第三章 決起 パート13

 「リン、どうしたの?」
 応接間を出て、揺れる両脚を引きずるように歩き出したリンに向かって声をかけた人物がいる。厨房で昼食の手伝いをしていたハクであった。
 「ん・・なんでもない・・。」
 力なく、リンはハクに向かってそう答えた。
 「なんでも無くはないわ、リン。とても疲れた表情をしているもの。」
 ハクに言われて、そうか、疲れているのか、とリンはまるで他人事のようにそう考えた。強い吐き気と胃のむかつきは感じているが、それに対処するだけの精神的な余裕を今のリンは持ち合わせていない。ただ、気だるい身体を少し横たえようとだけ考えていたのである。
 「ほら、捕まって。」
 ハクは続けて、リンに向かってそう言いながらその細い右腕をリンに向かって差し出した。その腕をまるで、藁をも掴むような心境で掴んだリンは、直後に頭に温かな優しさに包まれていることに気が付く。ハクがリンの髪を優しく撫でたのだ。そのまま、ハクはリンの私室へと向けて歩き出した。まるで幼子のようにハクに寄りかかりながらリンは、火照るような感情を味わいながらこう言った。
 「ハク・・。」
 そう言えば、ハクにこうして撫でられるのは本当に久しぶりだった。これまで民主主義にあるべき国家を捜し求めて、アレクと共に奔走する日々だった。その仕事はやりがいと共に強い責任をリンに押し付けていた。無意識の内に、リンの精神は強いストレスに悩まされていたのである。その心理が途端に解けるような気分を感じて、リンは気付かぬうちにぽろりと一筋、涙を流した。
 「リン?」
 優しげにそう問いかけるハクの視線を感じているうちに、何かが外れる音がした。リンの中に溜め込んでいた感情が瞬時に爆発して溢れ出す。もう、我慢が出来なかった。
 「ハク、ハク、あたし、あたし、本当に馬鹿・・。」
 涙が混じった声でリンは訴えるようにそう言った。零れた.涙は止まる気配も見せず、ただリンの若く美しい頬を瞬時に濡らしてゆく。どうして、あたしってこんなに馬鹿なんだろう。あたし一人で、決めなきゃいけないことも決められない。その為に、皆が苦労していることくらい、そして皆が気を揉んでいることくらい、とっくに気付いているのに。
 「ずっと、頑張ってきたものね。」
 リンの私室へと戻った瞬間、ぎゅっと強い優しさがリンを包んだ。ハクがリンの身体を抱き締めたのである。いつかとは逆。ハクがリンを殺しかけたあの海岸の時とは逆に、泣き止まないリンを慰めるように、優しく、そして温かく。
 「頑張ってなんか・・いないよ。」
 泣きじゃくりながら、リンはハクに向かってそう言った。頑張ってなんかいない。ただ、あたしは逃げていただけ。現実から目を逸らして、それで幸せを掴めると勘違いしていただけ。いつもそう。黄の国から逃げる時も、ルータオに逃れた時も、レンを探そうと決意した時も、そしてルワールへと逃亡した時も。あたしはいつも、誰かに頼ってばかりだった。
 「いいえ、頑張っているわ。」
 ハクはそう言って、もう一度深くリンを抱き締めた。
 「リンは私とは違う。私と背負う宿命が異なるもの。私は貴女を支えることが役目。でも、貴女は違う。貴女にはミルドガルド大陸全ての運命が背負われているわ。」
 そう言葉を続けながら、ハクは胸元のペンダントに軽く触れた。以前迷いの森から異世界へリンとリーンを導いたその宝玉はハクに触れられると、まるで歓喜を示すように小さく輝く。
 「私、分かるようになってきたの。その人の宿命とか、運命とか。ぼんやりと、だけどね。だから、分かるわ。リンは必ず、貴女の理想を叶える。その世界が見えるもの。」
 一息にそう告げたハクは、そこで大きな笑顔を見せた。
 「あたし・・そんな力、ないよ・・。」
 俯きながら、リンはそう答えた。それでも、心は先程よりも軽い。ハクにはきっと見えているのだろう。あたしの将来が。リンはなぜか、そう信じざるを得ないような感覚を味わうことになった。
 「疲れて、自信を失っているだけよ。」
 ハクがそう言った。そのまま、もう一度、リンの整った髪を丁寧に撫で付ける。
 「焦っては駄目。帝国軍の話は聞いているけれど、リンはリンのペースで考えてくれればいいわ。それに、私たちは全員、リンの為に戦う覚悟が出来ているもの。戦い方はそれぞれ、違うけれど。」
 「そんなに、時間は残されていないわ。」
 「大丈夫。」
 リンを落ち着かせるように、ハクはそう言った。そして、言葉を続ける。
 「リンの周りにはとても優秀な人たちが集まっているもの。それもリンの運命よ。頼れる人に頼ることは悪いことではないもの。だから、ね?」
 もう一度、髪を撫でられる。心地良い、とリンが感じていると、ハクがもう一度、同性が見ても憧れるようなふっくらとした唇を優しく開いた。
 「きっと大丈夫。貴女がどんな結論を出しても、いいえ。たとえ結論を出せなかったとしても、皆貴女に付いてくるわ。」
 
