8.
「彼は生前、この都市の為に良く働きました。市長と友人でもあった彼は、市長を助け、また一般市民の味方となりこの都市への貢献を忘れませんでした」
 針降る都市から少し離れた郊外の墓地で、神父が聖書を片手に祈りを捧げている。
 どんよりとした空からは、重苦しい雨が降っていた。いつもの霧雨と違って、雨粒は大きい。
 神父の目の前には深く掘られた穴にある黒い棺と、否応なしに現実を突きつける十字架。
 わたしは精緻なレース模様が施された黒い喪服に身を包み、ヴェールで顔を隠していた。そうして傘を差すディミトリと並び、棺から一番近いところで神父の祈りを聞いている。
「イエス・キリストは言われました。『一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる』この言葉の通り、キリストは一粒の麦のように地に落ちて死なれました。ですが、それにより巡りめぐって私たちの心に根差す信仰として、一粒の麦の死は、文字通り豊かな実を結んだのです」
 神父の説教の意味がわからなくて、わたしはぼんやりと漆黒の棺を眺めながら考えを巡らせる。
 私とディミトリの後ろには、市長代理として来ている秘書のエコーの他、せいぜい十人程度しかいなかった。アレックスの仕事や、関わっていた事業の規模から考えると非常に少ない。だがこれも、わたしの意図によるものだ。
 彼の死を本当に悼んでくれる人というのは……この程度しかいないのだ。
「彼の死は本当に惜しい出来事でありました。これを覆すことは、神であってもできません。しかし……このアレックス・ニードルスピアという一粒の麦の死は、私たちの心に深く刻まれ、やがて豊かな実を結ぶでしょう。彼の輝かしい功績とは、これまで彼が成し遂げてきたものだけではありません。私たちの心に残り、これから成し遂げるであろう数々の未来の出来事もまた、彼の功績となるのです」
「……」
 なるほど。
 神父の言葉にどこか納得しながら、棺を眺める。
 わたしのやろうとしていることも、アレックスの功績……か。
 わたしの復讐に、彼は怒るだろうか。
 ……わからない。
 アレックスのやっていたことはわかるけれど、だからといって彼がなにを考えていたのかまでわかるわけではない。
 復讐なんてしようとしているわたしに怒るかもしれない。けれど「好きにやりゃあいーんだよ」と笑う彼の姿も想像できる。
「私たちもやがて彼と同じところへ向かうこととなります。その時、ようやく豊かに実を結んだ結果がどうであったかを知ることとなるのでしょう。それまで、私たちは彼の死を心に刻み、前へと進まなければなりません。私たちの前には長く険しい道が続いております。時折、こうやってくじけてしまいそうになる悲しみもまたやって来ます。その度、悲しみと共に主の大いなる慈愛の心もまた感じるのです。主イエス・キリストの御名において。アーメン」
「アーメン」
 わたしやディミトリ。他の人たちの声が重なる。
 アーメン。アーメンだって?
 クソ食らえ。
 アレックスを裏切った誰も彼も。
 わたしは等しく、全てに復讐する。
 棺に湿った土をかけながら、そんな怨嗟を心の中で唱える。
 わたしが棺から離れてから、ディミトリの他、後の人たちが棺に土をかける。
 皆がそれを終えると、控えていた男たちがスコップを使って本格的に棺を埋め始めた。
「……」
 わたしは去ってしまうことができず、少し離れたところでその作業が終わるのをずっと眺めていた。
 もう涙は出ない。
 涙など、出しきってしまったのだ。
「リン・ニードルスピア殿」
 やがて、どこか控えめにエコーが声をかけてくる。
「今後はニードルスピア卿、と」
「え?」
「わたしのことは、今後はニードルスピア卿とお呼びください。アレックスの爵位は、わたしが引き継ぎました」
「それは……承知しました。ニードルスピア卿。市長にもそのようにお伝えします」
「よろしくお願いします。アレックスの業務もまた、わたしが引き継ぎました。市長との仕事はわたしが滞りなく続けますので、そのように」
