昼下がりのリビング。けだるい時間が流れている。
リンとレンは新曲のレコーディングに行っていて、ミクとルカが家に残っていた。
二人は長いソファの左右に座って、ルカはファッション雑誌を、ミクはテレビを見ている。
ミクが全然テレビに集中していないことに、ルカは気付いていた。
視線がときおり自分に向けられるのだ。
ルカは雑誌を読みつつ、しばらくは気付かない振りをしていた。
何か話でもあるの?そう聞こうとしたらミクがテレビを消した。
「…ねえ、ルカ」
やっぱり。
「何?」
ルカは雑誌から目を離さず、紅茶のカップに口をつける。
「…キスしたことある?」
ケホッ、とルカが軽く咳き込む。
「こぼしそうになったじゃない。昼間っから唐突ね」
「教えてよ。あるの?」
ミクは真面目な顔をしている。
「あるわよ」
「誰と?」
「誰とって、生まれてからはないけど、わたしはそういう仕様になってるから、あらかじめメモリーに入ってるの」
ふーん、とミク。
「どうしたの?好きな人でもできた?」
そういうんじゃなくって、といいながらクッションを抱く。
「ほら、キスが出てくる歌って多いじゃない。あたし、したことないから、気持ちが入らないの。シーケンス通り歌ってるだけで…」
なんだ、歌のことか。
天然だけど歌うことに関してはすごく真摯なのよね、この子。
「それは仕方ないんじゃない?シンガーソングライターじゃないんだから、経験したことだけ歌うわけにはいかないでしょ」
ソファの肘掛にあずけていた身体を起こし、ミクを諭す。
「それにあなた、卑猥な歌詞もいっぱい歌ってるでしょ。そういうのはいいの?」
「そんなのは論外だけど、キスくらいは知ってた方がいいのかなって」
生真面目ね、とルカはいった。
中世の画家で『天使は見たことがないから描かない』と宣言したのは、クールベだったっけ?
「キスしてみたいっていったって、相手が要るでしょ」
「そこをルカに相談しようと思って」
「あ、レンにキスしちゃダメよ!」
「あたしショタじゃないし、そんな悪戯みたいなことしません」
青少年保護の観点から慌てて注意したルカに、ミクはさらっと答えた。
「じゃあカイト?」
「生々しいでしょ、勘弁して」
「じゃあ誰がいいの?まさかクリプトン以外?あ、Pさんとか?」
そう言ってミクに向き直ったルカは初めて、彼女が思いつめたように見つめているのに気付いた。
「…なによ?そんな眼で見て…。え?ええ!?わ、わたしなの!?」
激しく動揺するルカ。
「お願い、歌のためと思って協力して」
ミクが手を合わせて拝む。
「どういう思考回路でそんな結論になるの!?あなたのファーストキスでしょ!」
「女同士だし、ノーカウントってことで」
「女同士だからまずいんでしょ!あなたレズっ気あったの!?」
「ないわよ。キスはしたいけど、男はちょっとこわいの…」
ルカが溜息をつく。
「向上心は立派だけどね、ミクは平気なの?わたしで」
「ルカなら全然オッケーだよ。…ルカは、嫌?あたしとキスするの…」
ミクが潤んだ瞳で見つめる。
もう…そんなチワワみたいな眼で見つめないでよね。
「…嫌かっていわれると、別にぜんぜん嫌なことないのよね…。もう、こんなこといっちゃうと断る理由なくなっちゃう」
あきらめ顔のルカ。逆にミクの顔が輝く。
「じゃ、いいよね!ありがと!ルカ、大好き!」
早速とばかりに、ミクが顔をちょっと上向き加減にして目を閉じる。
ルカはくすりと笑い、人差し指でミクのおでこをつついた。
一応緊張して身構えていたミクが、きょとんとした顔で目を開く。
「焦んないで。こういうのって、ムードがあるでしょ」
ルカはミクの両肩に手を置いた。
「…どうする?抱き合ってみようか?恋人同士みたいに…」
肩に置いた手をするりとミクの背に回し、そっと抱き寄せる。
身体が密着すると、ルカは少し力を込めて、ミクをギュッと抱いた。
(…へえ、この子痩せすぎだと思ってたけど、意外に柔らかくて抱き心地いいのね)
余裕でそんな感想をいだいていたルカに対し、突然抱きしめられたミクはびっくりして戸惑っていた。
「…ミク、肩の力、抜いて。深呼吸してごらん」
ミクはゆっくりと深呼吸した。喧嘩してる猫みたいに上がっていた肩が、静かに元の高さに落ち着いていく。
リラックスすると、ルカの女らしい魅惑的な身体を感じる余裕がでてきた。
どうしていいか分からず宙を泳いでいた腕を、おずおずとルカの背に回す。
ミクの身体から緊張が解けてくるのを感じると、ルカは顔を寄せて頬を合わせた。
仔犬がじゃれ合うように頬を擦り合わせながら、耳元でささやく。
「…ミクのほっぺ、すべすべで気持ちいい…ねえ、ミクは、どう?」
「…気持ちいい…抱き合うのって、こんなに気持ちいいんだね…」
ルカの背に回された腕に、ギュッと力がこもる。
(だいぶ気持ちができてきたみたい…そろそろいいかな?)
