悪食娘コンチータ 第三章 暴食の末路(パート3)
「大体、貴方が言っていた、ヴァンヌとやらの証言通りね。いえ、もっと酷いことになってそうだと言った方がいいかしら?」
明るく映える長い髪を揺らしながら、どの人間が見ても美しいと表現するだろう女性が艶かしい口調でそう言った。女性の名はルカという。黄の国に古くから仕える女魔道師である。
「詳細まで助かります、ルカ様。」
相対する人物はグリスであった。ルカは黄の国でも極少数しか存在していない魔道師として一目以上に重宝されている人物ではあるが、公式に国家の官職に就いているわけではない。それに加えて、魔術師としての研究の為に頻繁に王宮を離れる人物でもある。更に鍛え上げた知識と洞察力を持つ、内部にも隠密を保たなければならない機密情報の収集を依頼するにはうってつけの人物であった。
「私にここまでさせるなんて、良い身分になったものね。」
続けて、ルカは腰かけた椅子の背もたれに軽く体重をかけながら、嫌味と言うよりもからかうような口調でそう言った。その言葉に対してグリスは困惑した様子も見せずに苦笑すると、慇懃な態度で答えた。
「無論、この御礼は後日きちんとさせて頂きましょう。先日素敵なレストランを見つけたのです、今後ご一緒に如何でしょうか?」
「それは貴方に有利な条件ね。」
肩を竦めながら、ルカはそう言った。代わりとばかりに、目の前のテーブルに置かれている麦酒のジョッキを手に取ると、それを持ち上げながら言葉を続けた。
「とりあえず、この一杯を奢って貰えれば十分だわ。」
「それは残念。」
躊躇いも無く、ぐいと麦酒を飲み干すルカの姿を眺めて、グリスは肩を竦めながらそう言った。
「もう一杯如何です?」
「頂くわ。」
「畏まりました、ルカ様。」
二人が対面している場所は王宮ではなく、王都の繁華街にある大衆酒場の一つであった。王宮で面談するには目立ちすぎる上に、万が一内容が漏れれば大騒動へと発展しかねない。それと同様の理由で王侯貴族ご用達の高級食堂も相応しくはない。逆にこのような、悪く言えば薄汚く安っぽい酒場に貴族連中が来るわけも無く、かといって平日の真っ昼間から酒に溺れる庶民達に面談の内容が漏れたところでその意味を正しく理解できる人間は存在しないだろう。そのような判断から、グリスとルカはわざわざ身分を隠して、この様な庶民向けの酒場に顔を出したのである。
「結局、例の死体の身元は分かりませんか。」
ルカが二杯目の麦酒を楽しんでいる間に、彼女が用意した報告書に目を通したグリスがルカに向かってそう訊ねた。
「死体を確認できたわけじゃないからね。ただ、料理人が頻繁に交代しているらしい、ということは街の噂にもなっていたけれど。」
「とすると、料理人の誰かが殺害されたと?」
グリスが身を乗り出しながらそう訊ねると、ルカはもう一度肩を竦めながら答えた。
「推測の域を超えるものではないわ。いずれにせよ、一度ちゃんとした捜査が必要ね。」
その言葉にグリスは一つ頷いた。そのまま声を潜めて、ルカに訊ねる。
「バニカ夫人の様子は?」
「会っていないから、どうにも言えないけれど。」
一つ前置きをして、続ける。
「館から外出している様子はないみたいね。相変わらず、館に篭っていることには変わりない様子よ。」
「そうでしたか。」
そう答えてグリスは思索するように首を傾げた。
「本来なら、正式に調査すべきよ。出来ないでしょうけれど。」
「出来ればいいのですが、まぁ、何とかします。」
小さな、少し疲れたような吐息をグリスは漏らした。そのまま、大げさに首を横に振りながらグリスは言葉を続ける。
「おかげで、秋休みは全部潰れてしまいそうですけれどね。」
「フレア君、丁度良かった。」
ルカと別れた後、秋休み前最後となる講義を終えたグリスは、いつものように質問事項を記載しているらしいメモ用紙を手にしたフレアの姿を見つけて安堵したようにそう言った。周りの女子学生たちはこれからの休暇をすぐに楽しみたいと考えているものか、普段以上にそそくさと講義室から退出していってしまう。教育者としては多少の寂しさは感じるものの、これからフレアと内密の打ち合わせをするには却って都合がいい。
「どう致しました、グリス先生。」
一方、フレアは相変わらず可愛らしい仕草で首を傾げた。
「以前言った件、コンチータ地方の視察の件だが。」
「ご紹介いただけるのですか?」
フレアは期待に満ちた瞳で、身を乗り出しながらそう言った。
「ああ、実は秋休み期間に緊急の用事が出来てね。コンチータ地方に出張することになった。ついては、君と同行しようと思ってね。」
「本当ですか!でも、お仕事の邪魔にならないかしら?」
「大丈夫だ。」
自腹の出張だがね、と内心ぼやいたグリスであったが、その腹の内を今の段階でフレアに伝えるわけにはいかない。勿論フレアはそんなグリスの様子に気付く気配を見せず、心から嬉しそうな笑顔を見せた。
「では、よろしくお願いします、グリス先生!よかった、流石に一人では少し心細かったのです。」
「一人で?」
「はい。護衛を雇うほどの資金はありませんし、お父様はなんだかお忙しそうでしたし。」
「マーガレット伯爵には伝えていないのかな?」
「はい。」
「・・それは都合が良かったよ、フレア君。」
