13 現在:同日

 頭が真っ白になった。
 なんてことを。
 まさか本当に言ってしまうなんて。
 未来の顔を直視できない。
 ありったけの罵詈雑言を“彼女”へとぶつける。が、当の“彼女”はどこ吹く風だ。
『言わなきゃいけなかった。だけど言えなかった。だからあたしが代わりに言った。ただそれだけよ。これで……あたしの役目も終わりね。これからは逃げたりしないで……ちゃんと自分でなんとかしなさい。貴女は、あたしなんだから』
 なにかが――あたしの内心に居座っていた意志が――唐突になくなるのを感じる。
 まるで初めからそんなものなかったみたいに、あたしの心の中は静かになってしまう。
 いや、違う。
 いなくなったんじゃない。ただ“彼女”とあたしの境目がなくなっただけだ。“彼女”だったらどう思うか、どんなことを口にするか、あたしには手に取るようにわかるのだから。
 けれど、中学三年の秋、婦警さんにしがみついて泣いたあの日からずっとあたしと共にいた声は、恐ろしいほどにあっさりといなくなってしまった。
「め、メグ……?」
 未来の困惑した声音に、びくりと肩が震える。
 そうだ。
 “彼女”がいなくなってしまったことに混乱しているヒマなんてない。
 あたしの目の前には、突然あたしに告白されて戸惑っている未来がいるのだ。
 どうしよう。一体どうしたら……。
 どこにいくの。
 ここにいてよ。
 あたしの、あたしの嫌いなあたし自身。
 確かに、いなくなることを望んでた。
 けれどそれは今じゃない。こんな状況でじゃない。
 今は、あたしを未来と二人にしないでよ……!
『……』
 返事はない。
 返事なんて来るわけないことを、あたしは誰よりもよく理解している。けれど、けれど……。
「……メグ。私ね、たぶん……わかってたんだと思う」
「……!」
 あたしの顔は、涙でグシャグシャになってた。
 けどそこに、さらにとんでもない返答がきた。
 驚きすぎて、言葉を紡ごうとする唇が震える。
「し……って、たの?」
 だが未来は、あたしの問いに首をふる。
「知ってたっていうのとは……ちょっと、違うかな。もしかしたらそうなのかも、でもどうかなあ、程度でしかなかったよ。でも……ついさっきのメグの言葉で、ああ、やっぱりそうだったんだ、って思えた。……って言ったらいいのかな」
「……」
 血の気が引いた。
 バレていた。
 もうダメだ。
 そう思ったけれど、なぜか未来自身からは拒絶の意志を感じない。
 未来の手のひらは未だあたしのほほを包んでいて、変わらぬ暖かさが伝わってきている。
「なんで……」
 なにもうまく言えなかった。けれどそれでも、あたしがなにを問おうとしたのかは未来には伝わったらしい。
「メグはねえ、冗談抜きで私の命の恩人なのよ。メグがいなきゃ海斗さんに再会なんかできなかったし、あのまま学校もやめててまともな生活ができてたかどうかもわかんない。海斗さんと再会できてなきゃ、ここで女将なんてやってるわけがないでしょ。私が今ここにいるのはね、全部メグのおかげなの。たぶん、海斗さんよりもね。そんな人を私が嫌いになんてなると思う?」
「でも、あたし……」
 ダメだ。なにも言葉にならない。
「メグはね、私の将来を最善のものにしてくれたの。メグがいたから、今の私がいる。メグには……どれだけ感謝することはあっても、嫌いには絶対にならない。私から拒絶することなんてない。これからも、ずっとよ」
「……」
「私もね、メグのこと好きよ」
「!」
「でもね。昔、高校の頃に言ったのと同じで……やっぱり、私の“好き”は友だちとしての“好き”なの。メグのは……あんな顔して言うんだもん。そんなわけないよね」
 あたしには信じられないような言葉を次々告げる未来を、ただ呆然と見るしかできなかった。
 “彼女”と違って、あたしはなにも……なにも言葉にできない。
「でも、私には海斗さんがいる」
「ッ!」
 その言葉に、肩が震える。
「メグの気持ちをね、考えたことがあるんだ。もし……メグが“そう”思ってたなら、なんで私と海斗さんを再会させてくれたんだろう。なんで……メグは自分を圧し殺したんだろうって、さ」
 あの時のことを思い返しては、あたしは何度も自分を呪った。
 どうして“彼女”の言う通り、海斗さんから未来を奪ってしまおうとしなかったのかって。
 そうしていれば、こんな風に思うこともなかったはずなのにって。
 答えは、一つだった。
 それが未来のためだったからだ。
 未来にとっては正しくて、あたしにとっては間違ってる選択。未来のことが好きだからこそ、あたしは自分よりも未来を優先した。けれど、それでよかったとは、未だに思えていない。
「その時はさ、やっぱり私の勘違いだったんだなって思ってたの。でも……メグはやっぱり、自分を犠牲にしてでも私のためを思ってくれてたってことなのかな」
「……」
「メグ、ごめんね。私には海斗さんがいるの。海斗さんのそばを離れるなんて……できない。だから私……メグの想いに応えてあげられない。ここの仕事を放り投げてメグの元にはいけないの。だけど、これでも……大学の頃からずっと、私はどうしたらメグに恩返しができるのかって考えてたんだよ」
 未来の長い長い独白を、あたしは呆然としたまま聞き続けた。間になんの口も挟めなかった。口を挟む余裕がそもそもなかった。
「私……ここで待ってても、いいかな?」
「……え?」
 やっと口にできた言葉は、それで精一杯だった。