 あたしの判断が、ミルドガルドを変える。
 時刻は気付けば深夜を迎えていた。あの後ハクはまるで病人を介護するかのように献身的に身の回りの世話を手伝ってくれた。胃に優しい粥を用意してくれたり、一人で寂しくならないように付き添ってくれたり。久しぶりに親友と二人っきりの時間を過ごしたリンは、それまで溜め込んでいたストレスを吐き出すようにハクに向かって全ての悩みを打ち明けたのである。その一つ一つに、ハクは柔らかな笑顔を絶やすことなく、一つ一つ全て、耳を傾けていた。ハクは決断を促すようなことをしなかった。ただ肯定も否定もせず、リンの語る全ての言葉を仔細漏らさずに耳に収めるかのように。
 そのハクも先程、就寝するからと言って私室から出て行った。今は一人。暗闇の中に、一人でまとまらない思考に耽っている。それでも久しぶりに強い眠気に襲われたのはハクがリンの硬く強張った心を十分過ぎるほどにほぐしてくれたからだろうか。
 気付けばリンは、深い眠りに落ちていた。

 『ハーツストーリー』
 表紙にそのように記載された冊子が、机の上に置かれていた。左上の部分だけ閉じられたその冊子の枚数は数百枚にも及ぶだろうか。出来上がったばかりらしいその冊子にリンは興味を抱きながら、その一枚目を捲り上げた。
 ミルドガルド史における最大の変革期はどこか。
 そのような書き出しで始まったその冊子がどうやら歴史書であるらしいと気付いたのは、リンがそれを暫く読み進めたときであった。時代は丁度、あたしが生きているこの時代らしい。ミルドガルド三国時代の終焉。黄の国の滅亡。帝国軍によるルワール占領。そしてルーシア遠征。時系列に並んだ出来事を繰り返すように、まるで現実を見てきたかのように記載された文章を読み進めながら、リンはとあるページでその腕を止めることになる。
 それは全体を構成する一部分である章タイトルの一つであった。そこには真っ白な紙に一文、こう記載されていたのである。
 第四章 革命戦争
 革命戦争、という言葉にリンは強烈な興味を覚えることになった。冊子の残りページはまだ分厚く残されている。この書物がいつの時代に書かれたものであるのかは分からない。或いは、自身が生きる時代よりも遥かに未来に書かれたものであるのかも知れない。
 このページの先に、あたしの求める答えがある。
 リンはそう判断して、無意識に、そして極度にまで高鳴った鼓動を抑えながら、もう一枚ページを捲ろうとその紙を摘んだ。その時。
 『駄目だよ。』
 悪戯っぽい青年の声がリンの脳裏に響き渡った。唐突な声の出現にリンは驚きの為に肩をびくりと震わせながら、背後を振り返る。
 『レン・・!』
 それはまさしくレンであった。札幌という街で会ったときと同じような、青系統のズボンに落ち着いた配色のシャツを着こなしているレンはリンの姿を見ると優しげに微笑み、そしてこう言った。
 『元気だった?』
 どうしてここにレンがいるのだろう。そう考える思考以上に、もう二度と会えないと思っていたレンに会えたことの方がリンの鼓動を高鳴らせた。思わず駆け寄ろうと走り出す。
 『駄目だよ。今の僕は、君に触れられない。』
 少しだけ悲しそうに、レンはそう言った。
 『どうして・・?』
 折角会えたのに。もう一度、抱き締めて欲しい。そう願ったリンに向かって、レンはもう一度笑顔を見せると、こう言った。
 『僕はこのミルドガルドには存在していないから。』
 『でも、今ここにいるわ。』
 リンのその問いに対して、レンは小さく首を横に振ると、こう答える。
 『ここは精神世界。世界は違っても、君と僕、そして僕たちに近しい人だけが共有できる特別な空間だから。』
 『近しい人?』
 リンがそう訊ねると、レンは小さく頷いた。そして、こう言った。
 『リン。その歴史書は将来の出来事が書かれている。だけど、今の君が見ることは出来ない。』
 『どうして?』
 『それが定めだから。君はあくまで、君自身の力で未来を切り開かなければならない。』
 『あたし、そんな力なんてないわ。』
