「ほら」

 ミク姉に促されて、少女は僕の家に入ってきた。
 ばつが悪そうにそっぽを向いている様子は、まるで子供のようだ。実際、まだ大した年齢ではないけれど。

「おかえり」

 僕が微笑むと、少女は怒ったような顔をして、でも何も言わなかった。
 少女の唇だけが動く。きっと、ただいま、と言ったのだろう。

 ミク姉が帰った後、長い沈黙が二人の間に降りた。別に僕はそれを何とも思わなかったけれど、少女がどうだったのかは分からない。

「腕」

 少女が、ふと呟いた。

「……どう、だった?」

 僕は自分の腕を見る。自分の魔法の残骸に傷つけられて、まだ痛むけれど、血はとまった。

「大丈夫だよ、このくらい。痕は残るかもしれないけど」

「……そう」

 どうやらこの少女は、傷に敏感なようだった。それも、僕の傷に対しては、特に。それが何故かは、分からない。

「別に、倒れたのはどうでもいいんだけど」

 少女は、何故かそう付け加える。どうでもいいってどういうことだ。

「でも、傷は……治らないから。傷のせいで倒れたんじゃなくて、よかった」

 少女なりに心配してくれたということだろうけど、何を言ってるのかよく分からない。

 確かに、治らない傷もあるだろう。
 だけど、僕が「痕は残るかもしれない」と言ったことには無反応だった。つまり、彼女が言いたい「治らない傷」は、痕のことではない。
 では、塞がらない傷のことだろうか。
 それとも、もっと他の何か?
 精神的な傷のことではないはずだ。彼女は僕に対して言いたい放題だから。

「僕の傷のことは心配してくれるんだね」

「別に心配なんて、」

 反論しようとした少女を制して、僕は続けた。

「自分のことはどうでもいいのに、僕のことは心配なの?」

 命拾いして何になるの? 街で、彼女はそう言った。自分の命すらどうでもいいのだと。
 そのくせ、僕の傷ひとつであんなに取り乱すなんて。

 僕は、目の前の少女を哀れんだ。それがどんなに失礼なことだとしても、悲しい人だと思った。

「だって……違うから」

 違う。前にも聞いたな。
 確か、僕のことを名前で呼んでくれない理由も、「違うから」だった。
 あのとき彼女は、あんたのことなんか認めない、とも言った。

「違うって、何が」

「何もかもだよ。根本的に違う。あたしとあんたは違う。あんたとあんたも違う。この世界も違う」

 僕は首を傾げる。

「世界が違う?」

 一体、何を言いたいのだろう。この少女は、一体どこから来て、どこへ行こうとしているのだろう。どうして僕らは出逢ったのだろう。

「どうでもいいでしょ、どうせ全部違うんだから!」

 少女はそう叫んで、会話を終わらせようとした。元々、会話と呼べるようなものは、僕らの間で成立していなかったのかもしれない。

「……ねぇ、僕は君のことを何も知らないけど」

 君の傷に触れたいわけじゃない。君をいやせると思っているわけでもない。
 でも、今にも壊れそうな君を、どうしても守りたいと思っているよ。
 その理由も分からないけれど、それでも、僕はただ。

「君が僕のことをどのくらい知っているかも、分からないけど」

 僕らは違う。それは、僕も感じている。でも、君が僕に対して感じているほどではないと思う。
 だから、僕の方から手を伸ばすよ。

「でも、僕らがどんなに遠くても、違っても、今ここにいて、同じものを見ているだろう? それだけじゃ、駄目なのかな」

 その程度のつながりでは、君の心には何も届かない? この声は、どんな色で君の耳に届いている?

 長い沈黙の後に、少女は呟くように答えた。

「違うよ」

 悲痛な声だった。同じであることを、望んでいるように聞こえた。

「同じものなんて、見てないよ」

 少女は、僕をまっすぐに見た。
 もしかしたら、彼女が僕に怒り以外の視線をまっすぐに向けたのは、初めてだったかもしれない。

「あたしは今、ここにはいないよ」

 昔も、そして、これからも。ずっと、この世界にあたしはいないよ。心も身体も、ここにはないよ。

 少女の独白を、僕は黙って聞いていた。それが何か、神聖な告白のように聞こえた。そして、その独白が終わったとき、彼女が消えてしまうような気がした。

「ねぇ、生きて何になるの。生きた証なんて、悲しみと迷惑しか残せないよ。それ以外を残せる人間なんてどこにもいないよ。神様は勝手で、別れるために出逢わせるんだ。世界は神様の箱庭で、神様には逆らえなくて……そのくせ、倫理だの道徳だの説いて偉そうな顔して、馬鹿みたいだよ」

 生きた証。

 僕は、ずっとつくってきた魔法を思い出した。
 この村を守れるもの。僕がいなくなったとしても、村を守り続けるもの。
 それをつくりながら、僕はどこかで、自分の死後を思っていた。残せるものなんて魔法くらいだから、せめてこれだけは完成させよう、と。

 きっと、彼女にとっては、それらもひっくるめてすべて「悲しみと迷惑」なのだろう。
 そう言われると、反論出来ない気もする。
 これまで生かしてくれたこの村に、自分の死を思いながらつくったものを残す。それは、許されないことだったのかもしれない。
 でも、それでも、皆には笑って生きてほしいと思った。それは勝手なことかもしれないが、許されないことではないと思う。

「……僕は、神様がどんなことを考えていても、どんな運命が待っていても、そのときまで生きたいと思うよ」

 少女は、涙を流しながら、僕の言葉を聞いていた。その瞳は、僕だけを見ている。僕と似た「誰か」ではなく、僕の言葉を聞いている。

「君が言うように、僕が残せるのは悲しみと迷惑だけかもしれない。でも、泣かれても罵られても、精いっぱい生きたいよ」

 生きる意味なんて、知らない。
 ただ、この場所は居心地がよくて、この村は優しくて……君が愛おしいから、僕はもう少し生きていたい。
 世界のすべてがどんなに残酷に微笑んだとしても、今はまだ生きていたい。

「僕はこの世界が好きだよ。世界が神様の箱庭だったとしても、僕はこの世界に生まれてきてよかったと思う。君は、そう思えないの?」

 少女は答えない。震える唇が開きかけて、でも嗚咽を呑みこむように閉じられた。

「君には、大切な人はいないの?」

 僕にはいるよ、とは言わなかった。きっと、その言葉は届かない。

 少女は、顔を手のひらで覆って、僕に背を向けた。
 そして、しゃくりあげながら、答える。

「いたよ。でも、いないの」
 いないの。別れるために出逢ったの。いないから、生きていたって意味ないよ。

 そう、彼女はうわごとのように繰り返す。

 残されたのは悲しみと迷惑だけだった、そう少女は思っているのだろうか。本当に?

 僕に向けた表情のすべてを、その消えてしまった「誰か」に与えられたのだとしたら。彼女はきっと、その「誰か」のことを。

 胸がちくりと痛んだ。でも、それには気付かぬふりをして、彼女を抱きよせた。彼女は泣きながら、僕の胸に顔をうずめた。

「勝手なこと言わないでよ……運命まで生きるんじゃ、意味ないよ。運命くらい変えてみせてよ、お願いだから……」
 目を覚まして。

 彼女は、そう言った。「誰か」に、そう言った。

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【小説】wor L d's end 09

久々の小説更新。

閲覧数:330

投稿日:2010/03/24 17:50:41

文字数:3,045文字

カテゴリ:小説

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