予鈴が鳴り、次々とクラスメイトが教室を去っていく。ある人は帰宅、ある人は部活。友達と遊ぶ、塾へ通う。でも、私―――初音ミクはどれにも当てはまらない。今日はある人と、話があるから。
「レンくん」
私は、もう一人教室に残った彼―――鏡音レンに話しかけた。レンくんはつまらなさそうに窓の外を見ている。
「何、話って」
窓の外を向いたまま、レンくんはそう言った。レンくんは、一体どこを向いてるのかな。そう思って、同じように窓の外を見遣る。校庭ではサッカー部が練習をしていたり、陸上部が校舎の周りを走っているのが見える。
あぁ、きっとそこを見てるのかな。私は、ふとそう思った。
「ごめんね、部活休ませちゃって」
話の前に謝っておく。私は彼を休ませてしまったのだから。
「そう思うんなら早く話してよ」
そう言うレンくんの口調は冷たくて、私には目もくれてないんだな、と思う。
「……私ね、ずっとレンくんが好きでした。ずっと……君だけ見てた」
今までの、感情を、言葉にして吐き出した。
レンくんが、少しだけこちらを見た。ただ何も言わずに、こちらを見た。
「だから? それで、あんたはどうしたいの? 俺は、そこまで言わないと何も答えない」
無感情に、そう言った。その言葉の続きはわかるけど、私に言わせたいんだ。どうしてかは、わからないけど。なら、言ってしまおう。ありったけ、ぶつけてしまおう。
「―――だから、私と付き合ってください」
まっすぐ、レンくんの目を見て。私はそう言った。翡翠色の、綺麗な瞳。私はエメラルドグリーンだけど、それとは違った色。
「ごめん、無理」
レンくんは、表情を変えずに答えた。さら、と彼の金髪が揺れる。思わずそれに見惚れてしまう。
――――だから鏡音くんはやめた方がいいって言ったのに。
協力してくれた、グミの言いそうな言葉が思い浮かんだ。鏡音くんは相手を悲しませることしかしないんだから。とも言っていた気がする。その時、レンくんが言った。
「初音には……俺よりもいいやつがいるよ。それに、俺には好きな人がいるし……別に、初音の事は嫌いじゃないから」
そんなことを言うとは思わなかったから、私は少しびっくりした。少し下を向いて、そう言ったから。でも、それよりも、気になることがあった。
「好きな……人?」
「そう」
「もしかして……リンちゃん?」
さりげなく、気が付いたように尋ねる。
「知ってたのか?」
「知ってたよ……だって、さっきも言ったでしょ? ずっと見てたって。レンくんが、何処を見てるのかくらい……それくらいわかるよ」
声が、震えていく。視界もぼやけていく。ダメ、泣いちゃ。レンくんの前で、泣きたくない。
「そうか……」
どこか遠い目をして彼はつぶやいた。
「ありがとう、レンくん。私に、恋を、させてくれてありがとう……。頑張って」
レンくんは頷いて、教室を去った。
私は、ただ泣いた。誰もいない、教室で。でも、十分だった。失恋だけど……きっと、また恋をできる気がした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
『今日の放課後、教室で待っていてください。 初音ミク』
そうとだけ書かれた手紙を見たのは朝。自分の机の中に入っていた。何かという予想はついていたけど、もしかしたら違うかもしれないと思った。
「何見てるの? もしかしてラブレター?」
横から、クラスメイトの声がした。そちらを見ると、金髪と茶髪の混じった独特の髪をした少女がいた。
「違う。ただの呼び出し」
少女―――鏡音リンに俺はそう伝えた。そう、とつぶやいた紺碧色の瞳はどことなく不満そうで、
「リン、何かあったのか」
と俺は訊いた。
「……何が?」
とリンはとぼけたように聞き返してきた。
「いや……なんでもない」
「変なの、鏡音くんって」
「何その変って」
えへへ、と屈託なく笑う彼女に俺はいつしか恋をしていた。
中学2年になって、初めてのクラス替えで知り合った。珍しい苗字だと思っていたのに親戚でもなくて下の名前も似ていて。
『めんどくさいから、リンって呼んでいい? 俺はレンでいいから』
そう言うとリンは笑って、
『良いよ。でも、あたしは鏡音くんにするよ』
と答えた。何故かと問うと、
『……なんとなく?』
と答えた。
それからも、リンとは話をしたり弁当を一緒に食べたりした。好きなものの話や、最近のニュースの批判の真似とか、色々。いつの間にか、本当に、いつの間にか、恋をしていたんだと思う。だから、誰かに告白されると必ず断ってきた。そして、多分、次もそうだ。
放課後、俺は指定された通り教室に残った。バスケ部には休むと連絡を入れてある。向こう―――初音も、人が全員出ていくのを待つつもりらしい。
そして……初音が口を開いた。
「レンくん」
俺はどうこたえて良いかわからず、窓の外を見た。陸上部はランニングをしている。その中に、リンがいた。つい、目で追ってしまう。
俺は、その後冷たい対応を初音にしてしまった。初音は、俺を好きだと言った。せめてきちんと向き合おうと、初音の目を見た。エメラルドグリーンの瞳も、こちらを見ている。
「初音には……俺よりもいいやつがいるよ。それに、俺には好きな人がいるし……別に、初音の事は嫌いじゃないから」
そう言うのさえ、やっとな気がした。
「もしかして……リンちゃん?」
