東西の仲

「ああ、おやつの時間だな」
 王宮の中庭に届く優しい音色。城下の教会が鳴らす鐘は昔と遜色なくリンの耳に響き、レンが言ったようにおやつの時間を知らせていた。
 薔薇が咲き乱れる庭園の一角、木漏れ日の下にあるテーブルと椅子は、王族一家にとって憩いの場所だった。かつては四人で囲んだ白い円卓にはレン一人が席に着き、リンはその傍らでお茶の準備を進めている。
 王子とメイドの周りには赤い鎧を纏ったトニオと近衛兵二人が三角形に立ち、護衛にあたっていた。

 一度私室に戻って訓練着から王族衣装に着替えたレンは、リンにこんな提案をした。
 天気も良いし、時間も丁度良いし、中庭に出ないか。
 たまには外でお茶も良い。リンは王子の要望を受け止めて厨房に行き、茶器とおやつを中庭に運んでレンと合流した。
 レンは読んでいた手紙を丁寧に畳み、封筒に重ねて円卓の端に寄せる。場所が充分に広げられた絶妙な頃合を見計らい、リンは用意していたおやつを円卓の上に載せた。
「今日のおやつは、ブリオッシュです」
 幼い頃からの好物を前にして、レンは無邪気な笑顔を見せる。成長期の食べ盛りだからか、レンの食事とおやつの量はかなり多い。小食なリンからしてみれば呆れる程の大食漢ぶりだが、毎日書類作業に追われて頭を使い、剣の稽古で激しい運動をしていれば、体が多めの食事を求めるのも納得だ。食べる量と同じかそれ以上に動いているので太る心配は無く、ある意味健康的な生活を送っている。
 レンが二つ目のブリオッシュを食べ終え、空になったカップを円卓の上に置く。お茶のお代わりはいるかとリンが訊ねると、レンは首を横に振った。
「ミルクにしてくれないか」
「はい」
 王子に食事やおやつを出す時はミルクを忘れるな。リリィからしっかり教えられていた為、お茶の他にもミルクは準備してある。
「そうだ。ちょっと聞きたいんだけど」
 三つ目のブリオッシュを半分食べた頃、レンはリンに話しかける。世間話をする口調だが、王子からの質問を断れる訳も無く、リンは整然と返す。
「はい。私に分かる事でしたら」
 他人としてでも、仕事上でも、レンと話せるのはやはり嬉しい。立場上こちらから気さくに話しかける事は出来ないが、王子の方から声をかけられるのは良くある事だ。他人の身分や生まれを気にせずに接する態度は昔から変わっていない。
 そんな構えなくてもと呟いてから、レンはリンに質問する。
「女の人って、皆薔薇が好きなのか?」
いきなり何を言っているのかと驚きつつ、リンは失礼にならない答えを述べた。
「全員が好きかは分かりませんが……。貰って喜ぶ人は多いと思います」
 美しい薔薇は、男性から女性に贈る花として最適だと思う。誕生日か結婚記念日かは忘れたが、キヨテルが感謝を込めて薔薇を贈り、ミキが大喜びしていたのを覚えている。
「ふうん。そんなものか」
 レンはミルクを飲み、半分のブリオッシュを口に運ぶ。三つ目のブリオシュを食べ終えると、不意に前髪に手を伸ばした。
「俺、蒲公英好きだな」
「蒲公英、ですか?」
 華やかで鮮やかな薔薇とは対照的な、人によってはただの雑草として映る花。王子の意外な好みに、リンは疑問を露わにする。
 リンの表情を見て微笑み、レンは自分の髪をつまんでからかうように言う。
「変か?」
「いえ、そのような事は……」
「誤魔化さなくて良いよ。王族らしくないのは俺が一番分かってる」
 自覚はあるんだ、と、リンは弟が髪をいじる仕草を見て思う。今更になってある事に気が付き、思いついた事をそのまま口にする。
「ご自身の髪と同じ色だからですか?」
 父から受け継いだ金髪は、レンが好きだと言った蒲公英色だ。リリィも同じく金髪だが、彼女の髪色は王子より若干淡く、菜の花や向日葵に似た色をしている。
 確か、リリィは向日葵と百合が好きだと言っていたか。話題とは重なるものらしい。
「それもあるかな。俺の金髪は父上から貰った髪だ。母上の黒髪も綺麗だったよ」
 寂しげな表情で亡き両親を誇り、王子は言葉を続ける。
「蒲公英ってさ、薔薇のような派手さはないけど、厳しい環境でも生えてるだろ。小さくても野に咲く強さを持っているのが好きだ」
 厳しい環境でも咲く強い花。瓦礫の山と化した街でも生えていた様子を思い出し、リンは納得して頷いた。

