天ノ弱
はんたいことばの愛のうた
序章
漫画「ドラえもん」には、ドラえもんが二十二世紀へ帰る話があるのだが、それを知っている人は一体どのくらいだろうか。弱小と定評のあるのび太くんが、自力でガキ大将ジャイアンに対向するというあの感動回である。有名な話なので、たぶん日本国民の過半数は認知しているのではないだろうか。
漫画のタイトルにもなっているキャラクターがいなくなり、そして駄目主人公が人としての成長を見せるという描写は、どこか最終話を思わせるストーリー展開だった。ドラえもんが安心して未来に帰れるように――その一心でぼろぼろの格好のままジャイアンに立ち向かうのび太くんの勇姿には、思わず目尻に涙を浮かべてしまった読者も少なからずいることだろう。
けれどドラえもんはそこで連載終了ではなかった。いや、ドラえもん全四十五巻がどのような終わり方を遂げたのかを僕は知らないのだが、猫型ロボットの友達と別れたのび太君は、その後立派な大人に成長し、最後は念願のしずちゃんと結婚した、なんて筋書きでエンディングを迎えることはなかった。
ドラえもんは未来に戻ってしばらくしたのち、再びのび太のいる時代にタイムマシンでやってくるのだが、恐らくその経緯を知っている者は少ない。
ドラえもんは自分が未来に帰る前、実はのび太くんにあるものを託しているのだ。それはドラえもんの姿を模した箱で、開けると、その時ののび太くんに必要な秘密道具を一度だけ出現させてくれるという代物だった。
ドラえもんがいなくなって毎日に物足りなさと心細さを感じていたのび太くんは、ある日その箱を開ける。
その時出てきたものこそが、ウソ800(確かそんな名前だったと思うが)という、使用者の言ったことが嘘になる秘密道具だった。
のび太くんは丸底フラスコに入れられた液状のそれを飲み、自分の発言が必ず嘘になるのをいいことに悪戯をする。「今日はいい天気だ」と言って雨を降らせたり、「君は今から犬に噛まれない」と言って悪友に仕返しをしたり。
そして気分を晴れやかにしたのび太くんは、帰宅してママとわずかに会話を交わし、その際についこんな発言をするのだ。
「ドラえもんはもういない」と。
「未来に行ったのだから帰ってこない」と。
結果、その発言はウソ800のおかげで嘘となり、のび太くんが部屋に入ると、数日前まで部屋で一緒に暮らしていた青いタヌキの姿があるわけである。
確か最後は、のび太くんがドラえもんを泣いて抱き締めながら、「これからもドラえもんと一緒に暮らさない」と宣言するという、感動と笑いの両方が同時に巻き起こる秀逸なオチだった気がする。
つまり僕が何を言いたいかというと。
僕の友人、裏原雨乃(うらはらあまの)は、随時前述の秘密道具を使い続けているような人間だということである。
第一章「一年前」
1
週末が近づけば、
「もうすぐぼくの憂鬱な休日がやってくる」と嘆く。
帰り道、黒い雲がザーザーと地面を濡らしていたら、
「今日は自転車で来たけどぼくには何ら影響のない気象現象だな」と問題ないように装う。
連休で宿題が大量に出されたら、
「クラスメートたちと顔を合わずに学力の向上を図れるなんて、どれだけ夢みたいな日々だ」と喜ぶ。
裏原の感受性は甚だしく一般性を欠いていた。それは偏屈を越えて逆地点に到達し、結果彼女は、いつも人と真逆の発言をする存在としてクラス全員から一目置かれていた。いや、訂正が必要だろう。僕を除いたクラスの全員が、だ。だが担任教師も含めれば、その頭数はプラマイゼロと言えるかもしれない。
裏原は頭がよく、勉強は学年トップを独占するほど得意だった。だがそれは、口答試問を必要としないペーパーテストに限っての話だ。授業中に指名されて問題に答える時、彼女の口は必ず正答に反した。数学や理科といった数字で答えることの多い教科には目立った支障は出ないものの、国語や英語といった言葉を扱う教科の際には、クラスの誰もがその気まずさに項垂れるしかなかった。
思考と表現。
普通の人間であれば、その二点の間にさほどの差異が生じることはない。空腹状態になるとお腹がぐうと鳴り、「お腹すいた」と言って食事を摂る。
しかし普通でない裏原の場合、空腹状態になるとお腹がぐうと鳴り、「もう満腹だ」と言って食事を摂るのである。
人間はたくさんの思考を表現する手段を持っている。その過程で極端な誤差が発生することは通常ありえない。
だが裏腹がその手段の中から口という選択肢を選ぶ時だけは、表現は思考を逆さまに裏切るのだ。
反転の線引きは病的なまでに峻別されていた。
