風が吹いていた。それは真冬にしては穏やかな風だった。ひんやりと冷たい割に吹き付けるような強さがなかった。長い石の階段を駆け上っていく私の火照った体には丁度良い。
「今日の景色はどうかな」
人気のない丘の上にある公園に、私より先に到着したカイトはそう言った。年明けからしばらく経ち、学校帰りに私達はいつもの丘に集まった。 授業も残り少なくなり、今日の授業は午前中で終わる。最近では週に何度か勉強の息抜きを兼ねて、学校帰りに2人でここに向かうのが私達のお決まりだった。
「やっぱり気持ち良いね」
階段の最上段を先に昇り、たどり着いた小さな公園の縁で制服姿のカイトが振り向いて私に言った。
「そうだね」
私は彼に近づきながら素直に言った。彼の横に並び景色を眺める。開けた丘の上から見下ろす景色は、大きな街がジオラマのように、驚く程に小さく見えた。並ぶ家、自由に動く車や私達が通う学校も見える。眼を上に移すと窮屈に並ぶ建物の隙間から見上げる空とは違い、遮る物がない空は静かだが例えようがない程澄み渡り、解放感を含ませながらどこまでその青さを広げている。冬場特有の乾いた風が空の青さを強調するようになだらかに横切って行く。
「ここの景色は僕らのものさ」
感慨深そうにカイトは、独り言のように呟いた。私はそんな彼の横顔を見つめた。誇らしいような、少し照れたようなそんな表情。そう言ったカイトを眺めると形容しがたい気分になる。1番近い感想は、そう。
綺麗だった。
「見てみなよ」
そう言って彼が指差した街を一緒に眺める。
私達の住む街は割に大きな街な筈だが、ここからの景色では不思議と小さく見える。私は栄えた街の中心を見る。平日の午後だが街では道行く人々が行き来している。
まるで働き蜂みたいだ。私はそんな風に思った。忙しなく絶えず動き続ける人々の群れ。この時間だから皆仕事中だろうか。私もいつかそうなるのだろうか。言えない言葉を抱えたままで。
「ねえ」
私は意を決し思い切って、カイトに話しかけた。
「何、ミク?」
「……」
言えない。言葉が出ない。まるで今まで覚えた言葉を全て忘れてしまった様に私は押し黙った。私はいつまでこうなんだろう。
「ごめん、やっぱりなんでもない」
「何だ。変なミク」
そう言ってカイトは微塵も嫌そうな素振り見せずに笑った。私は自分を変えたい。ただそう願うばかりで何も出来ない自分がただひたすらに歯痒かった。でも、そんな自分でも本当は伝えたい思いがあった。他人からみたら何だそんなことかと笑われるかもしれない。けれど、小さな、でも確かな気持ち。
なのに言い出せない。悲しい気分になったその瞬間。僅かに鼻をつく香りがした。

柊だ。

柊の花の香り。公園の片隅に植えられた、白くて小さな花から立ち昇る鮮やかで爽やかな匂い。主張が決して強い匂いではないが、刺々しい葉からは想像もつかないほど淡く優しい香り。
また言えなかった。
情けなくなって私は泣きそうになり俯いた。
さっきまで殆ど無かった公園にやや強い冬の風が吹き抜けていく。悲しい気分の時は決まってこの丘に冷たい、嫌な風が吹いた。2人だけの秘密の丘の上。この場所で、私はたなびく制服のスカートを押さえ、顔を見上げそのままカイトの顔を見つめた。彼は何も無かったように静かに微笑んで私を見た。真上から伸びる冬の日差しを受けて、彼はいつものように眩しく輝いた。
「もうすぐバラバラになるね」
私は俯いてカイトに言った。
「え、ああ。そうだね、もう卒業だからね」
彼は少し戸惑い、そして納得したように頷いた。
「ねえカイトはさ」
「何?」
「何かに負ける事に怖さって感じる?」
「どうしたの急に」
「どうなのかなって、なんか気になって」
「あぁ、受験の事だね。僕は負けるのは本当怖くはないよ。今この瞬間に精一杯やればいいんだから」
「そっか」
「不安なの?」
「別にそういう訳じゃないけど…」
カイトはいつでもそうだ。ただ真っ直ぐに今を見てる。それなのに私は自分の気持ちを真っ直ぐに伝える事も出来ない。私では彼に釣り合わない。そう思う度に自分の中にある大切なものが、ひしゃげもう2度と戻らない、そんな気分になる。彼の眩しさに憧れ惹きつけられるのに、彼に近づく事さえ出来ない。それは真夏に街灯の灯りに誘われ群がるが、光に近づく事が叶わない虫達にも似ていた。
「疲れたからちょっと休むね」
私はそう言って公園の端にある草むらに腰を下ろした。遠くから眺めるカイトは公園の場所を移動しながら、飽きもせず景色を眺めている。

