針降る都市のモノクロ少女 ※二次創作



1.
 日が傾き、雲が赤く染まってゆく。
 都市の至る所から蒸気機関の白煙が立ち昇り、都市の中央で一際高くそびえる鉄の塔が、その蒸気で揺らいでいた。
 鋼の身体と蒸気の血液で脈動する鋼鉄の都市は、日の陰り程度でその活動を止めたりはしない。
 鋼鉄の都市。
 眠る事を忘れた都市。
 針降る都市。
 数多くの異名を授けられたこの都市の中でも、特に有名なそれらは、この都市の有り様をうまく指していた。
 無造作に無作為に、乱雑に積み重ねたせいで、いびつに建ち並ぶ高層ビル群。
 その合間を縫うようにして、飛行船が都市内を巡っている。
 飛行船からは複数のサーチライトが鋼鉄の都市を照らしだし、スピーカーからは都市と市長を称える放送が絶え間無く響く。
『皆さんはこの国で最も偉大な都市で暮らしているのです』
『ギュスターヴ市長の献身的な働きにより、市民の皆様の生活が支えられています』
『発展と確かな未来。ギュスターヴ市長と、この都市がそれを獲得できるのです』
 しかし、この都市の住民の誰もが、そのプロパガンダに一雫ほどの真実さえ含まれていない事を知っている。
 この都市で豊かな生活を送れるのは人口の一パーセントにも満たない富裕層だけだ。多くの住民は朝から晩まで働いても苦しい生活を強いられている。
 結果、都市のアンダーグラウンドもまた活動が活発だった。
 そんな都市の南部。湾岸部に集中する工場の合間にある薄暗い路地裏を、一人の青年が息を切らせて走っている。
 彼の姿は、お世辞にも身なりが良いとは言えなかった。
 靴は擦りきれ、着ている服もボタンがほつれ、膝には穴が開いている。
 路地裏に転がるゴミを蹴り飛ばし、曲がり角で壁にぶつかり、ほとんど残っていない紙煙草を大事そうに吸う浮浪者を倒しながら、それでも足を止める事なく青年が走る。
「……はっ、くそっ。なんで――」
 それ以上は息が続かなかった。
 愚痴をこぼす余裕があるなら、一歩でも遠くに行くのが重要だ。
 目の前に現れた金網に飛びつき、必死の思いで登る。
 登りきって向こう側に飛び降りたが、足をくじいて倒れてしまう。ぬかるんだ地面にべちゃ、と頭から突っ込む。
「ぐっ、うっ……」
 うめきすらまともな声にならなかった。
 すぐさま立とうとする意思とは裏腹に、疲労に足が笑って上手くいかない。
 こんな所でのんびりしている余裕なんて無い。すぐに立ち上がってまた逃げなければ。あと二ブロック先まで行けばフェルナンド工業化学技術社の工場がある。その敷地内まで逃げ込めれば奴等も手が出せなくなる筈だ。
 そう自らに言い聞かせ、袖で泥水に汚れた顔を拭うと、路地裏の先に人影が見えた。
 夕日の逆光で輪郭は判然としないが、その数は三つ。その一つはやけに小さい。子供なのだろう。
「トレバー・ウィンストン。ったく、手間かけさせやがって」
「……っ!」
 中央の人物の悪態に、トレバーと呼ばれた青年が身構える。
 粗野な言葉遣いだが、声音は確かに女のものだ。
「な、んで……」
「あん? テメーはこの辺りが自分の庭だとでも思ってたのかい。残念だねぇ。この界隈はオレらの縄張りでもあるんだぜ。逃げ道がわかってりゃ、先回りなんて容易いもんだ」
 わざわざくだらないこと聞くなとでも言いたげの女は、面倒臭そうな態度を隠しもしない。
 女は片側の影に手を伸ばす。影は遅滞無く細長い煙管を差し出した。
 女はそれを受け取り口に咥えると取り出したマッチを擦り、火種を落として深く息を吸う。
「――さて、言いたいこたぁわかるな?」
 ゆっくりと紫煙を吐き出しながら、女が問う。
