Alone ※二次創作
1.
孤独。
その言葉の本当の意味を、最近までわかっていなかった。
人とは、他者がどれだけ近くにいようとも、孤独になれる。そう、彼は結局のところ、おそらくは一番近くにいたであろう私にも、心を開いてはくれなかったのだ。
私だけは、彼の味方のつもりだった。私だけは、彼の苦しみをわかってあげているつもりになっていた。
お笑いぐさだ。
彼にとっては私も、彼のことをないがしろにしていた人たちと、なにも変わらない存在にすぎなかったのだから。
幼稚園の頃、彼とは性格がまったく正反対の、明るい男の子と仲がよかった。
今ではもう、男の子の名前は思い出せないけれど、「わるいかいじんからみんなをまもるヒーローになる」のがあの男の子の夢だった。
あの子がここにいてくれたら、彼を救うために立ち上がってくれたんじゃないだろうか。
この世界には悪い怪人も悪の秘密結社もないけれど、あの子なら苦しくてつらい思いをしている人を見捨てることなんて、できなかったはずだ。
……私なんかとは違って。
「――さん、初音さん! 先生の話を聞いているんですか?」
……そんなことを考えながら三階の教室の窓から校庭を眺めていると、そんな雑音が……ああ、声が聞こえてきた。
「――ひっ」
私が不機嫌さを隠しもせずに無言で見返すと、先生はたじろぎ、かすかに悲鳴を上げる。
先生だって、他のみんなと同じ共犯だ。私は、この担任も許すことができない。
このクラスの担任である、数学の藤田先生。生徒だけにとどまらず、誰に対しても高圧的なその態度のおかげで、学校の大半の人から嫌われている。自分が偉いと勘違いしたその態度のせいで、四十半ばになった今でも結婚できないのだと生徒たちに噂されているのだが、本人は知りもしない。
「初音さん! この例題を解きなさいと言ったんですよ!」
そんな彼女は、咳払いをして悲鳴をごまかすと、そう言い直した。ごまかせていないことには、全然気づいていないみたいだ。
他のクラスメイトはそのほとんどが真面目に授業を受けているが、私と藤田先生のやり取りを気に留めている様子はない。あれから、彼らは徹底的に私を無視することに決めた。こんなクラスメイトたちと余計な関わりあいを持つなど迷惑極まりないので、それは私としても都合がいい。
机に手をついて、私は仕方なく立ち上がる。机の上にはなにも置いていない。面倒だったので、教科書すら出さなかったのだ。けれどそんな態度が、藤田先生のあるだけ無駄なプライドを刺激してしまったのかもしれない。
ため息をついて、教室の正面へと歩く。
黒板には、まだ習っていないはずの方程式が記されていた。藤田先生らしい嫌がらせだ。悩む私を前に「まったく、こんなのもわからないなんて」とか言って馬鹿にしたいんだろう。
三ヶ月前、彼を標的にしていたそれが今、私に向けられている。
……吐き気がする。
彼を犠牲にしてなお、なにも変わらないこの人の習性に。
私はチョークを手に取り、遅滞なく方程式を解いていく。
一瞬でも手を止めることは許されない。藤田先生の嫌がらせを前に、悩む様子を見せてしまうのが癪だったからだ。
だいたい、大学受験をひかえて塾に通う高校三年生が、それを塾のほうで習うことがないとでも思っているのだろうか。自慢じゃないけれど、学年三位の生徒を相手に、さも知らないだろうとそんな例題を解かせるなんて、幼稚としか言いようがない。
かっかっかっかっかっ、とチョークで軽快な音を立てて、私は例題を解く。
大して時間もかからずに答えを導き出すと、一歩下がって全体を眺める。
……うん、計算間違いもしていない。
「いかがですか、藤田先生」
「……こ、これくらいできて当然の問題です! それでは――」
馬鹿みたいに怒っている藤田先生が口を開いた瞬間に、私は視線をそらして教室内を見渡す。
「……」
誰一人、視線は合わない。
不自然に顔をそらし、わざとらしくノートを取り、雑談をしていた男子も口をつぐむ。
「……チッ」
その態度にイライラして、私はひと目もはばからず、思いきり舌打ちをしてしまった。
◇◇◇◇
「柳君! こんな簡単な問題もわからないんですか?」
「……ごめんなさい」
教室に、藤田先生のヒステリックな声が響く。
それに僕、柳隆弘はもともと小さな身体をさらにちぢこまらせてうつむくことしかできなかった。
そんな僕に、クラスメイトはにやにやと下卑た笑みを向けてくる。その視線に耐えられなくて、僕は下げた視線をいつまでも上げられなかった。
