かんかんかんかん。
非常階段を昇る音に、水を含んだスポンジみたいな頭を上げる。
カーテンを引き開ければ血みたいに真っ赤な夕日が見えた。
―――いや、血っていうか私の顔の色かな。
泣きすぎて真っ赤になった顔に触ってみる。少し冷たく感じる指が気持ちいい。というか、自分の惨めさと虚しさに一人で泣いたとかほんとどうしよう。過去に戻って自分を殴りつけてやりたい。そんなことしたって自分の馬鹿さ加減を再認識するだけなんだ、って説教したい。
真っ赤な空。真っ赤な街。熱さを感じるような色なのにどこか寒々しいのはなんでなんだろう。
人が血を流してるみたいだなあ。
ふと私はそんな事を思った。
その体から血を流す人間。それは多分致命傷で、だからこのあと世界は暗く冷たくなる。それはつまり死体になったってこと。
今、目の前で世界が死のうとしている。
そう考えたとき、頭の中で一つの相似形が形を成した。
―――あの夢みたいだ。
私はあの夢みたいに、死にゆくものを目の前にしてる。
いつもと同じ夢の中、私は今日も幼い私をの首を絞める。
ぎゅうぎゅうぐいぐい、かなり力を入れて絞めているはずなのに彼女は顔色ひとつ変えない。
なんでなの。もう早く決着をつけてしまいたいのに。もう疲れたの、この夢を見て跳び起きるのは。だからもう、ねえ、お願い。
『 』
少女が何かをつぶやいた。
儚く掻き消えた言葉を捕まえられず、私は彼女を見つめた。指に力を込めながら。
―――何て言ったの。
私は目で問う。
彼女は、答えない。
この子が死んだら、私はどうなるんだろう。
ふと、そんな疑問が頭に浮かんだ。
もしこの子が本当に「過去の私」なら、それを殺してしまえば「今の私」はどうなるんだろう。
「過去の私の属性」を失ってもっとおかしくなってしまうのか。
「過去の私の記憶」を失って全てを綺麗に戻せるのか。
それとも。
「過去の私の生命」を奪われて、消えてしまうのだろうか?
ならこのまま絞め殺せれば、私は何の苦痛もなく消えてしまえたりするのかな・・・?
そこで、目が醒めた。
ぼんやりした頭が暗闇を認識する。
一人の部屋は異様に静かだ。
その中にちくたくちくたくと時計の音が響く。
まるで急かすように脅すように鳴る無機質な音が、耳について離れない。
―――うるさいなあ、もう!
その音にいたたまれなくなってテレビをつけてチャンネルを回す。夜だからそんなに番組はない。なんでもいいや、と止めたチャンネルでは、おじさん達が政治について議論していた。
与党の政策がどうの、地元住民の反対がどうの、野党が反対してどうの。
大人達が真剣に議論してる、それになんだか笑いが漏れた。
わー難しい話。私にはわかんない。全然わかんないな!そんなこと話し合ってどうなるの?大人の世界って理解できない!なんてね。
カーテンを引いた窓の向こうから友達らしい女の子達の笑い声が聞こえてくる。夜なのに元気な声ががらんとした部屋の中に響く。
私は膝に顔を埋めた。
体育座りのようにぎゅっと体をちぢこめる。
しかめた眉のせいか、頭が痛い。
静寂が痛すぎて耳鳴りがする。変なの、ヒトノコエは部屋に満ちているっていうのに。
テレビの外の世界。窓の外の世界。
私がいなくてもそれらはちゃんと釣り合ってる。私が居ようが居まいが関係なく、きちんと回り続けている。
ちくたくちくたくちくたく。
時計の針が、テレビの中の人が、窓の外の笑い声が私のことを嘲笑う。
おまえにいばしょなんかないよ。
そういって嘲笑う。
気のせいだ、なんて思えなかった。
だって私はこんなに無意味だ。
気がつけば私は笑っていた。
ミクちゃんと、ルカちゃんと、グミちゃんと―――レンと、笑いながら話をしていた。
教室の中にはクラスの子達とか先生達とかお父さんお母さんなんかがいて、思い思いに喋っているみたいで、そんな中、いつもなら心では馬鹿にしている夢とか希望とか未来とか、そんなきらきらした話を心から語った。
皆楽しそうで、私も楽しくて。
温かくて優しい、幸せの具現みたいな雰囲気がとっても快かった。
そんな時、急に、グミちゃんが消えた。
言葉通り、消えた。
あまりのことに愕然とした私の目の前で今度はルカちゃんが消える。
慌てて周りを見回せば、他の人達もばらばらと姿を消している。
―――何、何、何が起きたの!?
