断罪の悪夢

 立っているのか横たわっているのかも分からない。進んでいるのか止まっているのかも不確かな感覚。
 これは夢だ。現実じゃない。
 気が狂いそうな程の静寂が満ちた暗闇。果てなき闇の中。昨日も同じ夢を見た。だからこそ変に落ち着いていて、早く醒めろと強く願う。
「人殺し」
 糾弾の声に振り返る。何も見えない空間のはずなのに、全身血だらけの男が立っているのが見えた。向けられる目は冷酷。むき出しにされた感情は憎悪。
 肥満体で年配の男はつい先日まで黄の国宰相だった人間。自らが斬り捨てた者。
「私とお前は何も変わらない」
 這うような言葉に息が詰まる。違う。と拒絶したくても、否定を表す返事が出て来ない。
「災いの双子。悪ノ王子め」
 呪詛を口にした直後、スティーブの首が転がり落ちる。咄嗟に目を逸らし、視線を戻した時には姿が消えていた。
「お前など生まれなければ良かったのに」
 耳元で響いた声に背筋が凍りつく。恐怖に駆られて周囲を確認しても映るのは暗闇のみ。無音が漆黒の世界を再び支配し、己の激しい鼓動が耳を打つ。静か過ぎるこの場所では他に音は聞こえない。額に滲み出た汗が頬を伝うのが分かる。
 悪ノ王子。今の自分に相応しい呼び名。非難されるのは覚悟していたはずなのに、咎めが深々と突き刺さった。
 黒い世界が徐々に薄らぐ。俯けた顔を戻した頃、正確には顔を上げる前から周りの情景は移り変わっていた。闇から一転して朱色の明かりが包む世界。あちこちから届く爆ぜた音。
 炎が躍り狂う家。煙が立ち昇る路地。夢だと自覚があるのに、熱さや息苦しさを感じる気がするのは実際に経験をしたせいか。
 唇を噛みしめて駆け出す。家屋を焼く火を脇目にひたすら走った。しかし、どれだけ移動しても燃える街を抜けられない。変化が見られない景色に疑問と不安を持ち始めた時、道に転がる瓦礫に躓いた。倒れる体を腕と手で体を支える。目の前には焦げて煤けた地面。
「何で止められなかったの?」
 頭上から降ってきたのは謗り。聞き慣れたその声には軽蔑が込められている。返す言葉などありはしない。家臣の暴挙を阻止出来なかったのは事実だ。
 無力さが悔しくて、防げなかったのが申し訳なくて。いくら謝っても当時の過失は拭えないけれど。
「ごめん……。止められなくて、ごめんな……」
 謝罪が口をついて出る。地面に爪を立てて顔を上に向け、正面に立つ相手を仰ぎ見る。
 氷を彷彿とさせる冷たい目で自分を見下ろしていたのは、現在よりも少し幼い顔つきのリリィ。髪の長さは大分短く、首筋近くで切り揃えられた金髪を熱風になびかせている。他にも薄汚れた格好をした、年も髪の色もばらばらの少年と青年が合計四人。全員がリリィと良く似た眼差しを湛えていた。
 これだけしか助けられなかった。もっと沢山の人達を守れる立場にいたにも関わらず、一握りの人しか救えなかった。
「ごめん……。ごめん……」
 生きた心地がしない思いをさせて。他に方法が浮かばなかったとはいえ、恨んでいる連中と一緒の所に連れて来てしまって。
 リリィ達が背中を見せて離れていく。燃える街へと遠ざかる彼女達を引き止めようと呼びかける。
「行くな! 待ってくれ!」
 立ち上がって追いかける。置いて行かないでくれと手を伸ばして叫んでも振り向いてすらくれない。まるで自分だけ輪の上を走っているように前へ進まず、リリィ達との距離は開く一方。やがて姿が豆粒程度までなった頃、炎が壁となって行く手を阻んだ。反射的に退くと同時に炎は消滅する。合わせて最初から存在しなかったかのようにリリィ達も燃える街も消え失せた。
 訪れたのはまたもや暗闇と静寂。何も見えない、何も聞こえない闇の中。光の差さない箱庭で独り震える。次に誰が現れるかは分かっていた。早く目を覚ませと切に願っても、まだ夢は終わらない事も。
「約束したのに」
 子ども特有の高い声。すぐ傍にぼんやりと輪郭を描いたのは、ぼろのような服を身に纏い、痩せ細った腕を袖口から見せる金髪蒼目の少女。
 八歳のリンは暗澹とした表情を浮かべ、淀んだ目でこちらを見上げていた。
「どうして迎えに来てくれなかったの」
 信じていたのに。縋るように発せられた言葉には絶望が宿っている。裏切られたと訴える視線を受け止め、ごめん。と小さく詫びた。
 守るなんて偉そうなことを言っておいて、俺は一番近くにいる君を見捨てた。苛酷で孤独な環境にいる君に手を差し伸べられなかった。
 いつもそうだ。肝心な時に限って何も出来なくて。全部終わってから後悔して。それを繰り返して誰かに迷惑をかける。俺のせいで皆が不幸に遭っている。
 不意に、幼いリンの姿が闇に呑まれた。掻き消えた姉を呼んでも返事はなく、自分の声だけが虚しく響くばかり。片割れの姿を求めてしばらく、ふと背後に人の気配が生まれた。顔を振り向けたが誰もいない。
「レンがもっと早く気が付いてくれていたら」
 聞き間違えようがない声。いつの間に回り込んだのか、リンが真向かいに立っていた。今度は十四歳の姿でメイド服を着ている。片手には血に濡れた短剣。
 悲痛な面持ちで歩み寄りながら、リンは空いた手をゆっくり伸ばして来る。他人の血で赤い手が暗闇にくっきりと映った。
「私はカイト王子を殺さずに済んだんだよ」
 無感情に淡々と告げる。頬に触れた指先は温かさの欠片も感じ取れず、死人のように冷え切っていた。どちらのものか聞き分けが付かない掠れた呼吸音が耳に届く。
「リ、ン……」
 黒い世界が揺れて箱庭が廻る。視界が白く染まり、唐突に目が覚めた。

