16
一ヶ月と十日後。
ソルコタとはほとんど利害関係のない第三国。
そこのホテル・ナヴァルーニエに私たちはやって来ていた。
国内有数のホテルであり、元々からして守りが堅固な上、今回はこの国の軍隊が警備を固めているという話なのだが……いま目の前に見える荘厳な教会建築を思わせる建物を前にすると、事前に聞いていた実用重視のイメージが覆されていくようだった。
乗っていた四輪駆動車がホテル正面の車寄せに停まり、助手席からモーガンが降りると後部座席の扉を開けてくる。私はモーガンにほほ笑んで感謝の意を示すと、車から降りてアスファルトにヒールのかかとをつける。
さすがに先進国との比較はできないが、それでも道路がアスファルト舗装というだけで、ソルコタとの歴然とした国力の差を感じてしまう。ソルコタにはアスファルト舗装の道路などなかったから、ヒールのある靴など履くことはなかった。
「……」
ホテル・ナヴァルーニエを見上げる。
と、背後からフラッシュがいくつも瞬き、私はビックリして振り返った。
――いや、車がホテルに入ってきていた時点でわかってはいたのだ。ただ、信じられなかっただけで。
そこは、ホテルの敷地で封鎖線を敷いているこの国の軍隊を押し退けてでも私たちを一目見ようと集まった人々で溢れ返っていた。最前列にはテレビカメラに向かって中継をするキャスターや、三脚に乗せた大きなカメラを構えて写真を撮っているカメラマン、なんとかマイクを差し出してコメントをもらおうとしているジャーナリストなんかもいた。
その背後にも、携帯端末のカメラでなんとか撮影しようとする人々や、「SAVE Solcota」というプラカードを掲げた人までいる。
私が視線を向けたこともあり、人々が我先にとシャッターを切る。
なんで私なんかを……という内心の苦笑が外に出そうになるのをこらえて、私は笑顔と共に彼らに手を振った。
歓声と共に、無数のフラッシュが瞬く。
「……さすが、有名人は違うな」
「モーガン、笑えないわよ」
「それは失礼しました」
とは言うものの、含み笑いを隠そうとしないモーガンのわき腹を小突いてやる。
「まったく……」
私は群衆に向かってお辞儀をする。
この国に対する感謝も、そこに込めて。
――ソルコタがこの国と同等の国力をつけるには、どれ程の労力が必要となるのだろう――。
そんなことを思うと、私は深く息を吐くしかない。
あれから私は、UNTASの協力のもとで新たな政府の樹立を目指して仕事に追われていた。
UNTASの面々はイヴァンも含め、誰もが私たちに親身になってくれる人たちばかりだった。
とはいえ彼らは、他の国での制度や手法などは教えてくれるけれど、ソルコタ新政府に採用するかどうかには口出しをしない。
彼らは“国連がその国の情勢に関与すべきではない”と考えているからだ。
そういう意味では、彼らにとっては私以外の選択肢など初めからなかった。
これまでの紛争はコダーラ族側の政府と、カタ族側のテロ組織、という構図だった。
しかし私は、そんな中で“カタ族であり、コダーラ族側の政府の仕事をしていた唯一の人”だったのだ。
両者を取り持ち、また両者に対して優遇や差別をしない人物だという、国連から見れば最善の人選だろう。ただし、カタ族解放軍の子ども兵だったという経歴さえ目をつぶれば、だけれど。……その経歴は、致命傷になりかねないものだと思うが、私の周りでそれを気にする人はいなかった。
難民キャンプ内の学校での勉強会……授業は、他の人たちにすべて任せることとなってしまった。
子どもたちに教えることができなくなってしまったのは残念だったが、こちらはこちらで彼らの将来を左右する重要な仕事だ。どちらを優先すべきか……私自身が選択した結果だった。
私は顔を上げ、隣に立つモーガンを見て笑う。
「やっぱり……似合わないわね、スーツ」
「迷彩の軍服に見慣れてるからって、そんなこと言わないでくれよ、グミ」
体格がいいせいで、モーガンのスーツは筋肉でパツパツになっている。彼が力を込めたら、シャツのボタンが飛んでしまうんじゃないだろうか。
「はいはい、ふてくされないの。さあ、カルもいらっしゃい」
「でも、僕は……嫌な予感がするんだ」
後部座席で、カルはまだおっかなびっくりな様子を隠せないようだった。
外であれだけの群衆がひしめき合っていたら、まあ無理もないだろう。
恥ずかしかったか、カルはスーツをかたくなに拒んだので、今回は綺麗めのポロシャツを着せている。
「そんなことないわよ。きっと……ソルコタの平和を決定付けるものになるわ」
「そうだと……いいけど」
おずおずと車から出てくるカルのえり元が立っていたので、直してやる。
「さあ、行きましょう。ソルコタに平和をもたらすのよ。私たちがね」
「主役はグミだけどな」
モーガンの言葉に、私は苦笑した。
ホテル・ナヴァルーニエ。
ここが、シェンコア・ウブクとの会談の場だ。
ソルコタから遠く離れたこの国は、無償でこの場所を提供してくれた。
