グラディウスと悲劇
ようやく、ここまで来た。
黴っぽい匂いの充ち溢れる城だったが、奥に進むにつれその匂いはかき消えていた。おそらくこの先にいるのだ、探していた存在、魔王が。
大理石でできた冷たい床を歩いていると、青い炎が揺らめく燭台が壁に並んでいた。まるで僕を案内するかのように、廊下の向こうまでその燭台の明かりが続いていた。この先が魔王のいる玉座の間なのだろう。
もう魔物はここまで追ってはこないことが少し不気味ではあったが、出ないに越したことはないので幸運だと思うことにする。城を守る魔物との戦いで疲れは出ていたが、それよりも早く魔王に会いたいという気持ちが原動力となり、僕の足を動かした。
燭台に導かれるまま、城の奥へと進んでいくと、薄暗い明かりにぼんやりと大きな扉の姿が浮かび上がってきた。複雑な彫刻がなされた扉の前で足を止める。
「魔王…」
そう呟いて、決意を固め扉を開けようと手を伸ばした瞬間だった。
ゴゥン、という音を立て、扉が重々しく開いたのだ。
すかさず腰の剣に手を伸ばして、意を決して中へと入る。しかし魔物の気配はなかった。
「ようこそ、私の世界へ」
驚くほど優しげで、甘美な声。
あっけに取られている僕の前には青い玉座に腰掛けている魔王の姿があった。
仮面に隠れた眼は見ることができなかったが、口元がニヤリと歪んだ笑みをたたえている。
しかし、僕の想像していた魔王とはかけ離れたその姿に、まだ動揺が頭の中をたゆたっていた。
青く伸びた髪、成人した人間くらいに思われる細身の体。
そして、その声はどこかで聞いたことがあるような気がした。きっと気のせいだが。
「魔王」
僕は呼びかけ、玉座の方へ一歩一歩近づいていった。
「やあ、よくここまで来たね」
魔王はクツクツと喉で笑い、そして立ち上がった。その身長は思ったよりも低かった。これじゃまるで、人間みたいではないか。
「ずっと待っていたんだよ、君を」
「へぇ、そいつは奇遇だね。僕もお前にずっと会いたかったんだ」
挨拶を交わすかのように吐き捨てた後、僕は剣を抜いた。同じくして魔王も懐から小刀を取り出した。
「そんなもんで僕に勝てるってマジで思ってんの?」
「君にはこれで十分だよ」
細長い剣、グラディウスを構えながら僕はあざ笑うかのように尋ねた。しかし魔王は、どこか優しげな声色で随分なめたような言葉を返してきた。
玉座から腰を上げて立ち上がった魔王と対峙する。
「さあおいで小さく脆い人間の子よ」
「勝つのはいつでも正義だと決まってる…!」
そして、双方同時に間合いを一気に詰める。向こうは短剣だ。リーチはこっちの方が有利だ。
だが僕にも弱点がある。それは剣の重さだ。問題があったことが少ないが。
あともう少し筋力があればよかったのに、そう思うことも多々があったが、それを今回は特に痛感した。
振り抜いた剣を魔王は軽々しく避け、間合いを詰めてくる。体勢を持ち直すのが少し遅れる、その隙に魔王は間合いに入ってくるのだ。そして狙われるのは首。
剣で魔王の短剣を受け止めるが、向こうは恐ろしい力で剣を弾き返そうとしてくる。化け物の力だった。
仕方なく、魔王の腕の届かない範囲まで行こうと後ずさる。それでも魔王は攻撃をやめない。そしてまた僕は後ずさる。それを繰り返していると、背中に硬い衝撃が走った。壁だ。
「君は強い。褒めてあげたいぐらいにね。でも、」
魔王はスッと短剣をきらめかせると。まっすぐに首元めがけて短剣を突き刺しにかかる。
「私は、もっと強いんだよ」
コン、と頭の中の引き出しを叩く音がした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「兄さん、勝負だ!」
「またかい?よく懲りないねえ」
「兄さんに勝つまでは諦めないんだ!」
「ふふ、仕方ないな」
木でできたおもちゃのような剣を構え、かつて共に暮らしていた兄と対峙する自分が見えた。
ものの10秒にも満たないうちに、その勝負はあっさりついた。兄の圧勝だ。
そして僕はその対決に負けるたびに悔し涙を流した。
そんな僕をよいしょ、と抱き寄せると、背中をポンポンと叩きながら兄は言った。
「君は十分強い。けれど、」
兄は指先で僕の涙を拭ってくれる。
背中をさすりながら、歌うようにこう言ったことを
「俺は、もっと強いんだよ」
思い出したのだった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
首元に突き立てられそうになった短剣をとっさに転がって回避し、僕は再び剣を構えた。
「降参するなら今のうちだよ。そうしたら、私は何事もなかったかのようにして君を返してあげる」
僕は首を横に振った。
確かめなければ。
