夢の現実へ ~第7話~
ミクと暮らす時間も早1ヵ月が経ち……
予想以上の成長を見せているミクに、技術面では創詩の手ごたえに確かなものを感じさせていた。
後は細かい調整と誰とペアを組んでもこの実力が発揮できるように施していくだけだ。
午前中のレッスンを終え、さてこれからどうしたものかと考えながらの昼食。
「今日はビーフカレーなんですけど……」
「うむ。うまい!」
「本当ですか! 良かった……」
「心配しなくてもミクの料理で不味いと思ったことはないぞ?」
「そ、そう言っていただけると嬉しいんですけど――」
「当初は歌手より料理人になった方がいいんじゃないかと思ったほどだからな」
「ふぇ!? そ、そんな……」
「まぁでも、今は実力も付いてきてる。この調子で行けば、料理より歌でやってけるだろ」
「ほ、本当ですか!?」
「あぁ」
頷き、「俺が保障する」と自信の笑みを浮かべる。実際、技術面ではもうだいぶ形になっているのだ。
「え、えへへ」
恥ずかしそうに微笑み、パックジュースを吸う仕草がこれまた可愛いもんだ。
などと有意義に昼食を過ごしていると、電話が鳴る。
「あ、ミクが行きますよ」
「いや、電話なら俺が出るよ。どうせ俺宛だし」
まぁ、この狙ったかのようなタイミングは間違いなくあいつだろう。
よっ、と立ち上がりリビングを出ると、同時にインターホンが来客の訪れを知らせる。
「なんだ? 今度は来客か?」
はてさてどうしたものか、と考えてると何とはなしに今電話しているのはケイで、何かしらの試供品かミクへの補助機器がタイミングよく送られてきたのではないかと予測。
「ケイさんたちからでしょうか?」
同じ思考にいたったのか、ミクもリビングから顔を出す。
「では、ミクが宅配を受けますね」
「んー、頼むわ」
「はい」
頷き、てとてとと玄関へ向うミク。
最初は果たしてこれはいいのだろうか、と悩んだものだ。一応企業の運命を握っている秘匿の少女。来客などに見せていいものだろうか……
だが1ヵ月も暮らすうちにそこまで箱入りにするとミクの成長にもならないと考え、結果対応できるようにしてしまった。研究所からも黙認されているらしいし、問題ないと現状までの判断だ。
だから俺は5コールは鳴り響いていた受話器を取り、
『創かっ!?』
電話に応対する。やはりケイだった。ということは、
「あぁ。何だ? またミクの補助機器の――」
『創! 今すぐにミクをつれて逃げろっ!!』
突如として受話器越しに響く叫び声に思わず受話器から耳を離す。
「――いきなり大声を出すなよケイ。それに逃げろって……」
『いいから急げ! 今そっちにやつらが――』
「ふぇ!? ちょっと、やめてくださいっ!」
「なっ!?」
今度は玄関先から響くミクの声。俺は思わず受話器を放り出して玄関へと向う。『遅かったか』と言うケイの声に後ろ髪を引かれるが、今はそれどころじゃない。
「いやっ! 放してください!!」
なおも悲鳴のように響くミクの声に、俺は身を躍らせて叫ぶ。
「どうしたミクっ!」
「それが――」
視界に映るのは戸惑いの表情を浮かべるミクと、
「久しぶりだな、創詩。どうやら、相変わらずの生活を送っているそうじゃないか」
「来栖…………」
彼女の腕を握って離さない、2年程前から顔を合わせていなかった友人――来栖叡智だった。
♪ ♪ ♪
「なんで、お前が…………」
「なぜ? それはまた愚かな質問をするものだね。創詩」
「……っ」
思い当たる節などたくさんあるが、今回は間違いなくミクが目的だろう。何せこいつは、ヤマ八研究機関の上層部に所属する男だ。
「口で言わなければわからないなら言ってやろう。我々はVocaloid №02 初音ミクを回収しにきた。さぁ、つれていけ」
「いやですっ! はなしてくださいっ!」
来栖が声をかけると、背後から社員だろう二人組が現れてミクを拘束し、無理矢理彼女を連れて行こうとする。
「創詩さん! 創詩さんっ!」
「やめろっ!」
反射的に拳を握り、ミクを拘束する2人のもとへと駆け寄ろうとするも、
「お前は再び繰り返すのか?」
「っ!?」
来栖の一言で進もうとする体も、助けようとする意思も動きを止める。たった一言で、俺の体を呪縛する。
来栖は俺の状態に満足したのか、「いけ」と一言を述べて2人を後に引かせた。くぐもったミクの声が俺を何度も呼び続けるも、俺は動けず、玄関の扉が閉まることで彼女の声をシャットダウンした。
