第二章 ミルドガルド1805 パート10
一体、リン様はどのような生活を営んでいるのだろうか。
一歩一歩近づく、ルータオで一番巨大で、そして最も美しい建築物であるルータオ修道院を目前としながら、メイコはそのようなことを考えた。リン様にレンの最後の言葉を伝え、そして謝罪したい。その想いだけでゴールデンシティからここまで、一週間に及ぶ長旅を敢行してきたのである。それが目的地を目の前にして極度に緊張していることを自覚せざるを得なくなった。かつてのリン様なら、間違いなく私に罵声を浴びせてくるだろう。実際、私の犯した罪はそれほどに重い。祖国を裏切り、敵国に国を売り渡した。売国の騎士と評価されてもおかしくはない程の罪人であるはずなのに、私は今も生活が保障され、拘束もされることなくのうのうと生きている。それに対して、リン様はなんとおっしゃるのか。かつての豊かな生活を思い出されて涙されるのではないだろうか。メイコがそう考えている内に、彼女達は目的の場所に着いた。この時代に於いてはリーンはもちろん、メイコであってもルータオ修道院を訪れることは初めての出来事であった。落ち着いた赤煉瓦作りの、二層建ての建物が礼拝堂であった。その礼拝堂へと続くルータオ修道院の正門で一度立ち止まったルカは、メイコとリーンに振り返ると確認を促すようにこう言った。
「旅の途中でも伝えたけれど、リンはここではマリーという偽名を使っているわ。事実を知っているのはハクだけよ。注意して頂戴。」
その言葉に、リーンが真剣な表情で頷いた。メイコもまた、緊張を隠しきれない強張った表情で頷く。そのメイコに向かって、ルカは落ち着いた口調でこう言った。
「覚悟は出来ているかしら。」
「はい。」
ルカの言葉に、メイコは微かに震える声でそう言った。戦の時ですら、ここまで極度に緊張した試しはない。四年の時が流れ、リン様はどのように成長されたのだろうか。年相応の娘らしく、美しく成長されているのだろうか。
「行くわよ。」
ルカは努めて無感動にそう告げて歩き出した。直接に礼拝堂へは向かわずに、礼拝堂の隣に併設されている、随分と質素な二階建ての建物へと向けて歩いてゆく。あの建物にリン様がお住まいになっているのか、とメイコは判断してじっくりと建物を観察した。自分がかつて住まいを置いていたアパートメントよりは立派な建物ではあったが、いずれにせよ庶民が暮らすような建物であることに間違いはない。リン様は修道女として日々の生活を過ごされているということだから、さしずめこの建物は修道女達の宿舎だろうか。メイコがそう考えていると、ルカが馬を傍にある柱に括り付け、そして宿舎の玄関の扉を開いた。直後に若い娘の声が上がる。
「ルカ様!お帰りなさい!」
聞きなれぬ声だな、とメイコは考え、或いはハクという娘だろうか、と考えてルカの肩越しに内部を覗き込んだ。そこにいた娘は小柄で、愛嬌のある娘であった。
「ただいま、ミレア。マリーとハクはいる?」
「ええ。マリーなんて今朝からずっとそわそわしていたわ!まだ食堂にいると思うけれど、呼んで来ましょうか?」
ミレアはそこまで言い切ったところで、ルカの背後に立つ人物の姿に気がついたようだった。ミレアはまず大剣を腰に収めているメイコの姿に気づいて不審そうに眉をひそめた直後、リーンの姿を視界に収めて息を呑んだ。
「え、あ・・あなた、誰?」
明らかに混乱をしていることはリーンであってもよく理解できた。だが、それはリーンも同じであっただろう。ミレアという名を持つその少女の姿があまりにも似ていたからだ。即ち、リーンの時代にルータオ修道院で勤めを果たすミレイアの姿に、である。特に愛嬌のある瞳は瓜二つだった。リーンにとっては姉貴分に当たるミレイアもまた、先祖代々長い間ルータオで暮らしている家系である。或いはこの人はミレイアのご先祖様なのだろうか。