……というのも、この国内で“ソルコタを救え”という一大ムーブメントが起きたらしい。
きっかけは、難民キャンプの広場の隅で勉強会を始めたばかりの頃に取材に来たジャーナリストだったという。
……取材を受けたことは覚えている。確か、ジェシカ・コトロワ。
彼女は私の国連演説を直接見たのだと言っていた。あの会場で、私の言葉に心を打たれ、涙したのだと。
それからソルコタの取材を継続的に行い、難民キャンプで私に会って取材をしたのも、偶然なんかではないのだと言っていた。グミ・カフスザイという人物によって、自分の進むべき道が決まったのだと。
彼女の記事は、彼女自身の母国であるこの国で話題となり、大きなうねりを形成し……最終的に政府を動かすに至り、この会談の場の無償提供という形にまで広がったのだそうだ。
自らの預かり知らぬところで影響を受けた人がいる、というのがあまり信じられなかった。しかもそれが、こんな形で私自身に返ってくるなんて。
……世の中、なにが起こるのかわからないものだ。
シェンコア・ウブクと私、グミ・カフスザイの会談。
それはつまり、彼の側と国連側との会談である。
国連側の代表が私だというのは、UNTASの監督下における新政権の代表予定だということもあるが、代表が私であることで――ソルコタの人間であることで――国連そのものを責めたいシェンコア・ウブクの思惑を挫こうという作戦でもある。
だが正直、この会談がどんな方向性を持って着地するのか……未だに見えてこない。
こういった会談の場合、水面下である程度の下打ち合わせが済んでいたりするものだが……今回、ウブク側はなにも回答を寄越さなかった。
しかし、このたった一ヶ月と十日で、シェンコア・ウブクに同調する人々は凄まじい勢いで増えていっている。
INTERFSの容赦のない空爆に絶望を感じさせられた人々は、決して少なくはなかったのだ。
彼らはもしかしたら、すでに私たちとは交渉の余地なしと考えているのかもしれない。だが、もしそうだとすれば、この会談で彼はなにを考えて――。
「母さん」
「カル?」
「僕……言わなきゃいけないことがあるんだ」
「……?」
建物の中に入ったところで、カルが声をかけてくる。
エントランスホールの壁掛け時計に目をやる。
カルの表情がとても真剣なものだということは、一目でわかった。車の中でもおとなしかったカルは、ずっとその「言わなきゃいけないこと」について考えていたんだろう。しかし、カルがようやく話す決心をしたところで、会談開始まで……時間はない。
「……カル。会談の後に聞くわ」
「ダメ! あとからじゃ……手遅れになるかも……」
カルの顔がみるみるうちに青白くなってしまう。
「どうしたの? いったいなにがそんなに……」
「僕も……わからない。わからないけど……よくないって思うんだ」
カルを抱きしめ、背中をさすって落ち着かせる。
その小さな体躯がなにを想像したのかはわからないが、ただ小刻みに震えている。
そのまま少し先導していたモーガンを見るが、彼もこちらを振り返って「カルがなにを言おうとしているかなんて想像もつかない」という様子で両手を広げていた。
「カル。私に言っておかなければならないことって、どんなこと?」
「それは……その、僕は――」
エントランスホールで立ち止まっている私たちにSPが近づいてきて、咳払いをする。
「――ミス・グミ・カフスザイ、お時間です。会談の部屋までお越しください」
「……わかったわ」
SPの言葉に唇を噛み……渋々うなずく。
「カル。終わったら聞くわ」
「でも、それじゃ……」
SPの再度の咳ばらいに、カルはその意味を理解して口をつぐむ。
「……わかった」
「いい子ね。さあ、行きましょう」
謝罪の代わりにカルの頭をなで、モーガンを見る。
彼は私の視線に気づいてうなずき返してくると、向こうのエレベーターへと歩きだした。
私にはまったく縁がなかったはずの土地で、命運が決まろうとしている。
私たちと、ソルコタの命運が――。
アイマイ独立宣言 16 ※二次創作
第十六話
お気づきかもしれませんが、人名については色々出していますが、ソルコタ以外の国名や地名については出さないようにしています。
国連本部のあるニューヨークについて、そして実在したPKO活動についての名前は出しましたけれど。
これは、ソルコタなる国がどの地域にあるかはっきりさせないように、と思ったからです。
紛争地域というと中東やアフリカなんかのイメージがあったりしてしまうものですが、なんというか……特定の地域に対してネガティブなことを書きたくなかったので。
なので、人名も英語圏に限らず、いろんな地域からの名前をつけているつもりです。
……とはいえ、西洋ではない名前というのはことさら聞き慣れないので、どうしたらいいのかすごく悩むことが多かったのですが。
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