「お、俺は……彼女を愛していたんだ」
「だからウチの娼館から連れ出したと? ミシェルはウチの大事な商品だ。責任はとって貰わなきゃならねぇ」
「あいつはあそこを辞めたがってた!」
 青年の必死の言葉も、女には届かない。
「だから?」
「っ……」
 辛らつな低い声で青年を黙らせると、女はもう一度煙管に口をつけながら、ゆっくりと青年に近づく。
「結果……どうなった? テメーにミシェルが養えるとでも思ったのか? とんだ幻想だったじゃねーか」
 路地奥に入ってきたお陰で、女の姿がはっきりしてくる。
 細身の身体にフィットする、黒のドレスだった。精緻なレース模様とシルクの生地を折り合わせた、落ち着いた雰囲気のドレス。
 頭部には黒い飾りつきの帽子をかぶっていた。帽子から降りたヴェールで女の顔は隠され、その表情は読み取り難いが、視線を彩るのは金色の瞳のようだ。
 その粗野な言動とはまるで相反するような衣装と容姿。しかし、なぜかそれが不思議と似合っている。
 そして、特に女を特徴付けているのは、煙管を持つその手に記された赤い模様だった。
 自然なアザにはとても見えない。流線型の紋様の刺青だった。
「ブラック……ウィドウ……」
 畏怖とともに紡がれた青年の言葉に、女は心底面白そうに口端を吊り上げる。
「あんだ。オレも有名になったな」
 女の服装は“漆黒の未亡人”と呼ばれる由来ともなった、喪服だった。
 女は三度煙管を吸うと、灰を落として踵を返す。
「ディミトリ」
「はい。ミセス・ニードルスピア」
 ニードルスピアと呼ばれた女が煙管を返すと、ディミトリと呼ばれた男は煙管を受け取り、代わりに何かを差し出す。
 女はそれを受け取る。お互いに慣れた遣り取りに見える。こういう事は、良くあるのだろう。
 女はそれを手に、青年にもよく見えるように見せつける。
「これが何か分かるな?」
 握られているのは銃口が縦に二つならぶ小型の拳銃。デリンジャーと呼ばれる、装弾数二発限りの女性の護身用にも使用される拳銃だった。
「俺を殺すのか……」
「……なんだ。オレに会って生きていられると思ってたのか?」
 肩をすくめ、あっけらかんとそう返答する女に、青年は歯噛みする。
「……俺が死んだら、ミシェルは――」
「悪リィがミシェルももう死ぬしかない。テメーのせいだ。諦めな」
「何でだよ。あいつは……!」
「調べはついてるよ。ミシェルはテメーが二人で生活できるほどの金も無い事を知り、仕方なく客を取った。どこにも場所なんかなかったから、路地裏や安いバーのレストルームなんかで。それまでの十分の一にも満たない金額でな。健気な子じゃねーか。だってのにテメーは、なけなしの金を稼いできたミシェルを『裏切った』と罵り、殴り、首を絞めた」
 女の断罪に、青年は狼狽える。その事実は、青年以外に誰も知らないはずだったのだ。
 バタバタと音がして、青年が乗り越えてきた金網の向こうにガラの悪そうな男が三人現れる。青年の追手なのだろう。一斉に手にした拳銃を青年へ向けようとするが、一人が“漆黒の未亡人”の姿を認め、全員を制止する。
 青年を追っていたのは、“漆黒の未亡人”の部下だったのだ。
「ったくテメーらはよぉ。トロ過ぎんだよ。こんな奴一人捕まえられねぇとは」
「……マム、すみません」
「スパイカーズも質が落ちてきたか? エドにちゃんと釘打ちしてもらわなきゃな」
 恐怖に唾を呑み込むゴロツキなど一顧だにせず、女は青年を見る。
「まあいい。で、どこまで話したっけな。……ああ、そうだ。テメーがミシェルを暴行したってとこまでだったな」
