「レン、レン、レンだ・・・!レン・・・!」
少女は目に一杯の涙を溜め、俺の顔を、何か生き別れた兄弟にやっと会えたような・・・、そんな顔をして見つめていた。瞼に収まりきれなくなった涙が、少女の美しい瞳から、ぽろぽろとこぼれていく。
どういう事なのだ。・・・この少女は、俺を知っているのか。・・・いや、しかし、俺はこの少女を知らない・・・。知らないはずだ。・・・では何故俺の事を。
そんな事を考えている間に、少女は大粒の涙をながしながら、俺に抱きついてきた。弱々しい、細い体が、ふわり、とまるで空気のように、俺に降ってくる。もう俺は何をどうすべきかわからなくなり、助けを求めるように隣にいた氷山に目を向けた。彼も、よくわからない、というように首を横に振った。俺も首を横に振って彼に返し、また少女に目を落とす。少女は、俺の胸の中で嗚咽を上げていた。
どうすれば良いのだ。頭の中がぐるぐると回り始めた。
「れん・・・れん・・・レンの匂いだ・・・!」
そうしている間にも、少女は涙を流して俺に縋り付いてくる。もうわけがわからない。
「そのお姉ちゃんだったの?知り合いって」
いつの間にかそこにいたユキちゃんが聞いてきた。そんな訳あるか、と首を横に振ろうとし、そこで先程自分が、“知り合いが倒れた”と言った事を思い出し、慌てて首を縦に振りなおした。恐る恐る氷山に目をやると、彼は俺に疑心の目を向けていた
「お、おい、それより、病室に戻らないと・・・」
泣いて縋り付いている少女を引き剥がし、氷山に押し付ける。これ以上関わってはいけない。何故かそんな気がした。そもそも俺のコトを知っている時点で何かがおかしい。どういう事なのだ。
「あ、やだ、レン、レン!」
こっちに来てください、と誘導しようと氷山に押さえつけられた少女は、またも俺に手を伸ばし、暴れてくる。まるで助けを求めるように。俺は呆然と立ち尽くすしかなかった。
「誰か看護師さん呼んでこよっか?」
ばたばたと暴れる少女に、ユキちゃんは小さく怯えながら口を開いた。ユキちゃんの一言に氷山は大きく頷く。そうしている間にも少女は俺に手を伸ばしながら暴れ続けているものだから、氷山は一人で少女を押さえ込むのに随分苦労しているようだった。
「お兄ちゃん、行こ!」
ユキちゃんが俺の袖を引っ張ってくる。呆然としていた俺はハッ、と我に返り、そうだね、とユキちゃんに返してから一歩を踏み出した。少しばかり、不安になって少女に振り返る。
少女は俺をまっすぐに見ていた。
あの大きなガラスの瞳で。
あの青空の瞳で。
少女の周りの世界が、俺の体が、止まった。
「お兄ちゃん、レン兄ちゃん!」
ユキちゃんの声で我に返る。またも呆然としていた。
「はやく、いくよ!」
ユキちゃんに腕を引っ張られ、半ば強引に連れられていく。俺はその間も、少女から目を離すことが出来ずにいた。
何故、こんなにも、こんなにも。
「ミキさん!ミキさん!」
ユキちゃんに引っ張られた先は、ナースステーションであった。
ちょうどこの病院の中央にあるらしく、先程よりも大きな待合室と繋がっている。また、やはり広い場所のため、先程の待合室よりもいくらか明るい。人も、疎らではあったが待合室に集まっていた。
ユキちゃんは俺の左手を強く握り締め引っ張りながら、ナースステーションにその小さな身を一生懸命乗り出して、誰か、ミキという名の人を呼んだ。しかし、誰も反応しない。どうやら皆忙しく、こちらの言葉など聞いていない様子であった。
「どうしよう、皆ばたばたしてるよ・・・」
ユキちゃんが悲しそうにこちらを見た。俺も溜息をつく。あのままでは、あの少女はまた倒れてしまうのではないか。またそんな不安が頭をよぎった。
どうしようか、と顔を下げようとすると、一人の看護婦が、ぱたぱたと音をたてこちらに近寄ってきた。
肩の辺りまで伸ばした緑色の髪に、赤の太ぶち眼鏡。にんまりと笑顔を作ったその顔は、優しそうな、元気そうな印象をもたせる顔であった。
「ごめんね、ちょっと忙しくて。ユキちゃん、どうしたの?」
その女は、俺にもユキちゃんにも笑顔を絶やさずにそう言った。ユキちゃんの知り合いか、とホッ、と安堵する。
「めぐさん!あのね、今あっちでね、女の人が暴れてるの。せんせーが抑えてるから、はやく行ってあげて!」
ユキちゃんが身振り手振りで説明しながら、先程の待合室の方を指差した。めぐさん、そう言われた看護婦は、それを聞くと眉をぴくり、と動かし、真剣な顔つきになった。
「あっちの、どこ?」
「あっちの、自動販売機あるところ!」
「わかったわ。ミキさんと一緒に、すぐ行くから。二人とも、そこに座って待っていて」
そう言うとめぐさんは、走ってどこかへ行ってしまった。元気な方なんだなあ、と、俺は状況に合わずそう思った。
「じゃあ待ってよ、お兄ちゃん」
「あ、うん、そうだね」
ユキちゃんに手を引っ張られるままに近くの椅子に座り、ほう、と溜息をつく。ユキちゃんは、心配だね、と言って熊の縫いぐるみを強く抱きしめていた。俺は、そうだね、と返し、軽く目を閉じた。疲れが一気に出てきた、そんな感じであった。
これから、俺の周りの世界が動き回るコトに、俺はまだ気づいていなかったのだけれど。
--続く--
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