後に残ったのは未だ動けない俺と、無表情に俺を見据える来栖のみ。
「私としてもこのような手を取りたくはなかったのだがね」
来栖はポケットから煙草を取り出すと火をつけて一服。
「来栖……てめぇ…………回収とはどういうことだ」
「言葉の通りだよ。アレのデビューまで残り1ヵ月を切っている。これ以上悪評の元凶になりえる存在から、わが社の商品を取り戻しにきただけさ」
ふぅー、と紫煙を吐き出し、眼鏡を元の位置に正しながら来栖は続ける。
「ちょっと待て! デビューはあと2カ月先だったはずだ!」
「そこはお前の成果のおかげだな。僅か1ヵ月で此処までの調整を行ったお前の賜物だ。おかげ様で、予定を1ヵ月早めることができた」
「ふざけるな! まだあいつの実力は――」
「それに、そろそろ必要だったろう? 別の音が」
「…………」
確かにその通りだ。今のミクは、俺の演奏で力を発揮できる状態だ。だがデビュー後は俺が演奏するわけではない。他の伴奏者に合わせて歌うことになる。
さまざまな“音――演奏”に対してそろそろ対応する技術が必要だったところだ。タイミングとて、間違っていない。
「アレはわが社の運命を左右する商品だ。元々、お前に仕事がいったのは開発部の連中の暴走。まぁ我々もお前の“腕”は認めている。だがこれ以上泥をつけるような真似をさせるわけにはいかなくてね。急遽回収となったわけだよ。こっちも過去の二の舞をしたくはなかったからね」
「………………」
「アレの成長記録が素晴らしい成果だった。さすがは天才アーティスト創詩、といったところか。おかげでコストも大幅に削減でき、社としてもアレを長く使える商品になったわけだ。感謝するとしよう」
「……確かに、お前の言ってることは正しい」
実際これからのレッスンでは他の伴奏も必要だった。俺が傍にいれば俺に頼ってきてしまうこともあるだろう。
だから俺から切り離して練習をする。間違っちゃいない。
俺は過去に過ちを犯しているし、会社にこれ以上の泥を塗る気もない。俺が蔑まれるのも構わない。
「だがな――」
ズドン、と俺の左拳が怒りにまかせて壁を叩く。
「――あいつを物扱いすんじゃねぇえ!」
壁を叩いた左手が痛んだが、そんな痛みなど吹っ飛ぶほどに怒りが湧き上がっていた。今回の手段にも怒りがわかないでもない。だがそれ以上にこいつの言動――ミクを“物”として扱う言動に怒りが沸点を超えた。
「生まれはどうあれ、ミクは生きてる! だから生の歌を歌えるんだ!」
こいつはいつもそうだ。手腕は認める。だがいつも歌手だろうと奏者であろうと、会社の利益になる“物”としかみない。所詮楽器なのだと、こいつは言う。それがどれほどミクを傷つけることになるか、想像するのも難くない。
「あいつは――」
そんな俺を憐れむように来栖は見据え、
「物だよ」
一言。
「アレは我が社の“物”だよ。金になるかならないかの“物”だ」
「てめぇ……っ!」
ギリギリと奥歯が噛締める負荷に耐えられずに戦慄く。
「大切な金のなる木だ。心配せずとも丁重に扱うさ。価値ある物だからこそ、私が出張ってきているのだ。それぐらい理解しろ創詩。お前も元、我が社の看板商品だったんだからな」
「っ! 俺たちを、物扱いするんじゃねぇっ!」
来栖の胸倉を掴んで痛いほど握っていた拳を振り上げる。腰から肩に、そして肘へと運動エネルギーを伝わらせ全力で、目の前の澄ました男の顔面を殴るために。
「ぐ、ぁっ……」
だがしかし俺の拳は来栖の左手に阻まれ、カウンターで鳩尾に来栖の拳が突き刺さる。そして、
「“俺たち”? 勘違いも甚だしいな創詩。お前とアレでは天と地ほど違うのだよ」
腹を抱えて一歩後ずさる俺に、どこまでも冷たい来栖の視線と言葉が刺さった。
「お前は所詮、重圧に潰され、自分からも沙希からも逃げた――価値のないただの屑だ」
「…………っ」
反論しようと口を開くも、言葉が続かなかった。
「これ以上屑に消費する時間はない、失礼する」と背を向けた来栖を止めることも、できなかった。
フラッシュバックする記憶のなかの笑顔に、俺はただただ立ち尽くすしかなかった。
♪ ♪ ♪
俺は途中だった食事を再開し、使い終えた食器を流しへと運んでささっと洗ってしまう。
「仕事が、なくなっちまったな」
ふぅ、と息をついてリビングへと戻ると、そう言えば受話器を放り出したままだったことを思い出し、電話へと戻す。
