「…違うんだ」

 少年は、鏡の前で項垂れた。

「違うんだ、こんなの…僕は…」

 その独白を聞く人は、いない。

「僕は…君を傷つけたかった訳じゃない…!」



<魔法の鏡の物語.11>


 リンと最後に会ってから、何日になるんだろう。もしかしたらまだ数日しか経っていないのかもしれないけれど、少なくとも体感時間は相当長いものに感じられる。
 多分だけど、一刻も早くリンに会いたいっていう気持ちがそうさせているんじゃないかな。

 …だってもう僕には、ゆっくりと待つだけの時間はないんだろうから。

 予想していた通りだけれど、僕を取り巻く状況は変わりつつあるようだ。
 なんとなく以前とは違う空気を肌で感じる。そんな時に彼らを刺激してなにかを起こしてしまうのが怖いから、部屋を出ることも躊躇うようになってしまった。
 一人部屋の中でベッドに腰掛け、焦りと共に思う。

 会えないまま終わるのか?
 なにも言えないまま会えなくなるのか?
 そんなの嫌だ。
 でも…このままじゃ…!

 気持ちだけが空回りして、思考速度が上がる。でも考える内容は多彩ってわけじゃないから、高速で考えたって先に進むことはない。しかも、余った思考回路の分だけまた気持ちが加速する。悪循環だ。
 はあ、と溜息をついて、僕は出来るだけ何も考えないようにしてリンを待つ。
 いつ戻って来てくれるか分からない。でも今の僕には待つことしかできない。
 気分が暗く翳っていくのを止められない。

 リン。
 会いたい。どうか僕がここからいなくなる前に、もう一度姿を見せて欲しい。
 お願いだよ…!

 必死に鏡に祈る。そうしたところで願いを叶えて貰える訳でもないって分かっていても、そうせずにはいられなかった。
 リン。リン。…どうか、時間のあるうちに。
 祈って願って、思いの中でリンに何度も呼びかけた。
 締め切られた部屋の中では時間の感覚さえ曖昧だ。料理をすることも億劫だったから、お腹がすいたら保存食を食べて、喉が乾いたら水道の水を飲む。そして、ただ頭の中でひたすらに同じことばかり繰り返し考えていた。
 暗闇の中でぐるぐると同じ場所を歩きまわっているような感覚。いや、正確にはらせん階段みたいなものだ。同じ場所を回るんだけど、一周する度にもっと光のない場所へと潜っていく。

 だから、鏡が微かに輝いた時、幻覚かと思った。
 でも、瞬きしてみても彼女の姿は消えない。

 …あ…

 少し気まずそうなその表情も、今は気にならない。

「…良かった、間に合った!」

 迸った思いをそのまま口にして、安堵のあまりその場で倒れてしまいそうになるのを何とか堪える。
 うわ、頭がぐらつくほどの安心感ってあるんだなあ。いや、緊張が切れただけか。
 でも、会えた!…リン!

 僕の強烈な反応のせいでリンが困惑しているのが分かったけれど、今は自分を止められない。
 良かった…!

「もう、あれきり会えないまま終わるのかと思った…」

 絞り出すように、最悪の可能性を言葉にする。
 それが現実にならなくて良かった、本当に、本当に!
 僕は喜びに顔を緩ませ―――

 ―――そこでようやく、リンが表情を強張らせているのに気付いた。

 何でそんな顔を…、……!しまった!

 余計不味い、と分かっているけれど、勝手に顔が引きつる。
 どうしよう、安心したせいで無駄なことまで口にしていた。しかもリンは、それにしっかり気づいてしまったらしい。おまけに、今の動揺まで見られてしまった。
 沈黙が空気を冷やす。
 その中で、リンはまっすぐに僕を見ている。
 不安そうな、気遣うような色を浮かべながら…それでもまっすぐに。

 …あ、誤魔化せないな。

 反射的に、そう思った。

 もう隠さずに済むという安堵と隠しきれない自分への落胆の両方を感じながら少しだけ居住まいを正し、リンの目を見返す。

「…隠したりごまかしたりしても、意味ないか。ごめん」

 改まって話し始めた僕の前で、リンは少しだけ身じろぎをした。表情が固いのは僕の緊張が伝わってしまったせいなのか、あるいはどんな話が切り出されるのか予想出来たせいなのか。どちらも有りうる。

