13
執務室に入ってきたのは、まだ幼い少年だった。
だがその視線は暗く、片手で構えた自動小銃にも、もう片方に携えた粘土のようなそれにも、私たちに対する敵意しかない。
粘土のようなものにはなにかを突き刺しており、その先にはスイッチが見てとれる。
あれは、十中八九プラスチック爆弾だ。
恐らくは……セムテックス。
「……やめなさい」
私は低い声でつぶやく。
目の前の少年兵ではなく、私の両脇で自動式拳銃を構え、今にも少年兵を撃ちそうな二人にだ。
しかし、私の言葉に反応したのはモーガンともう一人じゃなく、目の前の少年兵だった。
「黙れ。コダーラ族のクズどもなんか」
「違うの――」
私に自動小銃の銃口を突きつけ、続きを封じられてしまう。
「……」
「あんたがリーダーか?」
少年の問いに、私はうつむいて首を横に振る。
「大統領はここにはいないわ。彼は……二週間前から、ソルコタ国内を離れているわ。私たちも彼の行方を知りたいのよ」
「嘘だ!」
少年は激高し、銃口をこちらに突きつける。震えるその人差し指が、私たちの命運を握っていた。
「嘘じゃないわ」
ラザルスキ大統領臨時代理が応接室で死んだそうだが……これもまた、嘘ではない。シェンコア・ウブク大統領。あの人はいま、どこでなにを――。
私への返答として、少年は無言で信管の安全装置を外してみせた。
「待って、落ち着いて!」
私は手を上げて、ゆっくりと立ち上がる。少年には私のカンガが見えているはずだ。コダーラ族の伝統模様とカタ族の伝統模様の両方をケイトが編んだカンガを。
「貴方たちも……武器を捨てて」
「しかし――」
再度の要請に、モーガンが異を唱えかける。
「あの子のセムテックスを見て。そんなもの持ってても無駄よ」
「……やれやれ、この人は。俺たちもおしまいだな」
モーガンが自動式拳銃をデスクに置く。その光景を、エリックの自動式拳銃を構えた男は、嘘だろ、と言いたげに見ていた。
が、モーガンがあごでしゃくるのを見て、彼もあきらめて自動式拳銃をデスクに放る。
「クソッ」
そのまま二人は手を後頭部に回して後ずさった。
「私たちは非戦闘員よ。あなたは……ジュネーヴ条約を知っているかしら?」
古くは一八六四年に締結されたが、その後一九四九年に改正、整理された条約だ。その四つの条約と二つの追加議定書には、戦地における傷病者、捕虜の扱い、そして文民の保護について記載されている。別名は、戦争犠牲者保護条約、とも言う。
この場合、モーガンは第三条約に基づき捕虜としての扱いを受け、私たちは第四条約に基づき文民として保護しなければならない、となる。
が、この少年の表情を見る限り――。
「……なんのことだ」
「そう……そうでしょうね。いいわ。あなたは東ソルコタ神聖解放戦線の兵士ね?」
「そうだ」
「カタ族の解放のために戦い、コダーラ族を打倒するために戦う」
「だったらなんだ」
見るからにイライラしている。
やはり……このカンガの柄にも気づいていない。いや、もしかしたら元々知らないのか。
ならば、活路はどこにある……?
「――私もカタ族よ」
「嘘をつくな!」
「嘘じゃないわ。村を焼かれたの。政府とは関係ない、コダーラ族のギャングに」
確かに、このカンガの柄の意味を知らなかったら、こんなこと言われても信じないだろう。
「嘘だ……」
「……?」
そう思ったが、なぜか急に否定が弱々しくなり、後ずさる少年。
この逡巡は――なにか、私たちにとっての唯一の活路になりうる。追い込まれた私たちの、一筋の光に。
「メルカ村というところよ。もうなくなってしまったけれど――」
「嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ!」
少年の感情の爆発。
「……本当よ」
「嘘だ。なんでその名前を……メルカ村のことを知っている」
「……? なんでそんな……」
わからない。
この活路が、いったいどんな道を示しているのかが。
この少年が、そこになぜそんなに困惑しているのか――。
「メルカ村の生き残りは僕だけなのに!」
「……!」
「……」
村がなくなったのは、私が子ども兵になったあとのことだ。焼かれたと聞いたとき、生き残りはいないと聞かされた。
とても悲しくて、泣き出しそうで……けれど当時の私は、そんな感情の機微なんて忘れてしまっていて、涙を流すこともできなかった。
けれど……いたのだ。ここに。
驚く私を、少年は必死の形相でにらみつけてくる。
――この偶然は、きっと意味がある。
「なら……あなたは私の家族も同然よ」
両手を上げたまま、私はゆっくりとデスクを回り込み、少年に近づく。
「やめろ。近づくな……」
「メルカ村の広場に、大きな木があったでしょう? 私のいた頃は、子どもたちがみんな競いあって登って遊んでいたのよ」
「……」
揺れていた視線が私に定まり、見開かれる。同時に銃口が下がった。
私のメルカ村の話と自分の記憶に共通点を見いだしているのだ。
「銃なんて持たなくていい。私たちは、やり直せるわ」
「やめろ……」
やめろ、と少年は言った。