 二人前はあったブリオッシュを全て平らげて、リンが食器を片付け終えたのを見計らい、レンは口を開いた。
「リンベルは緑の国に行った事はあるか?」
 いいえ。とリンは首を横に振る。国境の森を超えた事は無いが、西側の人に会った事はあると答える。
 リリィから頼まれてレンに渡した手紙は、緑の国のミク王女からの物だ。国としての書状か個人的な手紙かは不明だったが、何か関係があるのだろうか。
「黄の国と緑の国は、あまり仲が良くないのは知っているよな?」
 大陸の東と西に分かれて存在する二つの国は、長年衝突を繰り返して来た。黄と緑がお互いを敵視しているのは、それぞれの国民にとって当たり前の世論になってしまっている。個人個人としては対等に付き合えるが、国単位で考えるとまだ険悪な状態だ。
「はい。十年前の戦争時に比べれば良くなったとは思いますが……」
 皮肉になってしまっただろうか。リンは自分の発言を心配するも、レンは素直にメイドの意見に耳を傾けていた。
「……そうだな。四歳の時だから国同士の事は良く分からなかったけど、父上が休戦と和平に向けて尽力していたのは覚えてる」
 和平条約を結んだのは戦争が終わって二年後。リンとレンが六歳の時である。
「とにかく、両国の仲は良いとは言えない訳だ」 
話が逸れてしまった事に気が付き、レンは話題を戻す。顔を引き締め、リンを真っ直ぐに見つめて告げた。
「だけど、二年前から少しずつ関係が変わって来ているんだ」
 円卓の端に手を伸ばし、そこに置いていた手紙と封筒をまとめて引き寄せる。畳まれたままの手紙を持ち上げ、笑顔でリンの前に差し出した。
「これを読んで欲しい」
「え? でも、重要な書類ではありませんか?」
 メイドが見ても平気なのかと逡巡するリンに、レンは拍子抜けした口調で突っ込む。
「重要と言えば重要だけどさ、見られて困るなら読んでくれって頼まないよ」
「……ごもっとも」
 リンは同意して手紙を受け取る。大体、そんな書類を人目に付く所で広げはしないし、レンはそこまで迂闊じゃないと考え、リンは渡された手紙を上下に開いた。
 紙に書かれた文が目に入る。レンが嬉しそうに微笑んでいるのが気になったが、頼まれた通りに手紙を読む。ありきたりな挨拶と短い近況報告を前置きに、一昔前ならありえなかった文章が書かれていた。
「これって……!」
 驚きのあまり目を見開いて手紙とレンを交互に見やる。文面が信じられず、半信半疑で王子に問いかけた。
「本当、ですか……?」
「信じられないかもしれないけど、本当だよ」

 緑の国王女の誕生を祝う宴の場に、黄の国王子を招待する。

 レンに送られ、リンが手にしている手紙は、ミク・エルフェン王女からの招待状だった。

 おやつの時間を終えて使用人室で休んでいたリンは、買い出しから戻って来たリリィにこう話しかけた。
 緑の国から王子宛てに招待状が来たが、一体どうなっているのかと。
 リンが座る椅子の正面。テーブルの向かいの席に座りながら、リリィは目を丸くした。
「えっ、リンベルは知らなかった? 噂とか聞いたりしなかった?」
王都に住む人以外にはまだ浸透していないのかと、少々残念そうに尋ねる。
「全然。たまたま私がその話を聞いて無かっただけかもしれないけど」
 自分が疎いのかとリンは首を傾げる。港町に住んでいた時、レンに関する噂や王宮の話には意識を向けていたつもりだったが、緑の国との交流については耳にした事が無い。
「どうなってるの? 緑の国が黄の国の王族を招待するなんて。初めてじゃなさそうだけど?」
 親善の交流が生まれたのは歓迎だが、理由が良く分からない。仕事の時間が迫っていたレンからは詳しい事が聞けなかった。リンは身を乗り出し、具体的な話を教えて欲しいとリリィに催促する。
「説明するから落ち着いて」
 そのままテーブルに倒れそうなリンの両肩に手を乗せ、とりあえず座り直すようリリィは促した。

 リンが椅子に腰を落とし、リリィは経緯を語る。
 事の始まりは二年前。緑の国からある書状が届けられた。
 緑の国王子クオ・エルフェンの元服の議に、黄の国王子レン・ルシヴァニアを招きたい。
 西側の風習で、男子は十五歳になると成人として認められると言うものがある。一般庶民には無縁になっているが、王族や貴族には通過儀礼として残されており、大切な儀式として扱われている。
 クオ・エルフェン王子は緑の国王の長男であり、ミク王女の年子の兄だ。現王には兄弟も親戚もいない為、クオ王子は第一王位継承者でもある。彼の元服ともなれば、王宮で宴を催すのは当然だった。
 元々レン王子は緑の国との友好を求めており、以前から黄の国の催事に緑の王族を招きたいと思っていたらしい。その年の建国式典なり誕生日なりを口実にして招待しようとしていたが、緑の国も似たような事を考えていたようだ。
 これをきっかけに両国の国交を豊かなものにしたい。友好な交流を深め、大陸二国の関係を少しずつでも良いものに変えていきたい。
 レン王子は渡りに船と考え、緑の国の招待を受けた。家臣からは反対する意見があったものの、王子の強い意志とジェネセル大臣の後押しもあり、現在ではお互いの催事に招待したりされたりするのは珍しい事ではなりつつある。

