第二部 追憶
いつから疑っていたのかと問われれば、彼女が謁見の間に入った瞬間だ。いや、厳密に言えば疑った時間というのは皆無で、ほとんど見た瞬間に確信していた。
王位継承権とは遠い位置にいるものの、仮にも王女が異国に連れて来る侍女が、あそこまで挙動不審であるはずがない。が、それは同時に彼女が訓練された間者や暗殺者である可能性も、辛うじて否定されるものだった。
ディーを見やるも、彼も同意見のようで首を傾げた。
正直、彼女の目的がさっぱり分からず、混乱したのだ。
彼女は何者なのか、黄の国に害をなす者だというなら誰の意志で動いているのか、それに王女は絡んでいるのかいないのか、それによって全ての対応が変わってくる。
「初めまして。この度は光栄にも陛下の御尊顔を拝することができまして、光栄至極に存じまず」
青海色の髪を持った美しい女性、セシリア=ミッドフォード王女殿下は優雅に優雅を重ねた動きで礼をする。そしてそれを、イルは至極つまらなそうに見降ろしていた。
謁見は本来午後からの予定だったのだが、何故か突如イルが武術の訓練をすると言って聞かなかったのだ。レンもヴィンセントも午前はとても時間が取れないと言うと、じゃあ謁見を午前に持って来ると言いだした。
意外かもしれないが、彼がこんな理不尽な我儘を言うのは珍しい。恐らく、そんな楽しみでもないとどうしても王女に会う気にならなかったのだろう。レンはそれを責める気にはなれず、結果非常識な予定変更を許した。
「初めまして、王女様。お連れは従者二人と護衛官一人だけか?」
ようやくそのことに気がついたらしく、イルが僅かにセシリア王女に興味を寄せた。
「はい、イル陛下はご自分の面倒は周りにさせずに、ご自分でする方だと伺っております。私もそれに見合うようになれるよう、二か月前から使用人は最低限で生活しておりました」
そう言って、王女は誇らしげに胸を張る。
「へ? 俺のため?」
イルが驚くが、それはレンも同じだった。無駄に矜持が高く、他人が己に合わせることを当然だと思っている貴族を、イルもレンもこれまでにうんざりするほど見てきた。
その最たる者であるはずの王族が、まさか会った事のない異国の権力者のために、生活様式を変えるとは。
「はい。お噂を聞いてから、どうしても陛下の隣の席に座りたいと願っております」
「はー、会った事のない人間のために、そこまで考えるんだな」
「陛下には、それだけの魅力がございます」
セシリア王女がにやりと笑い、イルもふっと柔らかい笑みを浮かべる。それを見てレンは、見合い成功の可能性があると初めて思った。
「イル、僕らは下がるよ。使用人の人達を案内しておくね」
囁き声で伝えると、イルも頷いた。
「おう、頼むな」
セシリア王女とイルがこの様子なら、ますますあの挙動不審で黄緑色の少女の素性を確かめないわけにはいかない。後ろに控えていた彼女と、恐らく本物の侍女であろうもう一人を謁見の間から連れ出した。
呆気ないもので、黄緑色の少女をそれらしい言葉で誘うと、すぐにのこのこと付いて来た。その警戒心の無さに、また混乱する。
どうにも判断しきれず施設をいくつか案内するが、彼女の動きはやはり召使のものとは程遠い。が、いちいちレンに無防備に背中を晒しているところを見ても、暗殺者のものとしてはもっとあり得ない。
名前を聞いた時、どこかで聞き覚えがあるような気がした。それもそのはずで、毎年必ずチェックしている学習院首席卒業者だったからだ。
『レン、てめえは外に出なさ過ぎだ。式典に呼ばれたんだろ。行って来い、引き籠り』
全く行く気の無かった学習院の催し物、その招待状を運悪く親友に見咎められ、渋るレンにイルはこう言い放った。仕方が無く出席し、当たり障りのない祝辞を述べた。
ヴィンセントに、レンは全幅の信頼を寄せている。王女はその彼が警護されて、国境線沿いから来ているのである。
だからまさか、彼女が国内在住者だとは考えもしなかった。それが災いして、二年前確かに書類で見たはずの名前と、式典の時の成績優良者との論文に関する討論会で出会った、黄緑の髪の少女と結び付かなかったのだ。
