よそ者の家族

 広くも狭くもない部屋で、リンはユキを抱えるようにしてソファに座っていた。腕を軽く伸ばして本を開いていて、ユキの目の前で本をめくる。
「……二人は鉄屑の山から抜け出して、外の世界へと飛び出しました。二人の出会いは一つの冒険の始まりであり、一つの奇跡の始まりでもありました。おしまい」
 抑揚をつけて最後の文章を読み終えると、抱きかかえていたユキがほっとしたのが伝わった。上手く読み聞かせ出来たかなと安心して、リンは腕を上げて本を閉じて脇に置いた。
 ユキが顔を上げてリンに話しかける。
「ねえ、おねえちゃん」
「どうしたの?」
 リンの膝から降りたユキが本を抱えて、ソファに座り直して質問する。
「奇跡って何?」
「うーん……。なんて言えば良いのかな」
知らない事は何でも聞く好奇心。それに楽しさと少しの困惑を感じつつ、リンは言葉を選んで説明する。
「普通なら起こらない事が起こる事……かな。お人形が自分から動きだすとか、精霊さんが人間になるとか。そんな不思議な事」
 分かりやすくなるよう、今まで読み聞かせた本を例えに出す。死んだ人が生き返ると言うのが手っ取り早いが、五歳の子どもにその話は重い。
 三年前に自分がキヨテルに助けられたのも奇跡と言える。尤も、ユキは父親が立派な事をしたのを漠然と感じているかもしれないが、奇跡と呼ぶ事かどうかはまだ分からないと思う。
 あくまで主観なので実際はどうなのか知らないし、どう思うかを聞きたいとも思わない。
 ユキはふうんと漏らして、リンへ無邪気に尋ねた。
「じゃあ、普通って何?」
「えーっと……」
 答えるのにかなり困る事を聞かれ、リンは目を泳がせる。
 普通なんて人や状況によって簡単に変わる。優雅な暮らしが当たり前の人がいれば、過酷な日常が当然の人もいる。自分にとって普通の事が、他人にとっては違うなんて別に珍しくない。
「……人に押し付けちゃいけない事」
 価値観の違いを理解した上で行動する事と、違うのを認めようともしないで行動するのとは天と地並みの差がある。勝手な想像や妄想を求められる程鬱陶しいものはない。
「どうして?」
 ユキは怪訝な顔で首を傾げる。これ以上話すとややこしくなりそうなので、リンは会話を打ち切る事にする。
「大きくなったら分かるよ」
 小さい頃に言われた言葉を自分が使うようになって、亡き両親の気持ちが何となく理解出来た。実際成長しないと分からない事でもあるし、突っ込まれると説明が面倒とか困るからとか、きっとそんな理由だ。
 リンは逃げるのも兼ね、そろそろ寝なさいとユキを促す。
「ほら、明日から旅行でしょ。遅くまで起きてると寝坊しちゃうよ?」
 船は乗り遅れた人を待ってくれないと言い聞かせ、早くベッドに入るよう仕向ける。ちょっとの脅かしが効いたらしく、ユキは素直に返事をして立ち上がった。
「はーい。おやすみなさい」
「おやすみ」
 本を本棚に入れてから居間を出るユキを見送って、リンはソファに背中を預ける。
 昔は誰かと一緒じゃないと嫌だと毎晩のようにぐずっていたユキ。それが今では一人でも眠れるようになって、子どもの成長は早いなと感心する。一緒に寝て欲しいと頼まれる事もしばしばだが、子どもとはそうやって大きくなっていくものなのだろう。
 ぼんやりと天井を見つめて、明日からの予定を思い出す。
「旅行かぁ……」
 キヨテルの仕事にかこつけて、ミキが提案した家族旅行。四人で泊りがけの外出をするのは初めてになる。
 行き先は外国。北の海を越えた場所に存在する青の国だ。同じ大陸内で分かれて存在する黄の国と緑の国とは違い、青の国は一つの島を領土にしている。
 文芸や工芸に力を入れている国であり、お伽話や物語はこちらの大陸でも人気が高い。さっきユキに読み聞かせした本も青の国で描かれた作品だ。
 織物や調度品は上質かつ実用的で定評があり、貴族から庶民にまで幅広い人気を持つ。
 「んー……」
リンは手を組んで腕を上に伸ばす。力を抜いて肩を落とした所で、ミキが居間に姿を現した。
「今日も読み聞かせ?」
「ユキにせがまれちゃって」
 リンは困りつつも満更でもない笑顔で返す。夜更かしするのは駄目だとは言ったものの、どうしても断り切れなかった。
「もうあの子はぐっすり。リンベルが読み聞かせをした夜は、凄く寝付きが良いのよ」
 おねえちゃんが大好きなのね、とミキは微笑む。
今夜は一冊だけと言う約束で本を読んだのは、結果的には良かったらしい。
「そう、ですか……」
 リンは僅かにまごついてミキの言葉を受け取る。リンベルの名前で呼ばれるのに違和感も抵抗も無いが、未だにキヨテルとミキには他人行儀で接してしまう。この家に厄介になって三年が経つものの、自分はよその人間だと言う意識が抜けないのだ。
 それはいきなり転がり込んだ引け目や隠し事をしているからかもしれないし、実父母に対する思いがあるからなのかもしれない。
 リンはソファから立ち上がり、暗い考えを強引に打ち切る。
「私ももう寝ちゃいます。おやすみなさい」
 あえて明るい声でミキに言う。ユキに寝坊するなと言っておいて、自分が寝過ごしたりしたらみっともない。
「おやすみなさい」
 ミキの声を背中で聞いて歩き出す。入れ違いになったキヨテルに挨拶をして、リンは居間を後にした。

