少しだけ音量を下げ、ミクは顔をしかめた。
「何よ、大きいか小さいかしかできないの、使えない!」
街中でイヤフォンに大声で文句をつけている美少女、となれば、嫌でも目立つもので、カイトがミクを見つけるのに、そう苦労はしなかった。…と、いうか、うるさいので、目をそらしても無視できなかった。
「ミク」
声をかけるのもなんだかはばかられたが(寧ろ声をかけたくなかったが)、カイトが声をかけると、ミクは顔を上げ、思い切り嫌な顔をした。
「ちょっと近づかないで、臭い。お風呂入ってよ」
「入ってるよ!? さっきだってシャワー浴びて出てきたよ!?」
こんな子だっただろうか、え、あ、いや、こんな…え? 人違い? うわやべぇ。初対面で風呂は入れとかどういう第一印象なの。第一印象って大事だって言うけど、ここでまさかおかしな人だと思われたら俺、どうしたらいいんだろう! …と、ここまでがカイトの脳内の台詞である。実にくだらない。
「音量の設定がめちゃくちゃなんだよ」
言って、カイトがカチカチと携帯端末をいじると、ちょうどよいくらいの音量になった。
「あ、ありがとう、バカイト」
「うん。一言余計かもしれないね」
そういって笑ってから、真顔になると、ミクに向かってそっと手を差し出した。
「行こうか」
優しく怪しい微笑を浮かべ、ミクは自分の手をカイトの手に重ねた。
「言わんこっちゃ無い」
「だって、だってぇ」
スタジオを追い出され、テレビ局の長いすでリンは何度も、「だって…」と繰り返している。
「こうなるのは分かってたでしょ?」
「でも…。こうでもしないと、皆このまま離れちゃうんだよ…」
「こんなことしたって、皆戻ってくるとは限らないし…」
もっともである。その通りで、それは正論だ。でも。
でも、可能性が無いわけではないし、もしかしたら…。
「…」
そのとき、カツ、カツ、カツ、と高く単調な足音が二つ、聞こえてきた。テレビ局の細く長い廊下に、よく響く、カツーン、カツーンという二つの音は、次第にリンとレンのほうに近づいてきた。そして、うつむいたままの二人の前で足音はぴたりと止まった。
「二人して何してるんですの」
その声に顔を上げた。
鮮やかな桃色の挑発が短く結い上げられ、赤茶色のフレームの四角い形のめがねをかけた、凛とした雰囲気の女性――ルカは、髪を結んでいた髪留めをはずし、バッグに突っ込んだ。
「この方が分かりやすいかしら?」
緩やかにウェーヴのかかったロングヘアーが揺れるのを見ると、リンの表情はぱぁっと明るくなった。
「ルカ!」
がたっと騒がしく立ち上がり、リンは超至近距離からのタックルをルカに思い切り食らわせた。
「どうして、北海道にいたんでしょ?」
「父さんの仕事の都合で、私が代わりに会議に参加する予定だったんです。でも、ここに来る飛行機の中で今の放送を見てて。後味悪かったから、スパッと別れの挨拶でもしてくるつもりだったんですけど、気が変わりました。もう少し気ままにやっててもいいかな、と思って」
少してれたように笑って、ルカは言った、
「まあ、お姉さまにはそんなことお見通しだったようですけど」
ちらりとメイコのほうに目をやると、メイコはにっといたずらっぽく笑って見せて、ピースサインまで出している。ふふっとルカが笑った。
流石は年長者、と言おうと思ったが、そんなことを言えば肘鉄じゃ済まされないだろうと思いなおし、リンはどうにか口を押さえた。
「亀の甲より年の功ってね」
リンの予想通り、失言をしたレンは思い切り足を踏まれた上、平手打ちを食らうことになった。左の頬を真っ赤にしたレンは泣きそうになりながらメイコに視線で抗議をしたが、メイコの鋭い眼光の前に撃沈した。
「後は…ミクちゃんだけだね…」
「そうだね…。どうしてんだろ、ミク」
「彼女にはアーティストとしての能力はすばらしいですわ…」
「もしかしたらもう戻ってこないのかもしれないわ、ミクは…」
全員がはァ、とため息をついた。
そのとき、背後から『不快な』男の、上機嫌な声が飛んできた。
「皆、全員集合だ」
「あれ、私で最後?」
そこにいたのはミクと…、青いもの。
「ミクちゃん!」
一番に声を上げたのはリンで、嬉しそうにミクに飛びついていくと、その後からメイコ、ルカ、レンと続いてミクを取り巻くようにわぁわぁと話を始めた。勿論、何ヶ月も離れていたわけではないからそう話すことも無いはずなのだが、皆でミクに話しかける声はちっとも沈まず、寧ろはつらつとして、とても気分のいい声であった。
「ミクちゃん、お帰り!」
「ただいま、リンたん!」
「たん言うな。海外留学の話は?」
恐る恐る、と言う風で問いかけたリンに、ミクはにこっと微笑んで、
「また、ゼロからやってみようと思うの。海外留学の話は丁重にお断りしてきたよ。私、外国語苦手だから、海外じゃうまくやれないわ、きっと。こっちのほうが向いてる」
それは、決して前向きな言葉ではなかったかもしれない。しかし、リンはそんなことは気にせず、微笑んで、
「また、よろしくね」
と言った。それに、ミクは微笑んで返すと、二人は手を握り合った。
その間に、無視され続けて落ち込んだカイトを、メイコが慰め始めた。
「気にしないの、冗談に決まってるでしょ?」
「皆ひどいよ! 俺だって…俺だって…!」
「何よ」
「俺だって帰ってきたのに!!」
「はいはい。…お帰り、カイト」
笑いながら、メイコがいった。しかし、どうやら随分いじめられたカイトには、それだけでも十分だったらしい、メイコに飛びついて、
「ただいま! めーちゃん!!」
と子供のように言った。
大きな歓声。
黄色い声、と言うより、寧ろオレンジ――を通り越して。茶色いくらいの『濃い』歓声だ。鼓膜を突くような、鋭い声。悲鳴といわれても、そう否定は出来ないだろう。
「準備はいいっ?」
メイコが声を張り上げた。
歓声がさらに大きくなり、辺りはいっそうにぎやかに、騒がしくなった。
「いっくよ――っ!」
と、リンが声を上げると、ルカがドラムをたたく。その音にあわせ、リンが、レンが、カイトが、メイコが音を並べていく。それはまるで、見えないスコアがそこにあるように正確、かつ心躍らされるものがあった。
舞台の端からは、ミクがメイコとともにきれいな歌声で、自分が作った歌を口ずさんでいる。舞台、そう、舞台だ。
今、リンたちは舞台の上にいる。客は満員、座りきれず、たってみている人も一人や二人じゃない。
私たちの歌。
もう少しだけ歌い続けるよ。
あと少しだけ、奏で続けるよ。
私たちの日常の中で。
いつか、夢が覚めるまで。
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裏方くろ子
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