「リーンという娘よ。マリーに良く似ているでしょう?」
ルカが補足するようにそういうと、ようやく落ち着いた様子でミレアがこう言った。
「似ているどころか、瓜二つだわ!もしかして、隠れた双子とか?」
どうやらミレアは二百年後に生きるミレイアと同じくスキャンダルには目がない少女であるらしい。或いはミレイアの噂話好きはミレアの遺伝によるものだろうけれど。
「双子ではないけれど、もしかしたら遠い血縁関係かも知れないわね。」
楽しそうにルカはそう言うと、リーンとメイコに振り返り、続けてこう言った。
「さぁ、会いに行きましょう。マリーに。」
一言それだけを伝えたルカは、慣れた様子で宿舎に踏み入ると廊下を左手の方向に進んで行った。すぐに食堂を示す看板が掲げられた大部屋にたどり着く。
「ただいま、マリー。」
ルカがそう声をかけた。その直後、マリーと呼ばれた少女が振り向く。その顔立ちを見て、マリーは思わず唾を飲み込んだ。マリー、即ちリンはリーンが想像していた以上にリーンに良く似ていた。まるで鏡写しの反対側の人間を現実世界に引きずりこんできたかのように。
「おかえり、ルカ!」
振り返りざまにそう叫んだリンは、しかしルカと同時に入室してきた二人の女性の姿を見つけてあんぐりと口を空けた。リンと向かい合うように腰を落としている白髪の乙女もまた、何事かとばかりに瞳を瞬かせた。その暫くの沈黙の後に、リンが声を絞り出すようにこう言った。
「メイコ、貴女がここに来るとは思わなかったわ。」
毅然とした声が食堂内に響く。元王族の気迫にまともに直面したリーンは無意識に首筋をすくめた。続けて、リンの言葉が続く。
「それに・・貴女は誰?」
それ以上に戸惑った声で、リンはリーンに向かってそう言った。その言葉に対して、リーンはこう答える。
「リーンよ。マリーさん。」
だがその答えは十分ではなかった様子で、リンはますます不審そうに表情を歪めた。そのリンに対して、ルカが丁寧な口調でこう言った。
「ゴールデンシティで様々なことがあったの。皆私の部屋に来てもらってもいいかしら。」
そのルカの言葉に、リンは一度白髪の娘の姿を視界に収めた。そしてルカに向かってこう言った。
「ハクも同席してもらうわ。」
「構わないわ。でも、その前にハクには紅茶を淹れてもらおうかしら。ゴールデンシティで良いお茶が手に入ったの。」
ルカはそういいながらバックから瓶詰めの紅茶を取り出した。その紅茶を受け取ろうと、ハクと呼ばれた白髪の娘が椅子から腰を上げる。その姿を見つめながら、あの人がハクさんなんだ、リーンは考えた。誰もが羨むような綺麗で長めの白髪も、白磁のような肌理の細かい肌も、紅茶を淹れるといったところまでハクリに瓜二つだと考えたのである。
「まず、ゴールデンシティで何があったのかを説明するわ。」
ルカがそう言って話を切り出したのは皆がルカの私室へと移動し、ハクが全員分の紅茶を用意し終わった時であった。扉は厳重に施錠され、その上にルカが音漏れを防ぐ魔術まで施している。壁に耳あり、障子に目ありと言う。用心に越したことはないというルカの判断であった。そのまま、ルカはこの一週間で起こった出来事をリンとハクに丁寧に伝えていった。リーンが二百年先の未来から訪れたこと。メイコが同行を願い出たこと。簡潔に纏めたルカがそこで言葉を止めると、メイコを促すように目配せをした。その視線に緊迫した面持ちで頷いたメイコは、リンに向かって跪くと、かつて行ったように、忠誠を誓う騎士としての態度でこう言った。
「リン様、私を思いのままに処罰してください。」
