俺は電車を乗り継いで、初音さんの家に向かった。前に来たから道は憶えている。インターホンを押すと、クオが出てきた。
「レン……どうしたんだその顔」
途中で確認したが、殴られたところは腫れていた。当分目立つだろうなあ、これ。
「初音さんは?」
「奥にいるぜ、入れよ」
クオに言われるまま、奥の部屋に入る。遊園地に行った時、待ち合わせをした部屋だ。初音さんはその部屋のソファに座っていたが、俺を見ると驚いて立ち上がった。
「鏡音君、その顔どうしたの?」
さてと、どう説明したもんか……。初音さんは俺に座るように促し、それからお手伝いさんに、氷と救急用品を持ってくるように頼んでいる。……なんか、世話をかけちゃったな。
氷が来たので、それでとりあえず腫れた顔を冷やす。クオと初音さんが何か言いたげにこっちを見ているので、俺は話をすることにした。
「今日、リンとデートしに行ったら、何故か待ち合わせ場所にリンのお父さんが来たんだ」
俺がそう言うと、初音さんの顔から血の気が引いた。クオはリンの家庭の事情を知らないのか、きょとんとしている。
「そんな……じゃあ、鏡音君、もしかしてそれ……」
「リンのお父さんにやられた」
初音さんは硬直してしまった。クオはそんな初音さんを見て、首を傾げている。
「……リンちゃんは?」
「無理矢理連れて行かれた。多分、自宅だと思うけど」
今頃どんな気持ちでいるのか、何を言われているのか、それを想像しただけで辛くなってくる。
「何がどうなっているんだ?」
クオが訊いてきた。俺は初音さんを見る。
「初音さん、クオにはリンの家のことは」
「……話してないわ」
あ、やっぱりそうなのか。……確かに気軽にできる話じゃないもんな。俺はクオを見た。
「おいお前ら、自分たちだけで納得してないで、ちゃんと説明しろ」
クオがまた割って入った。うーん……これ、リンのプライバシーだしなあ。
「なあクオ、悪いけど……」
「外してくれなんて言ったらぶっとばす」
……クオは、梃子でも動かなそうだった。参ったなあ……思わず、ため息が出る。どうしたもんか……。
少し考えた末、俺はクオにも事情を説明することにした。
「わかった、説明する。でも他の奴には話すなよ」
クオが頷いたのを確認すると、俺は話し始めた。
「リンのお父さん、なんていうかものすごく厳しいんだよ。だからリンは漫画もアニメも見せてもらえないし、ゲーセンとかカラオケとか、普通の高校生が遊んでるような場所も全部出入り禁止なんだ。で、それだけ厳しい父親だから、当然交友関係もそうで、異性と関わるのは禁止。彼氏を作るなんてもっての他。だから俺たち、リンの親には隠れてつきあってたんだよ」
クオは呆然とした表情になった。ま、そりゃ、驚くよな。それから今度は、怒った表情になって、初音さんを見る。
「おいミク、お前、何考えてんだ」
「……え?」
「巡音さんのことだよ。彼氏作るのは禁止されてるって、知ってたんだろ? だったらなんであんな真似したんだ?」
あんな真似……? 何のことだ? ……俺たちがつきあうって言い出した時、止めずに祝福してくれたことだろうか。……それぐらい別にいいだろ。初音さんが祝福してくれて、リンだってほっとしていたんだし。
「お前のせいだぞ、レンが殴られたのは!」
俺がリンと初音さんのことについて考えていると、クオは不意に初音さんを怒鳴った。おいおい、お前が怒ることないだろ。殴られたのは俺だぞ。
初音さんは震えだすと、盛大に泣き出してしまった。……まずいぞ、俺は初音さんを泣かしに来たんじゃないんだ。
「ミク、泣いてないでなんか言え!」
クオが怒鳴る。俺はクオを止めようとしたが、それより前に初音さんが悲痛な声で叫んだ。
「だって……だって……耐えられなかったんだもの! リンちゃんがどんどん、萎れた花みたいになっていくの!」
初音さんはそこで言葉を切ると、テーブルの上のティッシュケースからティッシュを一枚抜いて、目を拭った。
「クオ、前にリンちゃんのこと、暗いって言ったわよね?」
「確かに言ったが……それが何だ?」
「……わたしが知り合ったばかりの頃のリンちゃんは、あんなじゃなかったの。明るくていつもにこにこしてて、すごく人懐っこかった。当時のわたしは人見知りがひどくて、でも、リンちゃんと仲良くなったら、人前に出るのも気にならなくなった」
幼稚園の頃からのつきあいだって、言ってたよな。……今と全然逆だ。
「でも、小学校に入った辺りから、リンちゃん、笑わなくなっていったの。……多分、お父さんが厳しすぎたせいだと思う。リンちゃんのお父さん、わたしがリンちゃんに漫画を貸しただけで、わたしの家に苦情の電話をかけたりしたし」
その話はリンから聞いた。ひたすら苦情を言っていたとか。俺からすると、リンのお父さんはおかしいとしか思えないが。
「初音さん、リンはその時のこと、すごく気にしてたけど……」
「リンちゃんが気にする必要なんてなかったのよ。だって、わたしのお父さん、リンちゃんのお父さんの応対を全部自分一人でやって、当時のわたしに何も言わなかったもの。ただ『漫画を貸してあげたのは、リンちゃんを喜ばせたかったからだろう? 友達を喜ばせてあげたいって思う、ミクのそんなところがお父さんは大好きだよ。ただ、向こうのおうちには向こうのルールがあるから、漫画は家の中だけで見せてあげなさい』って言っただけで。でも、リンちゃん、あれ以来、わたしがどんなに薦めても、漫画に触ろうとしなかったわ」