「お茶飲む?」
「ああ。頼むよ」
 キヨテルは妻の言葉に頷き、ソファに座ってお茶を待つ。程なくして目の前のテーブルにお茶の入ったカップが置かれた。隣に座ったミキに礼を言って、湯気の立つお茶に口を付ける。
 ふう、と一息吐いて、キヨテルは感慨深く言った。
「リンベルが家に来てから、もう三年も経つんだな」
 つまりは、あの出来事からそれだけの年月が流れた事になる。
 王都で初めて出会った時。彼女は近づく者は全て敵、誰も信じないと言った顔をしていた。だけど、反抗する一方で怖がっているようにも見えた。差し伸べた手を払い除け、偽善者だと言った時の態度。拒絶を露わにしていたのはもちろんだが、隠しきれない怯えが宿っていた。
 あんな子どもを昔何度か見た事がある。心の底では助けを求めているのに、相手を信じるのが怖くて手を取れない。人に傷つけられた経験が心を蝕み、誰かを頼る事に恐れを持たせてしまっているのだ。
 リンベルの境遇を考えると、人間不信に陥ってしまうのは無理も無い事だろう。迂闊に気を許してしまえば、自分の身に危険が降りかかるのだから。
 あれから三年。そんな彼女も、今ではすっかりユキのお姉さんだ。いなかったのが不思議に感じる程に二人は仲が良い。