 不安を見せたままで、リンはレンに向かってそう言った。
 『大丈夫。』
 レンは全てを理解しているのだろうか。リンは思わずそう考えた。これから起こる出来事も、あたしの将来も。そう思わせる強い口調だった。
 『君は、必ず未来を掴み取れる。』
 『レン、あたし・・。』
 あたしには、やっぱりレンが必要なの。そう告げようとしたリンの言葉を遮るように、レンはこう言った。
 『そろそろ、時間だ。』
 余りに短すぎる。レンの言葉に表情を歪めたリンは、拗ねるようにこう言った。
 『いつも、少しの時間しか会えないのね。久しぶりに会えたのに。』
 『それも定めだから。』
 レンもまた、悲しげに俯きながらそう言った。そして、言葉を続ける。
 『リン。君を応援しているのは僕だけじゃない。忘れないで・・。』

 レン・・。
 小さく呟いた自分の言葉に気が付いてリンはその蒼い両目を見開いた。カーテンの隙間からは陽光が漏れている。
 「夢・・だったのかな。」
 身を起こしながら、リンはそう呟いた。だが、心は異常なほどに軽い。大丈夫、と告げたレンの言葉は未だに強く脳裏に残されている。あの歴史書の先に何が書かれているのか、それは分からなかったけれど、それでも理解できることはあった。
 「未来は、あたしたちの手で掴み取ること。そうだよね、レン。」
 今は姿の見えないレンに向かって確かめるように、リンはそう言った。そして、ベッドから勢いよく飛び降りる。時刻を確認すると、午前六時を少し回ったところであった。時間が無い、とリンは瞬時に考えてクローゼットに駆け寄る。そのクローゼットの隅に置いてある、一振りのバスタードソードを見つけると、リンはその剣を手に取り、強く握り締めた。バスタードソードは扱いが難しいというメイコの助言に従って実際に使用したことは無かったが、他に適する剣も見当たらない。
 その剣は、レンの剣。レンがかつて使用していた剣だった。レンがリンの身代わりとなった時、ルカが逃亡の直前に持ち去っていたのである。その剣を懐かしむようにリンは見つめながら、それを丁寧に鞘から抜き取った。
 剣はかつてと同じまま、まるで鍛えたてのような鋭い光沢を放っていた。陽光に光る光沢を楽しむようにレンの剣を見つめながら、リンは決意を示すようにこう言った。
 「リンは死んだ。でも、レンは生きている。」
 そう言いながら、リンは剣を鞘に収めた。そして、普段から身に着けている軍服へと着替え、レンの剣を腰に据え付ける。いいえ。それだけでは足りない。リンはそう考えた。そして、今までと変わらず右腕に結んでいた、かつてレンから預かったリボンをほどくと、ポニーテールにするには短すぎる髪を後ろ髪にくくりつけた。整えていた前髪も、少し大雑把に散らして故意に乱す。鏡に映ったその姿を見つめながら、リンは小さな笑顔を見せた。
 丁度その時、私室のドアをノックする音が響いた。入室を促して現れた人物はルカであった。だが、ルカはそのリンの姿を見て、はっと息を呑むようにその口元を右手で押さえると、戸惑ったようにこう言った。
 「リン・・どうしたの、その格好・・。」
 「似合っている?」
 悪戯っぽくそう答えたリンに対して、ルカは珍しく感極まった様子でこう答えた。
 「似合っているも何も・・まるで彼が現れたのかと思ったわ。」
 「そっか。なら、大丈夫だね。」
 似ているのは当然だ、と考えながらリンはルカに向かってそう答えた。何しろ、あのカイト皇帝ですら騙されたのだから。
 「あたし・・いいえ。」
 違う。リンはもう、この世にいない。一度死んだ人間はもう、蘇らない。けれど、彼は生きている。だからあたし、彼の代わりとして戦う。彼の理想の世界を作り上げるために。
 「ボクは、戦う。」
 あたし、もう迷わない。
 決意を込めた口調で、リンはそう言った。
 あたしは、帝国と戦う。レンとして、必ず、勝つ。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ハーツストーリー 53

