第七章 01
 賊の奇襲から二日が経過した。
 王宮内の被害が甚大だった事もあり、生き残った者はその対応に追われた。結果、男の処遇は数日先延ばしにされている。
 近衛隊長は無事だったものの、近衛兵は全体の半数にもおよぶ者たちが殺されていた。
 王宮内の文官や侍従といった兵士以外の者たちも、三分の二が命を落とした。どうやら、賊は遭遇した者たちを手当り次第に皆殺しにしていったらしい。
 殺された者を含めて、賊は全員で三十二人いたという。それほどの人数がどうやって王宮内へと入り込んだのか、その真相ははっきりしていない。王宮内に内通者がいるのではないかと不安そうに話す声が、自室から出る事のなかった男にまで聞こえてきた。
 捕らえられた元貴族は、拷問するまでもなく狂ってしまったという。焔姫に片足片腕を斬り飛ばされた上、体型もあれほど変わるほどに憔悴していれば、それも無理からぬ事だろう。だが、そのせいで王宮侵入についてのまともな情報を聞き出す事は出来ていないらしい。
 だが「これで終わりと思ったら大間違い」とか「この国の終わりはこれからが本番だ」などと、単に狂っただけとは言い切れなさそうな不穏な発言が目立っているという。
 それは大きな不安要素だったが、だからといって元貴族がどうにかする事など出来はしないだろう、と男は考えていた。
 元貴族があの壊滅した野営地からどのようにして生き残ったのか。
 男にはそれが不思議でならなかったが、尋ねてみれば焔姫は簡単に答えを提示してくれた。
「別に悩むような事でもない。軍全体で数日しか保たぬ食糧でも、あの愚か者と数人の側近だけで考えれば、十分な量であろう。将軍が余に負けたその日のうちに、あやつは食糧を根こそぎ奪って逃げ出したのじゃよ。そんな事をしたからこそ、あの大軍はあっけなく壊滅したのじゃ。指揮官がああでなければ、この国を攻めて来おったじゃろうな」
 男は賊の一件が落ち着いてからも、この都市国家から逃げる事なく自室にいた。
 夜のうちに完成させるつもりだった焔姫の曲は、この二日間のうちに完成にこぎつけていた。
 実際のところ、王宮は圧倒的に人手が足りなくなっていたため、近衛兵には男の監視に人員を割く余裕などなかった。男の自室の扉には引き続き外からかんぬきがかけられたが、扉に歩哨が立っていなかったため、誰かがかんぬきを外してくれればいつでも外へと出られる状況にあった。
 実際、ひと気のない時刻に焔姫がやってきては、男を逃がそうとした事さえあった。それも何度も。
 その都度、男は丁重に断った。だが、そうやって男が何度断っても、焔姫はなかなかあきらめようとしなかった。
 焔姫の行動が男の身を危ぶんでのものだと、男も分かっている。だが、分かっていても譲れないものが男にもある。
 焔姫が男のためにとそうしてくれるのと同じように、男もまた焔姫のためにこの国に残るのだ。
 結果として自らの命が終わろうとも、これは焔姫のために……焔姫のためだけにやらねばならない。
 それは男にとって、自らの命よりも大事な事に思えた。
 そう。焔姫の心を救う、という事が。
 これより先はどうか分からない。だが、少なくとも今においては、それは男にしか出来ない事なのだという確信があった。
 しかし、そんな思いを男は口にしない。
 それを口にすれば、焔姫は「そんな事はどうでもいいのじゃ」と言うだろう。
 また自らを犠牲にして、この国のため、男のためと自らの心に鍵をかけ、厳重に鎖でおおってしまうだろう。
 それでは駄目だ、と男は思う。
 焔姫は気高い。
 自己をことごとく殺してしまえるほどに。
 だから、たとえほんのささやかなものに過ぎなくても、そんな焔姫が安らげるものを作らなければならない。
 それは、焔姫の苦しみを知った者の義務のように思えた。
 それをなすためには、完成したこの曲はただ作るだけでいいはずがなかった。焔姫だけが知っているだけではなく、この国の誰もに浸透する曲でなければならない。そうでなければ、意味がない。
 皆にとっては焔姫を讃える歌だが、焔姫自身にとっては自らの苦しみとつらさを示してくれるものでなければならない。
 それを実現するためには、皆の前で披露する機会がなんとしても必要だった。
 その上で、この曲は素晴らしいと皆の意見が一致しなければならない。
