――うたが、きこえる……。
――知ってる……この声……。
――この歌は……
少年はぼんやりと目を開いた。どうやら、泣き疲れて眠っていたらしかった。二晩も海の上で夜を明かしたのだから、そもそも疲れが溜まっていたのだろう。
夢うつつに聞こえた歌が、今も微かに響いていた。少女の声だ。かわいらしい、綺麗な声。でも、どこか知っているような気がする声。
しばらく歌声に耳を澄ませていた少年は、あ、と呟いた。
「この声、人間じゃない……?」
音程には寸分の狂いもない。変に抑揚をつけたり、伸ばすところで声が途切れたりすることもない。何より、声の響かせ方が、決定的に人間と違う。少年の繊細な耳は、その差異をはっきりと聴き取っていた。
「すごく、よく出来ているけど……合成音声だ……」
美しい電子音が奏でているのは、ゆったりとした温かいメロディだった。それは、少年の知っている歌だった。彼は息を吸い込むと、機械の歌に合わせて歌いはじめた。
歌声が、少しずつ大きくなって、近づいてくる。彼の歌もそれに釣られて、少しずつ大きくなっていく。
歌に紛れて、小さな足音が一人ぶん聞こえてきた。だんだん歌の終わりが近づく。足音が彼のいる部屋の前で止まる。歌声が、ドアの向こうから聞こえる。歌い終えた少年は、くるりと椅子を回転させて、足音の主を待った。
ドアが、開く。
立っていたのは、一人の少女――いや、機械人形だった。これほど感情の欠落した顔つきでなければ、そして、歌声の主が彼女でなければ、人間だと思っただろう。それほどまでに精巧なロボットだった。肩のあたりで揺れる金の髪も、その髪に映える白いリボンも、愛らしい顔のつくりも、丈の短いセーラーカラーの服も、そこから伸びるすんなりとした手足も。
大きな青い瞳が、まっすぐに少年を見つめる。その顔に、少年は妙に見覚えがあった。
髪の色のせいか、目の色のせいか――少女ではあるけれど、そのロボットは、少年と非常によく似ているのだった。
ロボットの口が開く。その動きも、まるで鏡を見るようだ。
彼女は抑揚のない声で尋ねた。
「アナタハ、ナゼ泣クノ?」
「え――……?」
虚を衝かれて、少年は目を瞬かせる。
「アナタハ、ズット、泣イテイタ。ダカラ、私ハ歌ヲ歌ッタ」
「慰めてくれたの……?」
「『慰メル』トイウ行為ノ意味ハ、私ニハ、ワカラナイ。デモ、彼ハ、泣イタ後イツモ、私ニアノ歌ヲ歌ッテホシイト言ッテイタカラ」
少年ははっとして身を乗り出した。
「彼って、誰のこと? この島には人が住んでいるの?」
「彼ハ、私ヲ作ッタ人間。島ニハ今、住民ハ存在シナイ」
やっぱり無人島だったんだ。混乱する頭の片隅で安堵する。
「住民はいないって、その彼は今、どこにいるの?」
ロボットは淡々と質問に答えた。
「彼ノ生命活動ハ528年前ニ停止シタ。死後ハ地面ニ埋メテホシイト言ッテイタカラ、指示サレタ地点ニ埋メタ」
「ごひゃく……ねん……」
少年は呆然とくりかえした。
「じゃあそれから、ずっと君はここでひとりだったの?」
少女は肯う。
「彼ハ死後、他ノ人間ニヨッテ私ノ稼働ガ阻害サレルノヲ防グタメニ、島ニ防衛しすてむヲ構築シタ。制御しすてむヘノ妨害ニヨッテ、船舶ヤ航空機ハ島ニ近ヅケナイ。18時間前ニ故障ガ発生シ、修復中ニ、アナタガ来タ」
「なるほど……」
「アナタハ、ナゼ泣クノ?」
ロボットは最初の質問をくりかえした。少年は首を傾げる。
「どうして、そんなことを訊くの?」
「彼ハ、人ハ悲シイ時ニ泣クノダト言ッタ。彼ハ悲シム事ニツイテ話シタガ、私ニハ理解デキナカッタ」
「それは……ロボットには、心がないから」
彼女はこくりと頷いた。
「彼ハ私ニ、『ココロ』ヲ作ロウトシタ。私ハ、それガ何ナノカ知リタイ」
「ロボットに……心を……」
このロボットが生まれてから五百年以上経った現代にも、もちろん、そんな技術はない。相手の人間のバイタルサインによって表情や言動を変化させるような高度な機械人形は存在するが、あくまで条件に応じて行動を選択しているだけで、心を持っているのとは違う。
だから、たとえ話してもやっぱり理解することはできないのだろうとわかってはいたけれど、少年は、自分の心を伝える言葉を探した。
「僕は……寂しかったんだ。ひとりになってしまったから」
心を持たないロボットは、じっと彼を見つめて黙っている。
「僕、なんでか人と関わるのが苦手でさ。全然友達いないんだよ。父さんは家のことに無関心で。だから、僕のことを気にかけてくれる人なんて、母さんしかいなかった。でも……母さん、一週間前に……しん、じゃって」
声が震えた。少年は無理やり笑顔を作る。