 そこで女はディミトリと共にいた子供を手招きして青年の前まで呼ぶ。
 子供は明らかに怯えながら、おどおどした足取りで女の元へ。
「可哀想にな。ミシェルは後遺症でもうマトモに喋れやしねぇ。スラムの浮浪者に捕まって慰みモンになるのがオチだ。飽きるまで無茶苦茶されて、最後にゃゴミみてぇに捨てられるおもちゃと一緒だ。テメーのせいでな」
「俺は! そんなこと……」
 女の糾弾に、泥だらけだった青年の顔は涙と鼻水にもまみれていた。
 女は銃弾を確認して撃鉄を押さえながら引き金を軽く引き、慣れた様子で動作確認をしながら話を続ける。
「それが現実だよ。浅はかな夢を見たテメーへのしっぺ返しって訳だな。……ま、自分の頭の悪さを呪うこった。さて……クリス。これを持て」
 女の隣に並んだ少年は、女の差し出すデリンジャーを恐怖の眼差しで見つめる。
「早くしな」
「っ! ……は、はい……」
 女の叱咤に、クリスと呼ばれた少年は慌ててデリンジャーを手にする。
「トレバー・ウィンストン。我、ニードルスピアの名に置いて汝の罪を裁かん。己が罪を数えよ」
 女は託宣を下すように青年を指差す。
「ひっ……」
「一つ。ミシェル・バーンスタインを勝手に連れ出したことで、オレの娼館に入るはずの売上を奪った罪」
「……」
「一つ。ミシェル・バーンスタインに暴行を振るい、彼女に深刻な後遺症を負わせた罪」
 青年だけでなく、隣でデリンジャーを握る少年もまた凍りついて動かなかった。
「一つ。己が貧者で在るが故に、ミシェル・バーンスタインを救えなかった罪」
「……ッ!」
 最後の一つが一番堪えたのだろう。青年はぎり、と歯を食いしばって女を睨み付ける。
 が、当然女はそんな事を気になどしない。
「……クリス。こいつを撃て」
「!」
 平然とした女の物言いに、少年は怯えきったままだった。
「……マ、マム」
「クリス? ああ、そうか。まだ使い方を教えてなかったね」
 少年の恐怖に気付いていないかのような態度で、女はしゃがむと丁寧に銃の使い方を説明する。
「いいか、これが撃鉄だ。これを親指で起こしな。そうすれば、引き金を引くだけで銃を撃てる。銃身に出っ張りがあるだろ、ここを覗いて見える先に銃弾が当たる。こいつは二発しか撃てねーからな。よーく狙え」
「は……い……」
 少年は震える両手で青年を狙う。が、とてもではないが当てられそうにない。
「何で……そんな子にやらせるんだよ。あんたは――」
「――ブラック・ウィドウ。オレのウワサを知ってんなら、んなこたぁ聞くだけムダだってわかんねーか?」
 女は鼻で笑う。
「クリス。ちゃんと当てたいなら胸を狙え。胸なら的もデカいしな。死ぬのには時間がかかるが……ま、その分こいつはしっかり苦しむし、オレも愉しい。もし……このクズが可哀想だと思うなら、頭を狙え。的が小さくて当てにくいが、こいつは痛みを感じずに死ねるだろう」
 女の言葉に、少年は困惑したように青年と女を見比べる。
「一発でちゃんと仕留められたら、オレは嬉しい。クリス。その時はご褒美に目一杯可愛がってやろう」
 女はにっこりと少年に笑って見せたが、少年の顔はより恐怖に染まっただけだった。
「う……」
 中々決められない少年に、女はイライラした声を出す。
「出来ないならお仕置きだ。何をされるか……分かるな?」
「ひっ……」
 恐怖に歪む少年の顔。デリンジャーを握る手に、力がこもる。
「あんたは……人間じゃない」
 震える声の青年に、女は怯むどころか苦笑するだけだった。
「好きな女を後遺症が残るくらいに痛め付けた野郎に言われたって何とも思わねーよ」
「……悪魔め」