初音は、気付いていたらしくすぐに見抜いた。声を震わせて、泣くまいとこらえた表情で。
「ありがとう、レンくん。私に、恋を、させてくれてありがとう……。頑張って」
その言葉に、俺は黙って頷いて教室を後にした。それから思ったけど、感謝するべきなのは本当は俺だった。馬鹿だな、とため息をついた。
部活はもう、終了していた。昇降口に向かうため、階段を駆け下りるとリンと鉢合わせした。
「鏡音くん……!」
今から、初音を見習う事にしよう。
「リン。俺―――」
――――――――――――――――――――――――――――――――――
校庭のトラックを、走る。ただひたすら、前を向いて全力疾走。
今は、何も考えたくない―――――。
そう思った理由は、今日の朝と放課後。
鏡音くんは、一通の手紙を見ていた。人気のある鏡音くんの事、ラブレターはしょっちゅうもらっているから、その類の物だろうと思ってあたしは尋ねた。
「何それ、ラブレター?」
「違う、ただの呼び出し」
いつも素っ気ないけれど、あたしは―――鏡音リンは、そんな鏡音レンが好きなんです。
中2の時、名前が似ていたのがきっかけで話すようになった。意識し始めたのはいつからだろう。彼が他の男子とは違って見えたから、そんなところに惹かれたのだろうと思う。
差出人の名前がチラリと見えた。初音ミク。クラスで一番可愛い子。
その子も、鏡音くんが好きなんだ。
そう、と答えたときあたしは、正直嫉妬をしていたものだと思う。その様子が鏡音くんにもわかってしまったらしく、「何かあったのか?」と尋ねられた。隠したつもりだったのにな。
結局、授業にも打ち込めずいつの間にか放課後。陸上部の為校庭に向かおうと教室をでる。
あれ、鏡音くんは出ないのかな。……そっか、ミクちゃんがいるもんね。あたしは、舌を向いて小走りに校舎を飛び出した。
まずは校舎の周りを3周。その後長距離か短距離かに分かれてそれぞれ練習をしていく。あたしは短距離コースだから、50m走のタイムを測ったり、色々する。
これが中学最後の大会に出るための練習だから、きちんとやりぬきたかったから、考えないようにずっと走っていた。
部活も終わり、一度荷物を取りに行こうと教室へ足を向ける。すると、階段のところで鏡音くんと鉢合わせした。
「鏡音くん……!」
ミクちゃんとは、どうなったのだろう。結果が気になり、鼓動が速くなっていく。
あたしが尋ねるより先に、鏡音くんが口を開いた。
「リン。俺……リンのことが、好きだ。付き合って欲しい」
一瞬、何を言われたかわからなかった。頭の中が真っ白になるってこんな感じなんだろうな、と意味もなく思った。
不意に、頬を何かが伝った。ゆっくりとそれに触れると、涙だった。溢れて止まらない。鏡音くんの細い指が優しくそれを拭った。
「あたしも、……好き、です。付き合って下さい」
少し俯いて、あたしも言った。鏡音くんは最後まで言ってから答える人だから、最後の最後まではっきりと言う。今まで告白なんてしたことがなかったから、こんな気持ちを味わうことも初めてだった。多分、嬉しいんだと思う。恥ずかしくて堪らないけど、伝わったことが本当に嬉しいんだ。
「そうだ。俺のこと、鏡音くんじゃなくて、下の名前で呼んでよ」
「え……」
「嫌なんだ?」
にやりと、意地悪く鏡音くんは笑った。かぁ、と頬が熱くなる。いつの間にか、涙は止まっていた。
「れ、レンくん……じゃぁ、だめ?」
「……いいよ」
「ちょっと、待ってて。鞄取ってくる」
あたしがそう言うと、レンくんは頷いた。あたしは階段を駆け上った。
たん、たん、と靴音が鳴る。
がらり、と教室の扉を開ける。窓際には、ある人が立っていた。後姿は、教室の明かりが消えて薄暗くなってきているせいか分かりづらいが、綺麗で長いツインテールからして―――。
「ミク、ちゃん……」
――――――――――――――――――――――――――――――――――
私の名前を呼ぶ、見知った声に私は振り返った。
そこには、金に茶の入り混じる髪をした少女が立っていた。紺碧色の瞳は、じっとこちらを見ている。
「リンちゃん。レンくんには会った? あれ、すれ違っちゃった?」
少しリンちゃんが堅くなったように見えた。すれ違ってはいないよう。
「私ね、レンくんのことずっと好きだったの。同じクラスになる前から」
私は、リンちゃんが何か言う前に話を始めた。リンちゃんは何も言わない。
「同じクラスになれたときは、すごく嬉しかった。もう、見てるだけでいいって思ったけど……。今年で最後だから伝えないと、って」
振られちゃったけどね。と私は最後に付け足して言った。
「そうだ、今度、一緒に遊ぼうよ。勉強の合間に、だけど」
「え?」
呆けた様なリンちゃんの表情。可愛いな……レンくんが好きになるのも仕方がないかも。
「それじゃ、私、先に行くね」
鞄を手に取り、教室を後にする。たたっ、と階段を降りるとレンくんがいた。リンちゃんを待ってるのかな。
「初音」
「レンくん。……リンちゃんを泣かせたら承知しないからね」
そう言って、私は小走りに昇降口まで行った。太陽は沈んでしまった。空はほとんど蒼に染まりかけている。
明日、学校に来るのがいつもより楽しみ。だって、あの二人のことが、気になるから。
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