ルカは身体を覆い被せるようにして、ミクをソファに押し倒した。
今にも唇が触れ合いそうな距離で見つめあう。
眼がとろんとして、普段見たことのない表情のミクは、ルカがドキッとするほど可愛かった。
「…ミク、可愛い…天使っていわれてるだけあるわね。わたし、本気でキスしたくなってきちゃった」
恥かしさでミクの頬が赤く染まる。
「…ルカも、きれい。あたし、ずっと前から、ルカのこときれいだなって思ってたよ…」
「ふふ、ありがと…」
ルカがミクの唇を人差し指でなぞる。
「ぷるぷるね…虜にされそう…」
ルカはそっと唇を重ねた。
初めてのキス。柔らかな感触にミクは陶然となった。
唇から快感が流れ込んでくるようだ。
(可愛い…)
無心で唇に吸い付いてくるミクを、ルカは心から愛おしく思った。
(スイッチ、入っちゃった…)
ルカがミクの唇に舌を這わせる。
ミクはビクッとして薄目を開けたが、すぐに力を抜いて、されるがままになった。
ルカがノックするように舌で唇をつつくと、ミクは少しだけ口を開いた。
すぐにルカの舌が滑り込み、奥に潜んでいたミクの舌に絡みつく。
ミクはわけの分からないまま、快感に任せて夢中で舌を絡めた。
☆
五分も経ってから二人はようやく唇を離した。
ルカの呼吸も荒いが、ミクは百メートル走でも走ってきたように息も絶え絶えだ。
ルカが手の甲で口元の唾液を拭う。
(やりすぎちゃったかな…)
放心状態で寝転んでいるミクを見て、ルカはちょっと反省した。
ようやく正気が戻ってきたミクが、のろのろとソファに身を起こす。
「大丈夫?ミク」
「う、うん。ちょ、ちょっと、想像してたのよりすごすぎて…」
ひとつ大きく深呼吸をする。
「…ねえ、ルカ」
「何?」
「…初めてのキスって、普通こんなに激しいもの?」
思わず我を忘れてしまったのが恥かしくなって、ルカの顔が赤くなった。
「なんか盛り上がっちゃって」
「フレンチキスでよかったのに…」
「ごめんね、ミク。あなた初めてだったのに…嫌だった…?」
「…嫌かっていわれると、全然そんなことないんだけど…」
ミクはついさっきルカがいったような答え方をした。
「…溶けちゃいそうって何百万回も歌ってきたのに、初めて意味が分かった…」
「そう?ミク、わたしも気持ちよかった…」
二人ともなんだか恥ずかしくなって、会話が途切れた。
「…ねえ、ルカ、今してよ」
ミクの方が先に口を開いた。
「え?してって?」
「フレンチキス、今してよ」
ミクが眼を閉じる。
ルカはくすっと笑って、顔を寄せた。
二人は小鳥のようなキスをした。
☆
玄関のドアを開ける音がして、二人は慌てて左右に散った。
リンとレンが帰ってきたようだ。
「ただいまー」×2
バッグを抱えてリビングに入ってくるリンとレン。
「お、お帰りなさい」×2
リンが怪訝そうな顔で二人を見る。
やんちゃなレンと違い、リンはやたら勘の鋭い子で、場の空気を敏感に読み取る。
「…何してたの?テレビもつけないで」
「ミクと話してたの、ライブのこととか、ね?」
ミクがうんうんと首を振って頷く。
「ミク姉?寝てたの?」
「え?何で?」
「よだれの跡が…」
え、ウソ、といってミクは洗面所へかけて行った。
ルカは思わず手を口元にやりそうになったのをグッとこらえた。
さっき手の甲で拭ったから、わたしによだれは付いていないはずだ。
リンの視線があらゆる物を素早くチェックする。
ルカの着衣の乱れ、ソファのしわ、飲み残しの紅茶…。
ルカは素知らぬふりをしていたが、ミステリー小説の犯人になったような気持ちだった。
結局リンは何もいわず自分の部屋に行った。
戸が閉まる音が聞こえてから、ルカは大きな溜息をついた。
☆
一ヵ月後。
ミクたち四人は、レッスンルームに集まっていた。
仕事のない日は歌のレッスンを欠かさない。
リンが新曲に苦戦しているようだ。
「何かノレないのよね。難しい曲でもないのに、何でだろ?」
ミクがシーケンスファイルをチェックする。
「リンには難しい曲じゃないはずだけどね」
「でしょ」
「となるとやっぱり歌詞かなあ」
「あ、あたしの苦手な発音バカにする気だ」
リンがふくれっ面になる。
負けず嫌いなリンは、持ち歌の数やキャラクターグッズの売り上げで大きく水をあけられているミクに、強い対抗心を持っている。
「そんなんじゃなくて、初キッスの歌なのに、リンがしたことないからじゃないの?」
(あ、バカ) ルカが右手で顔を覆う。
リンが明らかにカチンときた顔をした。
「ミク姉だってないでしょ!」
「……」
「…何?今の沈黙?ミク姉、キスしたことあるの!?」
前述のとおり、リンは勘が鋭い。