私は彼が好き。

気づいたのはいつだったか。去年の丁度同じ時期に、カイトに誘われこの公園に来た時だ。その日も授業が午前中で終わり、私はカイトに誘われるまま、この公園にたどり着いた。その日は厳冬と呼ばれた年にしては珍しく暖かな1日だった。長い石段を登りきると薄っすらと私は汗ばむ程だった。
「まだ誰にも教えた事ない場所なんだ」
カイトはそう言って公園を案内した。
「ここの景色凄くない?凄く好きなんだ」
青い空を彩るように様々な形で姿を変える雲。見える限りどこまで広がるような気がする街並み。頬を撫でるような暖かく柔らかな風。初めて見た街の景色に私はただ頷くばかりだった。生まれ育った街にこんな景色が見える場所があったなんて知らなかった。
「本当、凄いね」
私は素直に言った。その時にカイトは何か気づき、公園の端にある花壇に近づいていく。
「来て」
カイトに手招きされ私は彼に近づいた。
「知ってる?柊に花があるの」
「柊?あの棘のある」
「そう。これだよ」
そう言ってカイトは白い花が咲いている辺りを指差した。見てみると確かによく見る柊の葉の上に白く小さな花が見える。攻撃的な棘とは無縁そうな小さな花が静かに咲いていた。なんだか可愛らしい花だなと私は思った。近づいて花を眺めるとほのかな香りがした。今まで嗅いだ花の香りとは違う匂いがした。上手く形容できないが、嫌な香りではなかった。嗅いでいると、どこか優しい気持ちになる。そんな香りだった。
「柊は良い香りがするよね」
私は振り向いてカイトを見た。カイトは私に笑いかけた。冬の日差しを浴びながら、彼の艶やかな髪が輝き、暖かな風にまつ毛が揺れる。私は驚いて俯いた。いつも知っているカイトが何倍も輝いて見えたからだ。私は自分の顔が赤くなる気がした。心臓が高鳴り、上手く息が出来ない。
(何、これ)
初めての経験に戸惑いしか無かった。苦しいのに嬉しいような、恥ずかしいようなそんな気分が混ざり合い、何が何だか分からなかった。
「どうしたの、大丈夫?」
カイトが心配そうに声をかけてくる。
「だ、大丈夫。何でもないから」
思わず声が上ずる。それだけ言うのが精一杯だった。その後、色々カイトと話しをしたが、彼の顔をまともに見ることが出来なかった。思えばあの時からだ。気づくのが遅いなと自分でも思う。
私は改めてカイトを見た。細身の長身に薄く横に跳ねるような髪。ややつり目にも関わらずきつめな印象よりも表情の明るさと優しい眼差しが、眺める私に柔和な印象を与えている。そして深く透き通る様な声。友達も多く思いやりもある彼が、学校内で好かれるのも頷ける。女子からも密かな人気がある、そんな話も私の耳に入ってくる。
「…あれ」
ふいに涙が溢れた。視界が滲んだと気づいた瞬間には瞳から涙が流れていた。泣くのを止めようとしても、1度流れた涙は堰を切ったようにあふれ、溢れ落ちていく。胸が痛い。柊の棘が胸を刺すような鋭く、強い痛み。カイトとの思い出、明るく誰からも好かれる魅力的なカイト。それに引き換え自分の気持ちを言えない私。想いが強くなればなる程、私は彼と距離が離れていくような気がしている。友達として良好な形でいても、自分の気持ちを伝えたら今までの関係が壊れてしまう。そんな強い不安が殊更に胸を締め付けてくる。
泣くのを止めなければ。こんな姿を彼には絶対に見せたくない。私はカイトが後ろを向いている間に制服の袖で必死に涙を拭いた。私は立ち上がってカイトに近づいた。
「そろそろ帰らない?」
私はカイトに言った。
「ああ、勉強しないとなぁ」
景色を眺めながら少し名残り押しそうにカイトは言った。私が泣いていた事には気づいていないようだった。
「そうだね」
私は軽く頷いた。私達は勉強をして、どんな大人になるのだろうか。漠然とした不安が胸に残る。けれど私は一つ確かな事を感じる。たとえどんな大人になろうと、ここでカイトと見た風景や過ごした時間、彼の笑顔を忘れる事は無いように思う。私達は公園を出る為に石段に向かう。ふいに私は振り返って柊のある花壇を見た。白い柊の花が風に煽られ、こちらに別れを惜しむように大きく揺れている。まるで手を振っているようだ。そんな風に私は思った。
「どうかした?」
カイトが私に振り向いて尋ねる。
「なんでもない」
私はカイトに向き直った。ゆっくりと石段を降っていく私達を、柊の鮮やかな香りがいつまでも包んでいた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

以前投稿した楽曲「柊」の歌詞を元に小説にしてみました。
宜しくお願い致します。

楽曲 https://piapro.jp/t/KGVp
詞  https://piapro.jp/t/GXRE
動画 https://www.nicovideo.jp/watch/sm37022976

閲覧数:182

投稿日:2021/02/22 07:05:55

文字数:3,721文字

カテゴリ:小説

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