理由はそれだけではない。もしかしたら、ヴィンセントのことが無かったとしても、レンは彼女を思い出せなかったかもしれない。
彼女の容姿は、二年前から激変を遂げていた。
何者かは予想できない。しかし、彼女が侵入者であることに疑う余地はない。彼女を連れてきたセシリア王女の立場もあるから、殺すことはもちろん目立つ外傷もつけないほうがいいだろう。
ま、脅しくらいはいいか。
そう結論を出して、彼女を『尋問室』に案内した。余談だが、王宮の一部の人間からひそかに囁かれているレンの数ある渾名の中で、二番目に有名なものは『拷問吏』である。
まったく疑う素振りを見せず、彼女は部屋に入った。レンも後に続いて、すぐに鍵をかける。
「え」
ようやく何かに気づいた様な声が上がるが、彼女がイル以上の武術の達人ではない限り、もうとっくに手遅れだ。素早く腕をひねりあげ、引き寄せた。
「貴女、王女殿下の召使ではありませんね? どこの、誰の命令で何のためにここにいますか?」
相手の心理を読み取るために顎をつかんで無理に目を合わせたが、彼女の目に映るのは純粋な恐怖と混乱だ。これが訓練の結果だとしたら大したものだが、残念ながらそれ以前に改善点がありすぎる。
何度か口を開いたものの、聞きたい答えは返ってこない。仕方ないので強硬手段に出ることにして、ベルトの金具に仕込んであるナイフを取り出した。
敢えてゆっくりと説明し、再び質問する。やはり口を割る気はないようで、無価値な返答は途中で断ち切った。
「では、右耳を頂きます」
さすがに、これは実行に移せないとは思っていた。これでも言わないようなら、いったん気絶させて王女に話を聞く必要があるだろう。そう思ってナイフを一応耳に当てた時だった。
「レン!」
「レン! ここに居んのか!? 開けろ! その娘を傷つけるな!」
扉を叩く音ともにレンの鼓膜を震わせたのは、聞き間違えるはずもない武人と親友の声だった。
ナイフを引いて、鍵を開ける。二人とも相当にあわてた様子で、しかしレンの腕に捉えられている少女を見て胸を撫で下ろしていた。
「イルとヴィンセント、いえ陛下と国防大臣殿、どうしてこんなところへ?」
「とにかくナイフ仕舞え。そいつは間者でも暗殺者でもねえよ。ま、王女様の召使じゃねえのも確かだけどな」
イルの指示通りに凶器をしまう。拘束から彼女を解放すると、腰でも抜かしたのかずるずるとレンの身体に体重をかけたまま座り込んだ。
「どういうことですか?」
体重を預けられている足が重かったが、さすがに今の状態で震えている彼女を地べたに倒す気にもならなかった。
「その件については私がお話します。どうかお時間を頂きたい。宰相殿」
痛恨ここに極まる顔でそう言われ、もちろん事態がまったく呑み込めないレンは従うしかない。
「構いませんよ。国防大臣殿」
さてこの黄緑の少女はどうしようかと思っていると、イルが彼女と目を合わせるように膝をついた。
「怖がらせたみたいだな。もう事情は聞いたから、大丈夫だぞ」
「サリーに、客間に連れて行ってもらいますよ」
とにかくイルの態度から察するに、彼女は敵ではないようだ。
「いや、いいからお前はおっさんと話して来いよ。この子は俺が面倒見るから」
そう言って小柄な彼女を軽々と横抱きにして立ち上がったはいいが、そんなことレンが許容できるはずがない。
「陛下は王女殿下のお相手がありましょう。どうか彼女は僕にお任せください」
どこの世界に、婚約者候補として迎えた王女を放置して、その従者もどきに時間を割く王がいるというのか。
「いいからいいから」
しかし、そんな一般論がイルに通じるはずがないのもまた然り。イルは彼女を抱えたままとっとと出て行った。
「さっぱり理解できないんですが、一体あの子は何者ですか?」
イルを見送って、ヴィンセントに向き直る。
「私の部屋で話そう。少し長くなるかもしれないからな」
そう言って言葉通りに自室に向かって歩き始めたヴィンセントに、レンも倣う。
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