1週間前、俺氏―――リンの祖父は突然倒れ、緊急入院した。
意識不明の重態だったが、昨日、わずかな時間であるが意識を取り戻し、かけつけた家族と、長年の友人である書生とヤンスを一時、喜ばせた。
そして俺氏はたどたどしい言葉でこう言ったのだ。
「ふふっ・・・クミ、お前の初音ミクが・・・もう一度見たい」
側にいた書生とヤンスも、一緒にその言葉を聞いた。すっかり白くなった髪を搔きながら書生は提案した。
「クミさん・・・昔の初音ミクの動画を加工して、私の多色エアプロジェクターで投射しましょう。それなら、この病室でも出来ますよ」
ヤンスも頷きながら、貯えた白い髭に隠された口を開く。
「拡張子が古すぎるけど、擬似的に3D化できるツールならあるから、私が直ぐに家に帰り、初音ミクの擬似VR映像を作ってきますぞ」
「すげぇ・・・爺さん達のスキル、パネェな」
側にいたリンは感心した。
「長年オタクをやっとるんじゃ。これくらい当然の嗜みよ。のうヤンス氏?」
「そうそう。老後はオタク天国じゃて。だから俺氏にももっと・・・」
2人の老人は後ろを向き、肩を震わせた。
数時間前、医者曰く。
「・・・次、発作が起きればもう、延命は本人とって苦しいばかりです。残念ですが・・・」
「・・・そんな」
クミは、顔を覆い隠した。連絡を貰った書生とヤンスはその様子を見るや、俺氏の状態を察し、クミにかける言葉も見つからず、とりあえずロビーに向かった。
「・・・時代はこんなに発達しているのに、人の寿命は未だ唐突に訪れるのか」
書生の言葉に、白い髭を撫でながらヤンスは俯く。
「俺氏先輩はいつも唐突でしたよ、書生殿。ほら、あの時だって―――」
「ああ、そういえばそうだった。俺氏部長は―――」
書生とヤンス以外、誰も居ない暗い病院のロビー。
2人は高校時代の頃を想い出していた。
2009年、桜の花も咲き疲れ、地面を桜色で染めていた5月中頃、栗布頓高校美術室は珍しく幽霊部長である俺氏が現れ、美術部の緊急ミーティングを始めた。
「ふふっ。皆、良く集まってくれた」
背が高くハンサムな俺氏が皆を労う。
「俺氏部長以外は毎日いるでヤンす」
「そうである。部長が居ない間、書生が皆をまとめ上げ・・・」
「只、毎日ボカロPVを皆で観ているだけでヤンス。書生殿は大して何もやっていないでヤンス」
「ヤンス貴様ぁ―――書生に恥をっ! 歯を食いしばれぇい!! 修正してやる!!」
書生はヤンスの胸ぐらを掴み、殴ろうとパンチをするが当てるつもりも無く、殴られるヤンスも心得たもので当ってもいないパンチが当った風に「ごふぅっ! 父親にも殴られた事も無いのにっ!」などと声を出す。きっと何かのアニメのシーンなのだろう。2人はこのような小芝居をよく行う。
そんなやり取りを見て、クミはまたかと溜息を溢し、2人をなだめる。
「2人とも、静かにね。俺氏さん☆お話してるの」
「・・・何か私等と俺氏の扱いに格差を感じるのであるが、杞憂であろうか?」
「・・・同意でヤンス。名前の後に『☆』とかついてるでヤンス」
「そんな事ないよ」
クミは真顔で答える。
「では、書生にも名前の後に何か着けて下され」
「僕もでヤンす」
「えっと・・・書生さん㈱。う~ん・・・ヤンス君♨」
「・・・なぜ株式マーク?」
「僕なんか温泉マークでヤンす・・・」
話も良くわからない方向に流れたが、俺氏は楽しそうに部員達の話を聞いていた。
「・・・そんな事より俺氏殿。結局、何を話し合うのでありますか?」
「ふふっ、すまないね、君達が随分と仲が良くなったなと考えていたのさ。まあ、それはひとます置いておいて。まず皆に確認しよう。ここは何部かな?」
書生とヤンスは何やら気まずそうに答えた。
「・・・美術部です」「ヤンす・・・」
クミはそういえばそうだったと、手を打った。彼女も毎日ボカロの話ばかりして、本来ここが何をする場所か思い出す。
「ふふっ、そうここは美術部。そして、この美術部には問題がある!」
「ギクっ!」 書生とヤンスは口に出す。クミは何の事やら、わからない様子だ。
「ふふっ、書生、ヤンス。そう君達は―――絵が描けないのだ!! ヘタだから。」
(ええっ―――?!)クミは心の中で驚いた。
「そ、そうは言いますが・・・俺氏先輩も相当ヘタでヤンすけど!」
(え―――・・・)クミは再び心の中で叫ぶ。
「ふふっ・・・・・・あははははははっ!! 全く、そのとおり。これは困ったぞ」
高々と開き直りに近い笑い声を響かせた俺氏。
「書生・・・実は小説を書いているのですが―――」
「僕もでヤンす」
「クミさんも知っていると思いますが、この学校には文化系の部活はここだけ。書生もヤンス氏も運動は大の苦手ゆえ―――」