「こんな所かな。簡単に遺恨が無くなる訳じゃないけど、王族のレン様が積極的に行動しているのはやっぱり大きいと思う」
 組織の頂点に立つ者の影響は強いはず。そう言ってリリィは話を終えた。
「凄いね……。私達が小さな頃だったら夢みたいな話だよ」
 新しい時代を作ろうとする弟に感服し、リンは希望を込めて呟く。
「そうだねぇ……。昔はかなり酷かったし。和平条約が無かったらレン様はもっと慎重になってたかもね。王様もレン様も尊敬する」
 こうして呑気に話せるのは王族親子のお陰だと、リリィはここにいない二人に感謝を示す。
そうだね、と短く返事をして、リンは部屋に置かれた時計を見る。まだ時間には少し余裕があった。
「緑の国ってどんな所なのかな……」
 何となしに吐いた言葉だったが、リリィからすぐ返事が来た。
「んー。外国人に厳しい所があるけど、自然が豊かで良い所だよ。食べ物美味しいし」
「えっ? 行ったことあるの?」
「そりゃ、レン様の侍女ですし? 御供として何度かね」
 リリィは指に髪を絡めながら笑顔を浮かべる。西側の事をもっと知りたくて、リンは話を続けた。
「他にも何かない?」
 期待を膨らませて再び身を乗り出す。今度は自分で気付いたリンが姿勢を戻すのを見ながら、リリィは顎に手を当てて答えを選ぶ。
「さっきも言ったけど、食べ物が美味しんだよね。特に野菜と果物。同じ素材でもこっちとは全然違う。後は……」
 ふと言葉を止め、真面目な表情でリンを見つめる。重要な話だと緊張を走らせたリンに、リリィは手を握り、拳を上げて勢いよく告げた。
「十八歳で酒が飲める!」
「力説するのそこ!?」
「だって黄の国は二十歳からじゃん。後二年待たなきゃいけないんだよ?」
 リリィは悔しそうに語っているが、全くもってどうでもいい。リンは心情を隠す気も無く淡々と返した。
「リリィにとってはそうだけど、私にはまだまだ先の話だし」
 今の所お酒に興味が無いから別にいい。呆れをはっきり表情に出して付け足すと、リリィは腕を組んで一息漏らす。
「まあ、緑の国の見所と言えば……」
 先輩の発言に振り回されるのはごめんだと、リンは投げやりな気持ちになっていた。話を聞かずに椅子から腰を浮かしかけた時、その言葉は滑らかに耳へ届いた。
「――千年樹」
 先程のふざけた調子とは掛け離れた、静かな、敬意を払うような口調。リンは立ち上がるのを止め、自分が知っている情報をリリィに話す。
「千年樹……。聞いた事ならあるよ。国境の森に生えている大きな木で、森を守る神様が宿ってるって」
 東も西も関係無く、神木として崇められる巨木。ユキに読み聞かせた絵本にも出ていた。
「正直、緑の王宮よりもあっちの方が見る価値がありそうな気がするなぁ……」
 リリィが個人的な感想を述べて時計を見る。そろそろ休憩時間が終わろうとしていた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

蒲公英が紡ぐ物語 第21話

 ドイツでは十六歳からビールが、十八歳から他のアルコールを飲むのを許されるそうです。
 水が貴重でビールと値段が変わらないため、水の代わりにビールを飲む感覚なのだとか。

 本文で牛乳と書くかミルクと書くかでちょっと迷いました。意味は一緒なんですけどね。

閲覧数:321

投稿日:2012/08/03 17:34:34

文字数:5,190文字

カテゴリ:小説

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  • june

    june

    ご意見・ご感想

    牛乳よりも、ミルクの方がヨーロッパな感じというか、クラシックな感じがしますよね。
    表現一つでこんなに変わるものか、と日本語のバリエーションの多さは面倒ですが感動したりします。


    私の中では、

    牛乳=お風呂上りに少年が飲むもの
    ミルク=ティータイムにお嬢さん達が飲むもの

    というイメージがあります(笑)

    2012/08/03 19:10:13

    • matatab1

      matatab1

       早速メッセージありがとうございます。

       初めは牛乳にしていたんですが、ゲームとかのファンタジーではミルクと呼んでいる事が多いのでこちらに変更しました。

       同じ意味でも色んな言葉があるので、どう使うか何を使うかに悩みますね。「日本語って難しいよな」と、執筆中に何度思ったかわかりません。

       レンは毎食後に牛乳を飲んでいるので、一日一リットルは平気でなくなります。 

      2012/08/03 21:50:41

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