初音さんのお父さんって……。だからお見舞いに行く時「何かあったらお父さんに撃退してもらう」って言ったのか。
「小学校二年生の春休みに、リンちゃんがすごく暗い顔してたの。聞いたら、リンちゃんのお父さんが、リンちゃんの大事にしていたぬいぐるみや絵本を全部捨ててしまったんだって。わたしの部屋のぬいぐるみ、羨ましそうにずっと見てた」
なんか、その様子が頭に浮かぶな。……あ、だから、俺がぬいぐるみをあげた時、リンはあんな表情してたのか。
あのぬいぐるみ……無事だろうか。あれが捨てられたりしたら、リンはまた落ち込むだろう。
「それからリンちゃんは年々元気が無くなって、いつもお父さんの目ばかり気にするようになっていったの。お父さんが怒鳴ってばかりいるから、ちょっとでも誰かが声を荒げるとびくついて怯えて。高校生になった頃には、リンちゃんはほとんど無表情になってた。わたし、リンちゃんに前みたいに笑ってほしかったの。でも、何やっても上手くいかなかった。きっと……わたしじゃ力が足りなかったのよ」
……初音さんは「力が足りなかった」って言ったけど、リンは初音さんがいてくれて、随分救われていたはずだ。
「……鏡音君がリンちゃんと話をしているのを見た時、予感がしたの。鏡音君なら、リンちゃんのこと、前みたいに笑顔にできるんじゃないかって。リンちゃんが男の子と話をするなんて、なかったから。わたし、とにかく、リンちゃんに元気になってほしかった」
「あ……ミク、悪かった。怒鳴ったりして。お前がそこまで、友達のこと心配してたとは……」
すまなそうな声で、クオがそう言った。さすがに気が咎め出したらしい。クオが初音さんの頭を撫でると、初音さんはクオにしがみついて、ひとしきり泣きじゃくった。
俺は椅子に座ったまま、初音さんが落ち着くのを待った。やがて、初音さんが泣き止む。
「初音さん、落ち着いた?」
「……ええ。ごめんなさい、取り乱しちゃったわ。ちょっと待ってて、顔洗ってくるから」
初音さんは部屋を出て行った。しばらくして、戻ってくる。ジュースの入ったコップの乗ったお盆を持ったお手伝いさんが一緒にいた。……あれだけ泣けば、喉も渇くよな。
初音さんがジュースを薦めてくれたので、一口飲んでから、俺は話を続けた。
「俺は別に、初音さんに苦情を言いに来たわけじゃないんだ。ただ、リンと連絡が取れないかと思ったんだよ。とにかくリンのことが気がかりで……」
俺が電話したところで、取り次いでもらえないだろう。でも、初音さんなら大丈夫かもしれない。
「わかったわ」
初音さんは携帯を取り出すと、短縮ボタンを押した。しばらく携帯に耳を当てていたが、やがて首を横に振る。
「やっぱり携帯には出ないわ。自宅の方にかけてみる」
……多分、取り上げられたんだろうなあ。俺はリンの気持ちを想像して、やるせない気分になった。
初音さんは、別のボタンを押した。今度は誰かが出たらしい。
「もしもし、こちらは初音ミクです。リンちゃんはいますか?」
そこで、初音さんはしばらく言葉を切った。やがて、また話し出す。
「あ、おばさん、お久しぶりです。ええ、リンちゃんに用があって携帯にかけたんですけど、電源入ってないみたいで……リンちゃんはいます? 学校の課題のことで訊きたいことが……ええ、はい、はい……」
おばさんってことは、今電話で喋ってるのはリンのお母さんか。初音さんは、そのまま電話で話を始めた。
「そうですか……わかりました。それじゃ、わたしがお大事にって言っておいたって、伝えてください。お願いしますね」
やがて、初音さんが電話を切った。携帯をテーブルの上に置いて、ため息をつく。
「今の、リンのお母さん?」
「ええ。リンちゃんは熱を出して寝込んでいる、インフルエンザかもって言われたわ」
……嘘だ。リンが元気なのはよくわかってる。さっきまで一緒にいたんだから。相手が初音さんでも、電話口に出したくないのか。
「ごめんなさい、あまり役に立てなくて」
「いや……いいよ。駄目元だったし。こっちこそ手間かけてごめん」
インフルエンザかもって言ったってことは、予防線かもな……。明日、おそらくリンは学校に来ないだろう。
一体どうすればいいんだ? どうすれば、リンと話せる? というか、リンは無事なのか? 殴られたりとかはしてないと思いたいが、あのお父さんはすごい剣幕だった。それに暴力は振るわないにしても、あの調子であれこれ責め立てられたら、リンは思いつめて、発作的に手首でも切ってしまうかもしれない。
どこにも行くなよ……俺は、声に出さずにそう呟いた。きっと、なんとかするから。方法はわからないけど。
アナザー:ロミオとシンデレラ 第五十九話【アモール・プロイビード】後編
これを書くきっかけになったPVでは、レンはリンの家を訪ねて殴られているんですが、話の都合上、自宅を訪ねるのには無理があったため、こういう形にしてしまいました。
近況:新しいPC買ったんですが……。
画面が見慣れない(OSが変わったため)
キーボードが打ちづらい。
っていうかOS使いづらい。
慣れるまで当分かかりそうです。PC新しくするといつもこうなんだよな……。
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ご意見・ご感想
マナ花
ご意見・ご感想
こんばんわ、以前コメントさせていただいたマナ花です。
あれ以来コメントすることがなかったですが、ずっと読ませていただいてました。
ありがとうございます。
で、今回の話なのですが、
読んでてすっっっっごくドキドキしました!!