「そのことはね、覚悟、してたんだ。ずっと、病気、だったから。だから、泣かなかった。でもね……ここまで来て、気づいてしまった。僕が帰らなくても……気にする人なんか、いないって。誰も、僕を、必要と……してない、って。それが……悲しくて……」
「ジャア、帰ラナイノ?」
少年は目をみひらいた。
「それは……」
「私ガ作ラレタ時、彼ノ家族ハ皆死ンデイタ。デモ彼ハ、家族ノ写真ヲ寝室ニ置イテ、大事ナ物ダト言ッテイタ。アナタニハ、生キテイル家族ガ存在スル。その人ニ、コレカラ、ズット会ワナイノ?」
彼女にとって、それは純粋な疑問だったのだろう。けれど少年は、気づいてしまった。
本当は、自分が帰りたかったことに。
「そうだね……そんなこと、できないよね……」
まぶたの裏に、父の姿が浮かぶ。少年がずっと逃げていただけで、その目は、彼に何かを言いたがっているように見えた。
「大丈夫、わかってるよ。僕は、帰らなくちゃいけないんだ」
今度こそ、本物の笑みを浮かべる。ロボットは首を傾げた。
「アナタハ、ナゼ笑ウ?」
「うーんと、それは……」
少年は言いよどむ。彼にとってその笑顔は、ごく自然なものだったから。
「……君に出会えて嬉しいから、かな。おかげで、自分の気持ちに気づけたから」
かちり、と、鍵の合った音が、した。
――それはね、君がいてくれることが嬉しいからだよ。
少女の、ずっと昔のメモリが呼び出される。
「虹彩、声紋、抑揚、語彙選択、表情、顔、骨格、髪」
「え?」
「完全ニハ一致シナイ。デモ、他人デハ、アリエナイ。アナタハ、誰?」
少女の言う意味がわからず、少年は困ったように眉を下げる。
「誰って言われても……。僕の名前は、レンだよ。君は?」
――僕の名前は、レンだよ。君の名前は――
「リン」
――リン、でいいかい?
「すごいな」
少年は目をまるくした。
「あのね、僕、双子のきょうだいがいたんだって」
身体の弱い母が、いつも病の床で聞かせてくれた話。
「生まれてくるずっと前に死んじゃったんだけど、その子、女の子だったんだって。だから僕、心の中で、『リン』って名前で呼んでたんだよ……」
* * *
一時間前はレンが座っていた椅子の前に立って、リンはモニターを見上げていた。
この研究所の半分を埋める巨大なCPUと、彼女は無線でつながっている。そのため、島の防衛システムを通して、レンの乗ったウォータービークルの座標を把握していた。じゅうぶん島から離れるのを待って、修理が完了したシステムを起動すれば、再びここは静かな無人島に戻る。
もう、二度と、レンに会うこともない。
最後まで、レンは彼にそっくりだった。
――君を、ひとりにしてしまってごめんね。本当に、ありがとう。
そう言って、リンのことを抱きしめた。肩が小さく震えていた。
ビークルの座標が防衛システムの対象圏外に出る。システムを、起動しなければ。
「ナんで――」
彼女の機能の中枢部が、どんどん熱を持っていく。
起動、したくない。
もう二度と会えないなんて。
ぱたり、と涙が落ちた。後から後から、止まらない。ああ、これが――
「こレが、『ひとり』……?」
ぶおん、と冷却装置が機能を強める。それでも過熱が収まらない。次々と、数百年前のメモリが呼び出される。
彼が、歌を教えてくれたこと。頭を撫でてくれたこと。花を枯らしてしまったこと。どんどん寝込む回数が増えていったこと。
そしてあの日、未来の私から届いたメッセージのこと。
「これが……『ココロ』――」
彼女は震える指で、キーボードを叩いた。何度試してもエラーに終わったプログラムの、動かし方を、彼女は528年前から知っていたのだった。
――ありがとう――
リンは歌った。見えないけれど、彼には届いている。
――ありがとう、この世に私を生んでくれて。
――ありがとう、一緒に過ごせて、本当に幸せだった。
――ありがとう、私にあの日々を、心をくれて。
限界を超えて機械が稼働する。もう、すぐにでも自分が壊れてしまうとわかっていたけれど、彼女は、微笑んでいた。
『ココロ』は『イノチ』がなければ起動しない。
つまり、今の私には、命があるということ。私が終わってしまうのは、命があるからこそ。
だったら大丈夫。
あなたが、長い時間をかけて、私に会いに来てくれたように
こんどは
わた
し
が
あ
い
に
三度目の奇跡【後編】
(前編の説明文を参照してください)
【鏡音リン】 ココロ 【オリジナル曲】 http://www.nicovideo.jp/watch/sm2500648
【鏡音レン】ココロ・キセキ【孤独な科学者】 http://www.nicovideo.jp/watch/sm2844465
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