「なにかつらくなった時は、ここに来てほしい。私はここを離れられないけれど、ここに来てくれた時には、私は最高の癒しを約束する。メグがなにもかも忘れて幸せになれるように全力を尽くす。私にできるのは……本当にそれくらいだけだけど」
「未来……」
 涙でグシャグシャのままのあたしに、未来はちょっとイタズラっぽい笑みを浮かべた。
「メグが恋人をつれてきてくれたら、それが一番嬉しいかな」
「な、なに……言ってんのよ」
 急にそんなことを言う未来に、思わず笑いそうになり――結局、泣き笑いみたいな顔であたしは言った。
「うちの旅館、式とかも受け付けてるわよ?」
 その言葉は、あたしに前に進めと告げていた。
 未来をあきらめて、他の子を探せ、と。
 あたしの願った通り、未来への失恋を経験して、新たな恋を見つけろ、と。
 そう言っているのだ。
「……」
 そんなこと言われても、女友達もいないし、思いつくのは後輩の彼だけだ。そしてやはり、彼を恋愛対象としては見れない。仮に彼が海斗さんを越えるイケメンだったとしても、やっぱりあたしは……男性をそういう風には見れない。
 この社会は、未だにそういう性的少数者に対する風当たりが強い。
 実際、これまであたしは一度もカミングアウトしたことはなかった。
 それを告白してしまったら、相手がどんなリアクションをするか恐ろしいからだ。
 だから、これまで未来にも言えなかったんだし。
「……そう、ね」
 けれど、未来に告白して、未来の返事を聞いて、やっと、どこか心の中にストンと落ちてくるものがあった。
 未来のことが好きだった。
 けれど、それを言い訳にして、あたしは前に進むのを嫌がっていたんだろうか。
 ……。
 きっと、そうなんだろう。
 “彼女”は……あたしのそんな本心をわかっていて、前に進まざるを得ない状況を作りあげた。
 そして“彼女”さえも逃げ道にしてしまわないように、自らいなくなった。
 あたしが、前に進むために。
 やはり未来は、ジュリエットなんかじゃなかった。未来はやっぱりシンデレラで……“彼女”が、自らジュリエット役を買って出たのだ。
 そうなることで、あたし自身がジュリエットに……悲劇のヒロインになってしまわないように。
 さよなら、あたしだけのジュリエット。
 嫌みばっかり言う“彼女”が、あたしのひねくれた本心があたしはずっと嫌いだった。
 自分のことなのに、全然好きになんてなれないと思ってた。
 でも、こうしていなくなってみると……たぶん、あたしはあなたが好きだったんだわ。
 自分のことを、あたしは好きでいられる。
 なんだかいろいろ、吹っ切れたような気がする。
 うじうじ悩んで、もやもやした気持ちを抱えたままでなんて……きっと、あたしらしくない。
「メグは美人だから、どんな女の子でもほいほいついてきちゃうでしょ」
 未来のそんな軽口にも、あたしは苦笑してしまう。
「一番の大本命を逃がしたばっかりのあたしに、そーゆーこと言わないでくれるかしら」
 しかも、大本命本人から。
「ま、まあまあ」
「まだ間に合うわよ。海斗さん捨ててあたしのところに来るの」
「もー! 私がいろいろ言ったのを全部台無しにしないで!」
「あはは。じゃーしょーがないから、他の子を探すことにする」
「……うん。メグなら私よりいい子を見つけられるって」
「未来よりいい子なんて探してたら、あっという間におばあちゃんになっちゃうでしょ」
 涙で濡れたままの目もとをぬぐい、あたしたちは笑う。
 こんな嫌みを返せるようになれたのも、未来のおかげだ。
 あたし……好きになったのが未来でよかった。
 あたしの初恋と失恋が……未来でよかった。
「……未来? 一体どこに――って、あ」
 扉を開けて――チェックアウトの時間は過ぎているのだから、当然この部屋は誰もいないはずだと想ったんだろう――部屋をのぞいた海斗さんは、そんなすっとんきょうな声を出した。
「あ」
「あ」
 あたしと未来の声もハモる。
「あー。その、なんというか、ごめん。母さんと皆には伝えておくから、愛ちゃんが落ち着いたら仕事に戻ってくれ」
 気まずそうな顔をしてそそくさと出ていこうとする海斗さんに、あたしたちは顔を見合わせる。
 ――そうか。さっきまであたしは号泣してたんだし、まだ、未来があたしを介抱してるように見えるか。
「海斗さんのせいですからね」
「え、ええっ?」
 扉を閉めて出ていこうとしていた海斗さんは、あたしの言葉に動きを止める。
 ていうか、引き留めるために、口を尖らせてそんなことを言ったんだけど。
「海斗さんのせいで……あたしはこんなことになったんですよ」
 子細を告げず、ただ恨みがましく言う。目の前の未来は苦笑していた。
「ええと、その。どういうこと?」
「秘密です。海斗さんには教えてあげません」
「なんだそれ……」
「女の子には秘密があるもんなんです。ね、未来?」
 実際のところ、海斗さんには話しても困るだけだろうし。
「そうねぇ。……海斗さんもたまに、お金のかかる秘密ができるみたいだけど」
「ぐっ……だからもう、FXも株もやらないって」
「じゃあ……今度は競馬とか仮想通貨とかですかね」
「やらないよ!」
「ま、今回は未来を返してあげます。チェックアウトして帰らなきゃね」
 よいしょっと、と立ち上がって荷物をまとめだすあたしに、未来はびっくりする。
「え。お風呂入っていかないの?」
「うん。あたしも……前に進まなきゃね」
 あたしの言葉に、未来は、ふ、と息を吐いて、どこか安心したようにほほ笑んで見せる。
「そっか。……うん。そうだね」
「二人とも……なんの話?」
「海斗さんには、秘密です」
 困惑する海斗さんにそう言って、あたしは笑った。

