彼女と目が合ったのは、ほんの一瞬だけ。
だが俺には、その一瞬が何十分にも、何時間にも感じられて…やっとの事で目を逸らした。
そんな俺へと、足音がゆっくりと近付いてくる。
来ないでくれと強く思いながらも、はっきりと拒む事はできないまま、隣に南海が立ったの気配を感じ取っていた。


「白瀬君…ちょっとだけ、時間、いい?」


その言葉に頷いてしまったのも、この時の俺が臆病になっていたからだろうか。


「悠」

「いいんだ」


何か言いたげな隼人を遮って、俺は無理に笑ってみせた。




―Drop―
第三話




店の外、軒下で、降り続く雨を2人で見つめる。
通り雨だろうか…夏の暑い空気を踏み荒らすような、激しい雨だ。


「…久しぶりだね」

「そうだな」


緊張しているのは南海も同じなのか、落ち着かないように両手の指を絡めてはほどいて、遊ばせている。
その手を見て、ふと、気が付いた。


「お前…結婚したのか」

「え?あぁ…これね」


自分の左手を見やって、彼女は微かに笑う。
その薬指で光っている指輪は、いつだったか、めーちゃんとカイトが互いに交わしていたものより細くてシンプルで。
飾りではないのは、明らかだった。


「一昨年にね…。もう子供もいるの」

「へえ。早いもんだな。先を越されちまったか。…おめでとう」

「…うん。ありがとう」


ありがとうとは言いつつも、彼女の表情は晴れない。


「…どうした?」


問いかけると、南海の肩がびくりと震えた。
それでも、思い切ったようにぐいと顔を上げて、彼女は俺を見据えると…勢いよく頭を下げた。


「あの…ごめんなさい!私、白瀬君にあんな…!」

「ごめんなさい、って…」


まさか謝られると思っていなくて、面食らう。


「昔の話だろ」

「でも…私が悪いのに、卒業までに何も言えなくて、あれから会えなかったし…ずっと謝りたくて…!」

「もういいって」


何がいいのか、自分でも解らないまま、そう言って苦笑を浮かべる。


「誰が悪いなんて、そんな事、今更言っても仕方ないだろ。…10年も前なんだから。もう終わった事だ、気にすんな」

「でも…。…うん、そうだね。ごめん、思い出させるような事して」

「気にすんなって言っただろ。俺だって、いつまでも昔の事を引きずってない」


嘘だ。
引きずっていないなら、南海に会いたくないだなんて、思ったりしない。


「そっか、子供か…もうそんな歳なんだな」

「白瀬君は…?」

「俺はまだ全然。でもうちの従姉妹よりはマシだな。あいつ、もうすぐ三十路なのにまだ誰とも付き合ってないから」

「…そうなんだ」


冗談のように、馬鹿みたいに明るく言ってやった。
浅ましく、怖いくらいに…いつまで俺は、平気な振りを続けるんだろう。
そんな俺の声にも、南海はどこか沈んだ声で返した。
そしてそのまま、手にしていた傘を開いた。


「帰るのか?せっかくだから飲んでいけばいいのに」

「うん、でも子供がまだ小さいから。本当は、欠席するつもりだったんだけど…どうしても、白瀬君と話しておきたかった」


そのためだけに来たのだと、彼女は微笑する。
その悲しい顔に、俺はまた、苦々しさを覚える。
彼女を責めるつもりはない。だが、酷い奴だな、とは思う。
どうあっても、あの日を嘘にしてくれないのだから。
その赤い傘も、あの日の記憶と一緒に、全部南海だけに持っていてほしかった。
…いや、違う。本当は、こうして俺が見つけてしまう前に、まとめて捨ててほしかったんだ。
それにしても…彼女には、赤い傘が似合う。
そう思ってしまう自分が、嫌になった。


「じゃあね、白瀬君。元気で」

「ああ。…南海」


名を呼ぶと、雨の中に足を踏み出した南海が、足を止める。
振り返った彼女に微笑んで、皮肉でなく、心からの言葉を告げる。


「お幸せに」


俺の初恋はとうに終わっている。
だから今更、彼女が他の男と結婚した事を妬みはしない。
彼女が彼女の幸せを見つけたなら、俺はそれを願うだけだ。
だから…彼女に、泣きそうな顔はしないでほしかった。
ようやく、なんとか南海の幸せを願えそうになれたのに、また彼女を恨むような事には、なりたくない。
…南海には、俺がちゃんと笑えているように見えているだろうか。