その言葉に、リンは唇の端を軽く噛み締めた。メイコの反乱のせいで黄の国はその歴史に終止符を打たれることになった。そして、大切な人を失うことになった。あの時、必死の思いでレンがあたしを逃がしてくれなければ、殺されていたのはあたしだったはずだ。だけど、その反乱のそもそもの原因を作ったのはあたし。ハクがあたしを殺しかけた原因を作ったのもあたし。あたしは自身の感情だけに任せてミルドガルドを混乱に陥れた張本人。罪があるなら、それはあたしの方が数倍も重たい。本当はあたしが死ぬべきだったのだろう。その代わりに、レンには生きていて欲しかった。でも、レンは何の罪も無いまま、ただあたしを守るという目的の為だけに身代わりになった。代わりにハルジオンの栞と、レンが本当は愛していたのだろうミク女王のリボンだけをあたしに託して。
「レンの言葉を聞かせて。メイコが聞いた、レンの言葉。」
震える声で、リンはそう言った。あたしは聞く義務があり、そして訊ねる権利がある。レンの言葉を。あたしが心から愛した男の言葉を。
「『リンを殺さないで。』レンは最期まで、捕らえられた後であっても私にそう言いました。」
震える声でメイコはそう言った。
「そう。」
あの時、あたしは生まれて初めてレンにあたしの命令を拒絶された。一緒に逃げようとしたあたしの意志を無視して、レンはただ一人、黄の国の王宮に止まった。そしてあたしの目の前で処刑された。もうレンは還って来ない。どれだけ神様にお祈りしても、小瓶を流し続けても、レンには逢えない。
「暫く、ゆっくりと休むといいわ。王宮に比べれば質素な部屋だけど。」
あたしはメイコに向かってそう言うと、部屋の外へと出ようとした。
「リン様、どちらに。」
どうしたらいいか分からない。そんな口調でメイコはそう言った。そのメイコに対して、リンは静かにこう告げた。
「時間だから。それに、暫く一人にさせて。」
それだけを伝えてドアノブに手をかけたが、もう一言だけ伝えよう、とリンは考え、続けてこう言った。
「メイコ、あたしは貴女の父親を奪った張本人よ。貴女こそ、あたしに罰を与える権利があるわ。」
それだけ伝えれば十分ね、とリンは判断して、施錠されたドアを解錠すると廊下へとその身体を移した。そろそろ三時になる。海に小瓶を流さなければならない時間だった。もう適わない願いだと分かっているのに、どうしてあたしは四年も経った今も小瓶を流し続けているのだろう。無駄な努力だと理性では理解しているのに、感情が理解してくれない。
もう一度だけ、一度だけでいい。レンに逢いたい。
リンがそう想いながら宿舎の玄関口に到達したとき、自身の声質とよく似た声が背後から掛けられた。
「あたしも一緒に行ってもいいかな?」
それはリンに良く似た少女の姿であった。まるで瓜二つ。双子だったあたしとレンよりも良く似ている姿だった。だけど、多分この娘はあたしと違って素直に育てられたのだろう。疑うことを知らない真っ直ぐな視線に少しばかりの嫉妬を感じながら、リンはリーンに向かってこう言った。
「いいわ。」
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ご意見・ご感想
lilum
ご意見・ご感想
こんばんは。新着で見つけて飛んできました!
リンとリーン、とうとう対面しましたね。ジャノメの件もあるので、これからどうなるかもうドキドキしっぱなしです!
次回をwktkしながら待ってます♪
あ、でも頑張りすぎて無理しない様にして下さいね☆ それでは(^-^)/
2010/08/22 23:02:29
レイジ
コメントありがとうございます!
投稿してからすぐに読んでくれたのに返信一週間放置とか・・本当にスミマセン。。。
今週なぜか毎日終電でした・・orz
ということでようやく日曜ですね!
今週もよろしくです☆
2010/08/29 11:43:28