「もっと前の事のような気がするし、つい最近のような気もするよ」
 ミキはそうね、とお茶を飲みながら頷く。
「時間の流れってそんなものね。長いようで短くて、短いようで長い」
「あっと言う間だ。あの頃のユキは夜になるとよく泣いていた」
 キヨテルは懐かしさに頬笑みを浮かべ、寂しそうに目を細める。
「……リンベルが王宮で働くのが決まった時も、凄かったな」
 後ひと月も経たない内にリンベルは家を出て行く。前から王宮で働きたいと言っていて、先日その願いが叶ったのだ。
 王宮仕えの召使ともなれば会える機会はほとんど無くなってしまう。ミキが青の国への旅行を提案したのも、家族四人で何か記念になる事をしたいと思ったからだろう。
「いつ頃からだ? リンベルの様子が変わったのは」
 この所、彼女は物思いにふけっている時間が増えた。家族の前、特にユキの前では明るく振る舞っているものの、ふとした時に心ここにあらずとした顔をする事が多い。どうしたのかと理由を尋ねても、何でもないと返されて終わってしまう。
「王宮で働きたいって言い出した頃かしら。その頃からおかしい感じがするわね」
二、三ヶ月くらい前だとミキは答え、でもね、とカップを置いて続ける。
「結構前から、王子の話を聞いたりした時はちょっと変だったのよ」
「王子? 王宮の話じゃなくてか?」
「ええ」
 その事に気が付いてから思い出してみると、リンベルは王宮の噂より王子の話の方に意識が向いていた気がするとミキは話す。
「私がそう思っているからそう見えるのかもしれないけど……」
 確かな事は分からないと自信がなさそうにミキは言う。しかし、リンベルをよく見ていなければ分からなかったはずだ。
 微妙な差にも目が届くのは、やはり母親だからだろうか。
「王子が気になる、か」
 キヨテルは視線を落とす。カップに入ったお茶には憂い顔が映っていた。
 心当たりが全く無い訳でも無い。だが、もしかしらたと言う程度に過ぎない。想像の域を出ないのは承知の上だ。 
 だけどもし、この想像が当たっていたら納得がいく。
 王宮で働く事にこだわっていたのも、王子を気にしているのも、時折身の上からはおかしすぎるくらいの気品を感じるのも。何よりそっくりな目をしている理由も。疑問の点が一つの線で結ばれるのだ。

 リンベルが、五年前に亡くなったとされる王女だとしたら。

本人から聞いた訳じゃないから断定は出来ない。他人の空似の可能性もある。世の中には似た人がいるのも珍しくない。
「……悩みを話してくれないのは、ちょっと寂しいわね」
 色々難しい歳だから仕方が無いのかもしれない。そう語るミキを抱き寄せて、キヨテルは優しい口調で言った。
「いつか話してくれる時が来るさ。悩みを打ち明けるのにも勇気がいる」
 その時には親としてしっかり受け止めよう。血の繋がりは無くても、リンベルはこの家の子どもだ。彼女が自分をよそ者だと思っていても、掛け替えのない家族の一人だ。
 ずっと家族でいよう。静かな部屋にキヨテルの温かい言葉が流れた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

蒲公英が紡ぐ物語 第13話

 千年のヴィーゲンリートを聴いてると、もうお前ら結婚しちゃえよ! って思います。毎回、無責任に。

 他人の空似に遭遇した事があるんですが、見た瞬間に「え? ○○、ここで何やってんの?」ってごく普通に考えました。
 全くの別人なのは頭では分かっているのに、思考が追いつかなくて混乱しましたよ。

閲覧数:300

投稿日:2012/05/19 21:40:30

文字数:4,021文字

カテゴリ:小説

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  • june

    june

    ご意見・ご感想

    こんにちは。juneです。

    前回の滅茶苦茶なメッセージの返信ありがとうございます;


    私、長編の方が好きなので…。

    matatab1さんの作風も大好きですし、いくらでも気長にと言われたら。

    はい。


    反転も素敵ですね…!

    これからの展開が楽しみです。



    2012/05/27 20:02:16

    • matatab1

      matatab1

       こんにちは。わざわざメッセージありがとうございます。

       話の流れやラストは決まってはいるのですが、いつ終わるかは自分でも分かりません(笑)
       まだリンとレンが再会してすらいないもんなぁ……。青い人も緑の娘も出てないし。

       この先の展開がどうなるかは、ゆるい気分で待って貰えればありがたいです。
         

      2012/05/28 20:50:25

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