ほぼ同時に俺の部屋から携帯電話の着信音が流れる。やれやれ、と思い通話ボタンを押せば、
『創か?』
「その声は、栗原所長ですね」
お相手は栗原所長だった。
『おいおい、私の携帯からかけてるんだ。ディスプレイに名前が表示されただろう?』
「すみません。見ずに通話を押してました。それで、要件はなんですか?」
『…………すまなかったな、創。気分の悪くなる終わり方になってしまって』
「いえ、お気になさらず。今までどおりに戻っただけですから」
そう。ただ戻っただけ。1人で過ごす生活に。
「それよりもミクには俺のことは大丈夫だと伝えてください。唐突だったけでど、俺とのレッスンは終了したって。これからは舞台に立つために、俺のことなど忘れて練習に集中するように、と」
『……わかっている。練習に支障が出ないよう、フォローしておくさ』
「ありがとうございます。本来なら俺がやることなんですが、どうもこれ以上関わるわけにもいかないので」
『…………来栖か』
「はい。あいつならミクを、どんなかたちであれ成功させられるでしょう。俺たちもあいつの実力は身にしみていますので」
『そうか』
「はい。それではまた、何か仕事があれば気軽に呼んでください。当分暇なので。」
『……わかった』
「お願いします。それでは失礼します」
通話終了ボタンを押し、俺はそのままベッドにダイブした。まるで自分自身をリセットするように。
次の日から、俺は今までどおりの生活を送っていた。
ヤマ八研究所からの仕事がなければ、フリーである俺を未だ雇ってくれる方々から仕事を斡旋してもらう。数日経てばヤマ八から再び機器の調節を依頼され、俺はそれに没頭する。今までどおりの生活に。
そんな日常が続く中、夜も更け、そろそろ寝ようかと思った頃に携帯がメールの着信を知らせてきた。
差出人は記憶にないアドレス。今時まだこの手の詐欺をやっている人間がいるのかとも思い、閲覧することなく削除するつもりだったが、件名に「創詩さんへ」と書かれていることに気づき、閲覧することにした。詐欺なら俺の名前など知らずに配信しているはずだからだ。
開くと、メールにはこう書かれていた。
夜遅くにごめんなさい。もしかして寝ているところだったら、ごめんなさい。でも、最近携帯電話を持たせてもらったので、どうしても連絡を差し上げたくてメールしてしまいました。
えーっと、私は元気です。練習環境が変わってしまって、最初は戸惑いましたが、今は元気にやってます。
コーチの方にも褒められたんですよ? これも創詩さんのおかげです。
ですから、その、まだお礼を言えてなかったので、メールで失礼ですけどさせていただきます。
創詩さん、1ヶ月間、私なんかのためにお時間をいただき、ありがとうございました。
創詩さんに鍛えてもらったということに恥じぬよう、精一杯がんばります。
初音ミク
思わず意識が覚醒し、メールの差出人を読み返す。そこにはミクの名前があった。
思わずケイたちが俺を慰めようとしてのいたずらかとも思い、ミクにしかしらないはずの内容でメールを返信する。
数分後にはメールが届き、ミクであることがしっかりと把握できた。そして最後の1文に、「またメールしてもいいですか?」と訊かれ、俺は迷わず「かまわないよ」と送っていた。
それからというもの、事あるごとに俺の携帯にミクからメールが届いた。
本来ならば俺と連絡をとることなど論外なのであろうが、来栖も黙認しているらしい。恐らく、慣れない環境下で練習に身が入るように、とのことだろう。
メールが届く。ただこれだけのことで、現状のミクの状態がうかがえるのだが、俺はこれ以上の関わりはできない。すればまた、俺と同じ運命になりかねない。
彼女は羽ばたける存在だ。ロボットでありながら、人の領域をいくものだ。だから俺はメールにて彼女を励まし続けた。
結果として、栗原所長などを通し、ミクが順調であることを耳にする。そして月日流れ、俺の家に届いた招待状にて、来たるべき日が知らされた。
今日から2日後の17:00。ミクがデビューする舞台、ヤマ八歌唱コンクールの日時を。
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keisei
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