 人生には、ターニングポイントが何度かやってくる。
 それは進学であったり就職であったり、恋愛だったり。
 形は人によって様々だろうけれど、そのどれもが、自分の将来が決定的に変わってしまう大きなものだ。
 人がその岐路に立たされたとき、どちらの道が正しいのかなんてことは誰にもわからない。
 これまで、あたしはその選択をずっと間違え続けてきていたと思っていた。けれど本当のところはどうかわからない。間違えたと思っていた選択は、実は正解へと繋がっていくための道筋なのかもしれないのだ。
 これからあたしがするであろう決断もまた、結果が見えないものばかりだろう。
 あたしはその選択を間違えるかもしれない。けれどもしかしたら、知らず知らずのうちに正解の方を選んでいるかもしれない。
 わからないけれど、あたしはそうやって前へと進んでいこう。
 楽な道のりなんてない、険しく曲がりくねった道程を。時に悩み、時に失敗したとしても、ただ前を向いて。
 ……なんであたしはそうして進んでいけるのかって?
 決まってる。
 あたしは……生きているからだ。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

私とジュリエット  13  ※二次創作

第十三話こと、最終話

まずは、原曲作詞作曲のdoriko様には最大限の感謝を。
まさかアンサーソングが来ると思っておらず、初めに聴いたときの衝撃たるや、凄まじかったです。

実際の期間でいうと、一ヶ月くらいはこの物語につきっきりでした。
この最終話は、書きながらぶっちゃけちょっと泣いてました。
「前向きな失恋物語」という、なかなか難しいストーリーになったものの、思っていたよりは書きこめたんじゃないかな、と思います。

当初の想定以上に、前作「ロミオとシンデレラ」の終盤の台詞を持ってこれたりしたので、続編としての形にはなったのではないでしょうか。いろいろと原曲とは違う解釈にしてしまったのは申し訳ないとしか言いようがない……。