 上半身を跳ね起こし、レンは肩を上下させて胸を押さえる。寝起きの瞬間から荒い息と動悸が止まらず、汗で額や首筋に張り付いた髪が鬱陶しい。
「またか……」
 夢見が悪すぎて眠れた気がしない。窓から覗く空は白みを帯び始めたばかりで時間に多少の余裕はあるが、とても二度寝する気分にはなれなかった。
 真っ暗な空間でスティーブやリリィ達に糾弾され、そしてリンから責められて終わる夢は、自分の罪や罰がそのまま具現された世界。目覚めの気分は最悪だ。

 宰相を処刑した日の夜。レンは意識を取り戻したリリィと後片付けを終えた近衛兵隊の面々に経緯を説明した。
 三年前、黄の国宰相スティーブは反乱分子を排除すると言う口実で貧民街へ火を放った。しかし反逆を企てる者達が本当にいたかは疑わしく、仮にいたとしても大火災を引き起こして大勢の人の命を奪った罪は重い。よって王子自らの手で粛清した。と。
 リンの始末が目的だったとは口が裂けても言えなかった。それに黄の国王女は世間では五年前に亡くなった事になっている。メイドとして働いているリンベルが実はリン・ルシヴァニア王女だと話して、皆が信じてくれるかは自信がない。
 真実を知った面々の反応は様々だった。驚きを隠せない者。妙に納得していた者。怒りを露わにしていた者。共通していたのは、三年前の事件がようやく終わったのだと実感していた事。どこかふっきれた表情を浮かべていたのがレンの脳裏に焼き付いた。
 リリィが玉座の間で卒倒したのが気にかかっていたレンは、翌日彼女が一人になったのを見計らって訊ねた。仕事の時は凛とした態度を崩さないのに、急に倒れて驚いたと。
「……血、駄目なのか?」
 質問にリリィは少々躊躇っていたが、そうじゃないと否認を前置きして答えてくれた。
「トラウマを刺激されたんです。あの時見たのが、家族を殺された時とそっくりで……」
 その時の光景が被り、気付いたら医務室のベッドで横になっていた。家族が斬られた傷と宰相の刀傷がほぼ同じだったのがおそらく最大の原因だと語る。
「事前に知っていれば大丈夫なんです。覚悟を決められますから。ただ、あの時はちょっと頭が回ってなくて」
 余計な心配をさせて申し訳ない。そして気遣ってくれてありがとうとリリィは頭を下げた。

