「、、、え?」
坂本の言葉の意味が一瞬分からずルカが顔を上げると、坂本が鳥海から差し出されたケーキを受け取りながら、口をあけた。
「君はプロになって有名になれるよ。」
そう当たり前のことを言うように、坂本は言う。ルカは自分の前にも置かれたコーヒーにもマーブル模様のチーズケーキにも手をつけず、坂本をまじまじと見つめた。
「表現力はまだ固いし、ギターはへたっぴだし、甘くて少し掠れた声なんて、どこにでもいるとは思う。だけど発声はしっかりしてるし、音程もしっかりしてる。それに、無機質な感じとか郷愁を感じさせるのとか、色んな感じの曲を歌ってほしいと思わせる、魅力ある歌声だと思う。」
ルカの食い入るような眼差しの中、それを気にする様子もなく、淡々と評価の言葉を並べて坂本は大きな口をあけてケーキをほおばった。
「本当に?本当にそう思いますか?」
訝しげに問うルカに、坂本は何を当たり前のことを聞いて来るんだこいつは。というような、訝しげな表情で頷いた。
「殴られた相手に、何で俺が嘘を言わなくちゃいけないんだよ。」
そう悪態をつき、一つため息をついて坂本は真っ直ぐにルカを見つめた。その強い眼差しに射竦められて思わず身を引いたルカに、坂本はまるで明日の天気予報を言うような口調で告げた。
「巡音ルカさん。君は成功する側の人だよ。俺みたいに曲を作る、沢山の奴らが、自分の曲を君に歌わせたいと思うようになるよ。実際、既に俺は君に、俺の作ったうたを歌ってもらうつもりでいる。」
坂本に言葉に、どきりとルカの胸が鳴った。
「それで、結局のところ君はプロの歌手になりたい?」
坂本の再びの問いかけに、くるり、と世界が大きく回ったような気がした。
 どきり、どきり。と胸が痛いほど鳴る。何かが始まるときの音だ。とルカは思った。この音にあわせて息を整えて、前を見据えて、手を伸ばして走り出して。そうすれば。
 だけど、本当に手は届くの?
 醒めた声が内側からまるで黒い水のように溢れ出し、ルカの上気した頬を冷やした。
 だけど、手を伸ばしても、届かないことのほうが確立は高い。そこまで自分は上手ではない。とルカの中で冷静な声が響く。月曜に駅前で歌っても、ほとんど誰も足を止めないじゃないか。路上でうたを歌う私みたいな人はいくらでもいて、私よりも上手な人も沢山いるのを目の当たりにしているじゃないか。
 それにもしも万に一つの確立でプロになれたとしても、手が届いたとしても。それはきっとチーズケーキみたいに甘く楽しい世界ではない。きっと苦くてむき出しのとげが刺してくるような、きっとそんな世界だ。
 ルカは目の前に置かれたカップに手を伸ばした。出されてから一度も口をつけられることなく、カップの中でコーヒーは冷めてしまった。きっとこれでは苦くなってしまっているだろう。
「無理です。」
そうコーヒーのように温度の下がった声でルカは言った。言った瞬間、何かが自分の体から剥がれてしまったような気がした。
「無理です。だって、さっき坂本さんも言ってたでしょう?私みたいなのはどこにでもでもいるんです。それに、私はもう大学四年で、就職活動とか卒業論文とか、これから色々忙しいので、きっと両立もできません。」
一つ一つ噛み締めるように、そう醒めた言葉を放つ。諦めの言葉を一つ一つ積み上げていくごとに、自分自身からぽろぽろと何かが剥がれ落ちていくような、そんな感じがした。
 俯き、冷たくて苦くなってしまったコーヒーを飲むルカに、坂本は口を尖らせた。
「まぁ、無理、っていう人に無理はさせたくないけど。けど。好きなことを、好きなだけで十分だって言う奴はもったいないと思うけど。」
どこか非難するようなその言葉にルカはほんの少し唇を噛み締めた。
 歌手になって有名になりたい。わけではない。とルカは思った。
別に有名になりたいわけでもなくて、人前に出たいわけでもなくて。ただ単純に歌うことが好きなだけであって、それ以外の事はどうでもいい。
 だからきっと近い未来、自分は残業の少ない休みをきちんともらえる会社を選んで就職して、余裕のできた時間でやっぱり路上で歌って。そういう未来が自分の身の丈にあっている。
 そもそも、好きなことでお金を貰うなんておこがましい。自分なんかのうたに価値なんかない。だれも見向きなんかしない。夢なんか見ちゃいけない。世の中そんなに甘くない。
 まるで言い訳みたいな思考を苦いコーヒーと一緒にむりやり飲みこんで、ルカがカップを置くと、ことん、とその横に新しく入れなおされたコーヒーが置かれた。

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はなうた、ひらり・5~ダブルラリアット~

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投稿日:2010/02/04 22:45:52

文字数:1,895文字

カテゴリ:小説

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