 …どう伝えたら良いんだろう。

 いや、もう小細工じみたことは必要ないか。言うべきことだけ偽りなく簡潔に伝える、それで良いのかな。

 意を決して、僕は口を開いた。

「リン、君も何となく気付いていたかもしれない。一緒に過ごすことの出来る時間の残りがどんどん減っていくのを。そう、この魔法は永遠じゃないってことを」

 飾る言葉は考え付かなかった。
 だから、端的に言葉で斬り込む。傷付けるのを覚悟の上で。

「…ごめん、リン。もう行かなくちゃ」



 反応は強烈だった。



「―――っ…レン、行かないで!」

 跳ねるように伸ばされたリンの腕が、勢い良く鏡にぶつかる。
 でも、いくら勢いがついていたって、その手が鏡面を通り抜けることは出来ない。
 それが、とても悲しい。

「お別れなんだ」
「そんなの聞きたくない!」

 駄々をこねるように頭を振り、リンが声を荒げる。
 叫ぶような声は、真っ直ぐに僕を射抜いた。

「レン、行かないで!私、いろんな言い方でそう願ってきたはずよ!難しくても、いつかレンなら叶えてくれるって思ってた!」

 握り込んだ爪が掌を痛め付ける。
 でもそれより、リンの悲しみの方が僕にはずっと痛く感じられた。

「―――でもその願いを、あなたは叶えてくれないの…!?」

 …叶えたかったよ。ずっと君と笑いあっていたかった。
 でも僕にはどうにも出来ない。

 変わり行く世界をどうにかするだけの力は、持っていないんだ。

「リンは欲しがり屋なんだね」

 真っ直ぐに受け止めるのがきつくて、つい茶化すように言ってしまう。
 本当は、いくら重くても辛くても、真正面で抱き止めるべきなんだとはわかっている。これは逃げの一種なのかもしれない。

「そうよ」

 え?

 苦しげな声に、ぎくりとした。
 何ていうタイミングだろう。一瞬、心を読まれたのかと思った。
 実際はそうじゃない。リンは、また違う話をしている。
 少しだけ体をこわばらせた僕の前で、リンは深い青に光る瞳に強い思いを滲ませた。
 感情が高ぶっているせいか、少し涙目であることがその輝きに力を貸しているみたいだ。一度見詰めたら、目が離せない。

「レン、貴方がそれを知らなかったはずないわ!だけどレンはなんでも叶えてくれるなんて言ってたでしょう!だったら叶えてよ、私の願いを!」

 初めて見る必死の表情に呑まれて、僕は黙ったまま彼女の言葉を聞くしかなかった。
 いつもの穏やかで静かなリンとは違う激情。
 だけど、これもリンだ。
 今まで見ることのなかった、彼女の一面なんだ。

 胸が熱くなった。

 リンは今、全部をさらけ出そうとしてくれている。不慣れでも、痛みを感じても、僕に全部ぶつけようとしてくれている。
 それは確かに、リンのわがままだ。周りを顧みずに感情を爆発させているということなのだから。
 だけど…言い方はおかしいだろうけど…本当に、身に余る光栄だと思った。

「レン、お願いだから、お願いだから、行かないで!願えば叶うのなら、いくらでも願うわ!…だから」

 ぼろ、とリンの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
 それは透明で、悲しい涙。初めて僕達が出会った日に彼女が流した涙とは違う、切ない涙。
 拭いてあげたいけど、それもできない。
 僕は黙ったまま、リンの涙が溢れるのをじっと見ていることしかできない。

「私を置いていかないで…!」

 聞いているだけで胸が痛むような嘆きに、僕は一瞬だけ唇の内側を噛み締める。

 …出来るなら、君にそんな顔はさせたくなかった。
 色々な感情が、胸の中で荒れ狂う。
 失うことへの恐怖と虚無感。何も出来ないことへのもどかしさ、別離の悲しみ。
 そして、それらに勝るいとおしさ。
 泣かせたくない。笑っていてほしい、いつだって―――ううん、いつまでも。
 だから、できるだけ優しい声で言う。

 きっと、リンは今でも僕の嘘を信じているんだよね。

「リン、泣かないで」

 廊下を進む、規則正しい複数の足音。何が起きようとしているのかは、半ば直感で分かる。
 背後で扉が開く音に、僕は小さく笑顔を浮かべた。
 この幕切れの仕方、ちょっとドラマチックだね。いや、全然喜べないけどさ。

 ―――本当は、彼女の表情を見て嬉しかった。
 ちょっと不謹慎、というか人としてどうかという感情なのは分かってる。
 だけど、リンが僕の事をこんなに必死に繋ぎ止めようとしてくれるということが、とっても嬉しかったんだ。
 リンの中で、僕の存在がそれほどまでに大きくなっていたことが、本当に嬉しかったんだ。
 傷付けたい訳じゃない。リンを傷付けるのは本当に嫌だし、僕を傷になんてして欲しくない。

 それでも、傷になれるくらいになっていたってことが素直に嬉しかったんだ。

 どう言えば余さず伝わるんだろう。
 君が大好きなんだ、って。

 言葉って、とても難しい。こんなときになって実感する。
 もうちょっと真面目に国語を勉強しておくべきだったかな。



 だけど、もう、時間だ。
 足音が、扉の前で止まる。



 ―――ああ、



 魔法が、



 ―――リンに、聞こえてなければいいんだけど。



 解けてしまう。



「…やっと、本当の気持ちを口にしてくれたんだね」

 場違いな笑みが僕の顔に広がった。
 心からの笑顔。
 悲しみでもない。後悔でもない。
 満ち足りたような、清々しい気分だった。



 我儘を一つ言わせて貰えるとしたら、どうか僕の事を忘れないで欲しいな、なんてね。





 肩の辺りを殴り付けられるような感覚と共に、目の前で鏡が粉々に砕けた。





「く…!」

 反射的に肩を抑え、呻く。
 外したのか?いや、そんなに下手な筈がない。だったら威嚇か、あるいは最期にちょっと痛め付けて何か聞き出そうっていうのか。
 どうでもいい。鏡を割られた今、僕は生きる事に対してかなり消極的なんだし…
 …駄目だ、傷の痛みが思考を邪魔する。

