UVーWARS
第三部「紫苑ヨワ編」
第一章「ヨワ、アイドルになる決意をする」
その6「紫苑家の夕飯」
わたしは、家の前でネルちゃんと別れた。
とりあえず、遅くなった理由は、二人で口裏を合わせて、入学式の反省会をしていたということにした。
わたしの家は分譲住宅の中の一戸で、周りは似たような家が並んでいる。
そんな中で特徴があるとしたら、ただ一軒だけ屋根が赤くて、塀の上にプランターが並んでいることだった。
リビングに明かりがあり、二階にも明かりがあることから、父と兄が揃って帰っていることになる。
簡単な門を開け、玄関の扉を開けるのにカードキーを差し込んだ。緑色の小さなLEDが灯って、わたしはドアのノブを引いた。
玄関が静かに開いた。
聞こえてくるテレビの音に少し安心して靴を脱いだ。
「ただいまー」
少し間をおいて、母が台所から顔を覗かせた。
「お帰り、ヨワ」
いつも通りのエプロンと笑顔で少し安心した。
わたしはほんの少しだけ考えた。重音さんからもらった入学案内を見せるべきだろうか。
「ちょうどよかった。お皿、運んでくれない」
わたしはそこで考えるのを止めてしまった。
「はーい」
今日配られたばかりの教科書の入ったかばんと、同じく新しい体操服と辞書の入ったスポーツバックを廊下に置いて、わたしはキッチンに入った。
入学案内は鞄の外ポケットに畳んで入っていた。
今日の晩ごはんは、父の好きなすき焼きだった。
誰もわたしが遅く帰ったことを責めたりしなかった。
突っ込んでくれると、入学案内のことを話しやすいとも思ったけど。みりんと割下の香りがわたしのお腹を刺激した。頭の中は食欲に支配された。
「お帰り」
台所に長身でスポーツ刈りの兄が立っていた。優しそうな笑顔にわたしの笑顔も少しひきつった。
頭もいいし、スポーツマンだし、顔もそこそこいいと思うが、妹のわたしも迷惑なほどシスコンなのが、珠に瑕(たまにきず)だ。
「剛(つよし)、鍋を。熱いから気を付けて」
剛は兄の名前だ。グツグツと音と湯気を立てた、肉と白菜が満載の電気鍋を、兄は軽々と持ち上げた。
「ヨワはお膳と卵をお願い」
熱々の鍋を兄が運んで、わたしは、茶碗と生卵を運んだ。
テーブルにお膳を並べて、リビングのソファーに目をやると、父は深々と腰掛けてテレビを見ていた。
クスッと笑ったかと思うと次の瞬間ひきつったように大きな声で笑って、わたしは一緒にテレビを見ているときでもドキッとさせられる。
「お父さん、ごはんだよ」
「おう」
父はテレビを切ってソファーから立ち上がった。
父はそのまま冷蔵庫に一直線に向かった。
途中すれ違った兄に声をかけた。
「剛も、飲むか、ビール?」
「ああ、うん」
「お母さんは何がいい?」
わたしは心の中で「またか」と突っ込みを入れていた。母の答えは決まっている。
「お父さん」
兄もわたしと同じ気分らしい。呆れた顔で母を見ていた。
小さい頃から聞かされ続けた決まったやり取りだった。もう慣れたとはいえ、両親は何歳まで続けるつもりだろう。
「それでは」
全員がテーブルに着いて、母の掛け声で夕食が始まった。
「美味しい牛肉を送ってくれた、田舎の叔父さんに感謝しつつ、いただきます」
「いただきます」
田舎の叔父さんは、岐阜県の山奥で牛の飼育と米作りをしている。小さい頃遊びに行った覚えがある。
舌にのせると溶けるような甘い牛肉に至上の幸福感を味わいつつ、それがそのまま口から出た。
「おいしい。幸せ」
「そういえば、今日は遅かったな。学校で何かあったのか?」
そらきた。父の詮索好きは今に始まったことではないが、そろそろやめてほしい。
答えは用意してあったので慌てたりはしなかった。
「ネルちゃんと、今日の反省会」
「そうか。剛は、早かったな」
「新人研修を出先機関でやって、そのまま直帰。お陰で、面白いものが見れたよ」
「何々?」
と、母が身を乗り出した。
「アイドルのゲリラライブ。重音テト、って言うらしい」
わたしはびっくりした。同時に父と母の顔色も変わって、二度驚いた。
わたしもそうだったけど、父も母も不意を突かれた風だった。
母の笑顔がひきつった笑顔に変わった。
父は憮然としてすき焼き鍋を見つめていた。
「剛、もっと他の話題はないの?」
「今日、出先で見た実験の話をしようか。食事時にどうかとは思うけど」
「実験て?」
わたしは話を反らしたくて兄の振りにノッたふりをした。
「動物実験」
それを聞いただけで哀れな動物たちの姿が思い浮かんだ。わたしは顔色を失って沈黙した。
わたしが口をつぐんでしまうと夕食の場が無口になってしまった。
わたしは話題を探して、とりあえず今日あったことを話すことにした。
「今日、入学式だったよ」
「知ってる」
父のテンションは低かった。
「新品のブレザーが大き過ぎる子は珍しくないけど、小さ過ぎる子がいてびっくりしたよ」
「ほう」
少し父のテンションが上向いたような気がした。
「きっと、サイズを間違えて買っちゃったんだと思うんだけど」
「もしくは、一ヶ月でかなり成長したか…」
兄が話題に加わってくれて内心ホッとした。
「えー、そんなこと、あるかなあ」
兄は澄ました顔で応えた。
「いるさ、一ヶ月で八センチも伸びて、折角買ったブレザーを下取りに出した奴なら、知ってる」
それは、わたしのことだ。すかさず、切り返す、いつものセリフで。
「あら、お兄様、意地悪ね」
この一言で、兄は無口になってしまう。
「で、ヨワは、何を反省したの?」
母の質問に慌てず答えた。
「部活の紹介のタイムテーブルが、うまく消化できなかったの…」
「そう」
「もうちょっと活躍しているクラブの時間が長い方がよかったかなあ、と思って…」
その後、新しい担任の若い男の先生の話をし、兄がお役所仕事の典型的な話をして、夕食が終わった。
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