「はい。その……ニードルスピア卿?」
「なにか?」
 わたしはそこで初めてエコーの方に視線を送る。
「背伸びして、無理して……抱え込まないようにしてくださいね。私の……余計なお世話かもしれませんが」
 アレックスに引き取られてすぐの頃からわたしを知っているエコーは、わたしからすると叔母さんのような感覚がある。四十代半ばだというエコーの年齢もあるのだろう。ちょうどわたしの倍くらいの年齢で、エコー自身も母親のような感覚でいるのかもしれない。
「ありがとうございます。ですが……大丈夫です。やらなければいけないことも、沢山ありますので」
 わたしはエコーに社交辞令程度の作り笑いを返す。
「そう……ですね。私では到底代わりになどなりませんし。けれど……抱え込まないでくださいね」
「お心遣い、感謝します」
 わたしの固い返答にエコーは口元を強ばらせ、ぎこちなく会釈をして去っていく。
「ディミトリ」
「はい。ミセス」
「……。何度も言うけれど、ミセスというのは、流石に」
「ですが、法規上はミセスで間違っておりません」
「……未亡人、か」
 アレックスからの相続についてはディミトリに全てを任せていた。だから知らなかった……というか、それより前の問題ではあったのだが、法律上、わたしはアレックスと婚姻していることになっていた。
 彼との年齢差が十以上あったことを考えると奇妙ではあるが、実際のところそういった……性的な関係があったわけでもない。察するに、単純に節税対策だったようだ。
 この国では養子に対する相続と、配偶者に対する相続では税率が異なる。養子であれば五割が相続税として持っていかれてしまうが、配偶者であれば二割で済むのだ。
 アレックス自身に結婚するつもりがなかったからか、わたしを配偶者にしておいた方が後々無駄にならないと考えていたのだろう。
 そしてそれは……その通りとなった。
 わたしは期せずして未亡人となったが……そこに異論はない。
 むしろ、そうしてもらっていたことを今になって知って、感極まったくらいだ。……同時に、生きている内に教えてくれたらよかったのに、という思いもあったが。
「ディミトリ。わたしは――」
 言いかけて、口をつぐむ。
 なにか……違う。
 わたしの決意を告げるには、なにか足りない。
 わたしの望む復讐を果たすにはディミトリの協力は不可欠だ。だから、彼にだけは洗いざらい打ち明けなければならないのに。
 わたしにはなにが足りないのだろう。
 ……“わたし”には……。
 すとんと腑に落ちる。
 そうだ。
 それだ。
「――ディミトリ。オレは……復讐しなけりゃ気が済まない」
 自然と拳に力がこもり、わなわなと身体を震わせてしまう。
「……」
「マスターの……アレックスの命を奪った全てのものに復讐しなきゃな」
「……奇遇でございますね。ミセス」
 はっとして隣に立つ執事を見上げる。
 だが、当然とも言える。
 ディミトリは、わたし――オレよりも長くアレックスの元に居たのだ。
 オレとディミトリは視線を合わせ、どちらからともなくうなずき合う。
「……頼むぞ」
「もちろんです」
 オレたちは墓地を離れ、またあの都市へ……忌まわしき針降る都市へと帰る。
 ……雨はまだ、止みそうになかった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

針降る都市のモノクロ少女 08 ※二次創作

第八話

『一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる』
旧約聖書 ヨハネによる福音書12章24節 より引用

当初牧師にしていたのですが、調べてみるとプロテスタントでは葬儀でこういったことはしないようなので、神父に直しました。なのでカトリックなのだと思います。
正直よく知らないので、それも間違いかもしれませんが。

閲覧数:78

投稿日:2019/11/17 22:01:44

文字数:3,086文字

カテゴリ:小説

オススメ作品

クリップボードにコピーしました