11
三日後の昼過ぎ。
私は再び大統領執務室へとやって来ていた。
UNMISOLの現状を、ラザルスキ大統領臨時代理に報告するためだ。
……現状を大まかにでも把握するだけで、それだけの日数がかかってしまったのだ。
私の護衛はエリックだけだった。私はカンガを羽織り直して、彼にうなずく。エリックが執務室の扉をノックし、ノブを回して室内へと私を案内する。
「――失礼します」
「ああ、入りたまえ」
室内には、ひどくリラックスした雰囲気の大統領臨時代理がいた。
革張りのチェアに深く腰を下ろし、両足をデスクにのせている。
「どうか――されたんですか? あ……」
その質問の途中で理由がわかってしまった。彼の手にはロックグラスが握られていて、琥珀色の液体に透明な氷が浮いている。
「お酒ですか。……こんなときに。しかもまだお昼ですよ」
外は快晴。当然明るい。
……なんだこの男は。
「こんなときだからこそ、だろう。人には休息が必要なのだよ」
もう酔いが回っているのか、陽気そうな大統領臨時代理。
「はぁ……。ESSLFがいつ侵攻してくるかも、まったくわかっていないのですよ?」
「大丈夫だよ。ダニエル・ハーヴェイ将軍殿がアラダナの東側に陣取っている。ESSLF、Eastern-Solcota Sacred Liberation Front。すなわち東ソルコタ神聖解放戦線が侵攻を始めても、将軍率いる政府軍が押し留めてくれるさ」
陽気さを崩しもしない大統領臨時代理。
私はあきれて彼の背後に立つ二人の護衛をちらりと見るが、護衛はプロらしく微動だに――いや、私の視線に気づいて一人が小さく肩をすくめた。あきれているのは私だけではないらしい。
「それでは……報告を聞こうか?」
「……そうですね。本当はもっと早くお伺いするべきだったのですが……しかし、事実関係を確認するのに手間取りまして」
「そういえば……昨日、国連キャンプから元子ども兵を一人預かったそうだね? なにか関係が?」
「はい。リディアという子なのですが……ESSLFで戦わされていたらしく、かなり内部事情に明るい様子で。将軍に連絡すべきとは思いましたが、ここにいらっしゃらず――」
「なに!」
大統領臨時代理は驚いて立ち上がる。グラスからウイスキーがこぼれて手を濡らすが、気にもしない。
「その子はどこにいる!」
「ちょっと……落ち着いてください。ここに連れてきているわけではないんです」
嘘だった。
だが、この様子では嘘をついておいて正解のようだ。
本当は下階の応接室辺りにいるはずだ。あの子にはモーガンに付いてもらっている。
「どこまで知っているのか……確かめねば。私が直接聞く。ここにその子を連れてくるのだ!」
「なにをそこまで――」
「――いいから、連れてこいと言っている!」
激高して私に詰め寄ってくる大統領臨時代理。だがあいにく、そんな駆け引きとも言えない恫喝に屈する私ではない。国連大使の仕事は……交渉術がものを言う仕事なのだから。
「……」
「……」
無言で視線をぶつけ合い……先にそらしたのは大統領臨時代理の方だった。
「私も同席するのであれば……いいでしょう」
「ダメだ。私一人で聞かなければならん」
「……子どもを尋問なさるのですか? 大統領臨時代理ともあろうお方が?」
「それは……ええい。そういう問題ではないのだ。私の――」
不意に口をつぐむ大統領臨時代理。
なにかはわからないが、無表情を装っていてもなにかを“言い過ぎた”ということだけは伝わった。
「――?」
「な、なんでもない」
「はぁ……」
急に歯切れの悪くなる大統領臨時代理に、そこはかとない胡散臭さを感じながらも、それ以上は追求しない。
「ともかく――」
遠くで、ズズン、というようなやけに重い音が響いて、私は口をつぐんでしまう。
「なんだ。今のはなんの音だ?」
困惑する大統領臨時代理の声の直後に、再度の重低音。かなり遠くで鳴っているはずなのに、行政府庁舎の建物もかすかに揺れ、パラパラとほこりが舞った。
ゾワッと全身が総毛立った。
「まさか、ESSLFの総攻撃……」
「バカな、あり得ん! 将軍の陣地からここまで、どれほど距離があると思っている!」
「しかしこれは――」
耳をつんざく破裂音。
建物が崩落する音。
……おそらく、戦車砲弾の流れ弾だ。
市の外縁部から適当な射角で撃った砲弾が、たまたま行政府庁舎の近くの建物に着弾した。そういうことだろう。
「なぜ、なぜだ。ハーヴェイ将軍はなにをしている」
「すでに壊滅しているか……迂回されているのでしょう」
「なぜそんなことになる!」
「それは私にも……考えられるとするなら、こちらの内部情報が向こう側に漏れて――」
「――そんなはずなかろう! 誰が好き好んでそんなことをするというのだ! 情報を漏らしてESSLFの攻撃が始まれば、自分の死を招いているようなものではないか」
「それはそうですが……」
とはいえ、やりようはいくらでもあるだろう。家族を人質にとるとか、金銭を渡すとか。
だが、それ以上の言い合いは無駄だと、大統領臨時代理も気づいたのだろう。あわただしく執務室の外へと出ていく。
「ちょっと。話はまだ……ああもう」