ただ、こうやって黒板の前で立っていることが苦しくてしょうがない。けれど、自分の席に勝手に帰ったら、今以上に藤田先生に怒られるのは目に見えていた。
ああ、僕は生き餌なんだ。
僕は釣り針に刺されたミミズかなにかで、これから魚に食べられることがわかっている僕の姿を、なんて馬鹿なやつだってみんなは笑っているんだ。
それから藤田先生は、この問題も解けないようじゃ大学に進学なんてできなくなる、という内容を、何度も何度も、僕の心をえぐるように、クラスの外にさえ聞こえそうな大声で叫んでから、ようやく僕に席に戻るように、と指示を出した。
わかってる。
今さらそんなこと言われなくたって、先生に指摘される前からとっくにわかってる。
でも、僕だってなんとかしたいって思うけれど、何度考えてもどうしたらいいかわからないんだ。
「……柳君、大丈夫?」
「あ……うん、ごめん」
藤田先生にさんざんこき下ろされ、クラスメイトに冷やかされ、心を蹂躙しつくされて席に戻ってきた僕に、隣の席の初音未來さんがそう声をかけてくれた。けれど、僕はそんな言葉にさえどう言えばいいかわからなくて、染みついた習慣でとりあえず謝る。
僕の謝罪に、けれど彼女は、他の人とは違って悲しそうな、それでいて優しい視線を向けてくれる。
「別に、謝らなくても」
「そ、そうだね……ごめん」
「……」
結局謝ってしまう僕に、初音さんは悲しそうにほほ笑みはしたけれど、謝らなくていいと繰り返したりはしなかった。
「……藤田先生も、あんな言い方しなくてもいいのにね」
「……」
そんな風に言ってくれたけれど、僕は初音さんにまともな返事もできなかった。それにも、彼女は返事を催促せずにいてくれる。
その優しさに甘え、僕は下を向いて机を見つめる。
先生の声を聞くことも、黒板を見上げることも怖くてできなかった。ただ、授業が終わるまでまた当てられませんように、と祈るので精一杯だった。
卑屈であること、押しが弱いこと、勉強が苦手なこと。学校にいると、そんな僕がどれだけ罪深い存在なのかを思い知らされる。
話すのが苦手で友だちができないと、あっという間に孤立してしまう。気づいたときには、もう周りはなにかしら、決まったグループで集まっていて、僕にはそこに割り込んでいくことができなくなってしまっていた。
そうやっていつも一人で、しかも勉強もちっともできなくて先生たちからののしられるやつは、格好の標的だった。
外から見て「いじめ」と表現できるものはほとんどない。
ただ無視をされ、近くを通ると顔をしかめ、少しだけ距離をとる。そして、離れた場所からこっちを指さして笑ってみせる。
直接的な暴力も、脅しもゆすりもあるわけじゃない。だから、それくらいで先生が「いじめ」と認めるとは思えなかった。しかも、相談するにしても担任はあの藤田先生だ。頭にがんがん響くあのヒステリックな声で「いじめなんて、私のクラスであるわけ無いでしょ!」と言うに決まってる。
でも、ここにいるのはつらかった。
ここでこうしているだけで、そんなに罪なんだろうか。ここにいることは、そんなに許されないことなんだろうか。
苦しい。
苦しい。
「柳君、本当に……大丈夫? 保健室に――」
僕がどんな様子だったのかはわからないけれど、そんなことを考えていた僕は、初音さんにそう言われるくらいにはいつもと違ったんだろう。
初音さんは優しいけれど、その瞳に宿っているのは……憐れみ、だ。その視線は、他の人たちとはまた違う意味でつらかった。
だから僕は、こう言ってしまう。
「うん……ごめん、大丈夫だから」
Alone 1 ※2次創作
第一話
お久しぶりの文吾です。
2次創作第八弾、doriko様のミニアルバム「origin」より、「Alone」をお送り致します。
不意に泣きたいって思うこと、皆さんはありませんか? 私はあります。
それがどうしようもなくなって、「めっちゃ泣ける話を書こう」と思ってこの曲を題材にすることにしました。
ですが……泣ける話を書こうと思っていたはずなのに、胸クソ悪くなるだけでした。……どうしてこうなった。
全七話、分量は「茜コントラスト」よりも短くなっております。
泣ける話になっているかどうか、本当に疑わしい限りですが、皆様のちょっとした暇つぶしにでもなれば幸いです。
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