『ぐりこ』 その3





 無事に目的の駅で地下鉄を降り、改札を抜けて地上への階段をのぼる。


 地下鉄に向けて走っていたときの勢いもどこへやら、一歩一歩、一段一段、確かめるように足を動かす。

 なんのことはない、さっきまでは肋骨を突き破りそうな心臓に引っ張られるようにしていた気持ちと足が、今度は斜め後ろ向きに引きずられはじめてしまっただけである。


 よく考えたら、これからセンパイと会うのだ。二人っきりで。日曜のお昼時に、優雅に映画観賞なんてしちゃったりなんかするのだ。館内ではさすがに二人だけ、というわけにはいかないが、なにせ暗所なのだ。閉所なのだ。


 今日見るのはセンパイの好きなアクションモノ(デートなのになぜ…)の映画だが、今日びの映画ならまさか、銃撃って火薬ばかりが爆ぜてタフでゴッつい四駆とかをビルに突っ込ませたりするだけでは終わるまい。
 途中途中に、ついつい口笛の一つも吹いてしまうようなアマアマでロマンチックでムードたっぷりなシーンの一つや二つや三つくらい、当然用意されていることでしょうよ。


 そ、そういうシーンになったらやっぱり、その、て、てて、手、とか握られてしまったりするのかも、と、頬が膨らむ。赤らみもする。


 なにせ、なにせなにせ暗所なのだ! 閉所なのだ! 何が起ころうと不思議ではない、と乙女センサーがうぁんうぁん鳴り響くのも、むべなるかな。


 平和でのんきで、しかし危機一髪な妄想が伝達物質に乗って脳内を高速で循環する。


 盛大にニヤつきながら、早くも若干クツずれしたサンダルを引き引き上ってゆく。レンガ色の石段をカツコツ鳴らして目指すは地上、溢れる陽の光。

 あ、そうだ。陽の光で、いたした妄想が溶けてしまう前に続きをば、と再開。


…手を握られて、ハネる心臓。真っ赤になる顔を上げられずに、ひたむきなまでに足のつま先を見つめる自分。
 少し強くなる、センパイの手の感触。さらに手が重ねられる。
 我慢できなくなって顔を上げる。センパイがこちらをみつめながら不器用に微笑む。
「暑いな」、と。暗がりでもわかるくらいに顔を真っ赤にして。クーラー効いてるじゃないですか、ここ映画館ですよ。
 脳裏を巡る『ヨカン』に、そんなことを言ってみて、「いや、暑いよ。だって、」と、センパイがその顔を…


「よう、暑いな。今日も」
ビックゥッ! と。


 どうしたんですか、とかなんでここに、とか悠長に口を開いている余裕なんかあるはずも無く、下品なバラエティ番組のドッキリ企画に見事にハマったタレントの気分。
 今の今まで妄想の中で甘ったるい空気にひたっていたその相手が、『センパイ』が、目の前にいるのだ。ご降臨なされたのだ。ご丁寧に、妄想の中でのセリフまでともなって。


 あまりの混乱に、もしかして今の妄想見られてた? とか、それこそありもしない妄想に悶え、顔が想定とは違うジャンルで真っ赤に火照り、握られるはずだった手は盛大に汗をかいてぬるぬるんなり、ていうかあっつい! ええぃ、クーラーが効いていないぞ支配人!
「どうしたんだお前、顔真っ赤だぞ。風邪か?」


 そんな懊悩に気づくはずもなく、センパイが心配そうに顔を覗き込んでくる。そんなことないですよ、と言い返すものの、「いや、赤いよ。だって、」と、センパイがその顔を…なんでここまで妄想に忠実なんですか! ニアミスだよ!


 とりあえず手を額に当てられて熱を測られたりしてしまう前に(センパイは男女の別なく、平気でそんなことをやってのけるのだ)なんとか顔を上げて首を振る。だいじょうぶ、だいじょうぶですから。


 そうか、と笑って手を引っ込めるセンパイ。あ、これはこれでなんか残念かも。…と、ところで、センパイはどうしてここに? 待ち合わせはここじゃなかったはずですけど…
「とりあえず、お前が来るとしたらこの駅かな、と思って改札まで迎えに行くつもりだったんだよ。そしたらお前が超ニヤニヤしながら階段上ってきてたから声かけた。ここで合流できれば映画館まですぐみたいだしな」


 そうだったんですか。と、ニヤニヤまできっちり把握されていた私はひきつり気味に、それでも笑って見せてから残り数段だった階段を小走りに越えて、センパイの隣に並ぶ。


 黒い七分そでのTシャツと、同じく黒のカーゴパンツ、首元にはシルバーのチョーカーがアクセントになっていて、センパイのスポーツマンらしく起伏の激しい腕を取り巻くのは、落下強度十メートルを誇るタフな腕時計。なんかゾウが踏んでも壊れなさそう。うん、彫の深いセンパイの容姿と相まって非常にいい。九十点はあげられる、なんて。