顔を戻すと既にミクちゃんの姿はなかった。
みるみるうちに人が減っていく。
私は成す術もなく、目の前のレンを見つめた。
彼は微笑む。
見慣れた顔、見飽きたほど見て来たその笑顔が―――消えた。
いくら周りを見回してももう誰も居ない。
怖くなって名前を呼ぶ。レン。お父さん。お母さん。片っ端から名前を呼ぶ。
でもがらんとした空間からは何も答えはない。
皆どうしたの!?どこにいっちゃったの!?
叫ぼうとして、気付く。
声が出ない。
なにこれ!?
パニックになった頭と違い、感覚は五感がだんだん遮断されていくのを冷静に伝えて来た。
声が出ない。空気の感触がわからない。自分の衣擦れの音が聞こえない。手が、足が動かない。自分が自分じゃなくなっていく気がする。
絶望感に駆られて唯一残された視覚で体を見下ろし、そこでまた目を見開いた。
体がばらばらと壊れていっている。
私は硬質な物質で出来ているわけじゃない。肌は柔らかいし血だって液体だし、普通に考えれば体がガラスの破片みたいにばらばらになるわけがない。
でも、
私は私が壊れて消えていくのを、血の気の引いた真っ青な顔で見つめているしかなかった。
いや、いや、そう叫びたくても声は出ない。打ち振りたくても頭は動かない。
目を開けた瞬間視界に広がった暗闇に息を呑む。
暗い。
暗い。
誰もいない。
わたしは――――――ひとり?
急に喉元が苦しくなった。息が出来ない。
嫌な想像に頭がぐるぐると空回りする。手足が痺れる。
こわい。コワイ。
「―――っ―――きゃあああぁああぁぁ―――――――――っ!!」
怖い怖い怖い!そんなの嫌!
一人にしないで、そんなの・・・淋しい!
その闇が単に夜の暗闇で、私がいるのは自分の部屋だと気付いて、私はやっと強張った体を弛緩させた。
あれは夢。私は目覚めた、ただそれだけのことだったんだ。
でもかたかたと震えが止まらない。体の震えは不随意で、止めようと思っても止まってくれない。
―――落ち着いて。落ち着かないと。
とにかく乱れた蒲団を戻さなきゃ。
私は暗闇の中、手探りに掛け布団を探す。
かつん、と震えた指先が無機質な何かに触れる。
携帯電話。
上半身を起こして、震える手でそれを開けた。
暗闇の中に、一つの光。その中に私が呼び出した電話番号が次々に映し出されていく。
ミクちゃん。ルカちゃん。グミちゃん。お父さん。お母さん。―――レン。
唇を噛む。
あいつなんて嫌い。嫌い。なんでも出来る器用な子。上手くこなせる賢い子。
私の双子の弟のくせに私より遥かに「イイ子」。だいっきらい。
でもなんでこんなとき縋りたくなるのはレンなんだろう。
でもきっとあいつなら笑い飛ばしてくれる。
何馬鹿なことしてんの。一人が怖いとか、ガキじゃあるまいし。
そう言って、きっと、笑い飛ばしてくれる。
ぷつ、とダイヤルボタンを押す。
るるるるる。るるるるる。
コール音。
るるるるる。るるるるる。
早く出て。あんなのただの夢だったって確かめさせて。
声を聞けばわかる。消えてなんかいないって。だから、早く出て、早く!