とくにリンがお父さんに反抗した所は、
「よく言った!」と呟いてしまいました(笑)
相変わらずお父さんの酷さにはイライラしてしまいますね。。矛盾点が多いっ!
でもそこが、作品としては面白いわけなんですよね((ハラハラ…
頑張れレン><!
次回も楽しみにしています!
2012/04/02 00:08:10
目白皐月
こんにちは、マナ花さん。メッセージありがとうございます。
はい、リンもとうとう辛抱しきれなくなりました。
お父さんに関しては、読む側に「この人言っていることめちゃくちゃ」と思ってほしいので、ああいう台詞を言わせています。
とはいえ、書きながら「『クズな女』って言っているけど、そのクズを選んで結婚したのどこの誰」と、私でも突っ込んでしまいましたが。
まだしばらく続きますので、待っていてくださいね。
2012/04/02 23:06:01
初花
ご意見・ご感想
こんにちは。rukiaです。
ミクの二人をくっつける作戦にこんな深い事情があったとは…!
と言うか、ミクは昔人見知りだったんですね。想像できない…。
書きたい事を全て、モモコさんに書かれてしまいました。
2012/04/01 12:25:29
目白皐月
こんにちは、rukiaさん。メッセージありがとうございます。
複数のページにコメントをいただきましたが、こちらに一括してお返事させていただきますね。
アカイ君とマイコ先生に関しては、そのうち外伝でまた補填します。彼はカイトとは逆で押しが強いのですが、一方で世の中を非常に単純なものと捉えているところがあったりします。
リンのお父さんに関しては、モモコさんへのレスでも書きましたが、まともとは言いがたい人(さすがにこの人をまともだと思う読者はいないと思いたいです)なんですよね。十代の娘が彼氏を作れば父親は複雑でしょうが、この人の場合はそんな生やさしいものじゃないわけです。
自分で書いていてつくづくひどい父親だなと思いました。
2012/04/01 23:08:18
モモコ
ご意見・ご感想
こんばんは。モモコです。
今回…話がかなり動きましたね。
リンのお父さん、ひどいですね…。レンくんを殴るだなんて!!
それに、リンちゃんを部屋に閉じ込めるなんて…!
ミクちゃん…友達想いですね。こんな友達が欲しいですw
ミクが2人をくっつけようとしてたのはこんな想いがあったからだなんて…!
もっと軽い気持ちと思っていました…。ごめん、ミクちゃん…。
ところで、もうすぐ終わりですよね…?
リンちゃん、レンくんが助けに行ってくれるから!待っているんだよ!
ということで、続き楽しみにしています!
失礼しました。
2012/03/31 20:35:55
目白皐月
こんにちは、モモコさん。メッセージありがとうございます。
リンのお父さんに関しては、もともとまともな人じゃないですからねえ……。ちゃんと話の通じる人だったら、リンもここまでおびえないですし、ミクやミクのお父さんまで「何なんだろう、あの人は」な反応になることもないですし。
書いている私としても、ここまでやったらもう通報してもいいような気もします。
一応予定としてはここからクライマックスにいく予定ですが、たぶんそれまでにまた結構話数を消費すると思います。とはいえもう六十話以上書いてきたわけですから「終わりが見えた」でも間違ってはいないのですが。
ちなみに、リンはまだ高校生なので、助けるといってもそう簡単にはいきません。連れ出すにしても、下手するとかくまった先が刑事罰に問われてしまいますので。
次回はクオとミクのパートの予定です。
2012/04/01 23:05:49