メイコがマンションに帰ると、ピアノの音が部屋の中に満ちていた。
超絶技巧の音の洪水。ただの騒音になってしまう境目ぎりぎりいっぱいまで施された装飾音。正確なリズム、正しい位置に収まった音階。正確無比な、ただそれだけのピアノの音。
そっとピアノが置かれた部屋を覗くと、大きなグランドピアノと対照的な小さな体のマスターが、相変わらず淡々とした表情でピアノを弾いていた。
濁らない和音、糸が張り詰めるような音の連なり、楽譜通りの、それ以上でも以下でもない、演奏。
思う事は沢山ある。言いたい言葉は胸の内に膨れ上がっている。
けれど、それを言わなくても、このままなんとなく過ごす事は出来る。楽しく日々を重ねる事が出来る。ささやかな幸せだって感じられる。
映画を借りて一緒にソファに並んで座ってみたり。ちょっと贅沢な美味しいものを食べに出かけたり。洋服や雑貨のあれこれについておしゃべりをしたり。
けれど、けれど。
マスターが、自分を信じてくれるならば。自分は間違った事を言うかもしれない。それでも受け入れてくれるならば。
かたん、とメイコが立てた物音に、ふとマスターが手を止めて振り返った。
「遅かったわね、また図書館に行っていたの?」
子供らしくない、落ち着いた口調でそう問い掛けてきたマスターに、メイコはそうです。と頷いた。
よっぽど気に行ったのね、と笑って。再び鍵盤に向き直ったマスターに、あの、とメイコは声をかけた。
「何?」
再びメイコに向き直り、マスターは首を傾げた。じっと、全てを見透かすような眼差し。年齢にそぐわないほど大人びたマスターのなかで、子供らしさを残した真っ直ぐな眼差しがメイコに向けられた。
マスターなしではボーカロイドは歌を歌う事が出来ない。マスターを失う事を考えるだけで、恐ろしくてしかたがない。原始的な恐怖がメイコを覆った。
独りよがりな思いかもしれない。あのカイトと來果のようにお互いに通じ合う事の方が珍しいのだと分かっている。このまま何も言わなければ、そうすれば穏やかな日々はきっといつまでも続く。
けれど、それでも。マスターが受け入れてくれるならば。
「マスター、もっと自分の思う通りに弾いてください」
微かに震える声でメイコは言った。
思う通りに、我が儘の音を奏でて欲しい。音を楽しむ事を知ってほしい。自分の好きなように、自分が奏でたい音を弾いて欲しい。結果、弾きたいものが無いと知ったとしても、嫌になってマスターがピアノを弾く事をやめてしまっても、それでも良いから。
技巧なんかいらない。正しい音なんかどこにもない。ただ音を感じる事を知ってほしい。
告げたメイコの言葉に、す、とマスターの眼差しが鋭くなった。
「つまり、この演奏はメイコの好みではない。ということね」
ため息まじりにそう言って、皮肉を含んだ笑みをメイコに向けてきた。
「前向きで明るくて、子供らしい無邪気な音色で弾いてあげましょうか?それともゆらゆらと揺れるような情緒不安定な音?」
そう言って、す、とその指を鍵盤の上で滑らせるように動かした。瞬間、奏でられる明るく弾む様なポップな色彩の音色。
これでどう?とでも言うような、その造り物の音にメイコは首を横に振った。ボーカロイドを舐めてもらっては困る。本音の音なのか偽りの音かの判別くらいできる。
「私が気にいるとか、気に入らないとかいう問題じゃないです」
言葉を紡ぐうちにメイコが感情が高ぶって行くのを感じた。ずっとこの家に来てから思っていた事がふつふつとひとつずつ膨れ上がってくっついて、そしてさらに成長していくような感じがした。
「マスター自身が楽しんでいるか楽しんでいないかが、問題なんです。私は、マスターに好きなように弾いて欲しいんです」
「私にとってはどうでもいいことだわ」
メイコの感情的な言葉を、マスターは年齢にそぐわない大人びた口調できっぱりとはね付けた。
「私が楽しかろうと、楽しくなかろうとどうでもいいことよ。聴く側が欲しいものを演奏する。それで十分」
そう言って、マスターは、ああ。と何かに気が付いたように声を上げて、にっこりとほほ笑んだ。
一瞬だけ無邪気なその笑顔だけが年相応に見える。
「メイコは音楽を楽しんでいるような音が聴きたいのね。なら、今度からそういう音を弾くようにしてあげるわね」
無邪気な微笑みと共に紡がれた、その表情と正反対の言葉に、メイコは肌が粟立った。大きすぎる感情は上手く輪郭をつかむ事が出来ない。けれどこの感情は、きっと怒り。
「そんな風に、演奏されてもすぐに分かります」
高ぶった感情を露わに大声でそう叫ぶ。メイコのその怒鳴り声に、マスターは微かに眉を顰めて、大声を出さなくても聞こえるわよ。と言った。
「感情的になる人は嫌いよ」
そう言ってつんとそっぽを向いて、マスターはそう言った。その言葉に思わずごめんなさい。と謝りながら、でも。とメイコは再び口を開いた。
「そういうことじゃないんです。そうじゃなくて。マスターはピアノ、弾いていて楽しいですか?」
メイコの言葉に、マスターは再びため息を、ひとつ落とした。
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