藤田「ボクっ娘キターー(゜∀゜)ーーー!!」
みのり「ちょっとあんた、なんでここ来てるのよ!しかもあたしの台詞の邪魔をするな!」
藤田「ボクっ娘萌えるじゃないですか、みのりさん。」
みのり「もう良いわ。ということで第五十三弾です!」
満「まずmatatab1さん。大正解です。リンがレンの代わりに戦うという構想でずっとレンを出してました。いつも回答を引き延ばしていてすみませんでした。」
みのり「他にも予想が当たっていた方、違っていた方、ようやく回答できました。色々推測してもらってありがとうございます☆」
満「あともう一点。レンの剣だけど。」
みのり「ハルジオン59に、さりげなくルカがレンの剣を持ち去るシーンが記載してあります。あの頃からリンがレンの振りをして、レンの剣で戦うという構想がありました。」
藤田「ボクっ娘構想もな!」
満「文字数ないから無視するぞ。」
藤田「酷いorz」
満「・・そして今気付いたけど、ハルジオン59を投稿したのが去年の五月五日という・・。」
みのり「もう一年前かあ・・。こんなに長くなるとは思ってませんでした。。」
満「丁度去年のGW中にメイコの反乱を書いたわけだ。」
みのり「なんだかもうすごい前の出来事みたいね。でもハーツストーリーはまだまだ続くというかこれから本番!みたいな感じなのでこれからも宜しくお願いします☆では次回も宜しくね♪」

閲覧数:230

投稿日:2011/05/04 00:43:53

文字数:5,405文字

カテゴリ:小説

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  • matatab1

    matatab1

    ご意見・ご感想

     説明文の三人のやり取りで名前を出して貰えるとは……。ありがとうございます!

     自分の不安を誰かに聞いてもらえるか否かでかなり変わりますよね。ストレスは(人に迷惑をかけない範囲で)たまに吐き出さないと、溜まりに溜まってどうしようもなくなってしまいますから。
     
     軍服とレンの剣装備のリンは、「イケリン」の一言に尽きます。 

    2011/05/04 11:36:26

    • レイジ

      レイジ

      コメントあいがとうございます☆
      こちらこそ、見事な考察でした^^
      今までのらりくらりとかわしていてすみません^^;

      ストレスの対処法は現代社会こそ重要でしょうね・・。
      ストレスがたまり易い時代ですから。。

      ではでは、今後も「イケリン」の応援宜しくお願いします♪

      2011/05/04 12:16:25

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