 ……それが今から決まるのだ。
 男は改めてそう思うと、近衛兵とともに階段を上り広間に出る。
 広間には近衛兵と一部の侍従を除き、ほぼ全員がそろっていた。だがそれでも、以前に比べればその人数は少ない。
 弦楽器を抱える手の平が汗ばんでいた。
 広間の中央にやってくると、男は頭を下げる。
「……此度は、このような機会を与えていただき、感謝の言葉もありません」
 それは、震えを隠しきれない声だった。
 国王が男を品定めするような視線とともにうなずく。焔姫はといえば、男が逃げ出さなかった事がたいそう気に入らなかったのか、仏頂面だ。
 皆は、男の声が震えているのは死罪を受けた身である怖れからだろうと思っていた。無論そうではなかったし、焔姫だけはそこに気がついていた。男の吟遊詩人としての、焔姫にとっては理解し難い狂気と紙一重の信念を、この数日、焔姫は男との会話で否応なく思い知らされていたからだ。
 自らの全てをかけた曲を披露するという事に、男には意識が飛びそうなほどの緊張と高揚があった。
 男にとっても、ここまでの凄まじい感覚は初めての事だった。
 男は床に敷かれた絨毯に座し、弦楽器を構える。
 ……が、どこかしっくりこないのか、何度も何度も弦楽器を構え直す。
 他の事についてはともかく、宮廷楽師としては常に堂々とした演奏をしていただけに、男のそんな様子に王宮の人々は困惑げな眼差しを向けた。
 少しして、男はようやく納得がいったようだった。
「……お聞き下さい。『焔姫』」
 自らが吟遊詩人である以上、歌で語る他に必要な事などなかった。演奏の前に余計な長広舌をふるうなど、無粋極まりない。
 そう思うと同時に、そんな長広舌をふるう余裕もまた、男にはなかったのだが。
 演奏を始める、その瞬間になってやっと震えがおさまる。
 明らかに変化した男の雰囲気に、皆は息をのんだ。
 男が弦楽器をかき鳴らす。
 広間に集まった人々は、その音色に静まり返った。
 今までに聞いた事のない旋律に、耳をすませる。
『火の粉を散らせ紅蓮を翻し 干上がる大地を統べる焔姫
 戒めの鎖断ち切るお前に 水をも焦がす刃を与う』
 男の震える事のない、澄んだ伸びやかな声が広間に響く。その声は皆の耳に届いただけでなく、否応なく心を響かせた。
『双つの琥珀石瞼を塞げば その首筋に朱く契約を刻む
 お前が手にある紅蓮を拒む時 その先に何も残らぬよう』
 皆、この曲が焔姫を讃えるものだと疑わなかった。
 だがしかし、焔姫その人だけは受け取り方が違っていた。男がその歌詞にこめた焔姫の苦悩に気づき、仏頂面から一転、はっとして目を見開く。
 男がどんな思いでその歌詞を考えたのかに思いをはせ、焔姫の相好がくずれる。
『絶たれた鎖は今 焼き付く契の下再び繋がれた
 約束を授けよう
 焔を望む者よ お前のその舌で我が名を紡ぐなら
 その意志に応えよう』
 以前と同じく、男は完全に自らの世界に入り込んでしまっていた。
 自らが最高の音を鳴らす楽器となるべく、周囲の事に一切気を払わなかった。
 周囲に気を払う余裕すらないほどに、ある種切羽詰まっていたとも言える。それほど、男の演奏には一心不乱さがにじみでていた。
『喰らう命を数えては軋む手を 縛る戒めの先にただ願わん
 お前が手にある紅蓮を拒まず 焦がれる印を焼き切らぬよう』
 かき鳴らす弦楽器の音と男の歌声が、王宮の広間に響き渡る。
 その場にいた誰もが、男の生み出す音をたった一つたりとも聞き逃すまいと耳もそばだてた。
『連なる鎖は今焼き付く契の下 お前の朱に絡み
 来る餌を捉える』
 曲がクライマックスに近付き、弦楽器の音も激しさを増す。
 男の声もまた、心を揺り動かす響きが増した。
『紅蓮を掲ぐ者よ 愛しきその声で我が名を謳うなら
 その意志に番えよう
 焔を抱く者よ お前のその心が移ろう事なくば
 永久に番えよう』
 歌い終えると、男は額に玉の汗を浮かべて荒い息をつきながら、なおも弦楽器を爪弾く。
 その旋律はやがて落ち着きを取り戻し、はかなき旋律へと変化して……消えた。
「……」
 曲が終わり、男にはようやく周囲の様子がうかがえるようになっていた。
 息を整えながら正面を見ると、焔姫や国王を筆頭として、その誰もがあ然としたような表情を浮かべていた。
「……?」
