一人変なのがいる。
青の王女に連れられてきた侍女の一人を見たとき、イルですらそう思ったのだ。これでも召使となるべく教育を受けていたイルだったが、劣等生であった彼から見ても彼女の動きは挙動不審以外の何物でもない。
従って、過去では国内でも随一の優秀さを持った召使であり、国内どころか大陸でトップクラスの猜疑心を持つレンが、その不自然さに気が付かないはずがない。ちらりとレンを見ると、案の定顔には柔和な笑みを浮かべているものの、その眼には警戒心が光っていた。
もともと乗り気じゃない見合い、不穏な雰囲気に更に嫌気が差したが、当の見合い相手には正直心惹かれるものがあった。
美しい容姿はもとより、目的に向かって真っすぐ進むそのひたむきな姿勢に。初めて会った相手がそこまでしていたその原動力は不明だが、それができるならこの王宮で暮らすことは不可能じゃないと思った。
レンに連れられて従者が下がった後、イルは青の国の王女に、仰々しいこの部屋じゃなくて己の部屋に来ないかと誘った。ディーに非難がましい目で見られたし、もしレンがこの場にいたら見えない場所で蹴られていただろうが、謁見の間の雰囲気には閉口させられる。
青の王女は快諾してくれ、その態度も気に入った。部屋の前室に通して、ルナが淹れてくれたお茶を飲みながら、ぽつぽつと話を聞く。
人の話を聞くのは途轍もなく苦手だったが、彼女の話術は大したもので、イルを退屈させることはなかった。まるでレンみたいに。
そうやって浮かれていること十分くらいだろうか? 彼女が何故か、部屋の外を気にしていることに気が付いた。
嫌な予感がする。まさかとは思うが、あの黄緑の少女が何か良からぬことを企んでいて、この王女もその首謀者の一人という可能性だ。
「使用人のことが気になるとか?」
彼女の変化は劇的だった。びくりと肩を震わせるが、その目は何かを隠していて、しかもそれを楽しんでいるように見える。けれど不思議なことに、悪意は感じなかった。
「なんかやましいことでもあるんなら、早く言ったほうがいいぞ。今頃宰相があの黄緑の侍女と話し合いしてるはずだ」
少しの脅しで、青の王女は簡単に口を割った。いや、もともと隠し通すつもりもなかったのだろう。この時点では早とちりしていたが、話が進むにつれてそれが恐ろしい勘違いであることに気が付く。
イルが言うのもなんだが、普段のヴィンセントからすればとんでもない常識外れな所業に驚かされ、完全に想定外の黄緑の娘の正体が明らかにされた。
「じゃあ、黄緑の娘は間者とかじゃないんだな?」
「違います! あの、ヴィンセント様から聞いてないんですか? 本当に?」
泣きそうな顔でそう言われ、予定を急遽変更したことを思い出した。謁見に国防大臣も軍総司令官も必要なく、だから彼には知らされてない可能性が高い。
まずい。レンが身分詐称の不審人物に対して、何をするかわかったものじゃない。女子供だからと言って容赦するような奴じゃないことは、イルはよく理解していた。
「わ、私も参ります!」
「その格好で付いてこれるわけないだろ。いいから座ってろ」
イルに続いて立ち上がろうとする王女を諭し、大急ぎで部屋を出る。歩哨が驚いたようにイルに声をかけるが、構っている暇は無い。
レンが行く場所は分かっていた。途中でヴィンセントも合流し、やはり予定変更を突っ込まれる。
とにかくそれでも走る速度は緩めずに、目的の区画に到着。当たり前のように施錠されていることから、使用中であることは明らかだった。
扉を叩いて怒鳴り散らすと、すぐに扉は開いた。
イルが促すと、素直に黄緑の少女――アズリを解放した。彼女は完全に怯えきっていて、足腰立たないらしくレンにもつれるように座りこむ。
多少不愉快そうにアズリを見降ろしながらも、レンはそれを突き放すことはしなかったが、気遣う態度は一切見せず、彼女本来はどうでもいいと言わんばかりだった。
本人に責任が全くないと言えば違うだろうが、自業自得とも言えないだろう。少なくともレンの落ち度では決してないが、アズリのことがさすがに哀れだった。二年越しの想い人に敵扱いされて、あわや拷問寸前まで追い詰められたのだから。
「怖がらせたみたいだな。もう事情は聞いたから、大丈夫だぞ」
膝をついて目線を合わせ、できるだけ安心させるように言うが、身体は震え涙に濡れる目は焦点を結んでいない。
青の王女にも彼女の無事? を知らせるべきだろう。そう思って、自分の部屋で介抱することに決めた。レンが多少渋るも、現状彼が優先することはイルの行動制限よりも事態の把握だろうことは、長い付き合いの中でよく分かっていた。