だから僕はこう考えるようにしていた。
裏原雨乃は少し変わった障害を抱えており、思ったことをそのまま口にできないのだと。
酷い僻目を持った奇人ではなく、人と同じように頭の中をありのまま表現をできない、変わった性質の持ち主と認識の焦点を変えることで、僕は彼女の特異も受け入れることができた。
まああくまで、僕の場合の話である。
クラスメートたちは裏原を嫌っていた。彼女は誰もが面白いと思うことを面白くないと言って同調し、反対に誰もが面白くないと思うことは面白いと言って同調するのだ。世間では小数意見が尊重される場面も見られるようになったもの、孤独な反論とは時にはかないだけだ。まるで異端者や反逆者の類いとしか捉えていない視線が彼女に向けられることはしょっちゅうだった。
クラスのみんなは裏原のことを、「あまのじゃく」と呼んでいた。直接的にも間接的にも、彼女は「あまのじゃく」と呼ばれていた。
裏原がそのとても愛称とは言い難い名前で呼ばれて返事をする様を、僕は残酷以外の言葉で形容できそうになかった。言葉の意味を反転させてものを喋ってしまう彼女は、自分が嫌だと思う相手の要望を断る時、その返事を承諾という形で返してしまうのだ。まさにいじめの標的に持ってこいの性質を固有していた。
行き場のない環境下に置かれた裏原は、当然誰にも仲良くしようと接せられるわけがなく、休み時間も昼食を食べる時も、決まって机に座って退屈そうに過ごしていた。
確かに彼女の言葉は嘘をつく。だが彼女の表情までは感情を反転させていなかった。
だからだろう。
そんな彼女を一人にしたくなくて僕が声を掛けたのは。
昔から僕の特徴を人に尋ねれば、家族も友人も誰もがこぞって「お人好し」と答えた。すなわち僕はそれほどお人好しと定義づけられる人間らしかった。自覚はないのだが、思い当たる節はある。それはクラスでたった一人、裏原という変わり者の友達をしていること一つを取っても言える。その他、やってきて日の浅い転校生に学校の校舎案内をしたり、実行委員などの代表者決めがなかなか終わらない時に自ら立候補したりするのは、恐らく僕でなければやらないことなのだろう。
高校に入学した時、僕はたまたま裏原と同じクラスに編入されたが、そのせいなのか、二年生に進級した今でもなお僕と裏原は同級生だった。
あまりに僕が付きまとったおかげか、一時期僕と裏原が恋人同士に発展しているという噂が流れたこともあった。クラスでは委員長を務めていてお人好しな人柄という僕は案外顔が広いようで、一度誰かが囁くとあっという間に多くの人たちからからかわれた。それにはいくらお人好しの僕でも、さすがに裏原相手に付き合ってまではいないだろうという皮肉が込めていたらしかった。その時ばかりは知り合いたちが僕を見て乾いた笑いを浮かべる様子に心底憤慨したが、今ではもう一発拳をぶちかましたいなどとは考えていない。教師数人に取り押さえられるのはもうまっぴらごめんだ。
いつも日向で歩き回る僕と、いつも日陰でしゃがみ込んでいる裏原。
きっと来年再びクラス替えを経ても、先生方の工作によって、また裏原と同じクラスに振り分けられるのだろう。
反対言葉を操る嫌われ者の裏原と、友達という関係をたった一人で続けていくのだ。
そんなことを考えていた高二の初秋だった。
シナリオライター志望の俺が書いてみた【天ノ弱】
このたび天ノ弱をノベライズしてみました。原作が好きすぎる方はご遠慮ください。オリジナリティに溢れた作品に仕上がっております。
とはいえ、今回投稿した分は全体の三十分の一以下です。「天ノ弱を書いてみた」の続編が気になる方は、ぜひニコニコ動画まで。現在part5までうpしております。
ピアプロ様へ、投稿字数6000字以内とは鬼畜ではございませんでしょうか、なんて。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm18638514 part1
http://www.nicovideo.jp/watch/sm18701223 part2
http://www.nicovideo.jp/watch/sm18745835 part3
http://www.nicovideo.jp/watch/sm19053780 part4
http://www.nicovideo.jp/watch/sm19071975 part5
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