小説版 コンビニ パート8


そして、サマーライブの日がやって来た。あの後一週間ほど、相も変わらず俺は藍原さんのコンビニ通いを続けていたのだが、どうにもタイミングが悪く、俺が入店する時には必ず別の客がいたものだから、今日藍原さんが来てくれるのかは聞き出せなかったのである。
 本当に、来てくれるのだろうか。
 チケットを渡しただけ、の状態のままでは不安が残る。出来ることなら今からコンビニに行って彼女の意志を確かめたいところだけど、今から戻る余裕はないし、そもそも今日が藍原さんのバイトの日なら来ることすら不可能じゃないか、と考えて俺は嘆息を漏らした。その時。
 「しゃきっとしろ、藤田!」
 俺の背中を叩きながら、そう言ったのは沼田先輩である。
 「い、痛いっすよ!」
 「馬鹿、お前が呆然としているのが悪いんだろう。そんなにあの娘のことが気になるのか?」
 「そ、そりゃ・・。」
 しどろもどろに、俺はそう言った。第一、焚きつけたのは沼田先輩じゃないか。俺が憤然とそう考えていると、ギターの鈴木が笑いながら会話に参加してきた。
 「藤田先輩、女の話っすか?」
 「うるさい。」
 「コンビニの娘ですよね~。話は沼田先輩から聞きましたよ。確かに可愛い娘ですよね~。」
 「からかうなよ!」
 俺はそう言いながら、少し情けなくなった。俺は後輩にまで馬鹿にされるのか。僅かに眉間に皺を寄せて鈴木を睨むと、鈴木は悪気のない、無邪気な笑顔でこう言った。
 「大丈夫っすよ、藤田先輩。きっと来ますって。」
 「お前に何が分かる。」
 憮然と、俺は言い返した。すると、鈴木は意図があるような奇妙な笑みを見せて、そしてこう言った。
 「とにかくリハ入りましょうよ!時間無いっすよ!」

 リハは万全だった。たった二週間しか練習の時間が無かったミクの曲も完璧に仕上がっている。きつい練習を乗り越えた成果だった。ライブハウスの音響係とも打ち合わせを終え、各パートの音響を整える。当然、ミクを映し出すためのスライド準備も終えた。
 「ミク、気分はどう?」
 ライブハウス特有の薄暗い照明の中、スライドに投影されたミクに向かって、俺はそう言った。
 「私、大きすぎやしませんか?」
 ミクは少しだけ嫌な表情をしてそう答えた。確かに、俺の使っている液晶画面の数倍の広さを持つスライドに投影されたミクは自然にその身体も大きくなっている。俺よりも身長が高くなっているミクを見るのは初めてだ。子供に身長を抜かされた時の親の気分はこんな気持ちなのだろうか、と考えながら俺はこう答えた。
 「大丈夫。いつもと同じだよ。」
 「マスターがそう言うならいいですけど・・。」
 「とにかく、次は本番だ。しっかり頼む。」
 「それは勿論です!だって、私の初めてのライブですから!」
 気合十分、という様子でミクはそう答えた。

 今俺達がいるライブハウスは立英大学の最寄り駅から一駅、駅前に広がる商店街の一角の地下に存在している。一応このあたりでは有名なライブハウスで、ほとんど毎日のようにイベントが開催されている場所だ。設備は最新のものが整っていたし、何より清潔。女性一人でも入りやすい環境が人気の秘訣らしい。
 その中でも、俺達が今から参加するサマーライブは特に人気の高いイベントの一つだ。五百名程入るライブハウスのチケットは毎年完売してしまう。六時間にも及ぶ長いライブイベントではあるが、このイベントに参加できるのは一部の認められたバンドだけ。逆に俺達のバンドがそれなりに評価されているという証拠でもあるのだけど。
 先にスタートした他の団体のバンドを楽屋裏で耳にしながら、俺は静かに時を過ごした。別に緊張しているわけじゃない。ライブの前はいつもこうして過ごすのだ。集中力を高めるためのおまじないと言ったところだろうか。
 やがて、俺達のバンドの順番が巡って来る。この瞬間。静かな心を一瞬で本番モードに切り替える瞬間が俺は好きだ。自然に、身体に芯が通るような感覚を味わう。
 「行くか。」
 沼田先輩がメンバー全員を見渡してから、短くそう言った。余計な言葉は必要ない。俺たちにはその一言で十分だからだ。