「じゃ、ここで立ち話もなんだし、さっさと映画観に行こうぜ。そろそろ次の部はじまっちまうし。メシはそのあとでいいだろ?」


 さっそく歩き出し、あれ、と思った。センパイ、九十点を誇るおしゃれなセンパイ、私のファッションチェックがまだですよ、と。サンダルだってほら、夏らしくてかわいいでしょう、と。今日の私は一味違うぜ、とも。ほらほらねぇねぇ。
「ところで、今日のお前って、」
 え、なんですか? なんてクールに答えながらも、唇の端がわずかに吊りあがるのは我慢できない。内心、来た来た、来ちゃったよ! 惚れた? 惚れましたッ? と、平静ではない。


「ん~…なんかヒラヒラふわふわしてて、お前らしくないな。いつものパンツルックのほうが似合うんじゃね? こう、ラフでカジュアルな感じ。…七〇点」、と。
 …。
 はじめてのファッションチェックは、辛口でした…。






 徒歩で予定の映画館に向かうまでの道のりは割愛。だって、ショックのあまり歩く置物になり果てた私に、センパイが困惑するだけの道のりなんですもの…。くすん。






『劇場○○座』と銘打たれた深緑色の看板が掲げられた映画館についたのは、徒歩で十分くらいたったころ。


 そのころには私の気分も上向いてきて、『白ワンピ事件』の傷も忘れ始めていた。途中、気まずさに頬を掻いたセンパイがソフトクリームを買ってくれて、そのラズベリーアイスの香りと甘酸っぱさに騙されただけかもしれないけれど。
 とりあえずダメだし食らったとはいえ、ワンピには意地でもこぼさないように、細心の注意を払った。乙女ですから。…乙女ですから!


 センパイの先導で冷房の効いた館内に滑り込む。
 公開中、近日公開予定、そんな文字の躍った劇場ポスターがガラスケースに入れられて、壁にずらっと並んでいた。


『そら、こい!』
『納屋の七人』
『スタンド・バイ・ユー』
『教室の真ん中で愛をさらう』
『スカイスクレイパー』


…といったぐあい。センパイのお目当ては『スカイスクレイパー』ってアクション映画で、サスペンス要素も取り込んだ超大作らしい。センパイに教えられたところによると、核戦争後の荒廃した地球が舞台らしい。

 センパイの語ったあらすじはこんな感じ(余談だけど、あらすじを語るとき妙に饒舌でハイテンションなセンパイを見ることになって少しときめいたのは内緒だ)。


『地球温暖化が進んで環境の荒廃が進んだ近未来。

 大地は押し寄せた海面に覆い尽くされ、残された数すくない文明と資源を巡って核戦争が勃発。地上は薙ぎ払われ、人類は衰退の一途をたどっていた。

 そんな中、突如宇宙から地球へと飛来した物があった。

 明らかに人工物と思しきその銀色の物体の内部には、かつての人類でも到底、手の届かないような驚くほど高度な科学技術があふれていた。

 その技術を巡り、世界中のありとあらゆる組織が争奪戦を開始する…。』


…らしい。
 正直、デートで観るにはいささか話が重っくるしい感は否めないが、それでもムーディーなシーンのない詐欺クサイ洋画などあるまい。ようは、センパイのアクション欲を満たしつつ私の野望に貢献してくれればいいのだ。手を、握られるという…!


 もういっそこっちから握ったろか、と思わなくもないけれど、なんにつけても今日の目標は、楚々にして清楚、なのだ。恥じらいを尊ぶのは大和の民たる日本人の義務ではないか。そしてそんな恥じらいのオナゴを男らしくリードするのが、殿方と役目と申すもの。
 そしてそんなラズベリーのごとき甘酸っぱくて悶絶するような空気を香水代わりにして、勢いのまま、告白、とか、しちゃったりできちゃったりして…!

 …ところで、大和の民らしくもじもじ恥じらいつつ申し上げますと、期待にまみれた緊張のせいか(あとはさっき食べたアイスのせいか)、先ほどからおなかの調子がたいそう悪るうございますの。少々、化粧室に寄ってきてもよろしいかしら、と向きを変えたところでセンパイのプレッシャーがかかる。


「おい、どこいくんだよ。もうチケット買って入んねぇと、映画始まるぞ」
 

 …寝グセの神に引き続き、こんどは胃腸の神に祈るしかなさそうだ。




>>>『ぐりこ』 その4 へ続く

ライセンス

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『ぐりこ』 その3

ニコニコ動画に投稿した同名の楽曲のイメージ小説です。
・楽曲はこちら→http://www.nicovideo.jp/watch/nm13594425
・歌詞はこちら→http://piapro.jp/content/aczpze6xpqjcs85r

私→ミク
センパイ→KAITO
あたりで置換して頂けると、ピアプロの投稿規約的に健康な作品として成立できるので、よろしくお願いしますw


続きを読んで頂ける場合は次の作品に進んでください。

閲覧数:234

投稿日:2011/02/13 21:52:05

文字数:3,736文字

カテゴリ:小説

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