栗布頓高校の部活動は運動部でほぼ占められている。そこに唯一存続していたのがこの美術部だったのだ。帰宅部という選択もあったのだが、俺氏に勧誘され、まずは書生が。そして今年、ヤンスが続いて入部したという経緯があったのだ。
俺氏に到っては、書生にこう言っていたそうだ。
「ふふっ、この学校に唯一残されたオタクが活動できる聖域。それを後世に残す義務が私にはあるのだよ。たとえ私に絵が、描けなくとも―――」
俺氏の演説を放ってヤンスは、クミに気になっていた事を訊ねた。
「あの、クミさん・・・気になっている物があるでヤンす」
「わたし? 何ですか・・・?」
「その、いつも持っているスケッチブック・・・。それって僕に見せてもらえないでヤンすか?」
書生も身を乗り出す。
「実は書生も・・・ずっと気になっていたのである!」
どうやら誰も聞いてない演説を話しきった様で、俺氏も頷く。
「ふふっ、実は俺もさ」
クミはそんなに大したものでは無いと、ひとまず一言を入れて、スケッチブックを机上に開いて皆に見せた。そこに描かれていたのは何気ないこの町の風景画。
素朴な線に淡い水彩が重なり、山や空を、古い木造の納屋を描いていた。
錆びた看板を掲げた商店や、校門の桜の木。この町に住む者なら、見覚えのある風景を新鮮に感じさせる。そんな絵だった。
「・・・すごい」「・・・絵が上手いでヤンす」「・・・ふふっ、素敵な絵じゃないか」
書生、ヤンス、俺氏はクミのイラストに魅入っていた。
「・・・ありがとうございます。そんな風に言ってもらえたの初めてかも」
「ふふっ、これは面白い事を思いついたぞ」
俺氏の発言に皆振り向く。
「ふふっ! クミ。やはり君ならこの部活を意味あるものにする事ができるだろうと信じていたよ。・・・というワケで」
俺氏はA4用紙のフライヤーを机に置く。
その紙には【同人誌参加コミュニティDO・SAN・CO 参加サークル募集!】と書かれていた。
「こ、これは・・・噂に名高い同人誌即売会では?」
「ふふっ、正確には”配布”ではあるが、経費分の回収位なら問題ないとされている・・・らしい。多分」
「で、伝説のコ・・・コミッケでヤンスか~~~っ!!」
「ふふっ! 違うのさ。コミッケは東京で行われる超凄い同人誌即売会。これは旭川市で行われるローカルな即売会。場所もホラ、旭川ふれんず会館2Fなのさ」
「我々がこのイベントに何を? 買い物でありますか!?」
俺氏は不敵な笑みを浮かべ、部員に述べた。
「ふふふっ。私達は夏休みに行われるDO・SAN・COに配布側として参加をする事にしようじゃないか!! ふふふふっ・・・ははははははっ!!」
「どえええええええっ!!」
書生、ヤンス、クミは声を合わせて叫んだ。
「し、しかし俺氏殿! 我等はマンガとか描けませんぞ!」
「ふふっ・・・同人誌はマンガだけが全てでは無い。今、ブームなのがこれさ」
俺氏はポケットから一冊の文庫本を取り出す。アニメ調のイラストが描かれた表紙のいわゆるライトノベルだ。
「おお、ラノベでヤンす! 僕も沢山読んでるでヤンす」
「・・・なるほど。小説も即売会では扱われているのですな。これなら書生とヤンス氏が小説を書いて―――」
俺氏はニヤリと笑みを浮かべ、書生とヤンスは頷く。クミは何の事やらさっぱりだ。
「ふふふっ! そう、小説を書生とヤンスが執筆。表紙と挿絵を―――クミ、君に描いてもらいたい。テーマは今、巨大なムーブメントが起きつつあるボーカロイド二次作品だ!!」
「うおおおおっ!」書生とヤンスは絵空事だった同人誌制作に携わる機会を得て、興奮の雄叫びを上げたが、クミは唐突な大役に「え? 絵? エエ――ッ?!」と叫んだ。そしてブルンブルン首を横に振り、その大役を断ろうとする。
「わ、わた、わたしっ、こんなアニメっぽいイラスト描いた事無いですっ! 無理ですっ!」
「大丈夫である。あんな素晴らしい背景画を描けるのだ。きっと・・・」
「そうでヤンす。きっとかわいいミクさんを描けるでヤンす」
「私には無理ですってば―――っ!」
全力で断るクミに、とびきりの笑顔で俺氏が言う。
「ふふっ。俺はクミの描いた初音ミクを見てみたいよ」
「・・・はぁ~~い☆」
俺氏の一言で結局、クミは陥落。それを見ていた書生とヤンスは溜息だ。
「・・・やはり、格差を感じるのである」「・・・ヤンすね」
栗布頓高校美術部はこうして、一応美術部らしい活動の目標を掲げる事が出来た。
夏休みまで2ヶ月。
旭川市で行われる、同人誌参加コミュニティDO・SAN・COに、彼らが参加するのだが、クミは今まで経験した事の無い大事に巻き込まれる事になるのであった。
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