 相変わらず、すごい人だな。
 ステージに立った俺は、興奮の渦中に投げ込まれている観客達の姿を見ながらそんなことを考えた。この中に、藍原さんはいるのだろうか。ほとんど無意識にそんなことを考えたが、藍原さんの姿を探すには人が多すぎたし、それに観客席の照明が落されているものだから一人ひとりの顔の区別がどうもはっきりしない。大丈夫、きっと来ているさ。
 自分を納得させるように俺はそう考えると、ギターを構え、スタンディングマイクを片手に掴んだ。一曲目は俺がボーカルだからだ。準備OK、の合図を沼田先輩に視線だけで送ると、沼田先輩は頷き、後ろを振り返ってドラムの寺本に向かって一つ頷いた。
 木製ステックの交差する音が、六回。
 鈴木のギターソロで始まった曲を、俺は思う存分歌いだした。藍原さんのことを考えながら、ミクと一緒に作った曲だ。だから、この曲を歌える人間は世界中を探しても俺しかいない。激しい曲調の中に一滴垂らした切ない気持はここにいる観客に伝わっただろうか。
なにより、おそらく、だけどここにいるだろう藍原さんに伝わっただろうか。
 歌い終わり、軽いブレスを漏らした俺はそんなことを考えた。歌ったことに対する熱と照明の熱が二重に身体に掛かる。生体反応として噴き出した額の汗を軽く拭うと、俺はスタンディングマイクを沼田先輩に譲った。
次の二曲は沼田先輩がボーカル担当だ。俺はギターに集中する。歌いながら完璧にベースをこなせる人間なんてそうそういないはずだ。かなり難しいフレーズにしたつもりなのだが、沼田先輩は何事も無かったかのように立て続けに二曲、歌いきった。観客のボルテージが最高潮に達したことを俺は肌で感じる。
 「皆ありがとう!ここで、メンバーの紹介をします!」
 観客の歓声が僅かに納まったところで、沼田先輩はそう叫んだ。
 「まず、ドラムの寺本!」
 その言葉を受けて、寺本がワンフレーズアドリブで叩く。直後に、拍手。
 「次に、ギターの鈴木!」
 鈴木もそれを受けて、超絶なテクを披露した。
 「そして、ギター兼作曲担当の藤田!」
 沼田先輩がそう言った時、おお、という声が観客から漏れた。そう、この曲は俺が作ったんだぜ、という優越感を覚えながら、俺はギターを掻き鳴らした。
 「そして俺がベースの沼田です!普段はこの四人で活動しているのだけど、今日は特別ゲストをお呼びしました。初音ミクです!」
 沼田先輩がそう言って指を鳴らした時、俺達のバンドの背後に用意されているスクリーンが点灯する。直後に現れたのは、緑色の髪をツインテールにした少女。
 電子の妖精、初音ミク。
 その姿を現した時、観客は戸惑いともつかぬ声を上げた。この中でミクを本当の意味で知っている人間はどれくらいいるのだろうか。おそらく、少ないに違いない。だけど、こいつは俺以上に歌が上手い。そして、俺達の最後の曲を歌える人間はこいつしかいない。
 緊張していないよな、と俺は後ろを横目で振り返る。ミクは真剣な眼差しでそこに存在した。大丈夫、いつも通りやれば。俺は心の中でミクにそう告げると、前を向き、観客を眺めまわした。
 見ていろ。今から、お前達の常識を変えてやる。
 俺がそう考えた直後に、沼田先輩がスタートの合図を出した。
 スタートは俺のソロギターだ。ポップ調に始まるその曲を、そのままミクに優しく放り投げる。ミクがちゃんと受け取るように。
 ただ、その心配は杞憂ではあったけれど。
ミクは歌った。
 まるで、恋する少女のように、楽しげに、生き生きと。そして、少しだけ切なく。
 好きという気持ち
 今、分かった
 俺がその曲に入れた歌詞のワンフレーズは、まるでミクの本心であるかのように俺の耳には届いた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

小説版 コンビニ ⑧

第八弾です。
本家様から大分離れたストーリーになりつつありますが・・。ご容赦ください。
次回が最終回かな・・?

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投稿日:2010/02/07 12:44:15

文字数:3,288文字

カテゴリ:小説

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