大統領臨時代理が走り去っていったのを、護衛の二人があわてて追いかけ、私の横を通りすぎていく。
執務室に取り残されたのは、私はエリックの二人だけ。私たちは顔を見合わせ、どちらからともなく肩をすくめた。
「執務室が……一番安全なのではないの?」
「本来はそのはずですが……あの様子だと、正面玄関側の応接室に行ったんでしょうね」
「応接室? どうして?」
「補強してあるからですよ。外からも鉄板やなんかが追加で張ってあるんです。ラザルスキ大統領は、なにかあってもあの部屋なら大丈夫、となにかにつけて仰っている、という話を仲間から聞きました」
「でも、あんな真正面じゃあ……」
「言っても聞いてくれない、とぼやいてましたよ。そいつは。ハーヴェイ将軍に諭してもらうしかありませんね。……その時間があれば、の話ですが」
再び、低く重い音が響く。
私たちはそろって上を見上げる。
「……東ではないようね」
「そう、ですね」
偵察されていたのか、それとも内通者がいたのかはわからないが、敵はハーヴェイ将軍率いる政府軍がアラダナの東側に陣を敷いていたのを知っているのだ。
「できることなんて……もうないかもしれないわね」
「そんなことを言わないでください」
「冗談よ。モーガンを呼んで、リディアとこっちに来てくれるよう伝えてもらえる?」
「了解しました。……モーガン、モーガン?」
通信機に手をやるエリック。ややあってモーガンの焦ったような返答が。
『あー。モコエナ中尉。モーガン・フリッツです』
「外の音はお前も聞こえているな? ここは戦場になる。一緒にいるリディアを連れて大統領執務室に来い」
『それなんですが……。あー。あー……』
「……? なんだ。はっきり言え」
『すみません。リディアが……逃げ出しちまいまして。庁舎から出てはいないようなんですが……』
「モーガン! なにをやっている!」
「……仕方ないわ。私がいるべきだった」
怒るエリックをなだめる。
リディアは極端に周囲に怯えていた。大統領臨時代理に直接会わせない方がいいと思ったのだが……それで私と離ればなれにしてしまったのが裏目に出てしまった。
「……仕方ないわね。モーガンと合流して、リディアをここに連れてきてくれるかしら。いえ……私が行った方が間違いなさそう」
「いえ、そういうわけにはいきません。この建物ですら安全とは言いがたい以上、貴女にはここで留まっていただいた方がいい」
「リディアは小さな女の子よ。モーガンから逃げ回っているなら、彼一人で見つけるのは大変じゃないかしら」
「それは……そうですが」
「私がここにいるなら、エリック。貴方もリディアを探しにいってくれないと」
大丈夫よ、と言う代わりに、私はエリックの肩をとんとんと叩く。
「そうしてくれるなら私はここにいるわ」
「ですがそれでは……。……わかりました。くれぐれも、無茶はなさらぬよう」
そう言うと、エリックは反論を引っ込めて渋々うなずく。そして腰のホルスターから一丁の自動式拳銃を引抜き、手の中でくるりと半回転。銃身を握って銃把を私の方に向けて差し出してきた。
「念のため、こちらをお持ちください」
「私……二度と銃は撃たないって、貴方も知っていると思っていたのだけれど」
「であれば弾薬を抜いて、威嚇にお使いください。選択肢が少ないよりはいい」
「あれはあのときだけよ」
「ミス・グミ。貴女の話が本当なら、これだけは譲れません」
エリックは毅然とした態度できっぱりと言い切る。
「私の話?」
「内部情報を漏らしている者がいるかもしれない、という話です」
「ああ……でも、私にも確証がある話ではないのよ」
「それでもです。可能性が低かったとしても、ここにもしスパイがいたとしたら、私は敵が潜んでいる場所に貴女を一人残すことになるのです。それでも私が貴女の指示に従うのは、貴女の人柄を信頼しているというだけでなく、銃器の扱いに長けていることも知っているからです」
「……」
「相手がケイト氏であれば、私は断固としてここを動きませんし、移動も許可しません。ケイト氏が信頼できないからではありません。ケイト氏は銃を扱えないからです。銃器を扱えないなら、一人にはできません」
反論できなかった。
「わかったわ。私の負けね」
私はエリックの差し出す自動式拳銃を受け取る。
セーフティがかかっているのを確認してから、遊底を引いて薬室内の弾薬を確認。次にリリースボタンを押してマガジンを取り出し、目視と重量から弾薬が詰まっているのを確認する。
遊低やマガジンの動きが、これまで手にしたどの銃よりもスムーズだ。
丁寧に手入れされていることがよくわかる拳銃だった。
ハーヴェイ将軍の拳銃のように必要以上の性能を持つ、見せつけるための銃ではない。実用重視で、軽くて大きすぎもしない携帯性のいい銃。おそらく支給品ではないだろう。エリックの性格がよく出ている。
私はその拳銃をセーフティがかかったままにして、デスクに置く。
「でも……使うつもりはないわよ」
「そうであればいいと、私も思っております」
お互いにうなずきあい、私は執務室から出ていくエリックを見守った。
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