「陛下、アズリさん! 大丈夫ですか?」
抱えられているアズリを見て、セシリアが悲鳴に近い声を出す。
「ちょっとショックだっただけで、怪我はしてないから大丈夫だ」
そう言って、前室のカウチに横たえる。
「なんか飲み物いるな。王女様は何飲む?」
今日はルナの定休日だ。王女が来ると言うことで改めることを申し入れてくれたが、イルは首を横に振った。別に一日くらい居なくてもいいし、賓客が来るからと言ってそこまで気張る必要もない。
「あ、私がします」
セシリアが勢いよく立ち上がる。制止しようとイルが口を開く前に、彼女は自信たっぷりに言い放った。
「勉強したと申し上げましたでしょう? 是非とも陛下に成果を見て頂きたいのです。紅茶で宜しいですか?」
「まあ、そこまで言うなら」
お茶一つに力が入り過ぎている気がしなくもないが、やってくれるならそれでいいか。そう思って座り直し、アズリに目を向ける。驚いたことに、彼女はもそもそと起き上がっていた。
「えと、もしかしなくとも、貴方はイル陛下、ですか?」
恐る恐るイルの赤毛を見る。そこには否定して欲しそうな響きがあったが、当然それはできない相談だった。
「ああ、改めて初めましてだな。アズリ=セフィラド」
「は、はい! 初めまして! アズリです――っ」
笑顔で挨拶したのだが、彼女は電撃的な早さでソファの上に姿勢を正して座り直す。しかし何か問題だったのか、顔を顰めて左腕にもう片方の手を伸ばした。
その理由は一つしかない。
「レンにねじられたか? あいつ細っこい割に馬鹿力だからな」
苦笑いして、向かい合っていたソファからアズリの左隣に移動する。
「はい。本当に、本当に申し訳ありませんでした。あの、総司令官様は、大丈夫でしょうか? あの方はわたしがあまりにうるさく言うので協力して下さっただけで」
「まあ、俺が同じことしたら殴られてたけどな。あの人なら大丈夫だよ」
かつてのハウスウォード時代、イルと共に訓練していたヴィンセントの記憶は無いが、その後王宮で彼は見事レンを支えて見せた。その彼をレンは心から信頼し、また慕っているのだ。
「それより、腕見せて見ろ」
イルの言葉にほっとしているアズリの左腕を取って、軽く回す。
「痛い!」
分かりやすい、今度は本物の悲鳴が上がる。
「やっぱり筋痛めてるな。ちょっと筋肉ほぐすから、痛くても我慢して、力抜けよ」
剣術では滅多にこの手の故障はないが、体術では日常茶飯事だ。己の身体だけで相手を圧倒する方法も、その手当ても他ならぬヴィンセントから教わった技術である。
教えられたものはしっかりと身につけていると言うのに、教えてくれた者を何故かレンは思い出せないらしい。
「は、はいぃ」
痛くないはずはないだろうが、このまま放っておいてもいい事は無い。涙目になって耐えるアズリを尻目に、慎重に指に力を込めていく。
「レンに一目惚れだって?」
気休めにでもなればいいと思い、こう尋ねた。
「はい、本当に、大好きなんです」
「話したこともないのに?」
セシリアもだが、見ただけでまた会えるかも分からない相手のために、故国を捨てたり強面の国の重要人物に突進したりするだろうか?
「いえ、話したことはあるんです! けれど、きっとその時のことは覚えていらっしゃらないと思います」
「へえ? あいつは記憶力いいから、相当昔のことでも細かく覚えてるぞ」
話せばいい。そういう意図を込めて言ったのだが、アズリは恥ずかしそうに首を横に振った。
「思い出して欲しく、ないんです」
「なんで?」
好きな人と時間を共有したことがあるなら、それを相手に思い出して欲しいと思うのが普通じゃないだろうか。そう思って答えを促す。イルはこの時、自分の立場を完全に忘れていた。
イルはこの国の国王陛下である。もしアズリが死ぬほど答えたくない事だったとしても、君主に尋ねられたら正直に答えないわけにはいかないのだ。
「あの時から、わたし二十キロ以上痩せたんです」
仰天発言に、思わず手を止めてまじまじと見つめてしまった。
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ささやかにリスク回避
それとなく注意
日常に潜んでいる
さりげないワナの数かず...ワナ
ぽなや。
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