「これから死ぬ奴に言われてもな。それに、この程度で悪魔だなんて……テメーは本当の悪魔みたいな奴等を見たことがねーんだな。ちょっと頭ン中がお花畑過ぎンじゃねーのか?」
「……」
「満足したか? 辞世の句は要らねぇな?」
 容赦の無い言葉に、青年は女に一矢報いる事などまず無理なのだと、やっと理解した。わざわざ長々と青年と話をしたのも、青年を屈服させ、打ちのめすため。
 それが女の“愉しみ”なのだ。
 だから、青年のような小物の元へわざわざやって来て、打ちのめして殺そうとしている。
「……クリス。いつまでブルってるつもりだ?」
「その……僕は……」
「ったく、仕方が無ぇなぁ」
 女は呆れた顔をして、無造作に少年からデリンジャーを奪い、青年の額に狙いを定める。
 青年は銃口越しに女を睨み付ける。
「あんたは地獄に――」
 ――銃声。
 青年の額に穴が穿たれ、背後に深紅の汚い花弁が撒き散らされる。
 ゆっくり倒れる青年の姿に、女は嘆息した。
「……オレが地獄に落ちる時はよ、何もかも道連れだ」
 空しそうに言って、銃を下ろす。
「……おい。この死体、いつものように海に捨てとけ」
「はっ」
 乱雑な指示に、金網の向こうにいたゴロツキどもがうなずく。
「さて――」
「――ひぃっ!」
 振り返ろうとした所で、隣にいた少年が恐怖に駆られて逃げ出してしまう。
 その背中に、女は憐れみの視線を向ける。
「あぁ……クリス。それだけはやっちゃいけねぇって言ったのにな……」
 男が――ディミトリ。日が陰り逆光では無くなったお陰で、燕尾服を着ているとわかる。“漆黒の未亡人”の執事なのだろう――駆け出した少年を避ける。驚いてというよりは、これから何が起こるか分かっている様子で。
「……」
 もう一発、銃弾が残っているデリンジャーを女が構える。銃身の短いその拳銃は、離れていく標的に狙いを定めるのは難しいはずだ。
 ……が。
 銃声。
 少年“だったもの”が路地裏に転がる。
「はぁ、仕方がねぇな。テメェ等、あれも頼むわ」
 女の要求に、ゴロツキどもがまたうなずく。彼らは平静を保とうとしているが、息をのみ、冷や汗を流していた。女の所業に圧倒されているのは確かなようだ。
 地面に広がる紅。
 転がる四肢。
「……」
 残弾の無いデリンジャーをディミトリに渡す。
「……お疲れ様です、ミセス」
「ああ。……すまんな。新しい子を……探さなくては」
「承知致しました。こちらへ参りましょう」
 執事は女の所業に何も口を挟まなかった。女もまた、執事の態度に一切の疑問を抱くこと無く、執事の導く先へと歩みを進める。
 ……日はもう沈もうとしていた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

針降る都市のモノクロ少女 01 ※二次創作

第一話

お久しぶりです。
今回はコンピレーションアルバム「アントゥルース・ディストーション」より、Taku.K様の「針降る都市のモノクロ少女」の二次創作をお送りいたします。

一部、残虐な描写、グロテスクな表現、倫理的に許されない行為があります。苦手な方はご注意ください。

全17話ですが、1話の分量が収まらないものは分割予定です。前のバージョンが分かりにくいので、おまけ以外では使用しないつもりです。

今回は参考文献はありません(笑)

閲覧数:180

投稿日:2019/11/08 13:29:21

文字数:5,671文字

カテゴリ:小説

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