 リアクションが何もない事に、男は不安になって周囲を見回す。だが、誰もが似たような顔で固まっていた。唯一焔姫は、その瞳が潤んでいるようにも見える。
「……素晴らしい曲じゃ」
 しばらくして、焔姫がぽつりとつぶやく。
「よもやここまでのものになるとは、余も想像しておらなんだ」
 焔姫の声に、皆はようやく硬直がとける。
 どうやら、曲の凄まじさに圧倒されていただけのようだった。
 途端にざわめき出したところで、宰相は咳払いをする。
「……皆、忘れておるかもしれませんが、かの者は死罪を宣告された身。従って――」
「――だ、そうじゃが。父上?」
 宰相がそれ以上続けるのをさえぎり、焔姫は国王に発言をうながす。
 当の国王は、玉座に座したまま押し黙っていた。先日「そなたの作る曲次第」と言っていたが、男には国王の表情は読み取れない。
「……」
「……はぁ。まったく」
 焔姫はため息をつくと、やれやれと腰に手を当てた。
「そんなに感極まっておいて、褒美の一つも無いのかえ?」
 焔姫の言葉に、男は驚いて国王を見る。しかし、男にはやはり国王の考えの機微は読み取れない。
「……よく、これほどまでの曲を作ったものだ」
 本当に、国王は感極まっているのだろうか。男がそう思ったところで、国王はやっとそうつぶやく。
 どうやら、そう言うだけで精一杯だったらしい。深々とため息をついて、放心していた。
「……よかろう。カイト、そなたの罪は不問と――」
「――王! 死罪をそのように安易に取り下げられては困りますぞ。この国の品位が……」
「……サリフ。国王の決に異を唱えるのかえ?」
 声を荒げる宰相に告げる焔姫の声音は、恐ろしいほどに冷たかった。
「姫。私は……そのような事を言っているのではありませぬ。そもそも姫様がこのような男にたぶらかされたせいで――」
「確かに、余が言うのも無粋じゃな」
 意外に焔姫はあっさりと引き下がる。目を丸くする宰相に、焔姫に代わって国王が口を開く。
「……では皆に聞こう。先ほどの歌が駄作だと感じた者は手を挙げよ」
 国王の言葉に、皆押し黙ってお互いの顔を見比べる。
 広間に集まる誰一人として、手を挙げなかった。
 宰相だけは、手を挙げようとぴくりと腕を動かすが、誰もいない事を見てあきらめたようだった。
「では、傑作だと認める者は?」
 皆が一斉に手を挙げる。
 国王がゆっくりと手を挙げるが、それよりも周囲の者が手を上げるほうが早かった。男が見回すと、両脇に立つ近衛兵たちですら手を挙げている。
 手を挙げなかったのは、宰相ただ一人だけだった。
「この歌を残したいと思う者は?」
 国王の言葉に、手を下げる者はいなかった。
「――決まりだな。カイト、そなたに恩赦を与える。一切の罪を不問とし、死罪を取り消そう」
 死罪の者が作った歌を語り継ぐ事は出来ない。この歌を残すには、作曲者の罪を無かった事にする以外なかった。
「……ありがたき幸せにございます」
 男は頭を下げる。
 宰相は納得していなさそうだったが、それ以上国王に反論する事はなかった。
「カイト。それではそなたを宮廷楽師の地位に戻そう」
 男の心臓が跳ねる。
 口がからからになる感覚を味わいながら、幽閉されていた間ずっと考えていた事を口にする。
「……申し訳ございません。僭越ではありますが、その任を引き受ける事は……出来ません」
 その言葉に他の者はともかく、焔姫は驚愕に目を見開いた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

焔姫 29 ※2次創作

第二十九話

二重カギ括弧の文章は、仕事してP様の「焔姫」より引用しました。改行等は「CHRONICA ROUGE」の歌詞カードに準拠しております。この場を借りて感謝申し上げます。
当初、引用は一部に留めておこうかと思っていましたが、書いているうちに全文載せる形になってしまいました。
こうして歌詞を読み返してみると、焔姫の一人称は「我」、二人称は「お前」にするべきだったかもしれない、と今さらながら思います。

閲覧数:46

投稿日:2015/04/13 22:07:19

文字数:5,061文字

カテゴリ:小説

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