気がついたら通いなれたその足は、いつもどおりの道をあるいているのだ。この際この工場に就職してしまえばいいのではないか、そんなことまでおもってしまうほどにはなじんでいる。
「あ、イサムさんのミクちゃんだ」
「おはよう。今日はココノツの搬送だよ」
「おつかれさまです」
「おはようございまーす」
「おはよう。お、ご主人様は久しぶりだね」
「ども」
「安間リーダーなら、格納庫にいますよ。ココノツくんの搬送手続きだっていってました」
「ありがとうございます」
「所長みませんでした? オペレーター室にいないんだけど」
「や、みてないっす」
行きかう人といつもどおりに言葉を交わしながらイサムとミクは格納庫へと向かう。
ココノツが運ばれる日ということもあり、工場はいつもよりも活気に溢れていた。大方は、手続きに走り回る作業着の人々。それに混じって研究員の白衣もちらほら見える。ほかにも、ここでは珍しいスーツ姿の人もいた。誰もが、ココノツを運ぶために働いていた。
「俺たちだけ、見学か」
「歌、つくりにきてるんですよ。見学は私だけだと思います」
ああ、そうだった。イサムは自嘲気味に笑う。ココノツをみていると、どうしても体が動かなくなってしまう。思考は霧散ではなく固着して先に進まなくなり、喉に何かがつまったかのように言葉がでない。
――あれだ、スランプだ。
などと思ってみたかった。きっとこんなのスランプのうちにも入らないだろう。イライラする気持ちはない、ただなにか自分の許容量以上の大きなものを目の前にしたときの価値観が崩壊したような放心。
数字では理解できる地球の大きさを、本当の意味で「見た」ときのような、気が遠くなる銀河の果てを知ったときのような感覚だ。胸が熱くなって、でも穴が開いてるように寂しい、呼吸ができなくて苦しいのに、呼吸の仕方を忘れてる。視界から入ってくる情報が、脳みそのすべてをつかっても処理しきれないそんな感覚。
イサムは思う、きっと自分はココノツの存在する意味に、何もかもを持っていかれたのだと。
そんな何もかも奪われた存在にたいして、いったい自分は彼が行く先を照らし出せるものが作り出せるのか。
疑問は自虐であり自傷であった。前提の間違えた問いかけは問いとして成立せずただ己の現在を傷つける。
「ちょっと、所長さがしてきますね」
そういったのはミクだった。その声で自分がずっとぼーっとしていたのだとイサムは気がつく。、見渡せば、すでにクリーンルームの前だ。ここを抜けたらココノツの格納庫がある。そして今はもう、搬入のためこのクリーンルームは運転を停止していた。変わりに格納庫にある大きな搬入口が口をあけている。
「ああ、いってらっしゃい」
ココノツと直接あうのは久しぶりだ。しかもコレが最後になるだろう。
そう思うと胸のあたりに緊張のような寂しさのようなものが重くのしかかってくる。地下のエレベーターから上へいける経路は限られている。ミクはエレベーターではなく非常通路の階段に続く扉をひらいてそこに消えていった。
その姿を見送ってからイサムはようやく足を踏み出す。クリーンルームはいつも風の音がうるさかったが今日は音がしない。エスカレーターがとまってるような不思議な感覚だった。
いらっしゃい。そうイサムを迎えたのは、安間だった。相変わらずの長身に、人のよさそうな顔がこちらを向いていた。
「ども」
見あげると、見下ろすときよりも大きく見えるのは当たり前だ。当たり前だが、その当たり前のさらに一回りも二回りも大きく感じて、思わずイサムはココノツを見あげたまま固まった。
「今日で搬送です。……ミクさんはどうされました?」
「え? あぁ、所長を探しに行くって」
いいながらイサムは上を見上げる。いつも所長が見下ろしていたオペレーター室の窓。しかし、そこに白い猫の陰はなかった。ちらっと、緑色の髪の毛が見える。ミクだろうか。その影を追いかけると、一回りした跡あきらめたかのようにふらふらとオペレーター室をでていった。
「なるほど。今日みかけないんですよね。いえ、結構いなくなるんですけどね。今日は最後ですからねぇ」
「そうですね」
その、最後という言葉がまるでもう間に合わないのだと、そういわれた気がしてイサムは胃が縮む。
「そうだ、ミクさんがいないうちに」
「どうしたんです?」
「伝えようか、隠していようか、ずっとまよってたんです。きっとココノツはミクさんにそのことを伝えてないでしょうから」
なんだか、いやな告白の仕方だとイサムは思う。当人がいないところで話をするというのは、なんともむずがゆい。
きっとがん告知を受ける家族の気分だ。
「ココノツにつまれている人工知能は、あくまでメンテや作業のために命令を簡素にするためにつまれた補助てきなモノだと、そういいましたよね」
「ええ、聞いています」
「人工知能の記憶容量というのは……詳しい技術的な話はおいておいていってしまえば、記憶が個性であり記憶であり心であり経験そのものです。人間のようにはいきません。それがすべてです」
情報を区切って記憶する方法から、さらに進んだ物理的な領域そのものを記録として使っていくという方法は、人工知能の分野を新たな境地へと発展させた。
