのある人物と顔を合わせた。
「えーっと……まさかとは思うけど、巡音?」
「そうです! 高校で同じ部活だった巡音です! まさか神威先輩とまた会えるなんて、びっくりしました」
「俺も驚いたよ」
巡音ルカ。高校時代、写真部の後輩だった彼女は、部活内で俺を慕ってくれていた。とは言っても、気ままに写真を撮るくらいの活動内容だったので、俺が教えてあげられたことは片手で数えられるくらいしかないのだけど。
「昔と少し雰囲気が変わったから、それにも驚いたかな。いや、四年も経てば変わっていてもおかしくはないか」
「そう言う先輩は、あまり変わらないですね。強いて言うなら、肩こりをしていそう」
「よくご存じで。肩を回す度にボキボキ音が鳴る始末だよ」
高校時代の彼女は赤い眼鏡にショートカットだったのだが、今は眼鏡はなく、桃色の髪はポニーテールに結われるほど伸びていた。
俺はと言うと、着ているものが学生服からスーツに変わったくらいで、おそらく見た目の変化はそれ以外ない。高校卒業後、髪色を変える同級生が多かったが、俺だけ時間が止まっているかのように何も変わらないようだった。人生がどうでもよくなったら髪色を緑に染めはするかもしれないが。
「大変だったんですね。これからは同じ職場ですから、もし何かあったら聞いてくださいね」
「頼もしいね。それじゃあ、困ったときは会社のセンパイである巡音にお願いしようかな」
「ふふふ、変なの。先輩がセンパイって呼ぶなんて」
「本当のことだろ」
それから、外回りから帰ってきたらにこにこと微笑む彼女とよく目が合った。資料の本が保管されている場所を聞けば、丁寧に教えてくれた。
営業と事務。仕事が違えど、同じ部署である以上顔を合わせる機会は多い。気を使ったのか、社内では「神威さん」と呼ばれるようにはなったが、彼女の俺への接し方は昔と変わらないように見える。退勤後、会社の外で会った時はまた昔の呼び方で俺に話しかける。「せんぱい」と、本当に嬉しそうに。
「先輩、良かったらこれから一緒にお酒を飲みに行きませんか」
俺が彼女の会社に移ってから三ヶ月が経つ頃には、俺は彼女とよく夕飯を共にするようになった。
社内では最も気の合うひとで、よく夕飯を食べながら社内ではできないちょっとした仕事の愚痴も言い合った。
「ご飯を食べに、じゃなくてお酒を飲みに、ということは、だ。今日はずいぶん鬱憤が溜まっていると見た」
「しつれいですねー、ちゃんとご飯も食べてますよー。ほら、さっきキャベツ盛り合わせ頼んだじゃないですか」
「ほぼつまみじゃん。いや、他のメニューも食べてるのは知ってるよ、だけどキャベツ頼むの三回目じゃん。水もらうか?」
「そんなに酔ってませんー」
「酔っ払いはみんなそう言うんだよ」
そしてキャベツを口に運びながら、食べた分と同じくらい「こんなことがあったんですよ」の言葉が出てくる。これは相当ストレスが溜まっているらしい。というか同じドレッシング(ポン酢系)で延々とキャベツを食べているのがちょっと怖い。飽きないのだろうか。
「ほら、水が来たぞ。もうグラスから手を離したほうがいいって、持つなら小さいコップのほうな」
「センパイってー」
「うん」
「おかあさんでしたっけー」
「違うなあ。こりゃ一人で帰せないな。タクシー呼ぶか」
それにしても、ここまで潰れるなんて珍しい。共に酒を飲む時は、彼女は度数が軽めの酒を二杯くらいで、後はソフトドリンクで過ごしている。それが今日は同じ酒の量で、どこからどう見ても酔いが回っているように見える。よほど疲れていたのだろう。
「あーほら、スマホ落としたぞ」
かく、と船を漕ぎそうになった彼女の手から流れ落ちたスマートフォン。拾い上げた時に、そのロック画面が目に入った。
それは、屋上から撮った夕焼けの写真だった。上から濃い青、緑、黄、橙、赤、そして山の影を示す黒と、絵の具をゆっくりと溶かしたみたいに、空から地平線へかけて変わりゆく色彩の景色。
それがどうして屋上から撮ったものだと分かったのか。見覚えがある場所だったからだ。俺と彼女が卒業した高校の屋上。そのコンクリートの上で、俺が寝転がっている写真だった。
景色に覚えはある。だけどこんな写真を撮られた覚えがない。だってその写真の中の若き日の俺は、どう見たって眠っているから。
「……あ、スマホ、すみません。拾ってくれたんです、…………」
彼女も俺が黙り込んだ理由に気がついたのだろう、俺の手元と俺の顔を交互に見比べると、少しの間を置いた後に目にも止まらぬ速さで俺からスマートフォンを奪い取った。
「………………あの、先輩。怒って、ます、よね?」
トウサツ、ヨクナイ、と繰り返す声が聞こえる。よっぽど彼女にとってはまずかったのだろう、酔いはすっかり冷めたらしい。
「いつから?」
「……先輩が三年生の年、文化祭前日。私、先輩に会いたくて校舎を探したんです。だけどやっと見つけた先輩は遅めの昼寝してて、文句を言ってやろうと思ったんですけど、景色がきれいだったから……」
「景色がきれいだけじゃ、俺は写さないよな」
「……たまたま写り込んでしまったんです」
「たまたま先輩が写り込んだ写真を待ち受けに?」
なんでそんなことを、そもそもなんで俺を探してたんだと思って、思い出した。その年の文化祭で、俺たち写真部はそれぞれあるテーマを元に写真を撮り、それを展示していた。
彼女は学校近くにいる白猫と遊んでいる写真を提出していた。彼女のテーマは、確か。
「『一番幸せな瞬間』、だったよな。本当は、猫の写真とは別に、撮っていたものがあったのか」
「……だって、言えないじゃないですか」
彼女の顔が赤くなっているのは、ほぼ間違いなく酔いのせいなんかじゃないだろう。
「あなたが好きだから、あなたといる瞬間が一番幸せなんて、酔った勢いでも話さないって決めてたはずなのになあ……」
四年越しの想い。肌身離さず持ち歩くスマートフォンのロック画面に設定するくらいだ、それはきっと本物だろう。
ということは。彼女が再会してもずっと俺を慕ってくれていたのも、よく食事に誘っていたのも、「神威先輩」と嬉しそうに呼ぶのも、全部そういうことなのだろう。
平凡な人生を生きてきた。毎日同じことの繰り返しで、何にも染まらない無色透明な日常。
そんな日々に色を付けたのは、人生に光をくれたひとは、かわいい後輩だった。
──カラン。
まだ中身の残るグラスで、氷が転がる音がした。
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