震える手に力を込めて、剣を握りしめる。魔王はスッとまた間合いを詰めてくる。肩を斬られた。ビリビリとした痛みが肩を這い回るが、それは今はもう、どうでもいい。
ガキンッッ
僕の狙い、それは魔王の仮面だった。肩を犠牲にした代わりに、目を覆い隠す仮面をかち割ったのだ。
「ッ…」
少し後ずさりをする魔王。
「一つ聞きたいことがある」
剣を突きつけながら、僕ははやる鼓動を抑えようとして低い声で問いかけた。
「青い目をした勇者はお前が殺したのか?」
「何のことかな」
「とぼけるな、兄さんは魔王を倒しに…」
兄さんは、僕がまだ幼い頃に旅立っていった。
魔王を倒すための、勇者として。
「…ふふ。…フフフ、…アッハッハッハッハッハッハッハッハッハ!!!!!」
魔王は高笑いをした。そしてゆっくりと、目を隠していた手をどけた。
「それは」
「こんな色の目だったかい?」
魔王の目は、そう、
あの日二人で見た青い空、そして僕と同じ色の青をしていた。
「兄さん、なぜ」
魔王は笑いながら短剣をしまった。僕もつられて剣を下ろした。
「平和な世界を作ろうと言ってもね、ただの人一人じゃ世界を変えることはできないんだよ」
あやすように言って、魔王は続ける。
「魔王という権力さえ手にすれば、やがて理想の人間の世界が作れる。平和な世界を創ることも可能なんだ」
「けれど今は、人間の世界に魔物がはびこっている。魔物を使った戦争も起きている。さらにはその魔物が人間を喰らうことも多い。それが世界の平和へと続く道なのかよ?!」
「私は」
自嘲気味に嗤って、魔王は僕の目を見た。空色の瞳はもはや狂気に蝕まれた、毒薬の青色にも見えた。
「もう、戻れないんだ、だからその手で私を」
悲しげに笑って、魔王は再び短剣を取り出した。
「できない」
「ならば私はお前を殺すことになる」
「何をめちゃくちゃなこと言ってんだ!」
グラディウスを抜き放ち、僕は激昂しながら魔王へ突進した。
「帰ろう、帰ろう兄さん!帰ろう…?」
「私にはもう戻れる場所などない、人間を裏切っておいて今更そっちに帰るなんて…」
できないよ、と微笑んだ。
僕の剣を受け止めていた短剣がするりと避けられ、力を入れていた剣はそのまま魔王の胸を突き刺した。
「あ…あ、あああ…!!!」
滴り落ちる赤い血。それは、彼が紛れもなく人間であることの証明だった。
フッと力を失った魔王は硬くて冷たい床に倒れこむ。
「兄さん、兄さん…!!!!」
剣を投げ捨てた。カラン、と寂しげな音には構わず僕は兄の元へ駆けよって上体を抱き上げた。まだ息はある。
「私でも、ほら、流れる血の色は赤い…」
「喋るな、今傷を癒す薬を…」
道具袋を漁る僕の手をそっと握り、魔王はかすれた声で、でも優しいあの日の兄の声で、僕に言った。
「ああ、これで終わりだ…、私の負けだ、勇者…」
「兄さん…!」
「その手で…最期に…抱いておくれ…」
脆い人間の体を、僕はきつく抱きしめた。もう助からないことは見て明らかだった。
「ああ……温かい、こんなに背も伸びて、たくましくなって…」
兄さんは僕の頬にそっと手を添えると力なく笑った。
「お前の腕の中で死ねて…私は幸せだよ」
「いやだ、そんなのいやだ、兄さん!!!」
「私は魔王であり、…お前は勇者だ。それが運命なんだよ…」
ポツリ、と涙が勝手に兄の頬に零れ落ちた。
「は…はは、泣き虫なのは…変わらないね」
「いやだ、嫌だ兄さん!頼む、お願いだから…!!!」
「いつからその道を違えたんだろう…ね…」
弱々しく伸ばされた手が、そっと僕の目に触れる。そして流れる涙を拭って兄さんは微笑んだ。
「俺のために泣いてくれて、ありがとう」
そしてまるで赤子が眠りに落ちるかのように、
兄さんは目を閉じた。
それはとてもとても、満ち足りた安らかな死に顔だった。
「兄さん、」
穏やかな
微笑みをたたえた唇からは何の言葉も出てこない。
「兄さぁあああああああああああああああああああん!!!!!!!!!!!!」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
魔王を倒した英雄。そう世間で騒がれるのもうんざりしてきた。
全く嬉しくない。むしろ苛立ちさえ覚える。
人気のない海辺で、僕は青い空と青い海を眺めてぼんやりとしていた。
兄が大好きだった景色だ。
「…本当にこれでよかったのだろうか」
しかし、僕は思うのだ。
兄さんは、魔王は。
いつか自分を止めてくれる、富と名声以外の目的で自分を倒す存在を
ずっと待っていたのではないだろうか。
潮風が頬を撫でた。最期に兄さんが僕の頬に触れたときのような、穏やかな感覚だった。
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2016/09/14 20:22:26