「…ありがとう」


雨音にほとんど掻き消されながらも、小さな声が、耳に届いた。
そのまま、今度こそ俺に背を向けて、足早に去っていく。
いつまでもそこにいる事に耐えられなくて、俺は店内に戻り、まっすぐに隼人の元へ向かった。


「悪い、俺、もう帰るよ」

「え、でもまだ来たばかりじゃ…」

「そっか」


わけが解らないと言いたげなカイトの声を遮るように、隼人が短く言った。
強引に肩を組まれたが、彼なりの優しさを感じて、解けきれなかった緊張が消えていくのが解った。


「あいつのせいとは言いたくないけど…どうせなら、悠とは気楽に飲みたいからな。残念だけど、仕方ないか」

「俺も残念だよ。また機会があれば、誘うから」


その会話に、カイトはまだ困惑気味だったが、めーちゃんがあっさりグラスを手放したのを見て、黙り込んだ。
彼女が何かを理解したのかは解らないが、俺がもう、この場で酒を飲む気になれない事は、察してくれたらしい。
本当にめーちゃんは、俺を主と呼ぶにはもったいない。
軽くみんなに言い訳をしながら、俺は2人を連れて店を出て、携帯を取り出した。


「マスター、本当に帰るんですか?」

「いや」


カイトの問いに、俺は即答する。


「せっかくあいつらが楽しんでるのに、その空気を壊したくない」


別に、飲みたくなくなったわけじゃない。
携帯のコール音はすぐに途切れて、聞き慣れた声が響いてきた。


『もしもし~。珍しいね、ハルちゃんがいきなり電話なんて。どうしたの?』

「美憂」


忌々しい呼び名が聞こえてきたが、この際無視して、彼女の名を呼ぶ。


「今、どこにいる?」

『私の家でアキラちゃんとプチ飲み会って、言ってなかったっけ?』

「ああ…悪い、忘れてた。…今から、そっちに行っていいか?」

『…解った。いいよ』


電話から聞こえてくる声は能天気だったが、気遣わしげな響きを伴っていた。
美憂は、今日が俺の同窓会だと知っている。
流石に、何があったかバレてしまったらしい。


「急にすまんって、アキラに伝えといてくれ」

『りょ~かい!じゃ、後でね』


その声を最後に、通話が終了するブツッという音が聞こえた。


「そういう事だ。お前ら、先に帰ってろ。俺は美憂のとこに寄るから」

「…マスター」

「何だ?」


言葉を促すと、少し迷ったように、めーちゃんが口を開いた。


「もし、何かあれば…連絡して下さいね。私たち、起きてますから」

「何かって…。まぁいいか。そうする。でも早めに寝ろよ?」


そう言ってやると、2人そろって苦笑を返された。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります

【自作マスターで】―Drop― 三話目【捏造注意】

長い…!
自分でも思います、これは長い…!
そして悠さんに一言言いたい。
あんた誰だ。←

南海が悠の初恋の相手で、10年前に振られてるのですが…細かい部分はまた後ほど。
悠にとって、嫌な思い出であるのは確かですが←

さて、ちょろっと名前を出しましたが、次回は再び晶さんに友情出演していただきます!
つんばるさん、本当に好き勝手してしまってごめんなさい…!
でも大好きなんです、晶さん。
カッコいいっていうのはあの人の事をいうんだと思います。見習え、悠。
っていうか、悠なんて晶さんにいいように扱われてればいいと思うんだ(酷



今回はところどころに歌詞が入ってますが、飛び飛びですみません…!
モチーフとさせていただいている曲は、こちらです。

『37℃の雨』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4103304

閲覧数:322

投稿日:2009/08/14 20:20:56

文字数:2,914文字

カテゴリ:小説

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  • 桜宮 小春

    桜宮 小春

    ご意見・ご感想

    もごもご犬さん>
    こんにちは~。
    あれ、以前関西芋ぱん伝の小説でお会いしたようなきがするのですが…。

    私自身、悲恋を書くのは初めてなので、切なくなったと言っていただけて嬉しいです!
    これからも頑張っていきます!
    コメントありがとうございました~^^

    2009/08/21 20:32:54

  • もごもご犬

    もごもご犬

    ご意見・ご感想

    こんにちわ&はじめまして!もごもご犬です。
    読んでて切なくなりましたww
    切ないけど恋愛ものは好きです!

    これからもがんばってください♪♪

    2009/08/21 13:52:17

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