 苛立って掌で傷口を押さえると、熱い血がだらだらと溢れているのが分かった。
 これはまずい。医学の知識なんてなくても、放っておくと取り返しがつかなくなるってことが分かるレベルだ。ん?まずい?何か生き延びたいような理由、あったっけ?
 痛みを堪えて顔を動かすと、ドアの入り口で黒っぽい服を着た男性が一人、何か喋っているのが見えた。他に人はいないから、鏡と僕を撃ったのも彼だろう。
 何を言っているのか聞こえない。聞く気にならない。
 だから、何も知らないんだってば。そんなべらべら喋っている暇があるなら、早く僕を父さんのところにでも送れば良いのに。僕の考えが変わって、また生きたくなる前に。

 …あれ?

 そこで、僕はふと眉を寄せた。
 痛みのせいじゃない。自分が考えたことで、何か引っ掛かる考えがあった。

 そう。

 『僕を父さんのところにでも送れば良いのに』
 …『父さんのところに』…?

 それに気付いた僕は、はっとして鏡の残骸に触れた。
 まだ仄かにリンの温もりを感じるような気がする。



 ―――そうか。
 ―――そうだ。

 ―――どうして…どうして気が付かなかったんだろう。



 単純な発想だ。今までそれを考えなかったのが馬鹿みたいな位に単純な話だ。
 僕はとっくに知っていたことなのに、それを考えてみなかったなんて。
 奇跡の理由ばかり考えていたせいで忘れていのかもしれない。

 ―――そう、これは、万能からは程遠くても…やっぱり「魔法の鏡」なんだ。
 割れてしまった今その力は失われたのかもしれないけれど、試してみる価値はある。どうせ、何もしなければ死ぬんだし。

「僕は…」

 痛い。熱い。冷たい。意識が緩やかに鈍っていく。
 冷たくなっていく世界。でもその中で、僕は確かに指先の温もりを感じていた。
 だから、呟く。

「…リンの隣にいたい」

 ぼやけ始めた視界の真ん中で、自然な動作で銃が構えられる。
 それから逃げられないことを知りつつも、僕は指に力を込めた。

 ここに未練はない。
 未来に不安もない。
 もう、僕自身がどうなっても怖くない。
 だから…





 だから、躊躇わずに踏み出せる。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
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魔法の鏡の物語.11

こんな真面目な話を投稿しているのに頭の中は「リンちゃんなう!」なので大変な事になっています。

あとは一話、エピローグが残るのみとなりましたが、なんとか年内に上げられそうでほっとしています。

完全に一人称で描くのは、どっち視点でも補完できない部分があるっていうのが辛いですね。その分心情を書くのは感情移入しやすくて良いのですが。

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閲覧数:513

投稿日:2011/12/30 20:05:10

文字数:5,194文字

カテゴリ:小説

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  • 目白皐月

    目白皐月

    ご意見・ご感想

     こんにちは、こっちにも失礼します。

     話が佳境に入ってきて、この次はどうなるんだろう、とはらはらしながら読み終えたわけですが、その後の後書きでふきだしてしまいました。どうしてくれるんですか、なんちゃって。
     どうでもいいことですが、私は執筆中のBGMのセレクトを間違えて、何も書けなくなったことがあります(何を聞いていたのかは訊かないでください)

     一人称は心情を直接的に伝えるのには優れているんですが、その分語り手の認識の外を書けないので、そこが辛いですよね。私も今結構苦労しています。

    2011/12/31 01:10:45

    • 翔破

      翔破

      こちらにもありがとうございます!最終話書けましたので、宜しければ見てやってください。
      そして、確かに執筆中のBGMって大切だと思います。BGMがあれだったせいで、この話の最終チェック中にレンが「りんたんなう!」とか言い出しそうではらはらしました。

      今年一年、いろいろとありがとうございました!
      それでは、良いお年を!

      2011/12/31 20:37:57

  • 鈴歌

    鈴歌

    ご意見・ご感想

    リンちゃん~~~~~~~!
    レン君~~~~~~~~~!
    なんか泣いてる自分w
    もぅ、ずっとこの小説続けてくださぃ・・・ウワァァ-----。゜(゜´Д`゜)゜。-----ン!!!!

    2011/12/30 22:51:12

    • 翔破

      翔破

      コメントありがとうございます!
      ちょっとでも感じる事があったなら嬉しいです。この時期の話は書いていてだんだん心が痛くなってくるので辛いです…
      でも最後はハッピーエンド!ということでハッピーエンドにしてみました。
      宜しければご覧ください!

      2011/12/31 20:34:48

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