次の日、昨日の失敗を少し心に引きずりながら、二学期最初の教育相談を僕は受けていた。


「鏡音は成績は全く問題なしだな。一年の二つ目のテストからずっと学年主席、と。この調子なら東京の名門……八盟館大学附属高校も十分に狙えるだろう」


「ありがとうございます」


少しぼーっとした頭で答える。昨日あの後、一睡も出来なかったのだ。


「しかしお前も感心だな。一年の五月の教育相談の時から、ずっと具体的に高校を絞ってきているやつなんてほとんどいないぞ。それも、八盟館となると尚更だ」


「どうも」


適当に相づちを打つ。自分の教え子から八盟館合格者が出そうなのが嬉しいのか、先生はあまりこちらのことを気にしてなさそうに喋り続ける。


「しかしどうして八盟館附属なんだ?お前の成績ならこの辺の高校で物足りないのは分かるが、それでももっと選択肢は沢山あるだろう?」


「八盟館大学の医学部に進みたいんです」


八盟館大学の医学部には日本を代表する研究者や教授が数多く在籍している。


その中でも心臓病の権威、巡音教授のここ最近の研究成果には目を見張るものがある。


あの人の下でなら、僕の医学的実力は飛躍的に向上する。


中学生に入る前にそう決意して、今までずっと勉強をし続けてきた。


「ほう、もう大学進学まで視野に含めているのか。先生も鼻が高いぞ」


担任の先生の低い鼻を眺めながら、今日帰ったらリンにどんな顔をして会えばいいんだろうと考えていた。






僕の不安(?)を裏切って、リンは家に居なかった。


「今日は週一の心臓の検査の日よ」


母さんにリンの所在を訊ねると、母さんは洗濯物を畳みながらそう答えてくれた。


「そうだ。レン、今から迎えに行ってきてよ。母さんはこれから夕飯の用意があるから」


断ろうと思えば断れたが、昨日の話の続きをするにはちょうど良い機会だと思い直し、二つ返事で僕は請け負った。


リンが通っている病院は、車で十五分、自転車で三十分くらいの距離にあるこの地域唯一の県立病院だ。


行きはほぼ毎回母さんが車で送っていくのだが、迎えはたまに僕が自転車で行くことがある。後ろに僕が取り付けたクッションに彼女は座り、そんな彼女に文句を言われながら坂の多い田舎道を自転車で漕ぐ。


今日も、そのパターンだ。


「今日の帰り、自転車なの」


病院にやってきた僕を見るなり、彼女は嫌そうな顔でそう吐き捨てた。


「車じゃなくて、すいませんね」


僕も皮肉をたっぷり込めてそう言い返してから、彼女が立っている玄関に向かって自転車を押してきた。


「ほら、行こう」


自転車にまたがり、彼女にクッションの方を向ける。


「はぁ、貧乏くさ……」


彼女は不満気にそう呟いてから、クッションの上に座る。


漕ぎ始めると後輪の方から微かに重みを感じるが、それは本当に微かな重みで、毎回この漕ぎ始めの時は僕は泣きそうなぐらい不安になるんだ。


「心臓、どうだった?」


「まあまあ」


もう何回も繰り返した受け答えを、今日もする。


「そっか。良かった」


取り敢えず頷いてから、僕は力を込めて自転車を漕いだ。


この病院の近くにある坂はやたらと急勾配で、かなり力を入れないと自転車が少しずつしか進まない。


その分帰りは緩やかに長い道のりで、とても気持ちの良い風を感じることが出来るのだ。


「………」


無言のままリンが僕のシャツの裾を掴む。急な坂なのでそうしなければ自転車から落ちてしまうのである。


リンを振り落とさないように丁寧に、でも自転車が止まってしまわぬように力強く坂道を立ち漕ぎで漕いで行く。


着替えないで出てきたから服は学校の中間服のまま。裾をリンに掴まれながら全力で漕いでいるので、いつの間にか僕のシャツの裾は全部ズボンからはみ出て、『格好だけヤンキー』のようになってしまっている。


立ち漕ぎしながらふと顔を横に向けると、いかにも田舎らしい田園地帯の先に、とても綺麗に田舎の空を染め上げている夕日が見えた。


思わず「綺麗だな」と呟くと、意外なことに後ろから「うん」と頷く声が聞こえた。


一秒間ぐらい足を止めてその黄金に輝いている空を眺め、後数メートルに迫った坂道を僕は一気に登った。


サドルに腰を下ろして、後はもう足を動かさずにこの長い長い下り坂を進む。


スピードが早くなると危ないから、リンは僕の腰にしっかり両腕を回している。


「リン。昨日、あの後、考えたんだ」


「へえ」


リンは興味なさそうに呟く。きっと彼女は、あの夕日を眺めているのだろう。


「それでさ………」


ここからは、本当に推論。もしこれが間違っていたら、僕は本当にまずい。でも、もし本当だとしたら、僕は色んなことを考えなければいけなくなる。


「君が好きなのは、僕なのかい?」


リンが僕に回している両腕がギュッと強まった。返事は、それで十分だった。


この考えは、昨日の夜の会話でのリンの反応だけから至ったわけではない。もっと日常的に僕が受け取っていたサインから、僕がずっと『もしや』と思っていた推論を昨日ようやく決定付けただけだ。


