見上げると、テラスから鳥海が慌てた様子で顔を出していた。店先で面倒が起こって、結果、人が一人、地面に転がってしまったのだ。加害者である自分を鳥海が呼び止めるのは仕方が無い。そもそも、こんなことになる前に、鳥海に助けを求めればよかったのに。
自分の浅はかさを情けなく感じながらルカが足を止めて、泣きそうな表情で上を見上げると、ふ、と鳥海の頬が緩んだ。
夜の空気の中を、くつくつくつ、と鳥海の含むような笑い声が響き渡る。
「ちょ、ごめ。まさか、こんな事態になるとは思っていなかったから。」
そう言いながらも、鳥海は笑うのを止められない。こんな事態とは?とルカが訝しげな視線を向けていると、横で蹲っていた男がいてえ。と呻きながらゆっくりと体を起こした。
びくり、と体を強張らせたルカに、又殴られるとでも思ったのだろうか、男もびくりと体を震わせる。
そんな二人の姿を見て、堪えきれない様子で鳥海は吹き出した。
「ふっ、ははっ。」
声を上げて笑う鳥海にあっけに取られたルカの横で、男が顔をしかめて、お前なぁ。とぼやいた。
「どこから見てた?」
「、、、ルカさんが、拳を繰り出すちょっと前くらいか?」
「殴られる前に、なんとかしてくれても良いだろうが。」
「まさか、一発でお前が倒れると思わなかったんだよ。」
だけどごめんごめん。と笑いをかみ殺しながら鳥海は、男と言葉を交わしている。
この二人は知り合いなの?とルカが流れについていけず、あっけにとられたまま鳥海のことを見つめていると、ふと、鳥海が済まなそうな、だけど明らかに面白がっている眼差しを向けてきた。
「ルカさんも、怖がらせてしまってごめんね。だけどまさか、ルカさんがこいつを殴り倒すとは、思っても、、、。」
ぶふっ、と言葉の途中で堪えきれず鳥海は再び笑い出す。なんか、その言い方はまるで私が怪力女のようじゃないか。とルカが恨みがましい眼差しを向けると、ホントごめん。と笑いながら謝罪をしてきた。
「とりあえず、二人とも上においでよ。」
ね。と穏やかな笑顔で言ってくる。
固まったルカの横で、のっそりと男が動いた。いてて。とぼやきながら男は店へと続く階段を上っていく。一歩で遅れたルカが、戸惑うようにそこで佇んでいると、再び鳥海の声が降ってきた。
「笑ってしまったお詫びに、ケーキをご馳走するから。」
鳥海の柔らかな言葉が、とん、とルカの背中を押す。
まるで子供をあやすようなその言葉に、ちょっとだけ拗ねたいような気分になったけれど。大人の男を一撃で倒すような女に、そんな可愛らしい言葉をかけてくることが、なんだか可笑しくて。
くすりと笑いながらルカも荷物をまとめて階段を上り、お店へと入った。
ルカが殴り倒した変な奴は、坂本。という名で鳥海の高校時代からの友人で、ギター弾きで、曲を作っているのだ。と言った。
「俺はギター弾きで自分じゃ歌わないけど。曲を作るのが好きなんだ。」
そうくしゃくしゃ。と子供みたいな笑顔で坂本は言った。
曰く。坂本は、作った曲を気に入った声の人たちに歌ってもらって、それをネット上の動画に流している。そしてその反応しだいでCDにして売り出す。メジャーとインディーズの間ぐらいの位置で活動していて、作曲活動とギター奏者の半々の収入で食べていける程度の知名度、だそうだ。
「最近のだと、LRって知ってる?」
坂本の口にした、LRという名前に聞き覚えがあり、ルカは頷いた。
「確か、男の子と女の子のユニットですよね。CMにも起用されて有名になった、だけど歌っている人たちは全く出てこないっていう。」
「あの曲、俺が作ったんだよ。」
そうこともなげに坂本は言う。この人、物凄い有名じゃない。と驚くルカに、カウンターの中でコーヒーの用意をしながら鳥海が苦笑交じりに、歌ったのはすこし先にある和菓子屋の子供だよ。と教えてくれた。
「ご両親が、彼らが表に出ることを反対して、あんな形になったんだけど。」
「あの双子はやる気満々だったんだけどな。」
そう言う坂本に鳥海は、あんまりたきつけるなよ。と言った。
「又、鏡音さんとこの若い職人さんに怒鳴り込みに来られたら困るからな。」
「まぁ。彼らの成長か、彼らの親御さんが折れるのか、どっちが早いか見守っておくよ。」
にやりと笑う坂本に苦笑しながら、鳥海は温かなコーヒーを差し出して、言った。
「それで最近、俺がルカさんのことをこいつに話したんだ。」
その言葉を受け取り、坂本が大きく頷く。
「こいつが、うちの店の前で歌っている女の子は歌が本当にすっごい上手い。って言ったから。それで俺はどんなものか期待して聴きに来たんだ。」
「すっごい上手いって、鳥海さん。」
坂本の言葉にルカは思わず非難の声を上げた。
こんな凄い人に、きっと沢山上手な人の歌声を聞いているであろう人に、なんていう事を吹き込むんだ。
声を上げたルカに、鳥海と坂本がきょとんとした眼差しを向けてきた。ルカが何を怒っているのか困っているのか、分からない表情。何故分からない。と苛立ちのままにルカは何か言おうとして、しかし喉が詰まったように口を噤み、足元に視線を落とした。
分かっている。褒められても首を横に振ってしまうのは、自分に自信がないから。歌声を聴かれて、相手を失望させるのが怖いから。期待をされても、私にはたいした実力がないから。
自分の胸のうちでくすぶる苛立ちはそのまま自分に向かっているものだから。
俯いたままのルカに、しかし坂本は頓着する様子もなく、君はプロの歌手になりたい?と尋ねてきた。
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