Ⅲ.
また微かな音が聞こえたような気がした。それと同時に車内の気温が急に上がり、僕は思わず上着を脱いだ。
「ちょっと暑くてごめんね」
後ろから声を掛けられた。振り向くと、水色のワンピースを着た女の人がニコニコ笑って座っていた。
「メイコ先生」
僕は思わずシートベルトを外し、助手席で後ろ向きに膝座りして先生の顔を見た。
メイコ先生は小学校の音楽の先生で、この夏に交通事故で亡くなった。鼓笛隊の練習の帰りに自転車がダンプに巻き込まれたのだ。
あの日のことは今でも鮮明に覚えている。先生のワンピースはそのときと同じだった。
「パレードは残念だったね。あれだけ練習したのに」
僕は、鼓笛隊で大太鼓を担当している。鼓笛隊は五,六年生の希望者で構成されていて、週一回の練習と火曜日の朝礼でグラウンドを行進するのが主な活動だ。秋の運動会は最大の行事で、普通の年はそれを目標に練習するが、今年は繰富戸町町制施行何十年かの記念行事の一環として九月に街頭パレードが行われることになっていた。
そのため、夏休み前から放課後に練習を行い、夏休み中も週に二回学校に集まっていた。
メイコ先生が亡くなった後も、代わりの先生の指導で練習は続いたが、本番に雨が降って結局パレードは中止になった。
その当日、学校に集合したメンバーは中止を言い渡されて落胆した。女の子達は泣いていた。何日も練習したのに、全てが無駄になってしまった。先生の死さえも。
「先生ごめんなさい。あの時、僕があんなことをお願いしたから」
あの日練習が終わったあと、みんながそれぞれの楽器を音楽室に片付けて帰り始めたとき、僕はメイコ先生にお願いしてパレードとは関係ない曲の楽譜の読み方を教えてもらった。
もしそれがなかったら、先生はもっと早く学校を出ていたはずで、事故に遭うこともなかったのだ。
「ううん。レン君のせいじゃないよ。あの後、職員室で教頭先生と少し話しをしてから帰ったから」
先生は去年の春に大学を卒業して僕の学校に赴任してきた。音成町の家から通えないこともなかったが、学校の近くのほうがいいからと僕の町にある親戚の家に下宿して自転車で通っていた。担任のクラスはなく、四年生以上の音楽の授業を担当していた。
先生の下宿には夏休みの前に鼓笛隊のメンバーの何人かと一緒に遊びに行ったことがある。アップライトピアノと机があるだけの部屋だった。そこで夕方過ぎまで歌を歌ったりお菓子を食べたりして遊んだ。
先生の机の上に細長いケースがあった。「何ですか」と聞くと、「開けていいよ」と言うので開けてみると、ピカピカ光るフルートが入っていた。
「私の専門はピアノだったけど、フルートも少しやっているの」
先生はそう言って、何曲か演奏してくれた。
みんなフルートを近くで見るのは初めてで、何人かはそれを借りて吹いてみようとしたけれど、誰も音を出すことができなかった。僕もやってみたけれどだめだった。
「コツを覚えれば誰でも音を出せるようになるから。でも、自分で持っていないとその練習ができないから難しいかなあ」
先生はそう言っていた。
先生のお葬式は事故の三日後に先生の家がある音成町であった。僕は友達と一緒に参列したが、事故の日に先生を呼び止めていたことは誰にも言えなかった。僕のせいで先生が事故に遭ったと思うと、葬式の間中ずっと顔を上げることができなかった。
後部座席のメイコ先生は微笑みながら話を続けた。
「お葬式のときレン君がとても気にしていたようだから教えてあげるけど、あの前の日にね、縁談があるから帰って来いって家から電話があったの。私の家が音成町なのは知ってるよね。相手はその同じ町の人だったんだけど私の家が何かとお世話になっている所の人で、もしお見合いしたらもう断ることができないような雰囲気だったし、それで結婚したら学校を辞めることになるかもしれないからどうしようか悩んでいたの。それで教頭先生に相談して、それから帰ったから帰り道でもあれこれ考えてて、トラックに気付くのが遅れたわけ。勿論、あのトラックがスピードを出し過ぎていたせいもあるんだけどね。だから、レン君のせいじゃなかったんだよ」
「先生」
「うん。だから気にしないでね。今日はそれを言うためにレン君の曾おじい様に連れて来て頂いたの」
僕は涙が流れて止まらなかった。それは先生の話を聞いてホッとしたとか嬉しかったからではない。先生の輪郭はぼやけてきていた。もう先生と会うことは二度とないのだと思うと悲しくてしかたがなかったのだ。
先生は両手を差し出して僕の顔を包むようにして、それぞれの親指で僕の涙を拭ってくれた。
「最後にちょっとだけプレゼントをあげる。私の棺には花しか入ってなかったから物ではないけれどね」
先生の手に少し力が入った。
「夏前に教頭先生が今年の予算で何か新しい楽器を購入しましょうって仰ってたから、それならフルートがいいですって提案しておいたの。色々あって遅れたみたいだけど、もうすぐ音楽室に入るはずよ。そしたら試してみてね。レン君が音を出せるようにしておいたから」
そう言うと、先生は消えて行った。
Ⅳ.
車内の気温が急に下がった。僕は慌てて上着を着て、助手席に座りなおした。
すると、後ろから軽いドスンという音とともに「キャッ」という小さな声が聞こえた。振り向くと、同じクラスのリンがびっくりした目でこっちを見ていた。
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