2.
彼女のライブを初めて見に行ったのは、高校二年の冬のことだった。
それまで動画で見たことはあったけれど、実際のステージを見たことはなかった。
行った理由は単純で、初音さんからチケットをもらったからだ。
これまでのお礼、と言われて。
というのも、僕はこの頃から彼女のフォローをしていたのだ。
夏休み明けてぐらいから忙しさに拍車がかかり、自らのキャパシティを超えてきた初音さんは、自らのスケジュール漏れがかなり増えてきていた。
宿題を忘れただけなら可愛い方で、今日の授業がなにか忘れる、学校の後のレッスンの時間を忘れる、ライブ開始の時間を勘違いして遅刻しかける。……挙げ句の果てに、彼女はステージ衣装と制服を間違えて着てきた。
あれはある意味、彼女が伝説となった日だ。
確かにあのときのステージ衣装は制服っぽいと言えなくもないものだったけど……さすがに気付けよ。
と……そんなことがあって、これはさすがにまずい、とあれこれ聞いて助言をしている内に、そのまま成り行きで僕が初音さんのスケジュール管理をするようになっていた。もちろん、校内に限るわけだけど。
学校でのあだ名は当然のごとく「マネージャー」になった。なんとも喜び難い名前だ。しかも当時、僕の知らない人であっても僕の「マネージャー」というあだ名を知っていたのだから余計に。
高校の頃に僕の周りで流行ったフレーズは「初音さんに告白したかったらマネージャーを通せ」だった。
あれはマジで勘弁して欲しかった。実際、卒業までの二年間で、そのネタを信じたうっかりさんが合計で五人も、僕のところに「初音さんに告白したい」と言ってきたのだから。
今となっては笑い話だけれど、真剣な表情をした先輩や後輩を前に途方に暮れるしかなかった当時の僕には地獄そのものだった。
◇◇◇◇
「みんなー! 今日もありがとねー!」
初音さんのーー初音ミクの声に、観客席から歓声が上がる。
思っていた以上に“黄色い声”が多かった。
僕の勝手な偏見で、ファンは男性ばかりなんじゃないかと勝手に考えていたが……意外にも、女性の方がやや多いように見える。
彼女の所属する「CryptoDIVA」は、四人組の女性アイドルグループだ。
まだインディーズ……というか、いわゆる地下アイドルっていうやつなんだけど、それでもそれなりに広いこのライブハウスを満席にするくらいには人気があるらしい。
初音ミクを含めた四人は、ライブの開始からあんまり話をすることもなく、全十曲を歌って踊ってをやり遂げた。一応、最後には握手会をやるわけだが、四人ともが汗だくで肩で息をしていても誰一人としてうつむかず笑顔を絶やさないところは、さすがプロだと感嘆せざるを得ない。
僕では他のアイドルグループとの比較はできないけれど、彼女たちの本気を目の当たりにしたら自ずとファンになろうというものだ。
やがて握手会が始まり、お客が各々の推しと握手するべく四本の列を作る。
僕が並ぶのは、当然ながら初音ミクの列だ。
三十分ほども並んで、ようやく彼女と相対する。
「あっ! いつもありがとうございます!」
「うん。お疲れ様でした」
他の人たちもいるから、さすがに普段のノリで接するわけにはいかない。そう思って少しばかり他人行儀なやり取りを交わしたけれど、お互いどうも奇妙な感じになって苦笑してしまった。
普段の学校での初音さんと違い、初音ミクとしての彼女は長いツインテールにパッチリとしたメイクをしている。
それまで意識したことはなかったけれど、初音ミクとしての彼女は普段よりかなり印象が違って見える。
普段ならそんなことないのに、ちょっとドギマギしてしまう。
握手を交わしたところで、初音さんはウインクをすると他の人には聞こえないくらいの小さな声で僕に言う。
「この後時間ある? 紹介したい人がいるんだけど」
「え?」
うかつなことを言うと周囲にバレそうだと思い、とっさに口をつぐむ。
どう? と言いたげに小首をかしげる初音さんに、僕はかすかにうなずき返す。
「はいっ! じゃあまた次のライブでもよろしくお願いしますね!」
初音さんは不意に初音ミクへと戻り、営業スマイルでそう言うと、僕の背後に視線を移す。
そうだ。握手会の列はまだ後ろに尾を引いている。ここにいても初音さんと他のファンの迷惑になるだけだ。一旦立ち去ろう。
僕は手を振って初音さんから離れ、そのままライブハウスを後にする。握手会が終わるまでは初音さんも連絡するヒマなんてないだろうし、近くで時間をつぶすか。
そんなことを考えながらライブハウスから出ると、目の前のビルの一階に「びよんど」という喫茶店が視界に入った。
少々レトロで古めかしい外観で、窓越しの店内も落ち着いた雰囲気に見える。この場所で長年喫茶店を続けてきた、といった風情だ。
初音さんに「目の前の喫茶店で待ってるよ」とメールをしてから、喫茶店の中へ入る。
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