 早鐘の動悸が落ち着き、レンは胸に当てていた手を下ろして目を伏せる。
「消えないよな。やっぱ」
 戦争が終わって十年。心に負った傷は長い年月によって治りはしたのだろう。だが深い怪我が痕になって残るように、傷が消えて無くなった訳ではない。リリィは今なお家族の死を引きずっている。
 当然だが人殺しなんて気持ちの良いものじゃない。ましてや戦争時のリリィは八歳。家族を斬られる光景を目にした衝撃は非常に激しかったはず。過敏になるのも無理はないと思う。
「う……」
 スティーブへ剣を振り下ろした瞬間が突然鮮明に蘇り、吐き気を催したレンは口を覆う。掛け布を跳ねのけて両足を床に下ろし、洗面台へ向かって突進する。
「がっ、あ……」
 激突寸前で危うく停止して下を向き、口の中に湧いたものを吐いて咳き込む。切れ切れになった息を深呼吸で整えはしたが、顔は色を失って青くなっていた。
 生きるか死ぬかの危険に晒されているのは今更だ。王子の命を狙う刺客を斬り捨て、場合によっては殺した事もある。自分の命を守るには剣を振るうしかなく、数えるのが嫌になる人数を死に追いやり、結果的に今日の夜明けを迎えている。
 レンが吐くほどの不快感を覚えているのは、人を殺した事に対してでは無かった。笑っているとも泣いているとも取れる面持ちで自虐する。
「とうとう狂ったのか、俺……。壊れちゃったのかな」
 スティーブを手にかけた際から今に至るまで、混乱や動揺がまるで生じていない。人を斬った行為への罪悪感。自分の身が助かった安堵感。これまで誰かを殺した時に覚えた感慨も湧かず、心中は異様な程凪いでいた。
 窓から光が細く差し込む。新しい一日を伝える朝日を視界の隅に納め、レンは気だるさを僅かでも追い出すように溜息を漏らした。

 太陽が昇り、王宮内が活気に包まれた時間。
「そんな!」
 自室で午前のお茶に至福の時を感じていたミクは、突如もたらされた情報に驚きを露わにする。
 宣戦布告も無しに黄の国騎士団が青の国へ侵攻。抵抗する暇もなく港町は占領されてしまった。
 雑な音を立ててカップを置き、驚愕が治まらないままメイドに詰め寄る。嘘であって欲しい、夢であって欲しいと切に望んでいたが、これは現実だと頭の隅では見定めていた。
「王子は……。カイト王子は無事なの!?」
 真っ先に浮かんだのは彼の安否。今すぐ教えてとメイドに迫ったものの、返答は曖昧なものだった。
「分かりません。私も詳しい事は」
「もういい!」
 頼りにならない答えに苛立ち、ミクは相手の言葉を強引に打ち切る。メイドを突き飛ばすようにして部屋の外へ勢いよく出ると、背後から聞こえる声を無視して廊下を駆けた。
 父の元へ、緑の王の所へ行けばきっと分かるはず。ミクはカイト王子が無事かどうかの一点を考えて王宮を走る。やがて遠くに謁見室の扉が見え、急がなくてはと焦りを感じた刹那に扉が開かれた。
「ミク!?」
 謁見室から退出して現れたクオが声を上げ、速度を緩めたミクが怪訝な顔で歩み寄る。
「兄様。お父様は」
「今は止めた方が良い。何を言っても相手してくれないよ」
 クオは首を横に振り、なおも父と話したいとせがむ妹を押し留める。どうして、とミクは不満を隠さない。
「邪魔しないで! 青の国が黄の国に侵攻されたのよ! 援軍を送るよう頼まないと……」
「それも無理なんだ。……緑の国は黄にも青にも援軍は送らないと父上は言っていた」
 国王の決定には逆らえない。悔しさが滲む口調で告げられ、希望を断たれたミクは床にへたり込む。
「詳しい話は僕の部屋でしよう。それからミク、人目に付く所でああ言う事を大声で口にするのは避けた方が良い。誰に聞かれたり見られたりしてるか分からないから」
 差し出された手を取ってミクは立ち上がる。何を注意されたのか判然としないまま、兄の後ろを無言で付いて行った。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

蒲公英が紡ぐ物語 第36話

 嫌な夢を見た時の寝起きは最悪。

 夢は深層心理を映すと言いますが、訳の分からない夢を見た時の心理ってどうなってるんですかね……。

閲覧数:346

投稿日:2012/12/28 19:08:05

文字数:4,878文字

カテゴリ:小説

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