「君は僕に、やっぱり東京に行かずにこっちの高校で一緒に居てほしいのかもしれない。でも聞いてくれ。僕はあっちで…」


「分かってる」


不意にリンが僕の言葉を遮った。


「知ってる。レンがあっちで医学を学んで、私の病気を治したいことぐらい。レンが行きたい高校を初めて聞いた時に、その高校のことを調べたもの」


「じゃあ…」


「でも」


僕の言葉は再びリンに遮られた。


「それでも私は、過ごせるかどうかも分からない、いつ死ぬかどうかも分からない将来よりも、絶対に過ごせる高校生活を、レンと一緒にしたかったの」


リンの病気はーー…正直、難しい。症例が極端に少ない上に、リンの血液型はAB型のRh-だ。心臓移植をしようにもそもそも適合者が少なすぎる。


「でも、それでも僕は、リンとずっと一緒にいたいんだ」


僕は少し擦れた声でそう言う。


僕が今言っていることは、どうしようもなく子供なのかもしれない。欲しいものを、自分の好きなものを失うことが怖くて、みっともなくじたばたと暴れている小さくて弱い、ただの子供なのかもしれない。


リンが言っていることも、勿論理解出来る。


リンと一緒に過ごす高校生活は、想像しただけで涙が出そうなくらい幸せで、夢のように楽しいものなのだろう。正直に言えば、惜しい。狂おしいほどに、その夢を捨てることが、惜しくて惜しくてたまらない。


「私だって、ずっと一緒にいたいよ。でも、私はきっと、駄目だよ。自分の身体だもん。自分で分かる」


私は駄目だーー…もう一度小さな声でそう呟いて、リンはその額を僕の背中に押しつけた。


そんなリンに何て言えばいいのか分からなくて、僕も黙り込んだ。


自転車はもう下り坂を下り終えて、今は田んぼに挟まれた平坦な道を走っていた。


下ってきた坂が邪魔で、先ほどの夕焼けを見ることは、もう出来なかった。


「ーー…レン」


リンが僕の背中に額を押しつけたまま、呟く。


「一応言うけど、好きだよ」


リンはそう言った。


僕はその言葉を、ずっと聞きたかったのかもしれない。


でもその言葉を聞く雰囲気は、こんなに暗いものを望んではいなかった。


「僕も、リンが好きだよ」


昨日好きな人がいないか尋ねたのは、きっとリンの好きな人が自分だと僕は心の底で知っていたから。


だから、昨日のあれはただの確認作業。


「ふうん。そう」


とリンはそっけなく頷いて、額を僕の背中から離した。


「レンの背中も、大きくなったね」


「そう?」


「うん」


「だったら、嬉しいな」


自転車を漕ぎながら、僕は答える。


今のリンが何を考えているのか、こんなに近くにいるのに僕には良く分からない。


「………レン。私のこと、好き?」


「だから好きだって」


「ありがと」


リンはそう呟いて僕の背中に体をくっつけた。


「………レンは、私の病気を治せるって、信じてるの?」


「当たり前だよ」


だからこそ、僕は頑張ってきたし、これからも頑張るつもりだ。


「ありがとうね」


僕が自転車を止めて振り返ると、リンは眉を下げた困ったような悲しそうな笑顔で笑っていた。


その笑顔を見た時、きっと僕は反射で動いていた。


「………っ」


唇を付けられたリンは驚いたように目を見開いていた。


「リン」


目に見える範囲に誰も通行人がいない田舎道のど真ん中で、僕は言葉を紡ぐ。君に届くように。


「もっともっと勉強するから。頭良くなるから。絶対にリンを治すから」


リンは驚きと困惑をたたえた瞳で僕を見つめる。


「だから、僕を信じてくれ」


君が信じてくれれば、僕は絶対に君の病気を治せるから。君が信じてくれれば、どんなことだってしてみせるから。


だから、僕を信じてくれ。


刹那にも永遠にも思える時間、僕らは見つめ合った。


先に口を開いたのはリンだった。


「ありがとう」


ここでのありがとうは、肯定か、それとも拒否か。


後者の場合を想像して、泣きそうになりながら僕はリンの続きの言葉を待つ。


「そこまで言うんだったらーー…」


いつもの勝ち気な表情をちょっとだけ取り戻して、リンは言葉を紡ぐ。


「信じてあげる。その代わり、絶対に治してよねーー…ってちょっと!レン!」


僕はリンの細く小さい体を抱きしめていた。


「ありがとう………リン………絶対に、絶対に君を治すから……」


「あ、当たり前でしょ………っていうかレン、恥ずかしいから離れてよぅ」


「嫌だ。もうしばらく、君を抱きしめていたいんだ。リン」


「もぉ………」


リンは赤く染まった顔で「しょうがないなぁ。レンは」と、嘆息してからおずおずと僕の背中に手を伸ばし、撫でてくれた。


夕日は落ち切ってもう既に辺りは夜の暗闇と静寂に包まれていて、僕とリンはそのままお互いの華奢な体を抱き締め続けた。


僕の手のひらはまだ小さくて、なにも出来ないかもしれないけど。


それでもこの両手は、目の前の女の子を守るためにあるんだ。

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  • 非営利目的に限ります

双子相愛【下】

マフラーが似合う男子になれることを夢見ています。

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投稿日:2009/10/22 22:06:23

文字数:4,320文字

カテゴリ:小説

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