「いや、ないない、ないってば」
「ウソ!ミク姉がウソつくときの癖が出てる!」
「え、そうなの?もう、教えてよ、その癖っての!」
実はそんな癖はないのだが、ミクはいつもこの手でウソを見破られている。
「ミク姉アイドルなんだから!週刊誌にでも撮られたどうすんのよ!もう!いったい誰としたの!?」
ミクが助けを求めるようにチラッとルカを見る。
ルカはそっぽを向いて犬を追い払うようにシッ、シッ、と手を振った。
「…ルカと」
仕方なくミクが白状すると、リンの背後にピシャーンと稲妻が落ちた。
リンはミクに対抗意識を燃やしているが、ルカには甘えている。
プライドが高くいつも気を張っているリンは、ルカを心のよりどころにしているのだ。
「ルカ姉!ホントなの!?」
「そうなんだけど、歌のためよ。ミクがどんな感じかどうしても知りたいっていうから…」
「あっ!あたしとレンがレコーディング行ってたときだ!」
「どうしてあなたはそう勘が鋭いの…大したことないのよ、ちょっとチュッってしただけだから」
ルカがなだめるが、リンは顔が真っ赤になって頭から湯気が出ている。
「そうそう、リンはまだ幼いんだから、キスなんか知らなくていいの」
ミクのこの言葉で導火線に火が付いた。
「も~!!バカにして~!あ、あたしも、ルカ姉と、キ、キスするもん!!」
レンはリンの頭が爆発するのが見えたような気がした。
「ミク姉もレンも出てって!!」
背中を押して二人をレッスンルームから追い出すと、家が揺れるような勢いでドアを閉める。
ミクが開けようとしたが、すでに鍵が掛けられていた。
「リン、開けなさい、早やまらないで」
ドアをノックしても反応がない。
「もう、リンったら。…まいっか。ルカがうまく収めるでしょ」
「ミク姉、マジ?今の話」
レンが変な目でミクを見ている。
「ホントだけど…何?レンまでキスしたいなんていうんじゃないでしょうね?」
「ボクは自分で相手見つけるから、いい」
レンはあまり興味がないようで、さっさとテレビの方へ行ってゲームを始めた。
色気づくのはまだ先のようだ。
☆
五分が過ぎ、十分が過ぎたが、リンとルカはまだレッスンルームから出てこない。
「…遅いわね…まさかルカ…」
「ルカ姉が変なことしないでしょ」
十五分が過ぎた。
「…どうしよう、リンがオオカミに食べられちゃう」
ミクがそわそわする。
「オオカミに食べられるって、仮にキスしたって、ちょっとチュッとするだけでしょ?」
「……」
「ミク姉?何、今の沈黙?」
二十分が過ぎた。
鍵を開ける音がしたので、ミクはレッスンルームに飛んでいった。
ルカに続いてリンが出てきた。
ルカはいつもどおりだが、リンの頬が上気してほんのり赤い。
「…したの?」
ミクが心配そうに聞く。
「大事にとっとくんだって」
ルカがリンの頭を優しく撫でる。
ミクは安堵の溜息をついた。
「よかった~。いい子ね、リン」
ミクもリンの頭を撫でる。
リンは赤い顔のまま、拗ねたように横を向いている。
「ホントよかった。あんなキスされたら、リンのトラウマになるんじゃないかと…」
いってしまってから、ミクはハッと口を押さえた。
ルカが天を仰いで十字を切る。
リンの頭上に真っ黒い雷雲が渦を巻き、巨大ないかづちがドドーンと落ちる。
「あんなキスって、どんなキスよー!!!」
おわり
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ブクマつながり
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ご意見・ご感想
日枝学
ご意見・ご感想
短い中にちゃんと話がまとまっていて面白かったです! 「おいおいおいちょっと待ってくれ」みたいな感じで次を読みたくなる展開から、最終的なオチへ上手く展開がされていますね。オチもちゃんと落ちているし、良かったです! いやあ失言って怖いものですね(笑
執筆お疲れさまでした!
2011/07/16 03:22:12
ピーナッツ
日枝学さま
ご感想ありがとうございます!
「メッセージのお返し」でお返し先のチェックボックスを
チェックしないといけないのを知らなくて、
返信が遅くなってしまいました。申し訳ございません。
初投稿で初感想…嬉しすぎ…(感涙)
「面白かった」とのお言葉、感無量です。
書くときは読者を飽きさせないように気をつけていますので、
「次を読みたくなる展開」という評価もたいへん嬉しいです。
次回作も読んでいただけるよう頑張ります。
ありがとうございました!
2011/07/17 00:42:47