しかしその基礎構造こそが、彼らの脆弱性へとつながってしまったことも否めない。記憶の方法が、記憶の順番が、その物理的な揺らぎこそが彼らの個性となり心となっていく。だから、記憶をいじられた瞬間から彼らは彼らではなくなってしまう。それは、生命、知能というにはあまりにもか弱い存在だった。
「はぁ……」
「まぁとにかく、重要なものなんですよ」
よく分かっていないという顔のイサムに、安間が笑いかける。
「それで、ココノツは四つ記憶領域をもっています。そのうち二つは、探査用に割り振られた彼の基礎部分です。もう二つが何かがあった場合ココノツが好きに使えるために、それと探査用の補助記憶領域になっています。まぁ脳を二つに分けてもってるとおもってください。この一つずつがメインとサブに分けられていて二つで一組だとおもってもらっていいで――」
そこで安間は口を閉じて、ぺちりと己の頬を叩いた。
「すみません、どうも語る癖がありまして。つまり、はやい話ココノツが自由に使える記憶領域の話なんですが」
どこか遠くで、鉄を打ちつける重たく響く音が聞こえた。あわせて、リズムととるようにトラックが鳴らすバックを告げる警告音が届く。
だけどそんな雑音も、まるで掻き消えていった。
「その自由領域を削除することになりました」
ココノツの、コレまでの記憶はすべて消えて本来の彼の状態に戻す。安間はそういった。
それは、ある意味今のココノツを殺すということだ。彼がココノツという名前を与えられたことすら消えてなくなる。何もかもだ。
「それは」
「自由領域の容量が半分以上あいていたら残そうかという話もありました。ですが、すでに残り領域が20テラバイトを切っています。ログを見る限り、彼も必死で容量削減に努めていたみたいなのですが、貴方とミクさんにであってから記憶領域がどんどんへってきました。彼にとっても大事な事なのでしょう……」
こうなる気はしていた。安間は、言い聞かせるようにつぶやいた。遠くの喧騒が、いやに辺りの静けさを際立たせていた。しらずイサムは、ポケットにはいっていた歌詞を書いているメモ帳を握り締める。
「決まり、なんですよね」
「すみません。人工知能に権利を与えたくない団体が、パトロンなんですよ」
だれよりもどこよりも、人工知能を必要としている団体は、ココノツの自由領域の削除を決めた。それは、決定としてはきっと正しい判断なのだろう。
寂しそうなめで安間がココノツを見あげている。
「あー、なんかあれですね。ほら、動物園の飼育委員のような」
「はは。毒のはいったりんごを上げるあれですか」
「そうですそうです。子供のころあの話をよみましてねぇ。なつかしいなぁ。あの時、絶対こんな大人にはなりたくない、なんておもってましたけど」
ココノツの真っ黒なマニピュレーターが、ゆるゆるとあたりをただよっていた。マニピュレーターの先にはカメラが着いている。いってみたら、それは彼の手であり目である。
あたりを見回して、ミクをさがしているのだろうか。
「それじゃいっちょ、ならないようにがんばりますか」
「え? なにを」
わけが分からないといった安間に、イサムが笑う。
「人工知能って俺よくわかんないですけど、外側からいじったらこわれちゃうんですよね? でもたしかミクの記憶容量はすっげーすくないけど今も平気だし、ココノツが本人でいらない情報をけして空き確保すれば、いいんじゃないですかね」
「……理屈ではそうなりますが」
「容量がいくつ以下なら、フォーマットしなくていいという約束が取り付けられたら問題ないんじゃないですか?」
いとも簡単に。まるでそれが当たり前だといわんばかりに、イサムが笑っていた。
「いったいそれをどうやってココノツに……」
簡単な意思疎通はできるが、あくまで指示の補助として人工知能は存在している。フォーマットは指示できても、ぎりぎりまで消せなんてそんな指示が――
「まぁ、ミクがやってくれるんじゃないですか。なんか普通に会話できるっていってましたし。ねぇ?」
最後の問いかけは、自分の背後に向けた言葉だった。
安間が視線をおくったさき、格納庫に続くクリーンルームの扉から緑色の髪の毛がゆれていた。
「……人工知能はただのプログラムです。それがクライアントの意向です。足りない容量はあければいいと思いますけど」
「はは。相変わらず。でも、やってくれるんでしょ?」
「私も私で、我侭で横暴なオーナーの意向には逆らえませんから。ココノツには同情します。かわいそうですね」
「……うぅ」
悪態をつきながらミクはココノツの目の前までやってきていた。言葉はとげだらけなのになぜか彼女からはそんな雰囲気は微塵も感じられなかった。
そんな二人を、安間は何も言えず見ていた。目の前にいるミクは、いったいどれほどの存在なのか。いったいどうやったら人工知能をそこまで育て上げられるのか。いやそれとも彼女がもつ資質だろうか。無表情のなかで、ミクが笑っていた気がした。
Re:The 9th 「9番目のうた」 その10
OneRoom様の
「The 9th」http://piapro.jp/content/26u2fyp9v4hpfcjk
を題材にした小説。
その1は http://piapro.jp/content/fyz39gefk99itl45
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