じゃじゃ馬にも程がある、思わずグリスはそう考えて眉を潜めた。王都にいる限りはともかく、女性が、特にフレアのようなとびきりの美少女が単身で郊外へと向かって危険に遭遇しないわけが無い。身分を突かれて身代金目的に誘拐されるか、人身売買の対象になるか。いずれにせよ、知識と知能は優れている割に、フレアはこう言った自身の貞操を守るという概念に多少欠けているところがある。彼女に言わせれば男女同権と言いたいところなのだろうが、そのあたりも含めて守ってやるのが男の務めではないだろうか。
「そうだ、旅の間沢山のことを教えて頂かないと!先生、今日の質問は明日に致しますわ。すぐに寮に戻って、旅の間お伺いしたい質問を纏めますわ!」
グリスの懸念を他所に、フレアは興奮するように表情を上気させながらそう言った。どうやら、バニカ夫人の件とは関係なく、のんびりとした旅にはならなそうだ。
フレアはどうやら明日の早朝に王都を出発する予定であるらしい。早朝六時に南大門前での待ち合わせを済ませたグリスは、執務室に舞い戻るとどこかぼんやりとしながら書類の処理を進めていたマーガレット伯爵の姿を見つけて、一言目にこう言った。
「伯爵、有休を頂きたいのですが。」
グリスの言葉が終わると、マーガレット伯爵は少し不思議そうな瞳をしながら、書類から顔を持ち上げてグリスの顔を見た。
「君が休みを取りたいとは、珍しいこともあるものだ。」
「たまには物見遊山にも耽りたいと思いまして。」
グリスがそう言うと、マーガレット伯爵はふむ、と頷いた。何か理由を訊ねられないものかと冷やりとしたグリスであったが、マーガレット伯爵はそれ以上にグリスの休暇に対する興味を抱かなかったらしい。いや、それだけの余裕が無かったと言うべきだろうか。
ともかくも三週間という長期の休暇を久方ぶりに獲得したグリスは、そのまま執務室から退出すると、その足で軍部へと向けて歩き出した。フレアと二人旅となればそれは勿論心は躍るものだが、今回は出張でも遊びでもない。勿論、国家が用意する護衛は使えない状態であるし、民間の用心棒は信頼に欠ける。となれば護衛として連れてこれるべき人間は一人しか存在しなかった。剣の腕が立ち、秘密は絶対に守り、なによりグリスにとって深い信頼関係を築いている男。
そう、オルスである。
この時間ならば王都の巡回から戻った頃だろう、と推測してグリスが赤騎士団の控え室へと向かうと、丁度一仕事終えたらしいオルスの姿が見えた。
「オルス、話がある。」
即座に、グリスがオルスに声をかける。どうやらコンチータ男爵の戦死以降赤騎士団を預かっているリンダーバル男爵も同席しているらしい。これは都合がいい、とグリスが考えていると、オルスが不可思議そうな表情でこう言った。
「グリス、久しぶり。」
その言葉にグリスは軽く頷くと、続けてオルスに向かってこう言った。
「オルス、お前明日から三週間休暇を取れ。」
その言葉に、オルスは明らかに不審そうに眉を潜めた。
「いきなり言われても。」
「急ぐんだ。良いだろう、リンダーバル男爵?」
幸いにも、リンダーバル家はアキテーヌ家に比べると格段に家柄が劣る家系だった。元来軍務省の重鎮はオルスが属するロックバード家か、或いはコンチータ家が占めるということが通例であったのである。リンダーバル家に赤騎士団隊長という役職に就くチャンスが巡ってきたのは、コンチータ男爵の戦死と、ロックバード家のオルスが未だ若年の為に経験不足過ぎるという幸運に恵まれたからに他ならない。
「構いませんが、一体どういう用件でオルスを?」
だが、そのグリスの言葉は多少リンダーバル男爵の神経を逆撫でしたらしい。少しむっとする口調で、リンダーバル男爵はそう言った。
「地方視察の用件があってね。オルスに護衛を頼みたい。」
「視察でしたら、別の衛兵でも宜しかろうかと。」
「ちょいと大事になりそうでね。詳しくは言えないが、オルスの剣が必要なんだ。」
グリスがそう告げると、リンダーバル男爵は少し思考するように口元に手を当てた。
「二週間では如何でしょうか。」
さて、どうにもプライドが高い人間は困る。グリスはそう考えながら、こう言った。
「二週間では何処にもいけないよ。二十日は欲しい。」
「では二十日で譲歩いたしましょう。」
譲歩。全く、交渉を有利に進めたと言う自尊心がそんなに大切なのだろうか。グリスは呆れてそう考えながらも、リンダーバル男爵に感謝の意だけを伝えて、オルスに向かってこう言った。
「よし、オルス、男爵殿の許可は下りた。行くぞ!」
「ちょっと、グリス!まだ俺は何も!」
「早くしろ!」
グリスはそう言うと、オルスの手首をがっしりと掴み、そのままオルスを引きずるように歩き出した。
「一体何なんだよ、グリス!」
やがて人気が無くなったことを確認すると、グリスは漸くオルスの手首を離した。オルスは意味も分からない、という様子で不満そうな表情だけを見せている。
「地方の視察だと言っただろう。正確にはフレア嬢の護衛だ。」
「フレアの?」
グリスがそう言った瞬間、オルスが怪訝そうな瞳を益々しかめながらそう言った。
「そうだ、大任だぞオルス。バニカ夫人のお見舞いにコンチータ地方へ赴くらしい。とにかく、細かい話は道中でする。急いで支度を整えて、明日の朝六時に南大門前、いいな?」
強い口調でそう告げるグリスに対して、オルスは困惑しながら頷いた。
あのフレアと旅行?
そう考えて、少し落ち着きを失うような感覚を覚えたのである。
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