数秒が、気が狂ってしまいそうなほどに長かった。
―――ぷつ。
『・・・リン?』
溜息のような吐息混じりの声に、ぼろ、と涙が零れた。
懐かしい声。そう、懐かしい。だってもうどれくらい連絡してなかった?レンから何度か電話はあったけど全部無視した。あるいは意図的に切った。
だから、そう、声を聞くのは何時振りだろう。
悔しいけど、緊張していた心が一気に解れた。
『なんだよこんな夜中に』
「・・・起きてたの?」
『まあ今日はやること多くて、って・・・お前泣いてんのか?』
「耳おかしいんじゃないの」
『ふざけんな。俺が耳おかしいならお前は頭おかしい。何の用だよ』
「別に?安眠妨害してやろうかと思って」
『ほんとろくでもない奴だな』
「あんたはそのろくでもない奴の弟よ。残念でした」
やっと調子が戻ってきた。胸の中の黒い渦の中に安堵が生まれる。
ぶは、と電話の向こうで吹き出す音がした。
『ったく、強がっちゃってまあ』
「何知ったかぶってんの。偉そうに」
『知ったかぶれる程知ってるからな。お前って変なこと考え込んで意固地になって憂鬱になるのが上手いんだよ』
私は思わず目を見開いた。
「何よ、それ」
『言葉通りですよおねーちゃん』
「今度会ったらしばくわあんた」
『出来るもんならやってみろ。・・・まあ、元気そうでよかった』
嘘じゃなく優しい声に、体が硬直するのが分かった。
踏み込まれるのを心が嫌がる。
気遣わないで。やめて。
でも疲れているせいか、いつもより反発が弱い。
そこにレンは遠慮なく言葉を染み込ませる。
『今度そっち行くから、連絡したら予定空けといて』
「やだっていったら、どうすんの」
『突然押しかけていじめる。リン泣き虫だから泣くまでやめねー』
「サド」
『お前にだけは言われたくないんだけど』
暗闇の中で、携帯の光とレンの声だけが感じられる。
私がいない世界は、きっと私にあてられていた資源とかスペースとか、そんなものがもっと相応しい人に配分された世界なんだろう。
私に価値なんてあると思えない。
だから綺麗に消えてしまえるならそれはそれで凄く憧れる。
記憶までも真っ白にまっさらに解かしてしまえるなら、もっといい。
でも私を気遣う彼はきっと私がいなくなったら泣くんだ。
「ばーか、泣き虫はどっちだってのよ」
携帯に余裕ぶった声を投げ付ける。
その声に笑みが混じっているのに気付いて、自分で自分が恥ずかしくなった。一人の、しかも夜でよかった。明るくて目の前に鏡があったりなんかしたら恥ずかしさで死ねること請け合いだわ。
きっとこのネガティブな悩みに解決方法なんてないんだろう。私の前にはうやむやにするか、ラインを越えてしまうかの二択があるだけだ。
ラインを越えられない私は、臆病者?
でも、
『よくもまあ臆面もなく言えるな。ちっさい頃俺が慰め役だっただろ』
「本当のことでしょ、おとーとくん。ごまかそうったって私には通用しないのよ」
私はまだ、このひと時のために留まるほうを選びたい。
そしてまた日は昇る。
その下で私は笑う。怒る。楽しむ。心の奥に拭い切れない強烈な自己嫌悪と自己卑下を抱えたままで。
でもまだそれでいい。押し込めておけば、きっといつかは色褪せて崩れていくだろう。
まだ駄目だ。青い光の一部になって、跡形もなく消えていくのは、まだ。
だからまた私は笑う。
私の存在する、間違った、唯一の世界の中で。
私的炉心融解(下)
なぜレンが出張るんだ・・・?おかしい。
でもこういう感じって「解決」はしないと思います。
で、多分ここに出てくるレン君もミクちゃんも他の人達も、みんな同じようなことを一度は悩んでると思います。
わりといろんな人が実は底の方に自殺願望はあるんじゃないのかなー、と。まあ表に出さなければ薄膜がくっついて丸くなってくものなんじゃないでしょうか。
あと一人で考えるのってだめらしいですね。科学的にも思考が同じところを回っちゃうそうです。だから解決せず、ネガティブな方に行っちゃうのだとか。
意外と誰かと話すと笑い飛ばせちゃったりもするんですよね。
コメント4
関連動画0
ブクマつながり
もっと見るどうして私は生きているの?