毎度、例の如くおまけがあります。気になる方は前のバージョンをご覧ください。

また、これもまた毎度のことですが、次回作の予定はありません。
が、またなにか気になる楽曲が見つかれば、ここにやってきますので、その際はまたよろしくお願いいたします。

それではまた。

閲覧数:137

投稿日:2017/09/09 19:20:36

文字数:5,162文字

カテゴリ:小説

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  • ganzan

    ganzan

    ご意見・ご感想

    こんばんは。拝読させていただきました。

    タイトルを見て、少し読むのを躊躇してしまいました…。間違いなくロミオとシンデレラの続きだろうな、と。
    歌詞が不穏なので「頼むからバッドエンドだけは勘弁してくださいよ」という怖さ半分、期待半分、といったところでした。
    周雷文吾さん、たまに鬼畜になりますからね…(失礼)。

    ――という先入観もあり、愛ちゃんの主役抜擢がとても意外で新鮮でした。そう来たか、と。
    マイノリティな彼女の気持ちがわかる、とは素直に言えませんが、少数派ゆえの臆病さでズルズル引っ張ってしまう、という感覚なら身に覚えがあります。堂々と好きなこと好き、と言えない、とかですね。
    だから、未来が愛のそういうところにきちんと向き合って受け入れて(?)くれたのはホッとしました。未来にとってそれだけ愛の存在が大切で、救いだったんでしょうね。

    私自身、ミクさん大好き(歌もそれ以外も)な方向に傾倒し過ぎてて色々と少数派気分は味わってきましたが、10周年のお祭りの盛況っぷりを間近で見る限り「これって本当にマイノリティか?」と頭を捻ったり…ともあれ、祝10周年ミクさん。…脱線してすみません。

    最後に!
    最終話のおまけはGJとしか言いようがありません! みんな幸せなエンディングに勝るものはない! もちろんこれまでのドラマがあればこそですけどね!
    これからも楽しみにしています。

    2017/09/17 20:40:06

    • 周雷文吾

      周雷文吾

      お久しぶりです。
      初音ミクが十周年……「ロミオとシンデレラ」を書いたのも八年前とは……と、月日を感じずにはいられない文吾です。

      >周雷文吾さん、たまに鬼畜になりますからね…(失礼)。
      うーむ……(二次創作リストを見る)……“たまに”ですかねぇ。半分以上はひどい話のような(笑)

      >愛ちゃんの主役抜擢がとても意外で新鮮でした。そう来たか、と。
      前作を書いていたときには、ただただ未来をよく理解してくれている友人、ということ以外に考えていませんでした。
      今回「私とジュリエット」を聴いて「ああ……やっぱり未来のこと好きだったんだな」と、愛の気持ちを色々と思い知らされた感じがして、それでストーリーができてきました。なので、むしろ他の主役が考えられなかったですね(苦笑)
      前作のどこかで「愛は戯曲『ロミオとジュリエット』におけるパリスではない」と書いたと思うのですが、今回の話を含めた上で言うなら……やっぱりパリスだったのかもしれません。

      日本に限った話でもありませんが、同調圧力と言うか……マイノリティを淘汰しようとする傾向が強いように思えるときがあります。
      不謹慎という言葉や、なにかに対する保護という名目で他者に圧力をかけ、「皆こうしているから貴方もこうしなさい」というような。

      皆とおんなじことしてなにが楽しーんだ?
      なんて思う人なんですけどね(笑)
      それでも現状、とんなジャンルにおいても、少数派がカミングアウトするためには、自らが少数派であることをネタにしてしまえるメンタルの強さが必要になっちゃうよなぁ、とか思います。
      色々と開き直ると、気持ちは楽になりますよ(笑)

      ……と、こちらもなんか脱線してしまいましたね。

      >未来にとってそれだけ愛の存在が大切で、救いだったんでしょうね。
      >最終話のおまけはGJとしか言いようがありません!
      そう思ってもらえただけでも、この話を書いて良かったと思います。本当にありがとうございます!

      今回の話は、たぶん、自分の二次創作の「ロミオとシンデレラ」を気に入って下さった方には中々面白いんじゃないかと思うのですが、反面、これを一本の短編小説としてみると、時系列がバラバラすぎたりと、好き勝手しすぎでよくわからない感じになってしまったのかなとも思っています(苦笑)

      楽しんでいただけたようで、本当によかったです!
      それではまた!

      2017/09/19 20:49:42

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