嘘だ、と言わずに。
そう言えなくなったからだ。少年はもう、私がメルカ村出身であることを疑っていない。否定したいのに、否定しきれない。……だからこそ動揺している。
そして動揺のあまり、自動小銃を取り落とした。
六年前、ケイトに銃口を向けていた私自身を見ているかのようだった。
正しいと思っていた自分が、実は間違っていたんだと思い知らされたあのとき……私は目の前のこの少年と同じような顔をしていたんだろう。困惑し、動揺し……泣きたくても泣くことを忘れてしまった、そんな顔を。
ゆっくりと手を伸ばし、少年の手を包み込む。
抵抗しないのを確認してから、安全装置を戻した。
そのまま少年の様子を見て大丈夫そうだと確信を得てから、安全装置を手に取り、抱えていたプラスチック爆弾も床に置く。信管を抜き、プラスチック爆弾を無力化。
そこで私はようやく息をつくことができた。
少なくとも、今すぐ死んでしまう、という恐れは取り除かれた。
……とはいえ、まだ建物はESSLFに包囲されたままだが。
「あなたのことは、私が守るわ」
できるだけ優しくそう告げて、少年を抱きしめる。
ケイトが私にしてくれたことだ。今度は、私が彼にしてあげる番。
触れた瞬間は、反射的に拒絶しそうになったのか、びくりと身体を硬直させた。だが、私がしっかりと抱きしめると、やがて緊張が溶け、身体が弛緩する。
少年を抱きしめながらふと背後を見ると、モーガンがなにか言おうとして……ただ苦笑した。
私もやっと緊張が緩んで、ほほ笑み返す。
その瞬間、ばたん、と荒々しい音をたてて扉が開き、完全武装の兵士たちがなだれ込んできた。
ESSLFか――と思ったが、肩の記章が違う。
「動くな、こちらはUNMISOL所属、国連特殊部隊だ! 動くな! 抵抗者は撃つ!」
「待って、兵士はいないわ。この子ももう違う!」
私はとっさに少年を抱え上げ、一見してESSLFの子ども兵だとわかるこの子とUNMISOLとの間に私の身体をねじ込む。
UNMISOLが、この行政府庁舎に来られると思っていなかった。
建て直しが早かったのか……そもそもUNMISOLのキャンプにはESSLFが目もくれなかったのか。わからないが、気づけば外からはもう銃声が聞こえないし、他にESSLFの兵士がやってくる気配もない。こんなに早くここに展開してくるなら、行政府庁舎内からはすでにESSLFを追い出しているのかもしれない。
執務室内に突入してきた部隊は、室内の様子を見て、銃を下げる。
指揮官らしき人が歩み出てきて、私と……私が抱えている少年を見下ろして告げる。
「あなたが守ろうとしている子は、東ソルコタ神聖解放戦線の重要人物ですよ」
……思い出した。UNMISOLに顔を出していたときに会ったことがある。確か、名前は……セバスチャン・スタン。
「だからなんだって言うの。この子はまだ子どもよ。この子の権利は守られるべきだわ」
「その通りです、大使。ですが、それを押し通すにはこの国の軍部は……」
指揮官が……セバスチャンが言いよどむ。
モーガンが反論しそうになったのを、私は視線だけで制した。
「……わかっています。それでも私は、この子を守ります」
セバスチャンの冷たい視線から、この子を遠ざける。そんな様子に彼はやれやれとため息をついた。
「……そう仰るなら、尊重しましょう」
「ありがとう、指揮官」
「いえ。……苦労するのは貴女ですから」
「それは――そうでしょうね」
けれど、私もケイトのようになりたい。ケイトが私を救ってくれたように……私も、目の前の少年を救いたい。
「おわかりなら――いえ、私などが意見することではありませんね」
「いいえ。UNMISOLの対応が迅速で助かりました。私たちが生きているのは、貴方がたのお陰です」
「それは……ダニエル・ハーヴェイ将軍に仰っていただければ。彼の必死の依頼がなければ、我々の上司も我々をここに投入しはしなかったでしょう」
「ハーヴェイ将軍が?」
意外な名前だった。
確かに彼は、国連との協調に協力する、と言った。
しかし、それはまだ三日前のことだし、私がUNMISOLのキャンプの変革を成し遂げれば、という条件の上でだったはずだ。
「なんとしてもミス・グミ・カフスザイを救出してくれ、必要ならいくらでも責めは負う。彼女はソルコタに必要な人材なのだ」
「……は?」
切羽詰まった言い方をして、セバスチャンは笑う。
「ダニエル・ハーヴェイ将軍の言葉だそうです」
「くくっくくく……」
耐えかねた笑い声が、背後から。
「……モーガン、貴方ねぇ」
「いやだって……仕方ないでしょう? あのハーヴェイ将軍にそこまで言わせる人がいるなんて……」
あきれてしまう。
「しかし、将軍の言うことももっともでしょう。これからどうなるかは予測がつきませんが……大使の手腕を遺憾なく発揮していただく必要があるのは間違いありませんし」
「――まったくもう」
私は少年を抱えたまま、ひとときの安心に笑顔をこぼした。
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