「ああッ、もう!」
私は腹立ち紛れにライターを地面に投げ付けた。
ライター?いいえ、役に立たないガラクタよ!火の点かないライターなんてホント使えない。
かんかん、と思ったより澄んだ音を立てて真夜中の路地をライターが跳ねていく。
その音にすら気分が悪くなって、私は地面に膝を...私的炉心融解(上)
翔破
食べるということは、昔は私にとってとても嬉しい事だった。
そばには大切な家族がいて、皆で笑いながら美味しいご飯を食べる。それは幸せの具現。
でも側に誰もいなければ美味しいご飯も美味しくない。
<Side:コンチータ>
がらんとした広間の中で、私は目の前に崩れ落ちたその塊を見詰めた。
金髪の少女。手に...誰もが皆(私的悪食娘コンチータ)4
翔破
『で、出来ない・・・出来ないよ!』
そう。
大丈夫、その気持ちはよく分かるわ。あなたが選んだことならそれはそれでいい。とやかく言うつもりはないの。
でもね、レン。だったら私も選ばせてもらうわ。
<Side:メイド>
「全く、使えない奴ばかりね」
「申し訳ございません」
カイトさんは深くうなだれる。
...誰もが皆(私的悪食娘コンチータ)3
翔破
俺は何を知ってるっていうんだろう。
ねえ、どうして?
どうしてこんなに怖いんだ。
<Side:召使>
「レン、掃除が甘い」
「どこ?」
「二階の倉庫。桟が酷いことになってた。やっといたけどね」
「ありがと」
「サボり」
「悪かったって」...誰もが皆(私的悪食娘コンチータ)2
翔破
割とダークです。ご注意ください。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
闇のダンスサイト、二人で踊りましょう。
私は、限界だった。
世の中には耐えられないものがある。例えばいじめとか。劣等感とか。空気の悪さとか。その他諸々、人によって違うのでし...Side:リン(私的闇のダンスサイト)
翔破
昔作文を書いた。
タイトルは『将来の夢』。
『じゃあ、鏡音リンちゃん』
『はい!』
幼い私は喜び勇んで返事をした記憶がある。あの頃はほんとに何も考えてなかったけど。
『わたしは、おおきくなったらおはなやさんになりたいです!』
『にあわねー』
『レンひどーい!っていうかわたしがはっぴょうしてるんだから...両手一杯の(私的恐怖ガーデン)上
翔破
クリップボードにコピーしました
ご意見・ご感想
__
ご意見・ご感想
炉心融解は、誰でも割と解釈しやすい曲だと思ってたんですが、
ここまで話を作りこめるとは…!
途中、読んでて泣きそうになりました(T_T)
素晴らしい作品をありがとうございます!
2011/04/16 04:45:47
翔破
コメントありがとうございます!
炉心は原作の動画が非常に良いものなので、私としてもとても書きやすかったです。
なんというか、この曲って歌詞に共感してしまうんですよね…。
この作品が少しでもさらんさんの心に響いてくれたのなら、書き手としては非常に嬉しいです。
こちらこそ、メッセージありがとうございました!
これからもいろいろと書いていこうと思います。
お暇な時にでも、ふらっと立ち寄って頂けたら幸いです。
2011/04/17 14:54:57
翔破
ご意見・ご感想
>Ж周Ж さん
楽しんで頂けたならよかったです!
でも私も、炉心は有名すぎるので終わり方がブラックになったらどうしよう・・・と思っていましたが、グレーぐらいに落ち着いてくれて助かりました。
レンがリンをいじめる、も書いてみたいですが、ポップで可愛い話が書けないわが身の悲しさよ。その課題がクリアできたら書きたいです。
毎回コメントありがとうございます!嬉しいです。
2009/11/27 21:56:00
翔破
ご意見・ご感想
これが炉心の力か・・・
>ぷちぱん さん
上下ともコメントありがとうございます。
ちょ、両方ブクマとか、私はどうすればいいんですか!しかも「様」って!思わずドッキリではないかと周りを見回しました。何という不審者。
こんな長いものを最後まで読んでくださって有難うございました!
2009/11/26 15:29:52
翔破
ご意見・ご感想
>もちぐま さん
このかなり長い文章に付き合っていただいてありがとうございました!
次・・・は、多分この曲の替え歌、燦然と輝く30分の1の汚点の話になりそうな気がします・・・
レンがかっこよかったって言ってくださったのにすみません。私の中でのイケレンの地位向上に努めます!
2009/11/26 07:09:49