夢の現実へ ~第4話~
結論から言おう。
ヤ●ハ研究所が社運をかけてまで生み出したVOCALOID初音ミクは――
「ありえんな……」
「すみません……………………」
――音痴だった。それもいい感じなぐらいの外し加減だ。最初の歌がまるで幻のように、それはもう音痴だった。思わずギャグ漫画みたいに、ずるっとすっ転ぶところだった。
「ミクはその、今まで歌の練習とか、本格的に、したことなくて…………はぅ……」
思わずヤ●ハ研究所に確認をとったところ、
「実際問題人格デバイスの調節や、素体とのリンク作業に大半を費やしてしまってな。音楽的な調節は何一つ皆無なんだわ。それに、我々よりも専門家に任せた方がいいとも思ってな」
なんてことを電話越しに栗原所長が口にしていた。むしろこちらとしてはそっちが専門家でしょうが! と突っ込みたいところだったが、
「それに調律師がお前に決まったんだ。私らよりもその辺は得意だろう」
有無を言わなさい一言だった。もしかして今までの仕事はすべてこの時のための伏線だったんじゃないだろうか。あり得るのが怖い。
当の本人はというと、音痴であったことが相当気まずいのか、俺と視線が会うたびに慌てて謝り視線を落とす。傍から見なくてもしょぼーんと沈んでいるのがわかる。空気で。
なんにしろまずは音階の調節に入らないといけない。
正直にいえばミクは曲調を捉えて音の世界に入り込むことには長けている。だが、持前の音階がそれに追いついていないのだ。
人間ならば動物の鳴き声をまねたり、楽器で奏でられた音を耳で捉え、その音階が出るように練習するのだが、ミクはそうではない。
もっとてっとり早く、直接彼女の中にあるデータ設定を調節するのが一番だ。というわけで俺は本当の意味での調律を申し出たのだが、
「ふぇ? ふぇえええええぇえぇぇぇえええっ!!?」
今度はしょぼくれていた空気を一瞬にして吹き飛ばすほど顔を真っ赤にして叫ぶミク。こちらとしては疑問符を浮かべるしかないわけで。
「えと、その、はぅ…………」
俺の様子に何と言えばいいのかと迷っているのだろう。
「というか、調律されるのいやか?」
「い、いえ! 決してそういうわけではなく――」
「うぅうううぅ~~~~~」と顔を真っ赤にして唸る。まぁ嫌ならかなり遠回りになるが、人と同じようにミク自身に調節させるしかないか。初日から嫌なことをさせるわけにもいくまい。
うんうんと頷いて次の作業に入ろうとしたところ、ミクの表情に覚悟が現れ、
「調律をお、お願いします!」
「いいのか?」
「はい。その、創詩さんになら……」
恥ずかしそうに頷くミクに、俺も頷き返し、デバイス入力を開始する。
「じゃあラインを繋ぐから入力端子をを出してもらっていいかな?」
「……はい」と消え入りそうな声で頷き、ゆっくりと上着のボタンを外して――
「ってちょっとまてぃっ!」
「ふぇっ?」
思わず静止の声を上げる俺。俺の声にびくっと驚き、それでもボタンにかけた手を放せず、潤んだ瞳で俺を見上げるミク。ぐっ……これは反則だ――じゃなくてっ!
「入力端子はどこにあるんだ? もしかして自分で繋げられるなら自分で繋げような!」
「む、無理です。だって背中ですから……」
言ってミクは背中を向けて上着を肩口まで脱ぐ。
「うっ」
確かに入力端子はあった。首筋の付け根に。これなら自分でも挿せそうだが、確かに挿しやすくはない。他者にやってもらった方が効率がいい。だがしかし……
露出する首筋と肩はきめ細やかな肌でできており、ブラの紐が覆われた服から顔を出しているこの状況。上着が半脱げになっているうえに少女らしいしぐさと恥じらいが思わずVOCALOIDとわかっていても俺をドギマギさせる。
って、何俺はVOCALOIDにドギマギしてるんだ!? 仕事だぞこれはっ!
俺は急いでラインを挿入し、視線をパソコンへと移す。だのに挿入の際にミクが口を押さえて「っん」と声を出したのが、よけいに俺の心臓に不協和音を刻ませた。
だがラインを繋いでからはパソコンを注視する俺は次第にくだらない煩悩は消え、ミクの調律へ没頭する。その間彼女はただ静かに待っている。恐らく流れくるデータを認識するのに集中しているのだろう。
カタカタとキーボードを叩く音と、二人の呼吸だけが部屋を支配する。
♪ ♪ ♪
「よし。これで試してみるか」
「はい」
一通りの調整を終え、一度音階の確認を取る。ズレがあればまた修正。これを三度程繰り返した後、
「す、すごいです。音を出すのに苦しくありません!」
「まずはひと段落ってところだな」
思ったよりもうまくいった調律に満足がいき、思いのほか疲れた俺は休憩をとることにした。
「では、お時間もよろしいですし、ミクが創詩さんのお昼ごはんをお作りしますね♪」
「え? 料理なんかできるの?」
「はい! お任せください! 栗原さん後任の腕なんですからっ!」
歌の時とはうってかわった自信の笑みを浮かべて台所へと向かったミク。正直に言おう。料理する暇があるなら歌っとけよと……
「はぁ……栗原所長も何やってんだか…………」
まるで本当の娘か妹のように育てていたのだろうな。
「~~♪ ~~~♪」
台所から機嫌の良いミクの鼻歌を聴きながら、俺は今後のことを考えながらリビングでだらりとする。
調率は練習自体はこのままいけば問題はないだろう。あるとすれば時間の問題か。それと――
「そう言えばミク、今日の練習が終わったらどうするんだろう?」
普通に考えれば研究所に戻るといった感じで、研究所から我が家に通う形になるんだろうけど……
などと考えていると、玄関のチャイムがなる。やれやれと思い、ドアフォンに出てみれば「宅配です」と少し低めの男の声。そして玄関を開けてみれば――
「……なんだ、これは…………」
「では、受け取りのサインをお願いします」
言われるがままにサインして置いていかれたのは、段ボールの山――もとい段ボール8箱。
送り主がヤ●ハ研究所であるところを見ると、間違いなく仕事関連なのだろうが――まさか!?
思わず電話をとってコール。かけた先は勿論、
「今日何度めやと思ってんねん?」
「単刀直入に訊くが、この段ボールの山はなんだ?」
「なんやそないなことか。それはミクちゃんの荷物や。此処から通うなんてそらえらい時間かかるやろ? せやから、お前の家の空き部屋をミクちゃんの部屋にし、泊まり込みが一番やねん。効率えぇやないか」
「なっ……」
「そゆことで、よろしゅうなー。最後に、ミクちゃんに悶悶してもうてエロイことしたらあかんでー」
電話はそこで切れた。
「泊まり込み、だと?」
理屈はわかるが本当にこれでいいのだろうか? いやいや落ち着け相手はVOCALOIDだ。問題はない。問題は――
はぁ、と思わず漏れるため息に、今日は改めていろいろある一日なのだと痛感した。
休憩のはずなのに疲れた俺がリビングに戻ると、そこには数々の料理が並べられており、
「さぁ創詩さん。召し上がれ♪」
満面の笑みで俺を迎えるエプロン姿のミクがいた。
なんというか、贅沢な日々が始まるな……
俺はミクに促されるままに席につき、料理を口にした。
ミクの手料理は歌なんかとは比べられないくらいに、美味かった。
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